第36話 帆中編(面舵晴明)

 その時、周囲にいる人間の頭の中に流れ込んできた映像があった。


 映像は一瞬もしない内に切り替わり、それが頻繁に繰り返される。

 まるで乱回転する玉の内側から外の景色を見ているかのようにごちゃごちゃと要領を得ない。

 気持ち悪さが先行し、平衡感覚が狂い出す。


 銀が膝を着いた、面舵が走っている最中に転んだ、有塚が池の柵に体重を預けた、みちるが焦点の合わない瞳のまま、横に倒れた。


 帆中だけは、見えたその映像に、見覚えがあった。


「………………やめて」


 彼女自身が蓋をして、二度と表に出すつもりのない、過去の映像……記憶だ。

 どうして急に頭の中にその映像がねじ込まれたのかは、分からないが、予測はできる。


 帆中の心の声を受信し続けている魔法使いがいて、彼の固有魔法がなにをきっかけにしたのかは分からないが、一段階、進化を遂げたとするならば――。


 たとえば、送信を可能にした。

 受信する心の声を、過去、さらに思い出まで視野を広げたとすれば、辻褄が合う。


 大倉は今、帆中の過去を無遠慮にほじくり返して、しかもその場にいる全員の頭の中に無差別に過去の記憶を送り続けているのだ。


 帆中が見ている記憶も、今、全員が見ている。


「いやだ、あれを、あの光景を、わたしに思い出させないでッッ!」


 目を閉じても意味がない。

 映像は直接、頭の中に流れ込んでいる。


 ごく普通の一般家庭、幸せな三人暮らし。

 両親と娘一人――そう、帆中千海の幼少時代。


 魔法使いが生まれ始め、例に違わず母親と父親も発現し、日常生活に取り入れ魔法が当たり前のようになって久しい頃だった。

 ……些細な事で二人が衝突するようになった。

 家族の雰囲気も悪くなり、言葉数は少なくなり、娘に聞こえないように、真夜中に殴り合いをするまで悪化していた。


 小学校入学式の、前日の事だ。

 プレゼントされたランドセルが嬉しくて意味もなく背負って外に遊びに行っていた帆中が家に戻ると、母親と父親が重なって倒れていた。


「やめて! 消えろ、消えろッ、目を瞑ってるのに――なんでッ!」


 血溜まりの上で。

 これが、世界で初めて、魔法使い同士の殺し合い事件となり、有名になった。


 同時期に起こった使い魔消失事件の印象を失わせるほどのショックな事件として。


 別の親族に引き取られた帆中は、その後、いくつもの家を転々とする事になる。

 彼女は疫病神と呼ばれるようになった。

 遂には死神、とまで。


 次第にその呼び名で呼ばれる事はなくなった――なぜなら、呼ぶ者がいなくなったからだ。

 帆中を預かった血縁者は、全員が二名以上で殺し合い、死亡している。


 だから帆中千海は天蓋孤独であり――、

 現在は一人暮らしをしていた。


 今の彼女は色々な人に助けられており、その関係は天涯孤独になった後すぐに構築したものである。


 悲しんでいる暇も、天涯孤独の身に絶望している余裕もなかった。

 家族はいないけど、他人なら大勢いる。

 だったら、他人を、知り合いにしてしまえばいい。


 知り合いを友達に、仲間に、家族に――。

 そうすればもう一人じゃない。


 一人失っても代わりはいくらでもいる。

 明るく振る舞い、知り合いを増やし続けていれば、あの日のように、一人ぼっちになる事はないのだから。


 みんなが聞いたら失望するだろう、帆中千海は、みんなをただの『ストック』としか見ていなかったのだ。


 帆中は見た目には恵まれていた。

 それを活用すれば、話術や表情の使い方を調べて技術を身につければ、手に入らない誰かなんていなかったのだ……そう、中学に上がる前までは。


 ただ一人だけ、いたのだ。

 彼女から手を差し伸べられ、しつこく付きまとわれても、心を許さなかった少年が。


 彼だけが、帆中千海に籠絡しなかった。

 額をぶつけ合い、牙を剥き出しにして、吠え続けていた。

 だから、たった一つのストックであるはずなのに、帆中は彼に、執着した――。



「なんだ、そりゃあ……よぉ……」


 倒れた面舵が拳を地面に叩きつけ、起き上がろうとする。

 しかし肘は崩れ、地面に再び伏してしまう。


 なにも知らなかった。

 表面しか見ていなかった。


 帆中には才能がある、天才だから、人を簡単に引きつけ、みんなに認められる選ばれし存在なのだろうと勝手に思い込んで思考停止していた。

 彼女は、そうしなければ心がもたなかったのだ。


 努力する背景があり、死に物狂いで成功させる、渇望する欲があった。

 そこまでの気持ちが面舵にあったのか? 

 いいや、なかった。


 面舵がしていた努力など、努力とは呼べない。

 勝手にそう呼んで努力をした気になり、帆中を敵視する理由にしていただけだ。


 ちょっとの人気者が遊びで手を伸ばしてみたら輪の中心に立っていた、そんな薄っぺらいものだと、なら僕にも少しは寄越せと、友達をストックと呼ぶ帆中と比べても遜色ないほど面舵も面舵で最低だった。


 帆中にはまだ、壮絶な過去がある。

 だけど面舵にはない。


 ごく普通の家庭に生まれて、それなりの幸せを持ち、不自由なく生活できる平凡な少年。

 そんな奴が帆中と肩を並べられるわけがない。


 比較するのもおこがましい。

 だが、憧れだけは、捨てなくともいいだろう。


「やっぱ、すげえ、な。あいつ……」


 面舵なら、両親が死に、肉親が次々と同じように亡くなり、残ったのが自分だけなら、自殺していてもおかしくなかった。

 面舵でなくともそうするかもしれない。


 だけど、帆中は今も生きて、生い立ちに絶望もせず、前へ進む事を選んだ。

 死ぬ事で、その時の環境から逃げなかったのだ。


 ……なのに、彼女は若くして命を落とす運命にある。

 どうして、ここまで頑張ってきた帆中が、報われないんだ?


 それは違う、間違いだ。

 ――あいつは、帆中は、報われなければいけない人間だ!


 あいつに救われた奴が、どれだけいると思っている。

 ……現に、面舵だって、そうなのだから。


 一際大きな音が、地面へ振り下ろした拳によって響く。

 面舵晴明が、立ち上がった。


 彼女に唯一籠絡しなかった少年と言われ、

 実のところ、とっくのとうに、彼女が意識する間もなく彼女に籠絡していた少年が、今。



「お前をぶっ飛ばせば、未来は変わるんだろうな?」

「……へえ、気づいていたのか? 俺がなにかをしているって」

「いいや。でも」


 は、る……、と、声にならない声で呟いたみちるを見て、


「みちるが信頼していた男が、みちるを裏切って泣かせたんだ。正直、別にお前がなんにも関わっていなかろうが、ぶっ飛ばしてただけだ」


 歯車が狂い出す。

 その修正が追いつかないほどに激しく、加速していく。


 面舵晴明の後ろには、一人……そして、もう一人。


 未来への歯車は、三倍の速度で狂っていく。

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