第18話 召喚獣編2

「ちょっ、あんた!」


 それが制止の声なのか呆れた反応なのかは分からないが、面舵は走っていた。

 ――間に合え!


 ビーチフラッグのように飛び込み、ボールペンを体で覆う。

 結果は見なくとも感覚が教えてくれた。

 たった一撃だったが、トンカチで力いっぱい殴られたような鈍い痛みが背中にきた。


「いッ……!」


 痛みで振り向けない。

 そもそも体を動かせない。


 さっきもそうだったが、インターバルがなければ、体が地面に縫い付けられたかのように固まってしまうのだ。


 そんな中で、二発目の拳が迫っている。

 阿修羅モンキーの肘が伸び切っていたが、拳は地面を陥没させていた。


 面舵の体は数メートル先にあった。

 ――未だ彼は、動けない体のままだった。


「……んぁ?」


 にもかかわらず面舵は実際にこうして移動している。

 阿修羅モンキーは一本の指で顎を掻きながら、途中で考えを放棄して追撃しようとする。


 面舵のハッタリもそう長くは使えない手だ。


「……逃げろ」


「きゅ」

 ボールペンが面舵の耳元で囁いた。


 しかし残念な事に、面舵には使い魔の言葉が分からない。

 面舵だけではなく、大半の人間には解読できない。

 たった一人を除いては。


 だからこそ、使い魔と会話ができる固有魔法を持つ第一位が特別視されているのだ。


「ここは僕がなんとかする。お前はみちると合流するんだ」


 手の平でとんっ、と押し、ボールペンを転がす。


 だが、きゅいっ、と彼は小さな足で勢いを止める。

 この場から離脱する事を拒んだ。


 使い魔に対抗できるのは使い魔だけだ。

 そして、阿修羅モンキーの拳を受け止め、盾にする事ができる。

 なのに、どうして使おうとしない……ボールペンはそう聞きたそうにしていた。


「……それができるからって、勝手に役目を押しつけられても困るだろ」


 魔法使いを生み出せるから、社会の発展のために犠牲なるべきだと、誰が言える。

 面舵がしようとしている事は、帆中を押しつけられた役目から解放する事だ。


 なのに、たとえ唯一の対抗手段である使い魔だろうと、それを強要しては意味がない。

 結果のために過程を蔑ろにしては帆中に合わせる顔がなかった。


 ……まあ、そんな細かい事など考えてはいなかったが。

 単純に、恐がっているボールペンをこの場に居続けさせる理由などなかったからだ。


「いいから行けよ」

「きゅ……」


「行けよッ!」


 乱暴に、面舵はボールペンを蹴り飛ばした。

 丸い体が宙を飛んで、夜空の真下、暗闇の中へ紛れて、消えていく。


「……少しは見直したと思ったのに……あんたはやっぱり、変わってない」

「一度は僕を見直してくれたんだ?」


「っ! ――アッシュ、やりなさい」


 武藤の言葉で阿修羅モンキーが再び動き出した。

 既に面舵は二発の拳をその身に受けている。

 体は錆び付いたロボットのようにぎこちない。


 反応速度も遅く、動けと思ってから数秒遅れて体がやっと動き出すくらいだ。

 だが、面舵には動き回れる、ある秘策があった。



「なにが……?」


 武藤は違和感の正体を掴めずにいた。

 阿修羅モンキーの拳が一向に当たらない。

 そもそも、距離が詰められない。


 まるでスケートリンクの上にいるような動きで面舵が動き続けていた。

 商店街の端にあった水色のゴミ箱が阿修羅モンキーを上から閉じ込めた。

 しかし、ものの一瞬で破壊され、「ちっ」と面舵が舌打ちをした。


「……今、あいつの動きが止まってる……?」


 ゴミ箱を魔法で操作している間、面舵の動きが止まっていた。


 物体操作の魔法は一度に二つの対象を操作する事ができない、わけではない。

 ただ、それなりの技術を必要とし、意識が分散してしまうため、一つ一つの精度ががくっと落ちる。

 だから自信がない限りは積極的に対象を増やしたりはしない。


 面舵は普段、魔法を使わない。

 規則でもあるかのように、意固地になって使っていない事を武藤は知っている。


 そんな奴が、対象を二つ以上設定して魔法を行使するとは思えない。

 意識すれば、なんとも分かりやすい。


 まるで猫の首をつまんで持ち上げるように、面舵の服の襟が変形していた。

 魔法は人体には効かない。

 だが、人間が着ている服には影響がある。


「ふうん。小賢しいわね、本当に」


 とは言え、感心させられたのも、事実だった。



 バケツで閉じ込められるとは、面舵も思ってはいない。

 数秒でも足止めできれば、と思っていたが、まさか一瞬しかもたないとは。


 もう今の手は使えない。

 他に阿修羅モンキーの足を止めるための道具を……――、


 探していると、最も優先して見ているべき阿修羅モンキーを見失った。

 それと同時――、

 面舵の動きがぴたりと止まる。


「なっ!?」


 魔法で操作していた服が空中で静止したのだ。

 正確に言えば、互いの魔法の操作が衝突し、拮抗している。

 目線を移せば、武藤が指先をこちらへ向けていた。


「っ、ばれてるのか……!?」


 距離が近い分、魔法の強さは面舵の方が上だ。

 だが、武藤は僅かでも面舵の速度を落とす事ができればいい。


 なぜなら、すぐ傍にはぴったりと張り付いている阿修羅モンキーが、拳を構えて面舵を狙っているのだから。


 まばたきをする暇もない。

 服の魔法を解除して、拳の防御に回さなければ――、

 しかし、どうやって?


