第144話 ベストピッチ
この流れはまずい。
木下は真田の牽制死と、早打ちにより拙攻になりつつあることから感じる。
直史はいい当たりを何度もされていて、ヒットの数はともかく、真田の方がしっかりと相手打線を抑えているように思える。
だが明らかに、白富東の攻撃時間の方が長い。
そして三回の頭で、既に真田の球数は39球を投げている。
単純に球数が多いという以上に、問題がある。
真田はここまで継投できたのだが、決勝の球数が多すぎた。
まさかとは思っていたが、二年前の上杉と同じだ。
一週間の球数制限、500球に到達する可能性が出てきた。
真田の一試合の平均的な完投における球数と比較すれば、本来なら大丈夫なはずであった。
しかし今日のこのペースはまずい。
(昨日投げさせられすぎたか……)
真田の打力をベンチに下げるわけにもいかないし、また重大な場面でマウンドに行ってもらう可能性はある。
豊田がKOされたら、三番手ピッチャーでは白富東は抑えられないだろう。
ピッチャーを交代して、真田は小早川に代わってライトに入り、豊田をマウンドに送るべきだろう。
キャッチャーまで交代するわけにはいかない。もしも木村をベンチに戻して大蔵にアクシデントがあれば、やはり三番手キャッチャーではどうにもならないだろう。
豊田と木村のバッテリーは、普段はあまり組ませていない。
だが豊田のいいところを木村が引き出せば、そうそう打たれるものではない。
バッティングはともかくキャッチャーとしてピッチャーに合わせるという点では、大蔵より木村の方が優れているのかと木下は思わないでもない。
だが自信満々でリードしてくる大蔵と、提案するように冷静なリードをするような木村は、やはり特徴が違うという程度しかないのだろう。
この回は直史から始まって、先頭打者に回る。
白富東の左の二人は昨日から、真田には合っていない。
次の回か、大介に回ったところで交代させよう。
バッターボックスの直史には殺気がない。
肉体のコントロールが、本当にわずかなところでしっくりといっていないのだ。
塁に出て少し走れば、むしろいい効果がありそうな気もするが、普通に真田を打つのが難しい。
カーブとストレートで、バットを振らずに三振。
そして昨日から数えれば八打席目のアレクである。
今日の第一打席は、カーブをいい当たりで打たれた。
スライダーはまだ捉えられていないが、さすがに多投しすぎのような気もする。
(それでもまずはスライダーで)
外一杯に決まるスライダー。アレクは見逃す。
背中からくるスライダーに比べると、外角のスライダーは手の長いアレクにとってはまだ打ちやすい。
それでも手を出さなかったのは、秦野が言っていたことが頭にあるからだ。
真田もおそらく限界が近い。
うちの打線相手に八分の力で抑えられるのは、おそらく一巡までだろうと。
アレクは打てる球は打ってしまうバッターだが、状況を全く考えないわけではない。
既にここまで、40球も真田は投げている。明らかに昨日よりもピッチングの内容が悪い。
粘って失投を待つ。
そして高めに浮いた球を、レフト前へと運んだ。
ワンナウトからランナーが出た。
続く哲平には送りバント。素直にさせてこれでツーアウト二塁。
そして遂に、大阪光陰はピッチャーを交代した。
三年の豊田。控えのくせに150kmを投げる本格右腕。
真田はベンチには下がらず、ライトの小早川と交代する。
おそらくまだこの先、真田が必要とされる場面は出てくる。
打席に入るのは、速いだけなら160kmを平気でホームランにする大介である。
大阪光陰の外野は定位置。ツーアウトなので打ったら自動スタートのアレクは、単打で帰ってこれる状況だ。
投球練習を見る限り、確かに豊田の球は速いし、伸びもある。
変化球としてはフォークが決め球らしいが。それ以外にも使ってくるボールは多い。
だが勝負はなかった。申告敬遠である。
またか、と思わないでもないが、一塁が空いているのだから、大介を歩かせないという選択肢はない。
ツーアウト一二塁で、四番の鬼塚。
ここからが豊田の仕事である。
真田に比べると豊田は制球が悪い。
それはシニア時代からも同じで、むしろ岩崎の方がコントロールは良かったのだ。
ただ豊田は意識して荒れ球を投げているようなところがあり、的を絞りにくいのだ。
フォークを打った鬼塚の打球は、ショートフライでスリーアウト。
まずはリリーフ成功である。
四回の表は、直史の球をミートしだしている明石から。
カーブの後のストレートを外野まで運ばれたが、レフトの中根が前進してキャッチアウト。
内野フライならともかく、外野フライというのはあまりよくない。
それは直史もジンも分かっているし、ベンチの秦野やシーナも分かっている。
岩崎に準備させるか。
だが明らかに集中力も昨日に比べれば落ちている直史に、余計な刺激を与えたくない。
(決めてくれ)
「低く低くー!」
シーナの声に他のベンチも応援をする。
