第139話 一点で決まる

 六回の裏、大阪光陰の攻撃。

 下位から始まる打順であるが、それでも地方大会で三割は打っているバッターである。

 だが先頭の小早川は三球三振。

 続く木村もファールは打たせたが、ボール球を振らせて三振。

 そしてバッターとしての真田との対決である。


 バッティングも優れた真田を、クリーンナップに持ってこようかという考えは、木下の中にもあった。

 だが真田に打力まで求めてしまうと、ピッチングで大介を抑えられない。

 しかしこういった、下位打線から上位につながるかもしれないと考えると、悪い打順でもないと思える。


 表の攻撃で直史は三塁まで走り、休憩を入れずにマウンドに登った。

 何かの変化を少しは期待した木下であったが、直史は連続して三振を取ってきた。

 攻撃的になっている。

 クレバーに打たせて取るタイプのピッチャーだが、容赦なくここは三振を取りにきている。


 左打席の真田に対して、初球は落差の大きなシンカー。

 続いて今度は、ゾーンから逃げていくツーシームで、これはボール。

 追い込まんでからなら、スルーを投げられる。

 色々と大阪光陰のみならず、全国の強豪校が対策を考えたスルーであるが、魔球ではないだけにまともな対処法がない。

 投げるのが難しい、純粋なジャイロボール。

 実はMLBにはこのジャイロボールの使い手がいるのだが、直史と違い制球があまり良くない。


 三球目はストレートがアウトローいっぱいに決まった。

 そして四球目、速いボールが下に逃げていった。スルーだ。

 空振り。この回は三者三振であった。




 回は七回に入る。

 ここまで両投手、共に無失点。さらに言うなら直史は、10奪三振のパーフェクトピッチである。

 普通なら喜ぶべきことのはずだ。直史の球数は、ここまで68球。

 完投ペースであり、何より多く投げさせられたイニングが一つもないのが素晴らしい。

(しかし打順がな……)

 秦野が気になるのは他に、大阪光陰の守備である。

 毛利の超ファインプレイだけでなく、適度に守備陣を動かせている。


 直史は不動だ。もちろんある程度はゴロなどを打たせているが、それでも簡単にアウトに出来る打球が多い。

 それは守備の負担を減らしているということでもあるのだが、どうも流れが良くない。

 この試合はおそらく、連打で一点が入るというものではないだろう。

 四球やエラーでランナーが出た後、どうにかランナーを進めて一本だけのヒットで帰す。

 大介がこの後も、点が入る場面では歩かされることが多いかもしれない。


 どういうシチュエーションなら点が取れる?

 満塁で大介と対戦するなら、押し出しになる。

 塁が空いているなら、歩かされてしまうだろう。

 ならばノーアウトから大介がランナーに出て、続く打者でどうにか帰すか。


 どちらも厳しい。

「菱本、真田の球数は?」

「六回までで79球ですね」

「あんまり多くはないか……」

 大阪光陰のトレーニングメニューは、有名なので秦野も知っている。

 ピッチャーには試合で球数は多く投げさせないが、練習試合やブルペンでは、しっかりと完投させていくのだ。

 過酷な夏のトーナメント、大阪光陰は府大会では一年生を試してみたり、センターの毛利にも投げさせていた。

 甲子園では主に豊田と真田の継投で、ピッチャーの負担が大きくならないようにしている。


 だがそれは白富東も同じであり、むしろ使えるピッチャーの枚数は多いとさえ言える。

 直史がこの大会で先発をするのは、決勝が初めてだ。

 県大会でも投げすぎなどはなく、まったく疲労は溜まっていない。


 全ては、ここで勝つために。




 七回の表。

 五番の倉田から始まる打線だが、秦野は倉田には長打を狙うように指示する。

 倉田はランナーを帰すバッターであり、自分がホームを踏むタイプではない。

 塁に出た上でホームを踏むにはクリーンヒットが必要であり、そのためには下位打線までに三塁までは進ませたい。

 だがカーブに手が出ず三振。


 六番の武史はまたヒット性の打球を打ったが、レフト正面へのライナーで一球でアウト。

 沢口も内野フライに打ち取り、この回の真田の球数は少ない。


 秦野としては打てず、点が取れないことまではともかく、そこに至るまでに早打ちが目立つように思える。

 せっかくジンが考えて直史の球数を減らしていっても、真田の体力切れを狙うには、もっと粘らなければいけない。

 体力切れまではいかなくても、せめてスライダーのキレが悪くなれば、攻略の糸口もつかめるだろうに。

(白石で決まらなければ、これは延長だな)

