第2話 いつもの日常-悪化(後編)

 ついそう言ってしまって彼女を囲む女子たちの視線が突き刺さった。

 額の血管が浮かび上がるほどである。


「――ば、馬鹿とはなによぉ!」

「いや、今のはつい……」


 反射的に言ってしまっただけだ。


 この状況で当事者の面舵が加われば、周囲の熱が上がる事をあいつは分からないのか。

 分からないのだろう、だからああも平然と声をかける事ができる。


 助けたいのか追い詰めたいのかよく分からない。

 とりあえずカバンを置いて席に座る。


 すると机の上に手の平が、ばんっ! と落ちてきた。

 腕を辿れば当然、健康的な体をした自称帆中の親友である女生徒だった。


「話、終わってないんだけど」

「始まった記憶なんてないけど」


「……あんたさぁ、ちうにこれだけ構ってもらって、罪悪感とかないの?」

「なにが?」

「あんたがやった事、忘れたわけじゃないでしょう?」


 気づけば教室にいた全員が面舵を見ていた。

 不名誉なレッテルが剥がれるには、まだ時間が経っていない。


 そう簡単に剥がれるものではないという事も自覚している。

 たとえ冤罪だったとしても。


 周りは貼られた誤解を鵜呑みにしてしまうのだから。


「万引き犯と一緒にいるとちうの評判にも傷がつくのよ。分かったら近づかないでくれる?」

「僕に言うなよ。近づこうとなんかしてない。あいつが勝手に僕に近寄っているだけだ」


 すると面舵の視点が突然上がった。

 座っていたはずなのに膝が伸びている。


 重い腰がいつの間にか持ち上がっている。

 中腰の体勢なのに楽なのは、体重を支えているのが面舵ではないからだった。


 彼女が面舵の胸倉を掴んで引き寄せていた。

 鼻先が触れそうな距離で睨まれている。


「今度は関係ないフリをするのね。……中学の時は四六時中突っかかって来たくせに」

「それは……」


 自分でも酷い行為だったと自覚している。

 罪悪感があるとすればその時の事をまず一番に思い出すだろう。

 突っかかって、八つ当たりをして、対抗しては負けて、拗ねて……。


 彼女のいないところで悪口を吐き散らす。


 誰が見ても嫌な奴だった。


 だから孤立したのだと分かっている。


「私はね、あんたが嫌いよ」


 万引きをしたからではない。

 それ以前の面舵のおこないを見てきて出した答えだ。


 ぐうの音も出なかった。


「あんたなんかに、ちうを渡してやるもんか」



「おーいお前ら、席につけ」


 教室に入って来た教師のおかげで胸倉から手が離された。


 とすんと椅子に力なく座る。

 その後の出席確認に自分がきちんと返事をしたかどうかなど覚えていなかったが、変わりなく一時間目が始まったのだからおかしな事はなかったのだろう。


 何気なく帆中の方を見ると、口の動きだけで「ごめんね」と言われた。


 謝るのはこっちの方だ。

 かつて帆中にしてきた事を、面舵はまだ謝っていない。


 彼女が積極的に話しかけてくれたおかげでチャンスは嫌という程あったのにもかかわらず。


 そういうところが、目の敵にしていた彼女との大きな違いだった。



 放課後、教師が去って教室内ががやがやと雑談で埋め尽くされる。

 そんな中で面舵は素早くカバンを背負って教室から出た。


 扉を閉める際に教室内を見れば、帆中が中学時代と同様に人の輪の中心に立っていて、相変わらずだと思った。


 部活動へ向かう生徒、面舵と同じく帰宅部の生徒……すれ違う誰もが面舵を一瞬だけ見る。

 帆中千海と同じく、彼もまた有名人であるのだ。

 もちろん、悪い意味でだ。


 面舵のクラスでは日向の帆中と日陰の面舵と対比させられている。

 帆中を引き合いに出されてしまえば、ポジティブな意味では拮抗するのすら難しいだろう。


「きゃっ」


 声に釣られて見れば、階段の踊り場を埋め尽くすほどのプリント類が散らばっており、一人の女生徒がそれを慌てて拾っていた。


 彼女が魔法を使わないのは、意外と加減が難しいので、慣れていないと紙を操る時は勢い余って破ってしまう可能性があるためだ。

 彼女はそれを危惧して手で拾い集めている。


 魔法を使わないと当然、手間がかかる。

 以前は拾い集めるくらい手間とも考えていなかったが、魔法の便利さを知ってしまうと簡単に元の基準へは戻れない。


 ――彼女はきっと困っている。


 誰が見ても分かりやすい。


 踏み出す足に勇気は必要ない。

 玄関までの近道だし、通りがかりに手伝ってあげると言ってもおかしな目は向けられない。

