第17話 召喚獣編1
魔法が浸透したこの社会では、男女の喧嘩は珍しくもない。
頼るものが筋肉ではなく魔法になったのだから、女性でも簡単に男を叩き伏せる事ができるのだ。
魔法使いとそうでないものの差別は大きくなってしまったが、男女差別は以前よりも減少している。
もはやまったくないと言い切ってしまってもいいだろう。
武藤が、肩から下げていたボストンバックを手の平で叩いた。
すると、触れていないのにチャックが勝手に開き、中から顔を出したのは白毛の猿だった。
もちろん、ただの猿ではない。
異様な猫背をしているため、肩甲骨から生えている二本の腕がよく見えた。
人間と同様、肩から伸びている腕ともうワンペア、脇の下から生えている二本の腕。
合計で六本、である。
「ケケッ」
と悪魔のような笑いを見せたかと思えば、武藤の使い魔は面舵よりも主である彼女に興味を示していた。
六本の腕で彼女の体の上を昆虫のように這い上がり、背中から抱きしめる。
そして、同級生よりも比べて膨らんでいる胸を、両の手の平でがっしりと掴んだ。
「え?」
突拍子もない事をされて、思わず面舵は警戒を解いてしまった。
なんと、そのまま使い魔による揉みしだきが始まったのだ!
「…………っ」
声を押し殺そうとしているが漏れてしまっている彼女の声が逆に不健全だった。
この時間はなんだ……?
「見て、ん、じゃ、ないわよ……っ、ふ、……んっ!」
「お前はなにをしてるんだよ……!」
指摘されて気づき、面舵もすぐに視線を逸らす。
しかし、そうなると声だけが聞こえてくるので、実際に見えているよりもなんだか……。
「というか、使い魔を生み出してたんだな……」
魔法使いにとって使い魔は箒と同じくファッション的な感覚で隣にいる事が多い。
主人の下を原則、離れられない使い魔は、学校でも許可が下りている。
授業中はさすがに自重されているが、休み時間などでは使い魔を机の近くに出したりして友人同士で交流をさせていたりもする。
当然、面舵は使い魔を生み出していなかったので、そんな交流には興味がなかったが。
武藤が自分の使い魔を出している時を、そう言えば見たことがなかった。
帆中が魔法を使えないので気を遣っていたとしても、帆中以外の友達がいないわけもないので、別の場面では連れ出していてもおかしくはないのだ。
まあ、面舵が目を移した時に限って丁度出していなかっただけなのかもしれないが。
「……こいつのこれ見て、あんたは教室でこいつを出そうと思うわけ……?」
――確かに、思わないな。
すかさず面舵も納得した。
しかしそこまで気にしているのであれば、やり直しをしてしまえばいいのでは?
「ちうの目の前で生み出したのよ。……こんなエロい使い魔でもね、あの子の前で、たとえ人工物扱いだとしても生命をリセットしてなかった事になんかしたくないのよ」
武藤が新たな使い魔を携えていれば、以前の使い魔はどうしたの? と帆中は聞くだろう。
その時に、存在を消して新たに別の使い魔を生み出したのだと、彼女に言えるわけがない。
魔法使いの使い魔とはそういうものでみんなしている事だと分かってはいても、彼女は魔法使いではないのだ、造り物だとしても生命として扱う。
武藤は、親友に『いらないから殺した』と思われたくなかったのだ。
「はい、もう終わり。……充電完了したなら行きなさいよ」
不満そうに指をくわえる仕草は保護欲をかき立てられるが、騙されてはいけない、この使い魔特有のアピールなのだ。
可愛らしい表情を浮かべるのがとても上手いのは、女性に抱っこされる事を狙っているためだ。
なぜなら、彼らは女性の胸をこよなく愛している。
下心ありだが、女性に対して考え方は紳士である事を突き詰めていた。
だが、逆に。
男性に対しては容赦がなかった。
この時代には存在していないが、未来には存在する――使い魔図鑑。
彼らのページには、現代から数年後、爆発的に増えた個体種と書かれていた。
女性が積極的に彼らを生み出したのだ。
