第33話 告白編

 アスレチックがある広場から出てランニングコースを池に沿って走って行く。

 途中で、

 柵に寄りかかって遠くから面舵と大倉の戦いを眺める、みちるが探していた人物がいた。


「お父さん……」

「おう、みちる。久しぶりだな」


 時間跳躍をし、面舵と無人駅で出会う前に、探し出した父親と会っている。

 こうして向き合って話すのは、それ以来だった。


 名前が分かっていれば、探す事はそう難しくはない。

 未来で見つけた資料を参考にすれば尚更だ。

 未来の事情を話し、連絡先を交換して、これまでやり取りを続けていた。


 有塚は情報を他所に流しているとばれないように振る舞っていたため、自由度はそう大きくはなかったが、彼が暗躍してくれたおかげでみちると面舵は途方もない行動をしなくて済んでいた。


 その協力も、これが最後になるだろう。

 銀はみちるたちと手を組んだ、有塚は最初から敵ではない。

 となると、大倉良を倒してしまえば、帆中千海を邪魔されずに取り戻す事ができる。


 彼女が死なない未来へ確定してしまえば、後はネタばらしをしようが関係ない。

 今、面舵が彼女に嫌われていたとしても、事情を話せばきっと分かってくれるはずだ。


 ――あの人なら、絶対に……っ。


「お父さん、はるがっ、はるが三位と戦っているの。はるだけじゃ勝てない……帆中様を取り戻せない……だから……っ! お願い、お父さん、はるを、助けてっ!」


 有塚は、しかし一向にその場から動こうとはしなかった。


「お前はどうして俺が父親だと分かった? 一度聞いたが、もう一度言ってみろ」


 そんな場合ではないのだが、彼が動いてくれなければ面舵を助けられない。

 質問に答える事で満足するなら、多少の手間は必要だと考えた。


「あたしの時代で……あたしの荷物から精子バンクで使われてたガラス瓶が出てきて……そのラベルに有塚信介って、お父さんの名前が書いてあったから……。ガラス瓶の中身とあたしの細胞を鑑定したら繋がりが保証されたし、本物だなって……」


「そりゃ、お前とガラス瓶の中身は繋がりがあるだろうよ。中身は本物なんだから」


 一瞬、本物と偽物の器のすり替えを疑ったが、中身が一致している以上はすり替えはおこなわれていない事になる。


「未来の俺は、どうやら面白い実験をしたみたいだな。先入観でどこまで人は信じられるのかっつう話だ」


 未来の話のはずなのに、みちるには分からない。

 おかしい……。

 未来人はこの時代においてみちるしかいない。


 みちる以外が、みちるが発していないのに未来の話をしているのは、やはりおかしい。

 未来と言えば、有塚信介は未来を見る事ができる固有魔法を持っている。

 でも、二時間先までという制約があったと聞いていた。


「見たまま、聞いた事をそのまま信じるなんて、お前は素直なんだな」

「……お父さん……?」


「俺はお前の父親じゃねえよ」


 今になって。


 ――彼女の中の、支えが揺らいだ。


「……え」


 揺らいだだけで崩壊しなかったのは、まだ期待しているからだ。

 間違いじゃないのか、勘違いじゃないのか、父親の、お茶目な嘘なのではないか……と。


 このタイミングで明かすという事は、つまらない冗談ではないと知っていながらも。


「ガラス瓶はラベルを貼り替えただけだ。本来の父親の名から俺の名前に変えてみた。中身が本物であれば貼られた名前を父親だと信じるのでは? 信じたなら、たとえば赤の他人だろうがどこまで信頼するのかっつう実験だったわけだが、こうして過去に来てまず俺に相談したところを見ると、かなりの信頼を得る事ができたらしい。未来の俺に伝えてやりてえな」


 思えば、みちるは中身ばかりにこだわっていて、外側のパッケージは度外視していた。

 そう書かれているのだからそうなのだろう、と安易に決めつけていたのが大きな穴だ。


「……う、そ……」


「嘘じゃねえよ。そういや天涯孤独で悩んでたとか言ってたな? 安心しろよ、お前の時代じゃ本物の父親は生きてる。ま、相手はお前が娘だと知らないし、父親であるとも自覚していないだろうがな」


