第8話 奪還編-共同戦線

「――帆中から離れろ!」


 キキィ! 


 と、面舵が箒ではたくと使い魔は悲鳴を上げて地面を転がっていく。


 ばむんっ、とゴムボールように何度もバウンドしたコウモリが体勢を立て直し、真ん丸の目を三日月のように変形させ、面舵を睨み付けていた。


「怒らせない方がいいよ、ぼくの手にも負えないじゃじゃ馬だから」


 小さいから素早く動かれると目で追えなかった。

 距離を詰められるのはまずい。


 今、回避しなければならないのは面舵が意識を失う事だ。

 使い魔の牙を最も警戒しなければならない。


「いいの?」


 箒に乗って空へ飛んだら、下にいる少年が呟いた。


「警戒するのがそれだけで」


 ボゴッッッッ! 


 という爆音が真後ろで轟いた。


 視界が揺れた。

 真上に散った水飛沫が雨のように面舵の上からここ一帯に降り注ぐ。


 川を見ると、巨大な尾が水面を叩いているところだった。

 再び爆音が鳴り響き、水飛沫が周囲に散っていく。

 左右に揺れる川の水が大きな波となって溢れ出していた。


「なんだ、あれ……クジラか……?」


 尾を見せたのが最後、川にいた生物は潜水してしまい、姿を見せなくなってしまった。

 しかし、尾でかなりの大きさがあった。

 体の大きさは尾以上だろう。


 この川の幅では転回できるかどうか……中で詰まってしまっているのではないか、と甘い考えをしている内に、


 使い魔を常識の範疇で語っている内は度肝を抜かれるばかりである。


 真下。


 影ができていた。

 だが、上を向いても雲一つない晴天である。


 なら、下に見えるあの大きな影は……?


