第30話 帆中編(大倉良)2
川から上がったところで違和感に気づいた。
……頭の中が騒がしくない。
代わりに、彼女の心の声だけが聞こえるようになっている。
入水がきっかけなのかは分からない。
元に戻そうにもまだ魔法の制御の仕方も分かっていない。
このままでいるのは彼女に迷惑がかかってしまうだろうが、しばらくは仕方がないだろう。
それを含めて、命を救ってくれた彼女にこれまでの経緯を話すと、
「「じゃあ、わたしの心の声だけ聞いていればいいと思うよ。わたしなら君に嫌な思いをさせるような事は考えないし」」
「でも……」
他人に自分の心の中を常に覗かれているというのは気分が良くないだろう。
たとえ大倉が魔法の制御の仕方が分かるまでだとしても。
「「大丈夫! 制御できなかったとしてもわたしの声をずっと聞いていれば、大倉もみんなの声に苦しまずに済むでしょ?」」
彼女はまだ小学生だから分からないかもしれないが、これから中学生、高校生となれば人に言えないような悩みが出てくるはずだ。
それを考えたら、ずっとなんて現実的ではない。
大倉は恐かったのだ。
自分を助けてくれて、性根から優しい彼女の心の中が成長と共に変化し、周囲と同じように黒く染まっていく様を見てしまうのが……。
「うーん……、そっか」(確かに未来の事は分からないしー……あ、じゃあ!)
この時、帆中は軽い気持ちで言ったのかもしれない。
だけど大倉にとっては、これから先の生きる目的を、彼女から貰ったのだ。
「「なら、わたしの事をずっと守ってよ、心の中が黒くならないように。――ね!」」
朝起きて見たら一日の元気が出るような満面の笑みを見せられ、思う前に頷いていた。
「うん、分かったよ……あ、服とか、渇かさないと……でも、どうしようか……」
「天気も良いし土手を駆け回っていれば渇くよ! だいじょうーぶ!」(お、男の人に下着見られるのは恥ずかしいし……)
「そっか。女の子だもんね」
「「あっ、あぁ!? っ~~~~ま~~た~~覗いたな~~!」」
スカートを手で押さえながら、彼女がそんな事を言う。
覗いたのはスカートの中ではなく心の中である。
「キミが自分で言ったんだよ?」
「そ~だけど~。んー、じゃあいいよ」(大倉は良い人だし、まあいっか)
「でもね、ちょっとは疑おうね。キミは可愛いんだから」
「かわわっ!?」(ふぇ、へ!? な、なな、にゃんぱ!?)
「にゃん? ……あ、ナンパ!? 違っ、違うよ違う! ボクにそんな度胸はないって!」
急に距離を取られた事に慌てて、大倉が彼女を引き止める。
動揺しただけで本当に警戒しているわけではなかった。
彼女の本音がそう言っている。
「度胸はないけど、キミを守るためならどんな場所でも駆けつける。キミが苦しんでいれば飛んで助けに行くし、悲しんでいれば傍にいて支えになる。キミが笑えるように努力をするよ。だからキミの心の中を、ボクに預けてくれないかな?」
「「大倉はわたしが喜んでいたら、嬉しい?」」
「うん。とっても」
「「しょうがないなあ。大倉のためにも毎日を楽しく過ごしてあげるっ」」
それから、大倉は家に引きこもる事をやめた。
学校へ通い始め、遅れていた勉強を巻き返して、学年でも上位の成績をキープしていた。
相変わらず友人関係は上手くいっていなかった。
しかし昔抱えていた問題とは真逆だ。
人見知りをしていた頃とは違い、彼の口調が変わったのだ。
『ボク』から『俺』へ――。
体を鍛え、格闘技術を習得した。
学校の勉強だけではなく、様々な知識を蓄えた。
子供が好きそうな雑学にも手を出し、見聞を広めた。
全ては帆中千海のために。
彼女の笑顔を守るために。
授業中、今はなにを考えているんだろう?
