第3話 希望編

 空路は法定速度三〇キロと定められている。

 中にはそれ以上出している魔法使いもいるが、中々オーバーしている者を見つける事は難しい。

 このあたり、過度なスピード違反でないと車同様に見て分かるものでもない。


 小回りが利いて上下左右に操作でき、遮蔽物も少ないため悪天候でない限り、空路事故というのは少ない。

 空中なので車線も標識も、信号さえもない。

 必要ないと言った方が正しいか。


 しかし事故がゼロというわけでもなく、朝の通勤ラッシュなどでは警察が各空路で静止し、誘導するなどの措置が取られている。

 基本的に、流れができていればそこに混ざって進むのが正しい。

 水族館でよく見るイワシの大群みたいなものだろうか。


 魔法使いが現れて十六年目……社会に浸透してきたのがここ数年の話であり、まだ魔法使いが当たり前に社会に存在するための法案は確立されていない。

 発展途上であるため、欠陥を見つけながらその穴を埋めていく作業が山ほど残っている。


 その全てを解決するには半世紀ほどを要するのではないか……と言われていた。


「ねえねえ、コンビニに寄りたい」

「どこ?」


「近くに……あ、あそこ下りてよ」

「お前な……!」


 なぜあちこちにあるコンビニの中で、唯一行けない場所を示すのか。


「あそこはやめよう」

「え、なんで?」


 ……これ、本当に素で聞いているのだから驚きだ。


 説明するのも面倒なので素通りしようとしたら、帆中が後ろから手を伸ばして箒を斜め下へ向けた。


「ちょ、おいッ!?」


 箒の先が上を向けば、下を向けば、向かいたい場所に進む簡単な操作方法だ。

 魔法使いでなくとも、仕組みさえ知っていれば誰でも扱う事ができる。


 車と違って免許が必要ない。

 魔法使いであるという事が免許みたいなものだ。


 魔法使いでなくとも、抜け道はある。

 帆中のように魔法の発動を他人に任せて、操作を魔法使いでない自分がする……法的に違反はなに一つしていない。


 コンビニの前に着地すると、帆中がコンビニのガラスに貼られていた壁紙を見つける。


「……わたしたちの学校の生徒は利用禁止……? なにそれ、横暴だよ!」

「理由なくそんな貼り紙すると思うのかよ。利用禁止に至った理由があるんだって分かれよ」


「理由って!?」

「本当に分からない……わけじゃないよな?」


 学校全体であれだけ噂になっておいて……というか実際に面舵は処罰を受けている。


 知らないはずがない。


「まるでそれがほんとの事みたいに脚色してある噂話の事なら知ってるけど。うちの学校から万引き犯が出たから、利用禁止なの? だとしたらおかしな話だよ」


「……実際、万引き犯は出たんだ。お前の目の前にいるんだよ。知ってるだろ。知ってるくせに、僕に事細かく説明しろって言うのか」


「うん。だって君、冤罪なのにみんなに冤罪だって説明してないじゃん。多分、万引きした当時……ううん、誤って万引きしたような状況に追い込まれても、君は無実を証明しようとはしなかったはずだよ。じゃないとこんな状況にはならないし」


 その場にいなかったはずなのに、帆中は見ていたかのように言い当てていく。

 そして、開いたコンビ二の自動ドアを通って中に入った。


「ほら、来なよ。堂々としていればいいんだよ」

「いや、もう既に止められてるぞ」


 こっちを見ている帆中の後ろには、面舵もお世話になった店長が立っていた。


「――貼り紙、見えなかった? 学校で指示されていないの? ここ、利用禁止だよ」

「はーい。でも大丈夫ですよ、利用するためじゃないですから」


 首を傾げる店長と同じく、面舵の頭の中も「?」一色だった。


「きーみ。ちゃんと言わないと、ずっと誤解されたままだよ? 今更覆ったりはしないけど、その時の空気感とかで言えなかった事とかもあると思うの。でも今なら、もう言えるんじゃない? 言っておいた方がいいよー。溜め込んでおいて良い事なんてなに一つないんだから」


「見てきたように言うんだな」


「親友がね、溜め込むタイプだったから。今ではちょっと正直、鬱陶しいなくらいには思っちゃうけど、でもきっと、心の中のなにかをすり減らしている事はないと思うの……それはね、誰にでも、なんでも正直に言っているからだと思うんだぁ。だから、きみも。きーみーも! ちゃんと店長さんに言いなよ」


