第136話 ラストゲーム
どちらのチームも先制点がほしい。
先攻の白富東は、中村アレックス。地球の裏から来た少年。
高打率、高出塁率、長打力もあり、盗塁を狙う足もある。
バッティングにおいて特徴的なことは、自分が打てると思ったら、平気でボール球に手を出すところ。しかもそれで結果を出している。
日本人選手でなくても、高校の三年間、あるいは大学の四年間を日本で過ごせば、ドラフトでは日本人選手として扱われる。
アレクは日本へやってきて、本当に良かったと思う。
周りの皆がサッカーをやっていて、自分もサッカーが嫌いなわけじゃなかった。
それでもこれに魅かれたのは、なぜだっただろう。
小さな球を、細いバットで打つ。
サッカーよりもずっと難しいルール。それが好きだったのだろうか。
最初はただ、打った球をどこまでも飛ばすことが目的だった気がする。
外野が追いつけないほど、遠くに飛ばす。
そして逆に、どこまで飛ばされても自分が追いついて捕る。
その二つだったと思う。
スライダーが二球連続で内と外にきた。
ものすごい曲がり方。自分でもスライダーは投げるが、この速度でこの変化は無理だ。
来年も戦うことになるかもしれない、恐るべき投手。
最後は伸びるストレートで、空振り三振。
二番の青木哲平。春までは中学生だったとは思えない、高度な打撃技術を持つ。
夏からではなく既に春から、公式戦に出場している。
主な打順は二番で、アレクを封じて油断してると、コツンと叩いてくる。
長打も打てて、セーフティもやってくる、厄介な打者。
だがまだ、今のところは真田の敵ではない。
流れる曲は、疾風のように地の果てまで駆けていく音楽である。
なぜなら、青いから。
ただ今日のところは相手が悪い。
左打者には特に必殺のスライダーを使った後、ストレートを投げる。
それもファールにはしてみせたが、そこが限界。
緩急のカーブを引っ掛けて、セカンドゴロ。
ツーアウトランナーなし。
だがこの場面は、むしろ白富東にとっては待ち望んだ状況だ。
三番の白石大介。一人で一点を取ってしまう、まさに人型の最終決戦兵器。
今日も今日とてダースベイダーのテーマと共に登場だ。
一番から三番までは、真田が得意とする左バッターが続く。
だが大介に関しては、万全の注意を払う必要がある。
木村のリードに二度首を振る。
三度目に頷くが、木村としてはこの球は、三振を取るためにとっておきたかった。
しなやかな動きから、左腕が鞭のように動く。
左打者にとっては背中から向かってきて、消えるように内角に決まるスライダー。
それに対して大介は、わずかに踏み込む。
スイングはない。まずはワンストライク。
二球目。木村の頭はフル回転。
一度首を振ってもらい、二度目は頷く。
投じられたのはアウトローのストレートで、外に一つ外している。
大介はぴくりとも動かない。ボール球だ。
並行カウントから、さあ次はどうするか。
この打者はどれだけの球数を使っても、単打までで抑えたい。
内角。インロー。
大介はまたぴくりとも動かず、そのストライクのボールを見送った。
見に徹しているのか。
それでもツーストライクまでは追い込んだ。
(ここからは、これで)
(分かってる)
前からずっと考えていた、真田のスライダーを最も有効に使う方法。
プレートの端から、左バッターに向けて投げる。
そのままだったらもちろん当たるが、スライダー回転で内角の低めに決まる。
大介はその球の軌道を見ながらも、全く動かなかった。
低めいっぱいに決まって、ストライクバッターアウトである。
大介が一球も振らなかった。
その意味を秦野は考える。
「そんなに打ちづらいか?」
戻ってきた大介に問うが、返事は振るっていた。
「いや、右なら打てるだろうけど、ランナーいなかったし」
大介が右打席でも打てることは、もちろん秦野は知っている。
「……左打者をまとめすぎたかな?」
「右なら打てるってもんでもないっしょ」
つまり大介以外は、右でも打てないということか。
「タケかナオなら、球種絞ったら打てるかな?」
佐藤兄弟の変化球への対応力は高い。
いずれにしても、真田の立ち上がりは最高だ。
大介が一打席を犠牲にしてでも観察したのだ。他の選手にそう打てる球ではない。
「序盤は動かすなよ」
そう言われて、白富東の守備陣は一回の裏の守備に就く。
大阪光陰の先頭打者は毛利。
愛知県で野球を始め。修羅の国九州へと転校してそこで頭角を現した。
先頭打者としての能力に優れているが、ホームランもそれなりに打っている。
タイプとしてはアレクに似ているが、アレクと違って非常識なコースのボール球を打ったりはしない。
初球は見ていくと決めていたが、スピンの利いたストレートがアウトローに決まる。
続いてのカーブは、角度と落差が大きく、それでいて球速は抑えられていた。
三球目は振らせるためのスライダーが縦に変化し、バットの下を潜った。
先頭打者はこちらも三振。
二番の明石も県外からの寮生。