 そしてそろそろ、直史のスタミナ切れも考慮していく必要があるかもしれない。

 単に投げるだけなら問題ないのだが、直史は変化球が多い。

 指先の感覚がなくなりでもしたら、それだけでピッチャーとしてのパフォーマンスは落ちる。


 そうは思うのだが、この七回の裏の、一番からの打線に対するピッチング。

 ボール球を振らせて、ゾーンには厳しい球を投げる。

 ボール半分ほど外れてるように思えるコースでも、審判の手が上がる。


 佐藤直史は、ボール球を投げない。そんな思い込み。

 大阪光陰がボール球を振ることによって、ストライクゾーンが広がった。

 毛利と明石を振らせて三振、大谷に対しては見送りの三振。大谷はボールだと判断したのに。

 白富東バッテリーは、審判をも支配しつつある。




 残り二イニング。

 パーフェクトが現実味を帯びてきた。

 だが野球は、ピッチャーがどれだけ頑張ったとしても、味方が点を取ってくれなければ勝てないスポーツである。

 観客席は静かな熱狂が満ちつつある。


 去年の準決勝、直史は事実上のパーフェクトピッチを達成した。

 事実上と言うのは、延長のタイブレークに入っていたため、自動的にランナーが出た状態になっていたからだ。

「心臓に悪い」

「ほんとにねえ」

 佐藤家の父母の間では、こんなのんびりとした会話がなされていた。


 応援席に座る瑞希も、ほとんどノートは見ずにシャーペンを動かす。

 一瞬でも直史から目を離したら、決定的なことを見逃してしまうと思っているのか。

 七回が終わって、ここまで15奪三振。

 球数は78球で、パーフェクトピッチング。

 だが点を取ってくれなければ、これもまた参考記録になってしまう。


 佐藤家の双子も願う。

 この試合はおそらく、直史が崩さない。

 だからこそ一撃を与えられるのは、大介以外にはいないだろう。

 何もしなくても、九回には必ず大介に打順が回る。




 対する大阪光陰の真田にも、覚悟が芽生えてきた。

 15回まで投げ続けて、再試合でも投げる覚悟だ。

 だが、だからといってそれが本当に可能なのかは別である。

 しかし、可能かどうかなど、もうどうでもいい。

 決めたのだから、あとは倒れるまではやり遂げるだけだ。


 真田の雰囲気から、キャッチャーの木村は冷たい覚悟を感じた。

 恐ろしく情熱的で、同時にきわめて冷徹な。

 その真田のために、自分は出来る限りのリードを考える。

 それでもサインに、真田が首を振ることはある。まだ相手を甘く見ているということなのだろう。


 八回の表は白富東は八番のジンからの打巡。

 球数を放らせるという方針はいいと思うのだが、それを前提に考えていると、打ちやすそうなボールを入れてきたりもする。

 真田はとにかく、大舞台で強いチームを相手に投げることに慣れている。

 ジンをショートゴロに打ち取ると、次の直史には力のあるストレートをゾーンに三つ続けた。

 これまでになかった配球パターンに、直史は虚を突かれたように見送り三振。


 そして先頭に戻り、アレクの四打席目である。


 いくらいいピッチャーであっても、真田のように計算で投げるピッチャーは、割とアレクには打ちやすい相手のはずなのだ。

 それでもミート出来ないのは、真田が根本的な部分では、直感に従って投げるピッチャーだからだろうか。

 せめてアレクが出塁すれば、次の哲平が凡退しても、九回の攻撃は大介からの打順になる。

 一発で決めるか、それとも出塁するかは状況次第だろうが、ノーアウトからランナーが一塁で、鬼塚、倉田、武史という打順であれば、どうにか一点は取れそうな気がする。


 打順を間違えたか、と秦野は考えなくもない。

 変化球への対応力は、倉田よりも武史の方が優れている。

 大介を三番ではなく一番で使おうかなどということも、考えるだけは考えたのだ。

 純粋に一人の打者だけで一点を取る。

 そのためには最も回ってくる回数の多い、一番打者がいい。

 だがずっと三番を打ってきた大介を、一番に回すリスクは取れなかった。


 起用にしろ采配にしろ、後から見れば間違いだらけだったり、偶然にも全てが正解だったりする。

 たとえば今考えているのは、真田に合ってない倉田の代わりに孝司を出すべきか、ということ。守備は戸田をファーストとして出す。

 あるいは沢口に出して、次の守備には中根をレフトに回すかということ。

 だが打撃全般では確かに優れている孝司でも、アレクのスライダーで練習した真田を、全く攻略出来ていない。




 秦野はアレクにサインを出した。

 普通であればやらないことだが、今のアレクならやる心理になっているかもしれない。

 初球、あるいは出来ると思ったボールにセーフティ。

 たとえアウトになっても、真田の集中力を少しでも乱せればそれでいい。


 アレクも頷く。ここまで完封されていただけに、どうにかしなければいけないとは思っていたのだ。

 初球、真田の選択した球はツーシーム。

 バットの根元に当てて、一塁線へ転がす。

 大阪光陰はバッターとして優れていても、絶対に守備の練習にも手を抜かせない。

 捕球した後藤から、カバーに入った明石へ送球し、ギリギリのアウト。


 秦野としては、ピッチャーに捕らせるバントをしてほしかった。

 もちろんセーフになる可能性は、一塁線か三塁線の方が高かったのだろうが、ピッチャーに向けて打球が向かう経験をさせたかったのだ。

(う~ん、徹底出来てない)

