第22話 拒絶編

「未来……?」

「――そう言えば、悪いがさっきのお誘いは断らせてもらうぜ、ご主人は裏切れねえよ」


「……後悔するぞ……世界を見てみろ、視野を広げてみるんだ、どれだけの使い魔が捨てられていると思っている!」


 珍しく銀が叫び声を上げた。

 こんなにも感情が高ぶる彼を見たのは、特魔の二人も一度もないだろう。

 それだけ、使い魔に関して彼の沸点は低いと見た。


 使い魔であるボールペンからすれば、絶対的な味方がそう思ってくれているのは有り難い。

 だからこそ多くの使い魔が彼に味方をするのだろうとも思えた。

 しかし、それでもボールペンは主である面舵を裏切ろうとは思わなかった。


 面舵から受けた扱いはお世辞にも良いとは言えない。

 乱暴に蹴られたり転がされたり、みちるに抱きしめられるのは居心地が良かったが、彼女の寝相の悪さに巻き込まれて苦しんだのは一夜だけではない。

 それでも、そこに二人の悪意は一つもない。


 ボールペンを家族のように思ってくれているのは探る必要もなく伝わっている。


「……使い魔を庇う奴なんて、いるか?」


 ボールペンが思い出したのは阿修羅モンキーと戦った、ついさっきの事だ。

 衝撃を吸収するボールペンが傍にいたのに、面舵はボールペンを盾に使おうとはしなかったのだ。


 吸収するとは言え、多少の痛みは感じる。

 それは仕方がない。


 ボールペンはそう訴えたわけではなかったが、面舵は気づいていたのだ。

 盾になれるポテンシャルを持っているからと言って、盾になるべきだと押しつけられる筋合いはないのだ。


 それだけでも使い魔の主としては及第点以上なのに、面舵はボールペンを庇って阿修羅モンキーの拳を受けた。

 既に一度喰らっており、誰よりもその痛みを知っているはずなのに。


 ボールペンに痛い思いをしてくほしくないがために、その身を犠牲にして、守ってくれた。

 そんな主を、誰が裏切れると言うのか。


「オレはご主人に忠誠を誓ってる。これから先、ご主人が困っていれば力になりたいと思っているさ。たとえ全世界の使い魔を敵に回したとしてもな――」


「……嫌な偶然もあったものだね。使い魔を庇う奴なんて、お姉ちゃんくらいしかいないと思っていたのに……」


 庇うだけなら世界中にたくさんいるだろう。

 だが、庇い、今も尚、使い魔を対等に見て信頼し続けていると条件を絞ってしまえば、がくんと数は減る。


 まさに今挙げた二名にまで絞られるほどにだ。


「そういうわけだ。残念だが、期待に応えられそうにない」


「構わないよ。ぼくは使い魔に命令をしているわけじゃない。力を貸してほしいとお願いをしている立場だ。きみたちが嫌だと言えば、ぼくに強制力はないよ」


 それで? とさっきまでと違って落ち着いた銀が、ボールペンを見下ろした。

 交渉相手として見ていたが、要求を蹴られてしまった以上は敵として見る。


 後ろで控えている阿修羅モンキーの連続パンチを浴びせ、意識を奪うまではいかずとも戦意喪失くらいはさせておき、人質に取っておく事も視野に入れている。


「気になるのはさっきの話だ。お姉ちゃんが、なんだって? 悪いけどここだけは言いたくないで済ませられる事じゃあ、ないね」


「オレが言うと思うか?」

「確かに、知っているとも定かではないか」


 だが銀には勝算があった。

 皮肉にもボールペンが主を信じているように、面舵もまた、ボールペンを助けるために動くだろうと、銀が信じたからだ。


「主もそこまでバカではないだろうさ。オレを回収するためにわざわざ戦地のど真ん中に舞い戻って来るなんて愚行を――」


「するバカが、目の前にいるよ」


 な……、と絶句するボールペンをよそに、銀は嬉しさを感じていた。

 たとえ敵だろうと、使い魔のために戦地へ戻って来る相手がいた事が。

 まだ人間も捨てたものじゃないと、改めて思わせてくれたのだ。


「ご主人ッ、それにみちるも――バカ野郎!」


「ボールペン! そんな鳴かなくても安心しろ、ちゃんと取り戻してやるからな!」


 会話が噛み合っていない事に唯一気づいている銀が、薄らと微笑んでいた。




 きゅいきゅい!? 


 と必死に助けを求めるボールペンを見て、頭がカッとなった。


 面舵が足を一歩踏み出した時だ。

 ――ゾッ、と全身から冷や汗がぶわっと噴き出る。


 梶川銀との間に立ち塞がる障害。

 二度の拳を受け、面舵にとってトラウマになりつつある阿修羅モンキーが、そこにいる。


 さらに踏み込めば阿修羅モンキーの射程距離圏内に入ってしまう。

 だが、ここで立ち止まって、引き返してしまえば、以前の面舵晴明となにが違う?


 困っている人を見つけ、助けたいと思っても、足が遠ざかってしまうあの情けない時間を何年過ごしただろうか。

 手を伸ばせば届く距離にあるものを、中々掴めない面舵を笑うように、帆中は面舵が欲していたものをあっさりと手に入れていくのだ。


 先を行く彼女の背中に憧れた。

 彼女のように、なりたかった。


 今、帆中千海を救うために手を伸ばしている最中だ。

 ボールペンは帆中を救うために必要な、仲間である。


 ここで見捨てる事は帆中を見捨てる事と同義だ。

 本能が鳴らしている警鐘に従っていては、誰も救えやしない!


 だから一歩、面舵は踏み出した――、


「やめておいた方がいいよ、今引き返したところで誰も情けないなんて笑ったりはしない。本能が行くなと叫ぶ恐怖には従った方いい……分かってる? そこを踏み越えたら、あっさりと命が持っていかれるよ?」


 上げた足が地面に触れた瞬間だ。

 射程圏内に入った事を確認した阿修羅モンキーが即跳躍して、構えたその拳を面舵の顔面に狙いを定めた。


 視認できなかった。

 まるで風を見たかのように阿修羅モンキーの拳が迫る。

 恐怖が植え付けられるほど何度も見ている拳だが、未だにちゃんと目で捉えられていない。


「え?」


 思わず出た呟きも、本来なら拳よりも遅かったのだが……、


「――え?」


 二度目の疑問は、面舵を庇うように前に出て両手を広げる、みちるに向けたものだった。 

 迫っていた拳はみちるの鼻先、僅か数ミリのところでぴたりと静止している。



「阿修羅モンキーはね、決して女の子には手を出さないの」

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