彼女のよく響く声は、グラウンドの中では一番よく通る。
三番の大谷は、内野フライ。
これでいい。
そして四番の後藤は、直史の横を抜くピッチャー返しだったが、大介がダイビングキャッチして、これもアウト。
三振は取れなかったが、三者凡退である。
丸一日かけて、鋭く変化する真田の球に体を慣らされていた白富東のバッターは、豊田のボールに上手く適応出来ない。
倉田が内野フライ、武史が三振、中根が三振と、明らかに抑え込まれている。
この好投を受けて、大阪光陰の応援団も盛り上がっている。
五番の丹羽が、先頭打者で一二塁間を破るライト前ヒットで出塁する。
既にノーヒットノーランも破れた直史であるが、ノーアウトのランナーを出すのは初めてだ。
ここは送ってくるか。
ただ六番の宇喜多が送るとなると、七番は小早川に代わった豊田だ。
高校以降の打撃データは少ないが、シニア時代は打率はそこそこだが大物狙いという傾向はあった。
まずは初球。
インハイのストレートに対して、やはり宇喜多はお送りバントをしてきた。
しかしチャージしてきたサードの武史の頭の上にプッシュバント。
ジャンプするが届かない。だがここで大介が飛び込んでくる。
それを捕れなかったら一二塁両方セーフ、一塁ランナーは三塁まで進めるぞという状況なのに、ダイビングキャッチ。
おまけに二塁に到達しようとしていた丹羽を見て、一塁に送球。帰れずにゲッツー。
ファインプレーに球場が沸く。
エースの調子が万全でなくても、守備陣がそれを援護する。
「サンキュ」
「まあ昨日は休みすぎてたからな」
そうは言うが昨日も、大介はかなり難しいボールを処理してくれていた。
大介はもちろんバッティングが一番の長所ではあるのだが、守備の堅さも内野一だ。
身長は小さいがバネはすごく、何より動体視力と反射神経がいい。
これまでも何度となく、ピッチャーの危機を救ってきた。
各球団のスカウトも、改めてそれを確認する。
打てるショート。どの球団だってほしいだろう。
豊田相手にはスルーを決め球に使って、今日二つ目の三振を取る。
大阪光陰はここまで二本のヒットを打っているのに、一つは牽制死、もう一つはダブルプレーと、拙攻なわけでもないのに二塁への距離が遠い。
だが白富東も、五回の裏は下位打線からである。
八番のジンは、明らかに見下ろされて三振。
九番の直史も明らかに見下されて三振。
だがアレクは白富東の中で、大介の次に期待されるバッターだ。
球数を使った後、外角のストレートを打ったが球威に押された。
レフトのファールグラウンドで大谷がキャッチして、スリーアウトチェンジである。
試合の展開が早くなってきた。
大阪光陰は好球必打で早いカウントから振ってきて、それを白富東は堅守でアウトにしている。
白富東は代わった豊田の、元気一杯な荒々しい球に対応出来ていない。
初回の一点を除くと、この試合展開は、どちらにとって有利なのか。
どちらも点が入らないというのは同じだが、大阪光陰の方が優勢に見える。
これで点が入ったら、明らかに流れは向こうのいくのだろう。
そして六回の表、大阪光陰は八番の木村からの打席。
他のバッターよりは比較的楽な相手であるのだが、それでも地方大会では三割を打っている。
どのバッター相手でも気が抜けないのは、昨日と同じことである。
直史の初球は白い線を描いてアウトロー一杯に決まった。
本当にすごいピッチャーだと、キャッチャーとして木村は思う。
出来ればどこかでバッテリーを組んでみたいものだが、そうそう上手くはいかないだろう。
それにすごいピッチャーだからこそ、打ってみたいという気持ちもある。
配球を広く読んで、あとはその中から狙う。
内に入ってきた遅いカーブを掬うと、レフト前に運べた。
五回に続いてノーアウトからランナーが出た。
しかもここから真田を通じて上位に回る。
もう六回か、と直史はスコアボードを眺める。
白富東側の応援スタンドからは、悲愴なまでの声援が届いてくる。
勝利のためには、ピッチャーを交代した方がいいのかもしれない。
今日はまだストレートが140kmを出せていない。球速が全てとは言わないが、スピードがあればそれだけ、相手に対応する時間を与えないということでもある。
あと12人アウトを取れば勝てる。ただし相手には一点も取られずに。
比較的危険度の低い木村に打たれてしまうのは、やはりパフォーマンスが落ちているのと同時に、集中力も落ちているのだろう。
昨日の試合は完全に調整出来ていた。甲子園で決勝まで、ほとんど投げる必要がなかったのが大きい。
そして正直に言ってしまえば、一点は取ってくれるだろうとは思っていた。
パーフェクトは狙ってはいなかったが、完封するぐらいの自信はあった。
15回まで投げた影響が、残っていないとは言えない。
どこか痛めたとか、そういう深刻なものではない。
だが言うなれば、カラッポになった燃料タンクに、補給が完全には出来ていない状態と言おうか。
