第三章
第19話 回答編
みちる、ボールペンと合流できた面舵だったが、状況はまったく好転していない。
せめてみちるだけでも逃げてくれれば光明があったが……、
「…………はぁ」
「ひ、人の顔を見て溜息を吐くとか! え、タイミング悪かった……?」
こっちの気持ちも知らずに小首を傾げる。
ツインテールが同じ方向に揺れた。
そこで、みちるはこの場にもう一人いる事に気づいたようだ。
阿修羅モンキーを見て、げっ、と顔をしかめ、次に武藤を見て、
「え……あ……!」
「誰よその子」
当然、武藤とみちるに面識はないだろう。
――そう、この時代においては。
「あ……っ」
みちるが声をかけようとして、自重し、口を閉じた。
面舵と同じように、思わず全てを吐露してしまいたい衝動にでも駆られたのだろうか。
だとすれば。
未来において武藤は、みちるにとってかなり深く踏み込んだ仲、という事になる。
気にならない、と言えば嘘になる。
だが、今ここで追及するほど場が見えていないわけではない。
面舵がみちるの頭にぽんっと、手を置いて、すぐに彼女自身に振り払われた。
「こいつは親戚の子だよ」
「年下の女の子を巻き込んであんたは本当になにをしてるわけ?」
さすがに武藤でも、みちるも一緒に政府へ突き出す事には抵抗があるらしい。
彼女のもやもやとした心中の曇りが透けて見えるように、表情は苦々しかった。
「はる、はいっ」
みちるがボールペンを抱きかかえて、面舵に投げ渡した。
反射的にボールペンを受け取った面舵だったが、ボールペンの重みによって、これまで浴びた阿修羅モンキーによる青く変色した痣に響いた。
思わずボールペンを落としそうになる。
なんとか踏み止まったが、みちるに痣の存在を気づかれてしまった。
よろめいた面舵の肩を手で押し、支えている状態だ。
「はる……もしかして阿修羅モンキーのパンチを受けたの……?」
「まあ、一、二発くらい、かな……?」
「ばか! 見せて!」
服を乱暴にめくられ、腹部に浮き出た痣の部分を指でなぞられる。
くすぐったいような、しかし触れられただけで痛みの方が強く主張してくる。
背中にも一発もらっているが、みちるはそっちには気づかなかったようだ。
だが、ボールペンが、
「きゅきゅ!」
と叫んで、みちるになにかを伝えようとしている。
口元を押さえた面舵だが、手の平をくちばしでつつかれ、口止めは叶わなかった。
するりと腕の中からボールペンが落ち、転がって面舵の後ろへ。
背中をくちばしで指す。
「は~~る~~? ……背中も見るからね」
「……嘘はついてないよ。一、二発って言っただろ」
「あたしが見つけなかったら申告する気もなかったんでしょ」
「大した怪我じゃないし」
「そんなわけないでしょ! 阿修羅モンキーのパンチ力は大型バスを五〇メートルも吹き飛ばすほどの威力があるんだから!」
「五〇……!?」
それが未来では公式設定になっているのだとしても、現時点で面舵に刻まれた痣はそれほどの威力はないと思った。
阿修羅モンキーが絶好調であれば、その威力が出せるのだろう。
武藤の阿修羅モンキーはまだそこまでには至っていない、と考える。
だとしてもじゅうぶんに威力はあるのだが。
「…………ちう?」
長い時間、武藤からのアクションがないかと思えば、彼女は放心していた。
久しぶりに声を発したかと思えば、帆中の名前を呟いていた。
……みちるを、見て。
阿修羅モンキーも珍しく心配そうな表情を浮かべて武藤の足下にすり寄っていた。
下心はもちろんのようにあるみたいだったが。
「みちる、合流して早速だけどまた二手に分かれよう。武藤は片方しか追わないと思うし、残った片一方は逃げられると思う」
「はるが追いかけられるに決まってるって、あたしが分からないと思ったわけ?」
みちるの表情が一気に険しくなった。
怪我を隠した時からその予兆はあったが、今ではかなりご機嫌ななめのようだ。
鋭い目で、ばかじゃないの? と怒られる。
……その目、態度、言葉遣い……発しているのはみちるなのだが、既視感があった。
以前にもみちるにこういう事を言われた事は何度かあった。
その時はなんとも思わなかったはずだが、今、初めてそういう感覚を知った。
どうして突然……?
