第21話 説得編

 シャッターを開ける時間もない。

 ハンドルを捻って、車体がシャッターを突き破った。


 飛び出してすぐに曲がらなければ対向の家に突っ込んでしまうため、急な角度で強引に曲がる。

 バランスが崩れて暴れるハンドルをなんとか押さえつけ、商店街を抜けて大通りへ出た。


 夜中なので趣味で走っている車もなく、貸し切り状態であった。

 ほとんどの信号が歩行者がボタンを押す事で切り替わる形式になっているため、バイクの速度が減速する事はない。


「みちる、後ろは!?」

「いな――いる、いるいる! 追いかけて来てる!」


 空を飛ぶマンタはバイクとの距離を着実に詰めて来ている。


「もっと速度を上げて!」

「今やってる!」


 ハンドルをさらに捻ると、速度が急激に上がった。

 バイクに詳しくない面舵は、一体このバイクが最大時速何キロ出るのか予想もつかなかった。

 とにかくなりふり構わず最高速を目指して走っていたら、速度が際限なく上がっていく。


 メーターの針が怖いくらいに右へ右へ移動していく。

 魔法を最大出力にし、箒に跨がってもこんなに速度は出ない。


 ――やばい、と面舵の本能が咄嗟にブレーキをかけるが、今度はまったく減速されない。


 速度を落とせば追いつかれる、かと言って出し過ぎると制御ができなくなる。

 しかし中途半端な速度では第一位を撒く事はできない。


 長期戦になって不利になるのは面舵の方だ。

 躊躇っていればいるほど、状況はどんどんと悪くなってくる。


「くっ、そぉおおおおおおおおおおおおッ!!」


 覚悟を決めた。

 限界までハンドルを捻り、ブレーキから指をはずした。


 いつタイヤが地面から浮いてもおかしくない速度。

 向かってくる風が面舵の視界を邪魔してくる。


「やった……! 後ろ、追いかけて来てないよ!」


 恐怖を振り切った甲斐あって、追跡を撒く事に成功したらしい。

 みちるの言葉に安堵した瞬間の気の緩み……視線の先に立つ人影に気づくのが遅れた。


「っ!」


 ハンドルを操作するが、速度が出てしまえば細かい操作は受け付けない。


 ぶつかる――!


 面舵は高速の世界で、静止する阿修羅モンキーと目が合った。

 まるで全てがスローになった世界で、阿修羅モンキーがタイヤから数センチずれて、衝突を回避した。


 次に、彼の視線は後輪へ向けられた。

 握っている拳が構えられ、撃ち出される。


 なにもできない面舵を嘲笑うかのような一連の行動に混じって、

 拳と後輪の間に――ボールペンが挟まっていた。


 ぼむんっっ! 


 という衝撃の全てが吸収された音が低く響き、面舵の乗るバイクは一切のブレもなく、運転に支障がなかった。


 ただ、気づけば搭乗者が減っている。

 徐々にバイクの速度を落とし、追跡も立ちはだかる使い魔もいない事を確かめた上で、道路上で停止した。

 面舵が振り向くと、みちるが自分の手の平を見つめて震えていた。


 その手でしっかりと握っていた。

 温もりがあったはずだ。

 だけど今――その手の中には。


「はる……ボールペンが、いないの……」


 知っていた。

 面舵とみちるは、ボールペンの決死の防御によって、救われたのだから。




 転がるボールペンは起き上がれずに困っていた。


「起こしてあげようか?」


 空中にいたマンタから下りて来た少年がいた。

 特魔の第一位だった。


 そうだ、彼とは言葉が通じるのだ。


「いらねえ世話だな」

「そうか。じゃあそのまま聞いてよ。……ぼくに力を貸してくれない?」

「ご主人を裏切れ、と言いたいのか?」


 傍から見ればボールペンは「きゅきゅ」としか言っていないし、梶川銀は人間が聞き取れる言葉を発していない。

 なんとも奇妙な光景だが、これが彼らだけに許された会話なのだ。


「……多くの使い魔たちと会話してきたぼくだからこそ、言えることもある。魔法使いは使い魔を道具としか思っちゃいないのさ。唯一の対抗手段だからと盾にし無茶な要求を繰り返す。挙げ句の果てには使えないと分かればリセットして新たな使い魔を生み出し、不満を持てばまたリセット。結局、使い魔に逃げられて、ひとりぼっちになった使い魔が増えていく――」


 野放しになった使い魔は主がいない寂しさを紛らわせるために狩りをしたり、気を引きたいがために人間を襲い始める。

 ……悪意だけで事件を起こしているわけじゃないと銀は知っている……彼らの悲惨な背景を聞いてしまったら、誰が彼らを責められるのだろうか。


「きみがそういう道筋を辿らないとは言えない」


 今の段階では主と上手くいっているようだが、きっと途中で関係は途切れるだろう。

 魔法使いにリセットをされて消されるか、彼自身が逃げ出すか。

 もしも野良になるなら、まんまるな彼が、厳しい使い魔の世界で生きられるとは思えなかった。


「きみの主は元々ぼくたちに反感を持っていたし、邪魔をしたいんだろうね。標的に一般人を選んだのはよく分からないけど……どうせ憂さ晴らしも兼ねているのだろう。ぼくたちの気を引きたい、もしくは誘き出したい、とかかな?」


 十中八九は当たっている……が、やはり本質までは見抜けていなかった。

 帆中千海の近くにいながら、彼女の秘密には気づいていないらしい。


 ボールペンは思わず笑いたくなった。

 自分で首を絞めているとも知らずに、特魔の第一位は名の通り最上から見下ろしては余裕を見せている。

 滑稽という表現がぴったりだ。


「なにも知らないんだな」

「…………なに?」


 彼の心を惑わすにはじゅうぶんだったようだ。


「自分たちの行動が主の想い人たる帆中千海を追い詰めているって言うのによ」


「なにを言っているのか分からないな。ぼくたちはお姉ちゃんの願いを叶えようとしている。まさかおーくらが嘘を吐いているとは思えないね、あれは本気でお姉ちゃんに惚れてる。お姉ちゃんに関して嘘を吐くとは思えない」


 大倉の固有魔法によって帆中の心の声を聞いているのだ。

 彼女がなにを願っているのか、なにに苦しんでいるのかが、手に取るように分かるのだ。


 彼女が望む道へ連れて行こうとしている事が、彼女自身の首を締めているとは思えない。


「現在の話はどうでもいいんだ。オレが言っているのは、未来の話だ」

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