第5話 未来編

 それを聞いた周囲の誰もが言葉を失っていた。

 文句の一つも言えずに固まってしまっている。


『ご安心を、元政府を上手く回していた専門家が私たちの援助をしてくださるので、以前と生活が大きく変わる事はないでしょう。当たり前に反対意見もあるでしょうが、温かく見守ってくれるとこちらも助かります』


 彼は優しい顔で無茶な事を言う。

 その顔に騙されるのは女性くらいなものだろう。

 男は丸め込まれたりはしない。


『ただ、帆中様はこの世界で唯一、魔法使いではない、人間です。彼女が我々の王であり、姫であります。彼女だけは、どうか、皆さんの魔法で守っていただきたい。大切にしていただきたい。彼女は私たちの、一生の宝となるでしょう――』


『え、な、なに急に背中を押して……え、笑顔……? う、うん……うん! みんな、よろしくね!』


 ……なるほど、彼では丸め込めない部分は帆中の笑顔で補填していくわけか。


 面舵も勢いのまま納得しかけたが、異常だ。

 はいそうですか、で見過ごせるわけがない。


「おい、どういう事だよ、これ……答えろ!」


 隣にいる少女へ問い詰める。

 彼女はゆっくりと指先をモニターへ向けた。


 見ても帆中と特魔のやり取りが映っているだけで話は特に進展していなかった。

 しかし違う、彼女が差したのはモニターの下、時刻を示す細長いもう一つのモニターの方だ。


 右から左へ流れる文字列は近況のニュースを取り上げているが、定期的に時刻も表示している。


 同時に、現在の日付も表示していた。


「あたしたちが駅のホームで出会ってから、僅か二日後の事です」


 つまり、これは、未来の光景。


 未来の世界を、面舵は先んじて体験している事になる。


「あたしからすれば過去の事ですね……ちなみにまだ生まれていませんから」


「……待て、待て待て待て! じゃあなんだ! これは未来の映像で、さらにお前はもっと未来から――」


「はい、来てるんです」


 頭がどうにかなりそうだった。


 魔法使いがいれば未来にも行けるようになる、なら未来人も過去へ来る事ができる、と。


 簡単に信じられる事じゃあない。

 魔法も万能ではないが、固有魔法のように効果を限定してしまえばある意味なんでもできてしまう。


 言い方次第だが、少女の空想世界へ引き込まれた、という可能性も考えられる。

 彼女の妄想の内容を未来の話と言い換えて見せられているとすれば、これ以上付き合ってはいられなかった。


 切り捨てる事は簡単だ。


 ただ、気になる事があった。


 ――どうしてこれを、僕に見せたのだ?