「遅い」


 なにもかもが、だ。


 阿修羅モンキーの三発目の拳が、面舵の意識を大きく揺さぶった。


 しかし、致命的な衝撃ではない。

 体重が乗り切っていない威力が半減した拳だった。


 阿修羅モンキーの顔の側面から、箒の柄が激突したためである。

 面舵が持っていた箒は彼を追う住民に奪われてしまったが、誰のものでもない箒なら家と家の隙間あたりに置いてあったりする。


 なにも箒は空を飛ぶためのものではない。

 元々は掃除をするための道具だ。

 商店街なら尚更、店の前を掃除するくらい日常的におこなっている。


 箒を手にした面舵は大きく振りかぶって阿修羅モンキー目がけてフルスイングしたが、箒の真ん中辺りを拳に捉えられ、真っ二つに折れてしまう。

 掃く部分が真上へ飛び、手で握っている箒の柄の部分は面舵の拳二つ分しか残っていなかった。


 せっかく手に入れた武器もあっさりと攻略されてしまった。

 阿修羅モンキーが逸って跳び上がる。


「待ちなさい!」


 状況を一歩引いて見ていた武藤が叫んだ。

 ――こいつに、知らされる前に……!


 阿修羅モンキーは、面舵にもう武器はないと思い込んでいる。

 確かに、手に持っている柄の部分を振り回したところで大した脅威にはならないだろう。

 その先の部分がなければリーチは致命的に短過ぎるのだから。


 では、その先の部分はどこにある?

 真上に吹っ飛んだままだ。


 落下音は、まだしていない。

 ――そう、空中に固定されていた。


 面舵の視線に違和感を抱いた阿修羅モンキーが振り向き、空中にある箒の先端を見つけて二本の腕を防御に回す。


 面舵の魔法は、既に分断された箒を阿修羅モンキーめがけて飛ばしていた。

 隙を突いたならまだしも、視認されてしまえば低速の攻撃など簡単に防がれてしまう。


 ぱしっ、と阿修羅モンキーが飛んできた箒を掴んだ。


「違うッ、後ろよ!」

「六本の腕があっても見えてなくちゃ動かせないだろ。その目は僕たちと変わらない二つだ」


 一方向へ引きつければ別の方向への意識は散漫になる。

 途中で気づかれたとしても半歩遅らせる事ができるのだ。


 面舵が放った蹴りが、阿修羅モンキーを捉えた。

 水切り石のように細かく数度バウンドして、数十メートル先まで飛んで行く。

 ごろごろと転がり、止まった時に空に向かっていた足が、遅れてばたんと地面に倒れた。


「ふぅ……」


 と、面舵が緊張の糸を解いて息を吐いた時だった。


 ぴょんっ、と、阿修羅モンキーが立ち上がった。


「…………」


 倒せるまではいかないでも傷一つくらいならついてもいい気がしたが……無傷だ。

 しかも立ち上がり不調なエンジンが、今のでやっと温まったようで……。

 阿修羅モンキーから立ち昇る、薄く白い蒸気が見えた……気がした。


「……これだけぼろぼろになりながら必死に食らいついて、これから本番……?」


 武藤さえも同情するような目を向けていた。


「私はあんたを政府に突き出す気でいるけど、別に、絶対に怪我させる必要もないけど」


 面舵が自分から投降するのであれば、使い魔をさがらせる、と彼女は言いたいのだ。

 しかし無理だ。

 政府に投降する事は、帆中を諦める事に等しいのだから――。


「ありがたい申し出だけど、聞けないな」

「……あんたをそこまで突き動かすものはなに?」


 思わず口が緩みそうになった。

 全てを吐露して協力を仰ぎたい衝動に駆られた。


 彼女に全てを包み隠さず話せば全ての時間を費やして力を貸してくれるだろう。

 面舵を苦しめた阿修羅モンキーも、強力な助っ人として戦力になってくれるはずだ。


 だけどできないのだ。

 未来を知る者が増えれば増えるほど、微調整ではどうにもできない大きな変化が起きてしまう可能性がある。


 それが良い方向へ変わればいい……しかし悪い方向へ変わってしまえば? 

 自分たちで帆中を助ける未来を潰してしまったら――、


 そう考えたら、安易に仲間を増やす事はできない。


 色々と考え抜いてみちるが出した答えだ。

 面舵は彼女の意思に反した勝手な事はできない。


 だから、自らを鼓舞するためにも。

 武藤に向けた言葉は、挑発だった。


 他の誰よりも、帆中には近いだろうとは分かっていながらも、


「お前には関係ない」


「――っ、……ああ、そう。なら、さっさと寝てれば?」


 意志を貫き通したものの、絶体絶命の状況である事に変わりない。

 投降しない代わりに意識を失うまで殴られて、政府に突き出されるだけの話だ。


 さて。


「どうしよう……」


「きゅ」

 と、気づけば足下に、さっき蹴り飛ばしたはずのボールペンがいた。


「お前……なんで戻って――」




「ボールペーン? ど~こ~!?」


 手で口元にメガホンを作りながら、一人の少女が狭い路地から姿を現した。


「…………み、みちる……!?」

「あ、ボールペン! と、はるも見つけた!」


 みちるが大きく手を振って、こちらに小走りで駆けて来る。

 二手に分かれたみちるとこうして無事に合流できたが……、最悪だ。


 袋小路の状況は変化した。

 ただし、ボールペンとみちる、二つの重荷を背負ったという形で。

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