女性からすればマイナスばかりではないかと思うかも知れない。
だが、考えようによっては、彼らを満足させておけば絶対的なボディーガードになってくれるのだ。
同族でない限り、彼らの勝率は九割までのぼる。
「ちうがまた独特な名前をつけてたのよね。……
使い魔図鑑の名称にも、同じくその名が使われている。
それはそうだ、使い魔図鑑に載っている使い魔の名付け親は、帆中千海である。
そう、彼女が王女になって初めて取りかかった仕事だった。
潜水クジラも彼女が名付けた。
そして、ボールペンギンも――。
「長いから私はアッシュで呼んでるけど――気をつけた方がいいわよ、だってそいつ」
充電完了した阿修羅モンキーが顎を上斜め四五度に傾け、面舵にメンチを切る。
次の瞬間、
白い残像が見えたかと思えば。
面舵が身構えるよりも早く、彼の懐に、阿修羅モンキーが足を踏み込んでいた。
「!?」
既に面舵の腹部めがけて跳躍していたところで――目が合う。
面舵に見せたにやけ顔は、女性の胸を目にした時とは明らかに違う。
こちらを完全に見下している。
「そいつ、プロボクサーを鼻で笑って唾を吐きかけるくらい強いから」
大きさが面舵の膝くらいまでしかないとか関係ない。
すぱぁんッ!
と音がしたかと思えば、面舵の体が放物線を描くように一〇メートル以上飛んでいた。
受け身も取れずに落下した痛みが先にきた。
後からやってくる、腹部に突き刺さった阿修羅モンキーの拳の痛み。
立ち上がれなかった。
這いつくばる面舵の頭をその小さな足で踏みつける阿修羅モンキーが満足げに笑う。
これから先、未来の歴史の中でも覆らない一つの事実があった。
使い魔に対抗できるのは、使い魔だけである。
その時、阿修羅モンキーの視界の端に動くものがあった。
視線を向けられ体がびくんと跳ねたのは、地面を転がっていたボールペンである。
彼はじたばたともがいて転がり、敵から距離を離そうとするが、その体ががしっと、阿修羅モンキーの六本の手の平で固定された。
同じ程度の大きさだが、戦闘力は雲泥の差である。
ぷるぷると小刻みに体を振るわせるボールペンを見て、阿修羅モンキーが笑った。
――瞬間、
一本の腕がボールペンの腹へ、一直線に突き刺さる。
それを皮切りにして、六つの拳が順番にボールペンへ降り注ぐ。
散弾銃を際限なく撃ったような音が連続して響いた。
ボールペンはその見た目もあって文字通りのサンドバッグ状態だ。
やがて、満足したのか阿修羅モンキーがボールペンを雑巾のようにつまんで放り投げる。
ぽてんっ、とバウンドして、ボールペンが地面に転がっていた。
面舵はその一部始終を這いつくばりながら見ている事しかできなかった。
「…………?」
面舵の視線はボールペンから、ついさっきまで阿修羅モンキーに殴られていた場所へ。
あれだけ連続して拳を叩き込まれたのにもかかわらず、地面には欠けた形跡の一つもない。
ボールペンから一撃もはずさずに阿修羅モンキーが拳を叩き込んだのであれば、威力もさながら正確性も持ち合わせた手のつけようもない強敵と認めざるを得ない。
ただ、たとえ拳がボールペンをはずしていなかったとしても、衝撃はボールペンの背中から地面へ伝わるはずだ。
なのに地面はなんともない。
阿修羅モンキーの拳と、その衝撃を、ボールペンは全て吸収していた……?
その証拠に、ボールペンがむくりと体を転がした。
あれだけボロ雑巾のようにボコボコにされてもぴんぴんしている。
「あぁ?」
……みたいな表情を浮かべた阿修羅モンキーがゆっくり歩みを進めた。
ボールペン自身は阿修羅モンキーを恐がっているが、実際、拳を叩き込まれても外傷の一つもついていない。
彼自身が思っているより、歩みの一つ一つにじたばたさせるほど恐れる必要はないのだが――、
だからと言って。
それが殴られ続けてもいい理由にはならない。
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