どんな楽しい事を体験しているんだろうと彼女の本音を聞くのが原動力だった。
どんなに苦しい事も彼女の声を聞けば頑張れる――。
まるで彼女の成長を見守る父親のようだった。
だからやがて痛感する事になったのだ。
娘を持つ父親であれば必ず通るであろうあのイベントに――。
彼女が中学に上がった頃、その時は訪れた。
『……面舵くん……今頃なにしてるんだろう?』
授業中にもかかわらず、大倉は立ち上がっていた。
彼のクラスメイトと先生は突然立ち上がった彼に戸惑っていた。
そんな事など露知らず、帆中の本音は続けて彼に届いていた。
『なんだか……気になるなぁ……』
有塚から受け取った連絡の後、潜水クジラから出て帆中のいる自然公園へ向かう。
「面舵晴明……また、お前か……ッ!」
彼女が苦しんでいれば、飛んで助けに行くと大倉は言った。
だけどいざそうなった時、彼女から拒絶をされたのだ。
『わたしの問題だから。……わたしの力で、やらせて』
彼女の意を汲み取り、手を出しはしなかったが、日に日に彼女の心が黒く染まっていくのを感じていた。
それでも、彼女の言葉を信じて待っていた。
……我慢の限界だったのだ。
だから面舵から帆中を引き剥がし、こうして手の届く範囲に置いていたのだ。
なのに――苦しませておいて性懲りもなくあいつは、帆中に近づいて来た。
……ふざけんな。
「千海は、お前の玩具じゃねえんだぞ」
「……僕は一体、なにをしてんだ……!」
勢いに任せて飛び出したものの、帆中を救うまで時間的猶予があるわけもなく。
今、みちると仲違いをしている場合ではないのに。
カッとなって、視界が真っ赤になったところまでは覚えている。
みちるの手を振り払って外に出て来た事も。
だけど、自分がなにを言っていたのかまでは覚えていなかった。
彼女の怯えた表情を思い出すと胸が苦しくなる。
……中学時代の、帆中と被る。
繰り返していたのだ。
相手が帆中から、みちるに変わっただけだった。
憧れて、上手くいかない八つ当たりをして後悔をしたと思えば、反省も学習もしないまま今度は嫉妬して相手を傷つける。
……ここまで自分がどうしようもない野郎だとは思わなかった。
思いたくなかった、だけなのかもしれないが。
目を逸らしていた。
だから同じような失敗をする。
結局。
情けない事にこんな自分を追いかけて来てくれるのは、いつも傷つけた方の女の子だった。
「――はるっ」
近くにあった自然公園を歩いていた面舵の背に、声がかかった。
振り向くと、全力疾走を続けてここまで来たのだろう……息を切らしたみちるがいた。
「みちる……」
彼女は、彼女が信頼している誰かさんと繋がりがあるスマホを大事そうに胸の前で、両手でぎゅっと握り締めていた。
まるで祈るかのように。
面舵から隠しているという事は、追いかけて来たものの、言う気にはなっていないという意思表示だろうか。
それを見て、まただ。
面舵の頭に血が上る。
「なんだよ」
「話す、はるには全部、ちゃんと説明するから――」
「今?」
「後で、ちゃんと……話すから」
「どうして今じゃないんだ。やましい事がないから、今言えるだろうが!」
違う、そんな事を言いたいわけじゃない。
まるで自分の目の前にもう一人の自分がいるように。
制御が効かず、目の前にいる彼はみちるに罵声だけを浴びせている。
彼には遠慮をしたり相手が傷つくだろうという予想ができないだけで、言っている内容自体は後ろから見ている面舵も思っている事だった。
だから、彼は代弁者なのだ。
『お前は誰なんだ?』
『知っているだろう? 僕は君自身だ――君の力なんだ』
初めてこうして向き合った。
本当ならば、もっと昔に出会うはずだった。
頑なに使わず、彼の存在を奥底にしまっていたのは、面舵自身なのだから。
『君たちは僕たちをこう呼ぶのだろう? ――魔法、と』
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