いや、予兆はあったのだろう。
みちると似た言動、態度、尚且つ発信源はみちるではなかったからこそ記憶に新しく残っていたのだとしたら。
目の前にいるのは、誰だ?
「武藤…………?」
二人の間には未来でなにかしらの関係があるみたいだが……時折見せる一瞬の表情や仕草、面影が似ているのは、もしかして……。
「はるは休んでて、ここからはあたしがやるから」
「は? ……おい、いいのか……?」
「? いいのか、ってなに?」
面舵がみちるの耳元に近づき、
「……武藤って、みちるの母親だったり……?」
武藤に聞かれてしまうと色々とまずいだろうという事で声を抑えていた。
聞かれたみちるは、はぁ、とやり返すように溜息を吐いて、呆れた顔である。
「違うから」
「あ、そうなのか? いやでも、似て――」
「まあ、でも、お母さん代わりではあるよ。あたしの寮の管理人さんだから」
みちるが小さい時からお世話をしてくれていた。
おむつを取り替えたし、散歩にもよく連れて行ってもらった。
行事があれば付き合ってくれたし、悪い事をすれば叱ってくれて、誕生日やクリスマスにはお祝いをしてくれて――母親のいないみちるをここまで育ててくれたのが、未来の武藤だった。
色々な人が施設の中でみちるに構ってくれたけど、中でも一番近くて信頼できるのは、武藤だけである。
同じ時間を長く過ごせば一つ二つの仕草や態度などは似るものだろう。
母親を見て真似をするように、みちるは武藤を見て真似してきたのだから。
「……なら、やっぱり質問しとくよ。――いいのか? 武藤と敵対して」
未来の武藤は今のように、なによりも大切な人がいなかった。
だから動機が薄くて空虚を相手にしているように彼女には行動一つ一つに覇気がなかった。
幼少の頃は分からなかったが、みちるに誰かの代わりを求めていたのだ。
未来にその人物はもういないから。
「いいよ。帆中様を助けられれば、すずさんだって救われるはずだから――!」
「ねえ、そこの、あなた」
武藤がみちるに声をかけた。
顔見知りではないので彼女の声には多少の棘がある。
「さっきちらっと聞こえたんだけど、どうして阿修羅モンキーって名前を知ってるの?」
阿修羅モンキーは帆中千海が名付けた名前だ。
未来では使い魔図鑑に載っている一般常識になりつつあるが、この時代でしかも今、阿修羅モンキーの名を知っているのは武藤から聞いた面舵と彼女と仲の良いクラスメイト、そして帆中千海と関係がある者だけである。
未来人とはさすがにばれてはいないようだったが、帆中に繋がる情報源であると武藤はみちるをそう判断した。
つまり、二手に分かれたところで追うのはみちるの方である。
「ええっと、それは……」
「ちうと知り合いなのよね? なら、あなたから聞き出すとするわ」
くんっ、と服の胸倉が引っ張られ、みちるの体が武藤の前へ移動した。
「ちうはどこにいるの?」
面舵が見せた魔法の使い方を、まんまと流用されてしまった形だ。
目の前にした武藤を相手に、みちるはキッと睨み返す。
「絶対に、言わない!」
「言わないと服を剥くわよ? 阿修羅モンキーの名を知っているなら、その性格も知ってるんじゃないの? だったらこいつの前で裸になる事の恐ろしさも想像できるでしょう?」
魔法を使い、服を操作できるのだから、裂く事も可能なのだ。
阿修羅モンキーの前に裸の少女を放り出せばどうなるか、想像するのは容易い。
「言わないなら、好きにすればいいわ。ただし、待てるのは五秒だけよ」
