第34話 帆中編

 体にロープが巻き付けられているのは好都合だった。

 魔法で服を操るよりは頑丈で壊れにくい。

 大胆な動きも可能になる。


 面舵の体がぐんっと引っ張られるような動きで大倉の目の前まで迫り、互いの額が衝突し、思わず見ている方も目を瞑ってしまいそうな痛々しい音が響いた。


 覚悟を決めていた方はまだしも、不意を突かれた方は痛みが倍以上に感じただろう。

 大倉が怯んで後じさる。

 が、背中にいる帆中のおかげで、朦朧としかけた意識が鮮明さを取り戻した。


 額に手を当てる面舵は一手遅れる。

 大倉が額に手を当てるよりも先に、面舵の胸倉に手を伸ばしたのだ。


 距離を取ろうとロープを魔法で操作しようとするが、大倉が干渉して面舵の魔法が打ち消される。

 所有権が完全に向こうへ移ってしまった。


「軽いんだよ」


 腕の力で胸倉を引っ張れるのと同時、魔法によってロープも引き寄せられる。

 二つの力が面舵を引き寄せ、大倉の片方の手が拳を作り、面舵の頬に突き刺さった。


 体重を乗せた一撃の手応えを感じ、大倉が気を抜いた――瞬間、面舵の踵落としが大倉の頭頂部を撃ち抜いた。


 魔法が衝突した時点で負けは確定していた。

 だからそのターンは全てを相手に許したのだ。

 不意を突かれたならまだしも、覚悟した一撃を浴びれば、意識を落とさない自信があった。


 面舵は次のターンに意識を注ぎ、大倉が気を抜いた一瞬を狙って魔法でロープを操作し、体を前へ一回転させた。

 綺麗に踵が大倉に当たったのは正直、偶然だった。


 倒れかけた大倉は一歩前へ足を踏み出し、なんとか堪えた。

 面舵は、きっと立っていられないだろう。

 だから魔法で体を浮かして誤魔化している。

 ロープで動きを制限させたつもりだろうが、面舵にとっては最高の補助器具だ。


「誰が、軽いって?」

「いいや、軽いな。――お前とは、背負っているものが違う!」


 ……それはこっちのセリフだ。


 大倉良がなにを背負っているのかは知らない。

 恐らく、面舵が明かせないように、彼にも面舵に匹敵するような秘密があるのかもしれない。

 ――だとしても、言える。


 言い切れる。


「こっちだって、お前に背負い切れる程度のもんは背負ってないんだよ!」


 両者が再び衝突するため、接近する。

 すこんっ、と、両者の距離が縮まる寸前、大倉の顔の側面に突撃したものがあった。


 靴だった。

 視界外から急に現れたそれは、一体誰が……。


 繰り返すが、面舵は誤魔化すためにロープを操作して浮き続けている。

 地面に足がついていないのだから、靴を履いている必要はない。


 踵落としをした時は靴を履いていた。

 一度、靴を履いていると印象づけた上で密かに靴を視界外にセットしていたのであれば……。


 二足目が、大倉の真下から、顎を打ち上げた。


「こ、いつ……ッ!」


 二度も気を逸らされてしまえば、急接近していると気づいていながらも面舵から繰り出される一撃を避ける事は難しいだろう。

 だが、ロープがある。

 乱打戦になるとどうしても疎かになってしまう魔法の操作だが、集中を切らさなければ面舵よりも地力がある大倉の方が鍔迫り合いになっても勝てる。


 ロープを操作し面舵を引き離したが――なのに、距離が変わっていない。

 いや、さらに詰められている。


 負けると分かっている鍔迫り合いを面舵は放棄した。

 となれば、その集中力はどこへ向く?


