第31話 代償編
「ひっ」
怯えたみちるを目の前にして面舵は正気に戻った。
彼女の瞳に近づく指先に気づいて、慌てて引っ込める。
……なにをしようとしていた?
言葉だけでなく、手を出そうとしたのか?
「あぁ、なるほどな。これが魔法の代償か……」
日頃から魔法を使っていない面舵がこの段階に到達するのは早過ぎるが、短い期間で、帆中を救うために、面舵は魔法を過度に使っていた。
突然現れたもう一人の自分。
魔法を使えば使うほど、彼に力が流れていく。
日々少しずつ力を流し、尚且つ間隔を空けると自然に溜まった力も抜けていくのだ。
だが、力が抜ける間もなく流し続ければ、満杯になるのが早いに決まっている。
世界中の魔法使いがまだこの問題に直面していないのは器が満杯になっていないから。
しかし、それも時間の問題である。
未来では、今の面舵のような状態の魔法使いばかりになっているのだから。
「……ごめん」
「え……、はる……?」
みちるはきょとんとした表情を浮かべた。
器が満杯になった後でこうも感情が落ち着く事などほとんどないからだ。
面舵はまだ初期段階だからなのか、もう一人の自分から主導権を取り戻していた。
みちるが警戒心を自然に解いていたのは、彼女が助けたかった面舵だったから。
証拠に、面舵が伸ばした指先がスマホを握り締める手の甲に届いても、振り払わなかった。
「気になるけど、言いたくないなら、いいよ。帆中を助ける事ができるなら、みちるが誰と繋がっていようが今は追及しないよ」
「うん……、で、でも! 後でちゃんと説明はするからね!」
「いや、それはしろよ」
説明もしないまま終わらせてたまるか。
理性がある中でもきちんと不満には数えている。
「あは、はは……だよねー」
殺伐としていた二人の間の空気が弛緩し、緊張感が薄れていく。
ふぅぅぅぅうううっ、と大きな息を吐いたみちるが、その場に膝を崩して尻餅をついた。
「おい!?」
「良かったよぉ、はる~~~~っ」
「なんだよそれ、そんなに心配する事か?」
「だって、はると仲直りできなかったら、帆中様がこの公園にいるって伝えられ――」
と言った瞬間、二人の声が重なった。
「あ」
「え」
「あ、あぁ、ああッ! そうだよ帆中様だよこの公園に、いるんだって!」
「………………帆中が、ここに……――っ」
大きな池を囲むように作られた自然公園だ、その敷地も広い。
この公園にいると言われても探し出すのはそれなりに骨が折れる。
「正確な位置は!?」
「ボート貸し出し場の近くだって! アスレチックの公園とランニングコースが隣にある!」
「飛んで行くぞ! そこのベンチでいいや――乗るぞ、みちる!」
彼女の手を引いて、地面に打ち付けられ、固定されていたボルトを魔法ではずし、浮かばせたベンチに飛び乗った。
公共の物を勝手に引っこ抜いて使ってはいけないとはみちるも言わなかった。
こっちは一人の少女の命と未来がかかっているのだから。
アスレチックがある公園に辿り着くと、
「あーりーづーかー!? もうっ、どこではぐれたんだろ……」
アスレチックの上で、両手でメガホンを作って叫んでいる少女がいた。
……帆中、千海。
見つけた。
「帆中!」
空を飛ぶベンチを近づけると、彼女もこちらに気づいた。
「あれっ? 面舵? わっ、なんでここにいるの!? 久しぶりっ!」
「そんなんいいから手を伸ばせ!」
「いやいや、君も心配性だなあ。確かにアスレチックの上でちょこっと高いけど、これくらい自分一人で降りられるよ」
ベンチの上から手を伸ばす面舵の手を、帆中は中々掴んでくれなかった。
「違う! そういう事じゃ……あぁもう! お前を、連れ戻しに来たんだよ!」
彼女の腕を掴んでぐいっと引き寄せる。
「わっ」
ベンチが浮き上がった事で面舵に掴まれている帆中の体も浮き、彼女の声が小さく漏れた。
「久しぶりに会ったら大胆になってるね。こういう展開はわくわくするかも」
「いいからお前も、ここまで上がるのちょっとは協力しろよ」
すると、帆中は首を左右に振った。
「嬉しいけどさ、面舵。行けないよ。――みんなが困るでしょ?」
上昇したとは言っても、まだ飛び降りる事ができる高さだった。