試合終了後に計測した体重は、3kgも落ちていた。
今日の朝食後には2kg戻っていたが、それでもこの1kg分の回復がなされていない。
どこを削ったのか。直史は元々投手としてはかなり線が細く、それがプロでは通用しないと言われる理由であった。
プロで通用するかどうかはどうでもいいが、直史は確かに自分がトーナメントで最後まで投げるなら、球数を少なくしていく必要はあると思っていた。
予想以上に投げてしまった。だから岩崎に後を託すという考えもあるだろう。
だが、これは最後の試合なのだ。
国体には直史は参加するつもりがないので、これが最後の公式戦なのだ。
(高校最後の試合か……)
直史はそれを表に出さないだけで、別に感情がないわけではない。
(もっと限界までやってみるか)
バッターボックスの真田に対する直史の瞳には、明らかに異なる輝きが戻っていた。
ピッチャーとしては負けた。それは真田も認める。
だが甲子園の優勝旗は、大阪光陰が奪還する。
(そっちには春の優勝旗があるんだ。片方ぐらいこっちに寄越せ)
三連覇してずっと優勝旗を保持していたチームのエースの考えである。
その真田に対して投げられたボールはストレート。
直史にしては制球が甘いが、随分と伸びてきた。
真田はそれを見送るが、別に球速としてはそれほどではない。
(140kmなら打てるぞ)
ボール球の後は、スルーが低く入ってきた。
これはストライクで、140kmが出た。
ストレートに比べてスルーは、5kmほど最高速は遅い。
だが初速と終速に差がないので、ほとんど同じかあるいは上回って見える。
明らかに今のスルーは速かった。
(ヤケクソになったか?)
力任せの佐藤直史なら打てる。
そう思った真田は、次に真ん中らへんに入ってきたカットボールを引っ掛けてしまった。
4-6-3のダブルプレーである。
結果的に見れば拙攻だ。またも拙攻だ。
だがこれは、打たされているのではないだろうか?
昨日完全試合をした投手が、今日は完全に打たせるピッチングをしている。
そんな切り替えが出来るとは、同じピッチャーだけに真田には信じられない。
「真田、今のはなんや?」
「球威で押してくると思ったらカットボールでした」
「佐藤は全部計算でやっとるやろ。佐藤が熱くなっても大田がおる。あいつらは熱くはならん。気ぃつけえ」
言われなくても分かっているが、もう六回なのだ。
昨日と違ってヒットも出ているが、それでも点に結びつかない。
一番に戻って毛利、二球目を強く弾き返したが、セカンド正面でアウト。
またもチャンスは潰れて、六回の裏、白富東の攻撃へと移る。
六回の裏は、豊田にとっては二打席目の大介との対決だ。
これを邪魔されたくないため、先頭打者の哲平はフォークで三振に取る。
さあ、ここでどうだ。
木下監督から敬遠のサインはない。ただ、事前に言われている通り、際どいところを突いていかなければいけない。
初球からいきなりフォーク。これで空振りが取れた。
二球目を外に外し、三球目は外いっぱいで、レフトへ特大のファールボールが飛ぶ。
肝を冷やしたが、これでツーストライクだ。
(さあ、どうにか三振に取るぞ)
ここで追加点が加わらなければ、白富東の流れは止まる。
一球を当てるぐらいのぎりぎりのインローに投げて、内角を意識させる。
(勝負はアウトローにフォークを決める)
アウトローいっぱい。だが大介は反射的に計算する。
このボールは落ちる。ボール球になるが、バットは止まらない。
膝の力を抜いて、腰の回転だけで打つ。
打球は豊田の横を抜いていったが、上昇はしない。
センター前の単打となった。
ワンナウトで大介を単打ならば、まず及第点と言えるだろう。
続く鬼塚は粘ったもののボテボテのセカンドゴロで、進塁打となった。
そして五番の倉田。シニア時代は豊田に手も足も出なかった後輩である。
最初の打席はフォークが頭にあったのか、内野フライに倒れた。
ツーアウト二塁で、ランナーは大介。地味に重要な場面である。
ここで追加点が入れば、残りの大阪光陰の攻撃は三イニング。
だがどうにかこうにか無失点には抑えているが、今日の直史はいつつかまってもおかしくはない。
(倉田なら抑えられる)
木村のサインに首を振り、豊田は構える。
ストレートで内を強気で攻めて、最後はフォークを落とす。
そしてその考えは、完全にジンに読まれていた。
豊田の荒れ球をずっとシニア時代キャッチしていたジンは、倉田に完全に豊田の狙うべき球を伝えていた。
初球の内角に、体を開いた倉田は強くバットを振る。
打球は左中間。球威に押されたのがかえってよかった。
大介は三塁を蹴り、ノースライで追加点。
貴重な貴重な追加点は、おそらく最も豊田に甘く見られていた、倉田の打撃によってもたらされた。
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