 さすがは特魔の三位だ。

 着ている服の頑丈さは、面舵よりも段違いだった。

 そう簡単に破れたりはしない。


「お、も、かじぃ……ッ!」

「うぉおおおおおおおおおおおおおおァッッ!」


 面舵の膝が、引き寄せた大倉の顔面を捉える。


 ……鼻が曲がったような音がした。


 鼻っ柱を折られた彼は背中から倒れたが、これで終わりだなんて思わない。

 必ず立ち上がって来るだろう。


「面舵っ、もうやめてっ!」


 帆中の悲痛な叫びだった。

 予想していた事だ、彼女なら止めようとするだろうと。

 その際、面舵の方が悪役になるだろうとは、分かっていたはずなのに。


「…………きつい、な」


 中学の時、帆中を守るためにクラスメイト、それ以外から敵意の目を向けられた。

 それが日常茶飯事だった。


 そんな中、当事者の帆中だけは決して面舵を非難するような目では見なかった。

 今になって思えば、その変わらない接し方にどれだけ救われたか。


 そんな帆中が、今、あの時の周囲が向けてきた目と同じ目をしている。

 彼女は大倉の味方であって、面舵の敵なのだ。


 だから、きつかった。

 だけどもう一度繰り返す。


 ――分かっていた事だろう。

 覚悟した上で、行動に移したのは、自分だ。

 今更、引き返すものか。


「軽蔑すればいい、もう二度と顔を合わせたくないって言われても仕方のない事だ。受け入れるよ……受け入れる……! だからなんと言われようとお前を奪って行くぞ、帆中!」


「クソ最悪な、ストーカーだな……」


 大倉良が立ち上がる。

 そんな彼の傍に寄り添い、怪我の具合を確かめる帆中がいた。

 献身的な彼女を見ても……もう、表情になど出すものか。


「お前は、いつも、あの時からずっと――千海の中に居続けやがってよぉッ!」


 大倉が自分の頭を掻き毟る。

 心の声を帆中一人に絞った事で昔のように激しい苦痛に襲われる事はなくなった。

 だが、帆中が面舵の事を考えて悩み、苦しめば苦しむほど、同じように大倉へも痛みが伝わる。


 彼女の心の痛みを共有していると言っていい。

 面舵という男が現れてから、帆中の心の中は曇ってばかりだ。


 あんなに晴れてばかりいた、明るい女の子だったのに。

 いつしか心の闇を隠し、明るく『振る舞う』女の子になってしまっていた。



 一人だけ魔法使いではないという劣等感から目を逸らし、


 魔法使いへの憧れから生まれた苛立ちや、思わずしそうになる八つ当たりを押し殺し、


 自分の不幸よりも他人の幸せを優先して誰かとの繋がりを維持しようとしていた。



 誰かに必要され続けていれば、誰からも忘れられないだろうと。

 両親を始めとした、肉親が殺し合って亡くなって生まれた、天涯孤独の自分。


 家族がいないから――家族のような関係を欲した。

 彼女の理想は、痛みを伴ってばかりだ。

 大倉が痛みを訴えれば、同じように帆中も傷ついている――。


「もう、消えろよ、お前」


 この痛みを理解し、助けられるのは自分だけだ。

 彼女のためなら、他の誰をも裏切り、国さえも乗っ取る事だってやり遂げてみせる。

 帆中千海に必要なのは面舵晴明ではない――大倉良であると、証明する。


 そのためには、邪魔をする奴を始末する。

 銀は、始めにその理念の犠牲となったのだ。


「重いんだよ、お前」


 愛情が、とは言わなかった。

 そこまで言わないと分からないなら、相手を見ているようで、その実、自分の事しか見ていない。


 結局。


 帆中を幸せにしたいのではなく、帆中と共にいる自分を含めて幸せにしたいのだ。


 嫌われる事を覚悟して彼女を救うために行動できるか?

 きっと、大倉は表面上、言葉でしかできると言えないだろう。


 彼女のために他の全てを切り捨てる……なら、自分は?

 最後に立っているのが帆中と自分、二人だと言うのであれば、話にならない。


 優しさだけじゃ幸せは掴めない。

 帆中を傷つけるくらいの、根性を見せてみろ!


「帆中に相応しい奴は僕じゃあ、ない。だからって、お前でもないぞ、大倉ァ!」

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