帆中の腕がするりと面舵の手の中から抜けて、彼女の体が地面へ落下する。
落下地点は丁度アスレチックの下に敷き詰められた腐葉土だったので、怪我はないように見えた。
尻餅をついたので服は汚れてしまっただろうが、彼女は笑ってこちらを見上げている。
「戻っ……て、来いよっ、お姫様気分に味を占めたのかよ!?」
「む。違うけど……そんな言い方しなくても。……わたしはただ、みんなが笑っていられるならこのままでもいいかなって、そう思っただけなのに」
「みんなのため、みんなのため、か。……いいのかよ、お前はそれで、将来は――」
むぐっ、と面舵の口が後ろから伸びた手の平によって塞がれた。
みちるが、面舵の失言しそうな雰囲気に気づいて先手を打って止めたのだ。
「本人に知らせるなんて、絶対にダメ!」
強過ぎる拘束をなんとか振り解いて、面舵も冷静さを取り戻す。
「……ごめん」
「…………? その子、だれー?」
と、下から声がかかった。
帆中に視線を向けられ、みちるの心音が跳ねた。
無理もない、未来では魔法使いの母と呼ばれている偉人だ。
アイドルとは違う。
実際に目の前にいる時の衝撃は比べものにならない。
耐えられなくて、みちるは面舵の背中に隠れてしまった。
「……仲が良さそうで。あの面舵がねえ。……やるじゃん」
「そういえば、武藤に会ったぞ」
珍しく帆中から不穏な空気を感じ取ったので、話題を変える事にした。
それには成功したようで、武藤の名前に反応して帆中が首を長くする。
「すず!? あっ、なんて言ってた!? 元気だった!?」
「元気過ぎるくらいだったよ。相変わらず僕には噛みついて来るし」
「ごめんねー、すずってば、いいって言っているのにわたしには過保護だからさー」
会いたいなあ、と帆中が本音をこぼした。
「じゃあ、どうしてあいつに会わないんだ? 会おうと思えば会える立場にいるのに」
「……うん。でもね、今会いに行くと町中がパニックになるからって」
身の回りの世話をしてくれている特魔の三人に止められていると言う。
「素直に信じるんだな」
「え」
「あいつらの言ってる事が別に正解とも限らないのに。お前なら、いや、俺が知ってる昔のお前なら、抜け出してでも会いに行くと思ったけどな」
「……みんなは、嘘つきなんかじゃないよ」
帆中の瞳は、どうしてそんないじわるな事を言うの? と訴えていた。
彼女とはそれなりに長い付き合いがある。
出会いは中学生の入学式だった。
面舵は帆中に八つ当たりをし続けていたが、その件について帆中が怒る事はなかった。
ただ、面舵と帆中の問題なのに違う誰かに流れ弾が向かう事は嫌っていた。
帆中は、その時だけ本気で怒るのだ。
「わたしの事を想って、ここまで引っ張り上げてくれた。わたしがずっとずっと、欲しかったものを手の平の上に置いてくれたの。……みんな、わたしの大切な人。だから嘘つきだなんて酷い事を言わないで!」
面舵は口を開き、すぐに力強く閉じた。
言ってしまいそうだったからだ。
帆中の事を想う気持ちは負けていない。
だけど、これまでしてきた事を考えたら信じてくれるわけもないし、将来お前は二十歳で死ぬんだ、なんて言えない。
未来が悪い方向へ向かわないように言わないのではなく、言いたくなかった。
そんな事を突然聞かされて、嬉しい奴なんていないのだから。
「面舵、は、さ……」
帆中は言いにくそうに、彼女らしくなく目を逸らす。
不意にも彼女は手に入れてしまった。
厄介な立場だが彼女が以前から欲しかった仲間はずれではない自分の居場所。
つまり、彼女は今、満たされている。
現状に不満はない。
ここへ戻って来るための遠出なら構わないが、逃げる意味を見出せていなかったのだ。
未来で後悔するはずの彼女が求めた、もう一つの願望を忘れてしまっているほどに――。
真実を明かせないつらさが、今になって面舵に牙を剥いた。
「面舵、は、わたしになにを与えてくれるの?
みんながくれたもの以上が、君の手元にあるとは思えないよ」
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