 次の瞬間、地面をまるで水面のように柔らかくし、大口を開けて出てきたのは先ほど川にいた巨大な使い魔であった。


「うぉ……っ!?」


 さらに浮上した面舵は間一髪、曲げた膝のおかげで足を喰われる事はなかった。

 かつて存在していたクジラとほぼ同じサイズの使い魔が、とぷん、と、あっさり地面の中へ沈み込んで行く。


 ……水中と同じように地面の中を泳ぐ事ができる。

 それが今の使い魔の能力なのだろう。


「……ッ、しまった!」


 ――見渡せば、帆中がいなくなっていた。


 一位の少年は動いた様子を見せていない。

 であれば、今のタイミングで、潜水していた使い魔が帆中を食べて、地面の中へ連れて行ってしまったのだ。


「安心していいよ、あれのお腹の中は人が住めるような部屋があってね、お姫様が胃液で消化される事はないから」


「……返せ」


「おかしな話だ。お姫様は、きみのものではないよね?」

「ならお前らの物でもないはずだぞ! 返せ、この人攫い!」


「うーん……おかしな事を言うんだね」


 いつの間にか、黒い球体であるコウモリ型の使い魔が増えていた。

 個だと可愛らしいが、大群となると昆虫と同じで嫌悪感が勝る。


「どうしてきみは、この場にはぼく一人しかいないのに、複数いると分かったの?」


 うっかり口を滑らせた『お前ら』に反応した。

 聞き流してもおかしくない小さなミスだが……やはり、体が小さくても特魔か。


 未来を知っている、とは、当たり前だが知られたくない情報だ。

 律儀に答える必要はない。


「――帆中を、返せ」

「好きなだけ噛みついていいよ、みんな」


 やがて、箒にかかった魔法が解け、土手の斜面を転がる一人の青年の姿があった。

 人の形で集まった、群がっている黒い球体が次々に離れていく。


 かろうじて面舵に意識があるのは、様々な毒を使い魔の牙から投与されたからか。

 眠気があっても痛みで目が覚める。


 体が痙攣しているが、不幸中の幸いか、体を振るわせているおかげで奪われた体温を取り戻しつつあった。

 ただ、結局動けない事に変わりはない。


「姫様の回収はできましたか?」

「うん、完了したよ」


 少年の後ろには二人の青年が立っていた。

 片方が赤髪、片方は藍色の髪をしている。


 特魔、第二位と第三位だ。


「あいつ、どうすんだ?」


 一方が、倒れた面舵を指差す。


「始末します」


 不穏な言葉が聞こえたが、意識を失いかけている面舵には逃げる事もできない。


 魔法によって浮かばせた、廃車になって捨てられていた一台の車が面舵の真上へ。

 魔法を解けば、車体が面舵の体を押し潰すだろう。


 死体になれば人間も物になる。

 人体には効かない魔法も通用するようになるのだ。


 死体を破棄するのはそれからだ。


 バラバラに引き裂いて、各地に埋めて、証拠を分散させる。

 死体処理の方法は昔よりもかなり簡単になっていた。


 魔法が現れ、便利になった事で増えたのは、皮肉にも犯罪なのかもしれない。


 取り締まる側は魔法に対して魔法で迎え撃つ。

 数以外の戦力が同じなのだ。

 これでは犯人が増えても仕方ないだろう。


 今の社会は不安定だ。


 その大きな理由の一つに、旧世代のトップが未だに切り替わらないところにある。

 若い世代の多くは、そう結論づけていた。


「銀、あなたは見ないように」

「別に、ネットとかで見慣れてるから」

「いいから、見ないでください」


 魔法使いらしく、魔法の杖を持って魔法を使用していた。

 持つ義務はないが、あった方が魔法が使いやすいというだけだ。


 ただの物差しなので、杖でなくともボールペンなどでも代用できる。


 魔法が解け、空中に浮かんでいた車体が落下し、面舵の体を押し潰した。

 車体へかかる衝撃で、パーツが周囲に散らばっていく。


「…………」


 再び魔法の杖を車体に向ける赤髪の青年の手を、隣にいた藍色の青年が掴んで止めた。


「おいおい、オーバーキルになるだろ」

「さらに圧迫するとでも思いますか? 違いますよ、車体を持ち上げて確認するだけです」


「死体を見るのか? お前のそういうところには着いていけねえな。あんなの見てどうすんだよ、気分悪くなるじゃねえか」


「お前は見なくて結構ですよ」

「ま、そう言われたら見るって言うけどな」


 溜息を吐き、赤髪が魔法を使い、車体を浮かばせた。


「……違和感の正体はこれですか……」

「おー、どうやったんだあ? 他に仲間がいたのかもなあ」


 車体に押し潰されたはずの面舵の体がなくなっていた。

 代わりに、地面に穴が開いていた。


 その穴を辿れば、恐らく、別の場所に繋がっているのだろう。


「追いかけるの? 穴は小さくないし、行けない事もないけど」

「いや」


 赤髪の青年は急いで始末する事はないと判断した。


「目的が姫様なら、また現れるはずです。その時、徹底的に殺しましょう」


「うん」

「おう」

 とそれぞれが返事をし、三人の真下が黒く、影ができた。


「今は一刻も早く、姫様の元へ」


 再び現れた巨大な使い魔によって、三人の姿が大きな口の中へ、飲まれた。


 


 なにも見えない暗闇の中。指先で感じられる感触があった。


「ちょっ、変なところ触らないでよ!?」


 声が聞こえた。

 その声が反響し、遠くの方まで木霊する。


 健康的な心音のように体が上下に揺れる。

 麻痺していた感覚が大分戻ってきたらしい。


「……どこだ、ここ……?」

「眠ってなさいよ。解毒薬を飲んだと言ってもまだ体は怠いでしょ?」


「なあ……」

「眠れって言ってるのに……なによ」


「帆中を、取り戻せなかった……けどさ、仮に取り戻せたとして、どうやってあいつが死ぬ事を回避するんだ……、未来を変えるって言っても、具体的な事はなにも……」


「あんたがあたしの説明を聞かずに先走って行くからでしょうが!」

「それに、魔法の代償って……?」


 二人の会話は成り立っているように聞こえても噛み合っていない。

 面舵の聴覚は未だ回復し切っていないのだ。


「全部説明するから、今はゆっくり休んでなさいよ」


 それも面舵には聞こえていなかった。

 彼の意識は、再びここで途切れる。




 微かに聞こえたシャワーの音で意識を取り戻した。


 面舵が目を開けると、部屋の中は暗かったが、部屋の端にあったスタンド付きの電球のおかげで真っ暗闇ではなかった。


 体を起こしてベッドから下りる。

 指先に痺れを感じたが、部屋の電気のスイッチを入れるのに支障はなかった。


 同時に、部屋の扉が開いてバスタオル一枚を体に巻いただけの姿で、みちるが顔を出した。

 濡れた髪を拭きながらなので、床に水滴が落ちてしまっている。


 彼女はきょとんとした表情を浮かべ、次の瞬間に悲鳴を上げて部屋から出て行った。


「おま……っ、なんでそんな格好で入って来るんだ!」

「目を覚ますなんて聞いてない!」

「当たり前だ!」


 シャワー室の方からどたばたと音がして、止んだと思えば、扉から彼女が顔だけを出す。


「……服、バッグの中なんだった……」

「……取って来るよ、テキトーでいいよな?」

「いや、バッグごと渡して」


 なにを漁る気でいるんだ、と目で責められ素直にバッグを渡す。

 扉越しだが、着替えの音がよく聞こえた。

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