みちるには分かるが、着ている服がびりびりと音を立て始めている。
服の切れ目から肌色が見え始め、引いて見ている面舵の方が危機感に駆られていた。
助けに行こうと痛む体を無理やり動かしても、立ちはだかるのは阿修羅モンキーだ。
「くそ、どけよ!」
「見たくないのか?」
……阿修羅モンキーのそんな視線に一瞬躊躇ったものの、
「いやいや! だって相手はみちるだしな!」
「そ、それはどういう意味か……ッ!」
「……三」
そうこうしている間にもカウントは着々と進行していた。
言っちゃ悪いが貧相な体のみちるが裸になっても、色気はそうないはずだ。
だとしても阿修羅モンキーが彼女の体を弄ぶのは必至である。
さすがに相手が使い魔とは言え、その光景を見るのは不快だった。
カウントは遂に二を切った。
時間的猶予はない。
みちるが喋る事は絶対にないため、後は服を破かれるタイミングだけである。
そこが勝負どころだと面舵は見定めた。
早ければ阿修羅モンキーに勘付かれる。
だから、武藤と同時に、だ。
そして、その時がやってくる。
「……時間切れ、ね」
みちるの服にかけられている魔法が、一瞬で服を木っ端微塵に散開させた。
ぱぁんっ!
と、生まれたままの体で、みちるが顔を真っ赤にさせる。
スレンダーな体躯と控えめな胸を隠すように、腕で体を抱きかかえるみちるは、悲鳴を上げなかった。
なのに女性特有の高い悲鳴が聞こえたのは、武藤も同様に裸だったからだ。
ひらひらと服の生地が舞い、地面へ落ちていく。
それは桜吹雪のように積もっていた。
みちると比べて大きな胸が特徴的なグラマラスな体だ。
みちると武藤。
二人を並べて見比べた時、阿修羅モンキーがどちらを選ぶかは一目瞭然である。
「え、ちょっと!」
阿修羅モンキーに抱きつかれた武藤を見て、どん引きしているみちるの肩に、面舵が自分の制服を被せた。
「とりあえず、これ着て逃げるぞ!」
「え、あ、でも――すずさんが」
制服を着て体を隠したみちるの手を引き、武藤から離れる。
艶めかしい喘ぎ声が段々と遠ざかっていく。
「別に襲われてるわけじゃないし、大丈夫だろ。ちょっと過剰なじゃれ合いだって」
ほらっ、と面舵が片手で抱えていたボールペンをみちるに渡す。
ボールペンが蓄えられるのは果物だけではないので、服が散開した事で落ちてしまったみちるの所有物は全てボールペンの腹の中にあった。
ボールペンを抱きかかえるみちるは、制服だけでは心許なかった不安も大分緩和されたようだった。
「ねえ、はる」
狭い路地を何度か曲がった後、みちるが後ろから声をかけた。
「さっき、すずさんの裸、ばっちり見てたね」
なんだろう、言葉が軽くない。
「……まあ」
「そして、あたしに視線は一瞬も向けない」
「気にするのかよそれ」
「…………(確かにあれと比べられたら目は全部向こうにいくけどさぁ)」
むすっと頬を膨らませるいじけた反応が、構ってもらえない子供のように見えた。
もっともっと、身近で例えるなら。
積極的に話しかけて来たけど無視したら文句を垂れて、だけど着いて来る、帆中にも。
彼女の面影が被って見えた。
「…………みちる……?」
「きみは女の子になんて格好をさせてるの?」
上、である。
生地を棒で引き延ばしたような薄いマンタに乗っていた少年と目が合った。
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