「…………」


 ――万引き犯と誤解されたあの日以来だ。


 面舵も扉を越えて店内に入った。



 入学してまもなくだった。

 まだ通常通りの授業も始まっていなかった。


 学校が早く終わって帰りにたまたま寄ったコンビニがこの店舗だった。

 学校の近くにあるのでよく学生が利用する。

 そのせいか、以前から万引きの対象にされる事が多かったのだ。


 特に学生が。

 前例が何件もあり、店長は異常なほど学生への監視の目を強くしていた。


 面舵は金額的には大した事ないペットボトルの飲み物を手に持ち、落とし物を拾った。

 曲がり角を曲がって丁度視界から消えた女子高生の物だろうと思って追いかけた。

 生徒手帳だったが、プライバシーを意識して中身は見なかった。


 落とし主の女子高生は既にコンビニを出てしまっていたので、面舵もさらに後を追ってコンビニを出ようとしたのだ。


 そう、商品を手に持ったまま。


 監視に神経を注いでいた店長は頭に血が上り、面舵を上から押さえつけた。

 それから大きな声で万引き犯だと、面舵を決めつけた。

 周囲には多くの学生がおり、そこには先生もいた。


 誤解を解こうとはした。

 だが喋ろうとすれば頭を地面に押さえつけられた。


 身動きが取れず口を動かせば、その声はさらに大きな怒声でかき消される。

 面舵の人格さえも否定するような罵詈雑言を浴びせられ、バックヤードへ連れて行かれてもそれは変わらなかった。


 近くにいた先生も面倒事で自分の時間を失いたくないと、面舵を庇う事を拒否した。


 認めろ、認めればすぐに終わる。

 謝れば警察には言わない、と妥協してくれて安堵してしまったが、今思えばその段階で面舵は負けていたのだ。

 

 心がぽっきりと折れていた。

 きちんと全てを説明すればなにかが変わったかもしれない。


 拾った生徒手帳の証拠もある。

 面舵が諦めなければまだ芽はあったのに……それを摘み取ったのは面舵自身だった。


 その後は一週間の停学、コンビニの利用禁止、根も葉もない作り話の噂が流布され、現状の面舵晴明ができあがった。

 全校生徒からは嫌われ、当然友人などできず、中学からの知り合いには帆中への八つ当たりが認知されているため元より嫌われていた。


 ……やっと、口だけじゃなくて、行動しようと思って足が動いたのに。


 拾って、返してあげようと勇気を出してみたら、これだ。


 これがもしも帆中千海であれば、何事もなく素早く返していたのだろう。

 そのまま持ち主の子と友達になっていたかもしれない。


 そこから始まった輪が一生ものの付き合いになったかもしれない。

 帆中にはそれくらい、未来への道がある。


 比べれば、まさに日陰だ。

 面舵が関われば、自分も含め傷つくばかりだった。



「君は……」


 店長とは久しぶりの再会だった。


「万引きの冤罪をかけられました。覚えては、いますよね、そりゃあ」


 意外にも、店長は目を逸らした。

 ……まるで、負い目でも感じているようだった。


「なんだよ、それ……!」


「今なら、冷静になった私だからこそ、分かる。君はあの時、万引きなんてしていなかった。結果的にあのまま外に出れば万引きになっていたが、する意思はなかったはずだ。きちんとこちらが事情を聞けば良かったのに……一方的に決めつけてしまって……申し訳ない」


「いや……過ぎた事なのでもういいです、けど……じゃあどうしてまだ利用禁止を?」


「君の後にも万引きがあってね。君たちと同じ学校の生徒だったんだ。……一度ならず、何度も何度も……魔法のせいで万引きも多様性を持っているからね、簡単にできてしまうんだ。思えば直接手に持っていた君は万引き犯ではないとすぐ分かりそうなものだけど、私も当時は血気盛んで……本当に申し訳ない」


 繰り返された謝罪には、もう面舵も相手にしなかった。


 万引きがそれ以降何度もされていて、しかも面舵以前からも万引きはされていたのに、なぜ面舵だけが運悪く、ここまで話題になったのだろうか。

 入学してまもなく、という要素もあるかもしれないが、それ以上に……他の万引きを企む生徒が面舵を隠れ蓑にした。


 最も可能性が高い推測だ。


 面舵の噂が悪化し続け話題を攫っていっている間は、別の誰かが万引き犯として処罰されようが、その人物の噂を流す生徒がいないため、話題は面舵から切り替わらない。


 それに、面舵から始まった万引きの流れと捉えられてしまえば、ヘイトはさらに面舵へ集まる。


 そういった流れにしようと思えば、できるのだから厄介だ。


 難題が残ったようだが、店長の誤解も解けたので面舵は店を出る。


「おかえり。どうだった? って、知ってるんだけどね全部」


 そう言って帆中はスマホを取り出して見せてきた。

 動画でも静止画でもなかった。


 聞こえてくる、音がある。

 今の面舵と店長の会話が録音されていたのだ。


「事後報告になっちゃうけどいいよね?」


「……なにをやらかした」

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