 この試合はおそらく、エラーなどのミスから崩れるか、バッターの一発のどちらかで決まる。

 守備のミスがあるとすれば、誰になるか。

 ミスがあったとして、すぐに代えるべきか。


 秦野は指導と育成はしてきたし、それなりの腕にもなっていると思っている。

 だが試合の肝心の采配は、おそらくぎりぎりのところは分かっていない。


 八回の裏、大阪光陰の攻撃。

 四番の後藤から始まるこの攻撃で、点を取られたら、かなりまずい。

 それに延長戦は、気分的には圧倒的に後攻が有利だ。

 もっとも直史は、そんな段階は既に経験しているのだが。


「どう思う」

 グラウンドに声援を送っていたシーナが振り返る。

「どうって……もうここまで来たら、どうしようもないでしょ」

「だよな」

 シーナは去年の秋から今年のセンバツまで、采配を握っていた。

 もちろんジンたちとの意思疎通があった上で判断していたわけだが、勝負どころがどこかは分かっているつもりだ。


 グラウンドの中は、大歓声に包まれている。

 球場自体が揺れているような、圧倒的なプレッシャー。

 だがその中心となるマウンドの上で、直史も真田も己のピッチングをしている。


 試合が動かない。

 少しでも動いたなら、そこからが監督の采配の見せ所だが、ここまで膠着した勝負になると、もう一発を狙うしかないのではないか。

 そう考えていたところへ、後藤の打球が大きく打ちあがる。

 まずい角度だ。しかしファールにはなりそうだ。

 そこへ向けて沢口が走る。フライをキャッチしながらも、フェンスに激突。

 それでもボールを落とさないのは見事であるのだが――。

「え、まずいのか?」

 倒れたまま沢口が起き上がれない。




 停滞していた状況に、起きてほしくもないアクシデントが起きてしまった。

 すぐには立ち上がれない沢口に対して、担架が持ち出される。

「中根、準備しろ!」

「はい!」

 外野の守備はむしろ沢口より、中根の方が上手いぐらいだ。

 わずかな打力の差で沢口がスタメンであったのだが、真田相手には多少の差は意味はない。

 むしろこれで守備力は上がったとさえ言えるのだが、問題はそういうことではないだろう。


 試合が一時中断される。

 医務室に運ばれた沢口は診断を受ける。もちろん秦野も同席する。

「強い脳震盪を起こしてますね。見た感じはけっこう激しく激突していたから、念のために病院に行った方がいいですね」

 脳震盪となれば、すぐには復帰出来ない。

 頭部であるのだから、検査をするのも当たり前だろう。

「……すんません」

 沢口が頭を抑えながら言うが、あそこまで追いかけて、ワンナウトを取ってくれたのだ。

「心配するな。お前の分の優勝メダルも、ちゃんと貰ってきてやるから」

 試合を最後まで見たいかもしれないが、それよりも沢口の方が重要だ。

 救急車を呼ぶほどではないが、観客席から関係者を呼んで、病院へと運んでもらう。


 せっかくの甲子園の、せっかくの決勝戦で、途中離脱。

 想像するだけでも無念であろうと思う秦野だが、ベンチに戻るまでには雑念を整理していた。

「中根、交代だ。沢口の死を無駄にするな」

「いや、死んでませんけどね」

 高峰のツッコミにも、誰も笑う者はいない。


 甲子園の決勝は、最終決戦の場だ。

 そこから離脱してしまったのだから、まさに戦死という状況だ。

 ベンチから応援することも出来なくなったその無念を、敗北でさらに重たいものにするわけにはいかない。




 レフトに中根が入った。打撃力で一発勝負ならトニーなのだが、おそらくトニーのバッティング技術では真田には全くついていけないだろう。

 ここは守備を固めたということで、中根でいくしかない。

 どうせ打てなかったのだ。上位打線で決めるしかない。


 アクシデントが起こっても、直史の集中力は切れていなかった。

 そしてジンのリードも、表面上は動揺はない。

 抑制された気迫が、グラウンドのナインには伝わっている。

 これは期待されていた事故ではないが、悪い影響を与えてはいない。


 こういった場合、グラウンドにずっといる守備陣は、集中力が切れる場合がある。

 しかしボール回しなどをして、感覚を鈍らせない。それを自主的にやっている。

 バッテリーも内野も外野も、自分の成すべきことを成している。

 それでも炎天下の中、わずかずつではあるが体力は消耗するだろう。


 試合が再開されて、バッターは五番の丹羽。

 打ったのはゆるい外野フライで、替わったばかりの中根のグラブに収まった。

 代わったところへ打球は行くと言われるが、どうやらこの場合は本当のことだったらしい。

 続く宇喜多を三振でしとめて、いよいよ試合は最終回を迎える。


×××


 本日エキストラエピソードにセイバーの外伝が投下されています。

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