 まさか散らばって踏んでしまいそうな状況でこっちの申し出を断る彼女でもないだろう……。


 なのに。


 面舵は躊躇った足を、やっと進ませたが、玄関まで遠回りをする方の道だった。

 彼女を視界からはずすと聞こえてくる、別の女子生徒の声。


『大丈夫? 手伝うよ』

『あ、ありがとうございますっ』


 きっと誰かが助けてくれるだろう。


 僕である必要はない。

 世界には誰かの代用品がいて、空いた穴を埋めてくれるようにできている。

 今だって、面舵が助けても、こうして助けなくとも、困っていた彼女は救われたのだ。


 手伝わないのが正解だったろう。

 面舵は学校中に知られている万引き犯なのだ。


 犯罪者と一緒にいたら周りからなんて噂を立てられるか分かったものではない。

 彼女のためを思うなら、一時の救いよりも長期的な救いになったのだから、道を変えた面舵の選択は正しかったとも言える。


「ただ……かなり遠回りになったけど」


 さっきの階段を下っていれば、今の半分以上の時間で玄関に辿り着くことができたはずだ。

 とは言え、急いでいるわけでもないのだから多少時間が前後しようが気にし、


「……あ、面舵。一緒に帰ろ!」


 ――気にするべきだった。

 もっと警戒して下駄箱へ向かうべきだった。


 最悪、上履きのまま別の出口から帰る事も視野に入れるべきだった。

 今日の朝の事があって、学校では接触して来なかったのだから、放課後に接触してくるだろうと、考えれば分かったはずなのに……。


「帆中……お前、いいのか? あいつに見つかったら怒られるぞ」

「すずの事? うーん。そうだけど、やっぱりどこでなにをしようがわたしの勝手だしねー」


 その言い分なら、帆中を無視して帰ろうがそれは面舵の勝手だった。

 上履きから外履きへ履き替え、玄関を出ると、帆中が隣にそっと並んだ。


「お前、箒は?」

「ん? ……あ! 教室に忘れてた! ちょっと待ってて!」


 取りに戻るほど箒が手元にないとならないのかと呆れたが、これで彼女から解放されると安堵し、待たないで先へ進んだ。

 すると、校庭の先にあるテニスコートでこちらを睨んでいる女子生徒が見えた。


 相手は朝、面舵に突っかかって来たクラスメイトである。


 もしかしたら……、今、帆中と一緒に玄関から出て来た姿を見られていたのかもしれない。


 そうとしか思えなかった……面舵の事を嫌っているとは言っても四六時中監視しては睨み付けているわけではない。

 そこに理由がなければ突っかかっては来ないのだから。


「やっば……っ、さっさと帰らないと――」


 そんな面舵の足を止めたのは、真上からの声。


「ちょっとぉ! 待っててって言ったのにっ!」


 帆中が窓から体を乗り出している。


「悪いな、先に帰らせてもらうぞ」


 これ以上、自称親友を名乗る厄介な女子からの追及を受けたくはない。


 そんなわけで、視線を前へ戻したが、校庭にいた部活動をしていた生徒たちが「わっ」と声を上げた。

 自然、再び見上げてしまって、すかさず度肝を抜かれた。


 帆中千海が空を飛んでいた。


 いや、箒を持ってはいるが彼女は魔法使いではない。


 ごく普通の人間だ。


 つまり、重力には逆らえない。


 ――ッ、お、お前が飛び降りたの四階だぞ!?


「ん~~~~~~~~~~ッ!」

「馬鹿野郎! お前、絶対に箒を離すなよ!?」


 物体を浮かばせる魔法は人体には効かない。

 効力があるなら箒などいらないのだから。


 面舵は箒を操作、空中で減速させ、自分の目と同じ高さで静止させた。

 帆中は抱き枕のように箒にしがみついており、箒と一体化したように見えた。


 なので頭の高さも箒と同じ。

 そのため、面舵の目の高さにあり、丁度、頭をはたく事ができた。


「いたぁ!?」


 すると、窓から目撃していた先生の怒声、テニスコートで腰が砕けて放心してしまっているクラスメイト……どちらも時間が経てばこの場所にやって来て、長時間のお説教が待っているだろう。


 こういう時、矛先は一緒にいた面舵に向くのでここは素早く逃げるに限る。


「魔法なんて、使う気なかったのによ……」


 帆中を突き落とす余裕なんてなかった。

 箒に跨がると帆中が後ろから面舵のお腹に手を回す。


 ……空いているスペースに跨がったつもりだったが、帆中の位置取りが早かったので誘導された節もある。


「しゅっぱーつ!」


 彼女の声につられて思わず発進してしまった。


 箒は上昇し、町の上空にある空路へ乗る。

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