第25話 対立編A
「へえ、あいつをこうも早く口説くとは、予定よりも早いな。……そうなると銀が戻って来てから作戦を伝えて――」
とりあえず、送信者のみちるたちには待機しておいてくれと返信して、スマホをしまう。
「有塚、なにしてる」
「考え事だ」
真っ暗な廊下の壁に背中を預けて考え事には無理があるかと思ったが、大倉は意外にもすんなりと信じた。
「姫さんは?」
「さっき寝たばかりだ。遅くまでゲームしていて、何度言っても寝てくれなくてな……」
「まあ、いいじゃねえか。好きにやらせておけば。ストレスを溜め込まれてここでの生活が嫌になられても本末転倒だろう?」
「それもそうだが……」
「姫さんを一人にしない。仲間はずれだと感じさせない。そういう志で集まったんだろ、俺たちは」
大倉の心に飛び込んできた、彼女の弱い部分。
その傷を治すためだけにおこなわれた、国の乗っ取りだ。
すれ違いざま、有塚が大倉の肩を小突き、
「おら、俺たちも寝るぞ。お前が一番疲れてんだ、途中で倒れるんじゃねえぞ」
「誰が。姫様を置いて倒れるわけにはいかない」
面舵や銀を含め、思惑を持ちながらそれぞれが就寝につき――夜が明ける。
みちるが過去に来て、まず最初に探した人物は面舵ではなかった。
彼女が生まれた時代では一度も出会えていなかった、父親である。
時間的猶予もなく、しかも二度目となる時間遡行……もう彼女には後がない。
それでも面舵という本命を後回しにしてでも父親に会いたかったのは、後がないみちるの助けになってくれるだろうと信じていたから。
――それは建前だったが。
過去改変に来ている以上、余計な接触をして未来を変に変えてしまっては元も子もない。
だから自分を納得させる理由がほしかっただけなのだ。
本当は、ただ、みちるが会いたかった、からである。
一度目の失敗でほとんど心が折れかけている彼女が縋ったのは、幼少の頃から画面越しに見ていた父親の存在だった。
みちるが知る、唯一の肉親。
一度も会えなかったのは、父親が国を動かす職に就き、多忙だったからだし、父親はみちるの存在など知らないだろう。
彼女は精子バンクを利用されて生まれた。
父親の顔なんて本来ならば当然知らないし、母親も既に亡くなっている。
それでもみちるが知っているのは――見つけ出したからだ。
「……『有塚信介』……。あたしの、お父さん……」
みちるが引き取られた施設には、彼女を作り出した精子が保存されていたガラス瓶が、捨てられずに保管されていた。
その中身とみちるに結びつきがある事は、専門家によって証明されている。
ガラス瓶にはラベルが貼られており、そこに書かれていた名前が――彼だったのだ。
「――あたしは、天涯孤独なんかじゃ、なかったんだ……ッ」
その事実が、みちるの心をどれだけ軽くしたのか。
父親である彼は、どの時間においても、娘の心の変化など知る機会などなかった。
当初はホテル暮らしを続けていたのだが、指名手配をされてしまった以上、受付で顔を見られてしまうホテルは使えない。
ホテルに限らず表を出歩いて移動する事も危険だろう。
予想外の支障に、みちるは慌てて頼りの人物に連絡を取ろうとした。
「やめろよ」
と、スマホを握るみちるの手を、強く掴んで止めたのは面舵だった。
「は……るっ、いたっ、痛いってば!」
面舵の手を引き剥がそうとするみちるの様子にはっとして、慌てて手を離す。
自分でも分からない感情の変化だったため、面舵もすぐには答えが出せなかった。
顔を合わせづらくなって、視線を移動させる。
「なあ、一位の」
「梶川銀だよ」
手を組む事になってすぐ頼りにするのは、主導権を相手に握られてしまいかねないが、面舵はそっちの方が良いと判断した。
みちるが妄信する、誰かに頼るよりかはまだマシだと。
「――というわけなんだけどさ、二人で住めるような使い魔、貸してくれる事はできる?」
「少しサイズは小さくなるけど、潜水クジラがいるよ……本当にホテルくらいの間取りしかないけどね」
「じゅうぶんだよ、助かる」
そんな経緯があり、現在、面舵とみちるは潜水クジラの体内の中で生活している。
銀との一件のあれこれから夜が明け、二人が目を覚ましたのは昼過ぎだった。