 過去に来てからではない。

 みちるが生まれ、育った時代から、有塚はみちるにとって父親であり、最も頼れる存在であった。


 彼に会いたくて機会を窺い、手紙を何度も出した。

 寮長にお願いをしてどうにか会えないかと頼んでもらった事もあった。


 ガラス瓶から繋がったみちるにとって唯一の家族。

 会えないけど、遠いけど、そこにいていつかは会えるという支えがみちるを安心させ、すくすくと成長させていたのだ。


 でも、全ては勘違いだった。

 みちるは、なんの関係のない赤の他人を、ずっと追い続けていた。


「はっきり言う。俺とお前は――無関係だ」


 そして。

 なら、前提が崩れてくる。


 娘でもなんでもないみちるの相談を聞き、なぜこれまで協力してくれたのか。

 ……いや、最初から、協力なんてしていないのかもしれない。

 みちるが勝手にそう思っていただけで、有塚は有塚で動いていたとしたら。


「姫さん……帆中千海が死ぬのは、お前から聞かなくとも知っていたし、俺としてはそうなってほしかったんだよ。その後の事を考えるとな、都合が良い世界じゃねえか」


 魔法使いが増えなくなり、世代遅れだけが生まれてくる世の中。

 生まれてくる子供たちは気の毒だが、魔法使いとして生きる今の時代の人々は、かなり楽な生活ができるはずだ。


 魔法使いが上に立ち、世代遅れが見下され、労働を強制される世界。

 社会において魔法は権力と同等だ。


 有塚はその目で見たのだ。

 未来で苦労もなく裕福な生活をする、自分の姿が。

 幸せが約束されたようなものだ。


「――え。……あたしに聞くよりも前に、知っていた?」


 未来の事情を? 

 魔法使いと世代遅れの関係性を? 

 まるで、その場に行って見てきたかのように、有塚は語っている。


「行ってはねえけど、この目で見たな。俺の固有魔法でな」

「で、でも、だって二時間って……」

「これまで散々嘘を吐いていたと聞かされてまだ俺の魔法が二時間程度だって信じてんのか」


 信頼していた父親だったから、本当の事だと思い込んでいたのかもしれない。

 もう、父親なんかじゃないのに。

 なのに――、彼の服をぎゅっと掴んでいる自分がいた。


「……やだよ、赤の他人でもいい! お父さんじゃなくても……いいから、あたしの心から、勝手にいなくならないでよ!」


 心の隙間に埋まっていたピースが欠けて、崩れ落ちていく。

 風通しが良くなった心が、寒くて悲鳴を上げていた。


 おかしいな、力が入らない。

 誰かに縋っていなければ、まともに立っていられなかった。



 みちるは、数字の意味を理解できなかった。


「俺が見える未来は、二時間程度じゃねえ。二〇年だ」


 それは、サバを読むには大き過ぎる大胆な嘘だった。


「協力してくれて助かったぜ、みちる。お前が情報を流してくれたおかげで面舵晴明をこうして、ここで仕留められるし、お前の心を折る事でこれ以上未来を変えようと動かれる心配もない――姫さんを、帆中千海はこれで確実に死ぬだろう」


「どういう、事……? なんで、あの人を殺そうと……っ、なんでッ!」


 有塚が見た未来の世界……自分が裕福に暮らす、約束された幸せの光景。

 それは帆中千海が死んだ世界という前提の上で構築されている。

 だから、有塚は帆中の死を確定し続ける必要があった。


 狂った歯車を修理するように……。

 銀や大倉に協力しても、帆中はどうせ死ぬ。

 だから手を貸す事に不満はなかった。


 だけど面舵は別だ。

 彼の動きは帆中の死が回避してしまう恐れがある。


 未来を確定し直しても、彼はいとも簡単に歯車を狂わせる。

 厄介で、邪魔で仕方なかった。


「みちる、お前は面舵を手助けしているように見えて、死地へ送り込んでいたんだぜ」


 面舵晴明は始末される。

 それは有塚が確定させた、未来の話だ。



「お前のせいで、今回も失敗だな、みちる」


 もう後がない事を、有塚は知った上で、

 自分の服をぎゅっと掴むみちるの手を、乱暴に振り払った。


「あ、あぁ、ぁあ、あた、あたしの、せい、で……っ!」


 はるは死ぬ。

 あの公園で、三位の大倉良に殺されて。


 そうでなくとも、遠くない未来で死ぬ運命になってしまった。

 みちるのせいで。


 ――あたしのせいで。


 膝が崩れ、全身の力が抜ける。

 呆然と、空を見上げる。


 思い返す。

 これまでの努力の全てが、面舵を始末するための協力になってしまっていたのだ。


 なにも考えられず、頭が真っ白になり――、

 その中に浮かび上がってきた、一つの答え。


 ……はるを苦しめていたのは、自分だった。


「はる………………ごめん、ね――」


 確定した未来に抗う、芯が通った心は、彼女の中にはもうない。

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