「あなたが今日の事を、未来でもずっと後悔していたから」


「…………」


「あたしとホームで会う事のないあなたは、見てしまうんです。帆中様と特魔の三人が接触する光景を……」


「……それで、僕はどうしたんだ?」


 まあ、想像はつく。

 誰よりも自分をよく知っているのは、自分なのだから。


「見ますか?」


 少女が顔を寄せてきた。


「まだ、あたしも耐えられます。見るなら今の内ですよ?」

「…………見る」


「なら、少しだけ目を瞑っていてください。開けていてもいいですけど、多分気持ち悪くなって吐いてしまうと思うので」


 彼女の言う通りに目を瞑ったが、三半規管がねじ曲がったような感覚を受け、結局気持ち悪くなった。

 吐きはしなかったが、平衡感覚が狂っているのか、真っ直ぐに立っていられない。


 唾液を吐き出し、気を紛らわしてまぶたを上げる。


「……ここ、は……」


 学校近くの土手だ。


 普段、面舵はこんな場所になど来ない。

 帰路の道中にあるわけでもないし、遠回りだろう。


 なのになぜこんな場所にいるのか……答えは目の前にあった。


 帆中千海が土手の傾斜に座り込んでいたからだった。


 彼女を道中で見つけ、後を追ってここまで来たのだろう。

 そう思いたくはなかったが、今の自分ならやりかねない。


「ストーカーですね」

「言うな」


 隣からの視線が痛いが、気にせず未来を見る。

 未来とは言え、駅のホームで電車を待っている時から一時間未満の未来である。


 三国みちるが現れた事で未来は僅かに変わってしまっているが、きっと現在の面舵も数十分後にはこの場にこうして現れるようになっているのだろう。


 そう簡単に未来は変わらない。

 多少前後しようとも、スケジュールの項目が消えてなくなったりする事はないらしい。


 というのは、未来人からの証言だ。


「……あ、あいつは」


 と、一人で空をぼーっと眺めている帆中の後ろから、近づく男がいた。


 さっき見ていた、今よりもさらに未来の光景、街中の巨大モニターの中で代表して話していた赤髪の青年だ。


 青年が話しかけ、帆中が振り向く。

 それを遠くから見ていた未来の面舵晴明は、足を止め、ゆっくりと後退していく。


 現在の面舵とすれ違うように、未来の面舵は彼女たちに背を向けて土手から去って行った。


「未来のあなたはこの時の事をずっと後悔していたの。あの時、二人の会話に割り込んでいれば――」


「なにかが変わったとでも? 悪いが、僕にはここで手を出して劇的に変わるとは思えない。割り込んだらあの二人から奇異の目線で見られるだけだよ。……楽しそうに話してる。二人で笑い合ってさ。あれを邪魔するのが正解なのか? 誰もが空気を読んで離れると思うけどね」


「でも、未来のあなたはここだと、自分でそう自覚していたの」


 未来の面舵がそう言っていたのであれば、多分、ここが枝分かれした複数ある未来への分岐点だったから、ではない。


 面舵晴明にとって、行動を起こせるとしたらここしかなかったのだ。


 これ以降、チャンスは巡ってこない。

 もしくは、チャンスがあろうと踏み出すための心が折れてしまったか、だ。


 踏み出す勇気があって、だけど怖じ気づいて逃げたこの場面が、最後のチャンスだったのだと、未来の面舵は全てを見た後に出た結果を踏まえ、そう答えを出した。


 あの場で割り込んでいれば、少なくとも次に繋がった。


 場数を踏んだ、今よりも前向きになれた――口先だけで実際に体を動かそうとしない彼の悪い癖が、未来において致命的な失敗を生み出してしまった。


 現在の面舵も、未来の自分がそう答えを出した理由に納得できた。

 大小の違いはあれど、何度もそれで失敗をしてきたのだ。


 動けない自分に劣等感が積もっていくばかり。

 だからこそ、自分ができない事を簡単にやってのける帆中に憧れ、嫉妬したのだ。


 勝手にライバルにして、張り合っては自分の小ささを痛感させられ、八つ当たりをした。

 見ればみるほど、自分を嫌になって……矛先を帆中に向ける事で楽をしていた。


 自分がやろうとしていた役目をあいつが奪ったのだと、目先の敵にし、できなかった事の理由にした。


 たとえばの話。

 道に迷っている人がいる、もしくは電車で自分が席に座り、目の前に年寄りが乗って来たとしよう。


「困っている人がいる、だけど相手から助けを求められたわけじゃない。そんな場面で帆中は一瞬の躊躇いもなく声をかけられるような奴だった。僕は……たったの一度も、手を差し伸べようと思っても、声をかける事ができなかった。そうして迷っている内に別の誰かが手を差し伸べて解決している、そんな場面を多く見てきた」


「……手を差し伸べようって、思えるだけでも凄いと思う」


「でも行動には移さないんだよ。だから口だけなんだ。言っておいてやらないなんて、他人に自分は良い奴なんだって自慢して好感度を上げるだけの道具として使っている分、なにも思わない奴よりも質が悪いと思うね」


 僕は凄いんだ、良い奴なんだ、吹聴するそのダサさに気づいたのはかなり遅かった。

 帆中は決して、自分自身をそんな風にアピールした事はなかった。


 彼女の評価は他人が決め、誰もがその評価を疑っていなかった。

 帆中千海は多分、他人が見る自分の評価を知らない。


 興味もないのだろう。

 そういう奴だ。


「未来からわざわざ来たって事は、変えたい過去があったってわけだ。今のを見たら分かるだろうけど、僕はいざって時に逃げるような奴さ。協力を得るなら帆中にしなよ、あいつなら事情を話せば協力してくれる。話さなくても協力してくれるかもな……そもそもあいつが中心になって動いた未来なんだろ? あいつにまず会いに行くべきじゃないのか?」


「それじゃダメだから、あんたに会いに来たの」

「ダメ? ……なら、僕である理由はなんなんだ?」


 質問には答えず、少女が再び顔を近づけて来た。

 三度、時間をずらすためのコマンドだ。


「三度目だから、もしかしたら……。いい? もしもあたしが血まみれになっても、動揺しないで未来を見なさいよ!」


「血まみれって……っ! というか、最初と言葉遣いが変わってんじゃ……!」


「いつまでも女々しいあんたはケツを叩かないと走らないようだから強めに言ってんのよ! いいから、その目で見て――後の答えは、自分で出しなさい!」


 助走をつけた強めの頭突きが面舵の体を真後ろへ浮かせ、気づけば視界が暗転していた。

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