昨日だけで蓄積されたダメージは途轍もない。
面舵に至っては腹と背に阿修羅モンキーの拳を喰らっているため、少し動いただけでも鈍い痛みが走る。
ベッドから立ち上がったが、すぐにばたん、と背中から倒れてしまう。
すると、みちるがマグカップに注いだ飲み物を飲みながら、
「まだ寝てた方がいいよ。魔法の回収はあたしがやっておくから」
銀と手を組んだとは言え、帆中を救うためには必要な作業である事には変わりない。
目的の一つでもあった、特魔の魔法の回収はしていない。
銀の魔法はこれからも必要になる。
「……魔法の回収って……誰と?」
「誰とって……一人だけど」
ボールペンもいるので実際は一人ではないが、そういう事を言いたいわけではなかった。
体を起こした面舵は、怪我の痛みよりも、手の届かない体の中に強い痛みを感じていた。
「ねえ、昨日から気になってたけど……言いたい事があるなら言ってよ」
「言うべき事があるのは、そっちじゃないのか……っ」
抑えていた鬱憤が、みちるの反抗的な言い方で決壊する。
「困った事があればすぐに頼る、お前が連絡を取っている相手は、誰なんだよッ!?」
「ちょ、ちょっと、大きい声出さないでよ……!」
叫んでしまってから、腹部に響いて痛みで顔をしかめる。
大丈夫? とベッドに駆け寄ってくれたみちるから伸ばされた手を、はたいた。
……乱暴に、振り払ってしまった。
「あ……」
気づいたところで遅く、みちるは尻餅をついてしまう。
彼女だって昨日の戦いで疲れていないわけではない。
怪我だってしているかもしれない。
それなのに、考えなく振り払うべきではなかった。
そもそも、彼女が言いたがらない事は、言えば未来が不本意に変わってしまう事だと理解しているはずなのに――面舵は彼女が隠し事をしている事に、我慢ができなかった。
ごめん、と喉元まで出かかっていたのに、声に出そうとすると消えてしまう。
そして、真逆の感情が内側から溢れ出してくる。
「言えよ」
手を伸ばして、みちるの手からスマホを奪おうとする。
しかし、気づいたみちるが亀のようにスマホを庇い、奪う事が難しくなってしまう。
「どこの誰だか知らないが、そいつが頼りになるならそいつの所に行けばいい! 僕を焚き付ける事も、一緒に行動する事もないじゃないか! 最初から、そいつに頼っていれば――もっと早く帆中を救えたかもしれないのに! どうして僕を……僕なんかを!」
踏み出す勇気もなく、その場で足踏みしていた面舵晴明が抱える闇は、帆中千海と比べた劣等感だ。
僕『なんか』と自己評価するのがその証明だ。
みちるに尻を叩かれ、帆中千海を救うために動き出したとは言え、それで彼の劣等感が克服されたわけではない。
帆中を救うために毎日必死になっていたおかげで気にする暇もなかっただけで、こうして時間ができてしまうと視野が広がり自分の醜さが見えてしまう。
いつもよりも数倍鮮明に……。
面舵にとって、見ていて最も腹が立つものは他の誰でもない、自分自身なのだ。
中学時代は帆中に八つ当たりをしていた。
それが今、みちるに変わっただけの事だ。
「言いたくないなら、もういい。こそこそ隠れて人に言えない事をしている奴なんかと、これから先一緒に行動なんかできるか」
みちるの横を通り過ぎて、部屋の扉へ向かう。
「え……は、はるっ、待ってよ!」
「じゃあ言うか?」
部屋の扉を開けて出て行こうとする面舵が振り向くと、みちるはスマホをぎゅっと、さらに握り締めて面舵から隠した。
言いたくないと言外に示したわけだ。
もしも反射的な行動だとしても、だったら尚更本音という事になる。
これ以上の会話は必要ないだろう。
行動が全てを物語っていた。
「ボールペンは置いて行く」
きゅっ!? と面舵を追いかけたボールペンだったが、勢い良く閉められた扉に阻まれ、弾かれてしまった。
ころころと、立っていられずに膝を崩したみちるの近くで勢いが止まった。
扉一枚。
だが、二人の間にはそれ以上にぶ厚い、壁ができてしまった。
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