シニア時代にはオール岡山にも選ばれて、安打を量産するバッターであった。
とにかく厄介なのは、三振をしないということ。
しかしそれも、ピッチャーの能力が並の強豪レベルであれば。
変化球内に曲げ、外に曲げ、そして最後は高めの釣り球で内野フライ。
これも三球で片付けている。
三番の大谷は去年のチームでもスタメンを張っていた。
つまり直史との対戦経験があるということだ。
しかし去年と比べて、圧倒的にストレートの質が増している。
フォームはより小さく、しかし腕回りの回転だけは大きく。
140km少々という、大阪光陰の対戦するチームであれば、まずそれなりと言える球速。
だが内角の同じコースに、全く同じストレートが続けてきたことには驚いた。
三球目、またも同じコースと思ったら、ボールの下を振り遅れていた。
ベンチに戻ると、当然ながら報告をする。
「ストレートだけで、全部同じコースでした。けれど最後の一球は、球速は同じはずなのに速かったです」
同じストレートでもギアを上げることによって、変化球のように見せることが出来る。
これも一種の緩急ではあるのだろう。
ある程度の待球を作戦の内に入れておいたが、遊び球が一切ない。
(化物め)
去年は味方のクローザーとして使ったので、よりはっきりと木下は分かっている。
同じコースの緩急だけで、大谷を三振に取るとか。単純に剛速球を同じコースに三球続けられるよりも恐ろしい。
「ボール球は振ったらあかんで。わざと打てそうな高めに外してフライ打たせるんは、ようやることやからな」
それに釣られた明石が俯くが、仕方のないことだとも言える。
去年の夏、大阪光陰はありとあらゆる意味で史上初となる、四連覇を狙っていた。
それを阻んだ極悪性能の存在が佐藤直史である。
まさか完封どころか、一本のヒットも打てず、一人のランナーも出せないとは思わなかった。
タイブレークにまでもつれこんでも、結局一人も自分の手ではランナーを許さなかった、あの悪夢。
味方にして分かったことは、無駄球を放るのを嫌うということ。
そこが攻略の鍵かとも思えるが、去年は延長まで一人で投げ切って勝ったのだ。
だがそれでも、やはりそこが攻略の端緒となる気がする。
二回の表、白富東の攻撃は四番の鬼塚から。
スライダーとカーブを使われた後のストレートを、レフトに打ち上げてアウト。
外野までは飛んだが、まだ芯で捉えられることは出来ていない。
五番の倉田はストレートで押された後に三振。
そして大介が、打てるかもしれないと言った武史の打順である。
武史はスイッチヒッターである。
普段は一塁へ近く、懐へ飛び込んでくるボールを投げることの多い右投手対策に、左打席に入ることが多い。
しかし真田の高速スライダーに対抗するには、右打席に入ったほうがいい。
よってこの場合も右打席に入った。
まあ真田のスライダーの場合、左打席ではほとんど打てないのが、右打席なら少しは打てる、程度に打率が上がる程度なのだが。
同じ学年。あるいは来年も戦うかもしれない相手。
甲子園など、出場するだけで充分に立派なはずであるが、武史もまた勝利には飢えている。
自分一人がどれだけ頑張っても、チーム戦では勝てなかったバスケットボール。
それに比べると野球は、ピッチャーが完封してバッターとしてホームランを打てば、究極のところはそこそこの戦力で勝てるのだ。
スライダーの後の、唐竹割りとも言われた縦のカーブ。
それに上手く合わせて、ライト前に運ぶ。
ツーアウトランナー一塁。ただしここからは下位打線である。
白富東の打席を考えるに、打撃面での弱点は二人か三人。
完全に攻撃に偏った布陣をするなら、ジンの代わりに孝司を入れて、沢口の代わりにトニーを入れればいい。
だが日本の緻密な野球に対して、トニーはまだ順応していない。
そして孝司にキャッチャーをさせれば、さすがにリードを含めたインサイドワークが不充分になる。
直史はピッチャーの割にはかなり打率がいいので、そこは長打力のある岩崎とは比較の問題である。
純粋に打力を最大限にするなら、ピッチャーを武史にして孝司を内野で使う。
だがさすがに甲子園の決勝では、外野守備もトニーを入れるのは穴になる。
沢口だって県大会では三割を打っている。普通に下位打線としては充分なのだ。
それに犠打の成功率は高い。だからここを弱点とまでは言えないのだが。
(大田とナオの打順は逆の方が良かったか?)
秦野はそう考える。
この打線の中では沢口とジンの二人が、打率と出塁率は最も低い。それでも普通の甲子園メンバー並の数字は残している。
それが並んでいるので、確かに打線の穴にはなっている。
(まあここは動きようがないか)
沢口もジンも右打者ではあるが、バッターとしての絶対的なセンスが足りない。
沢口が内野ゴロに倒れて、ランナーは残塁。
次のネクストバッターサークルに入っていたジンは、プロテクターを着けながら直史と話す。
「真田のやつ、スライダーのキレが増してるっぽいな」
「去年に比べると、手の振りがサイドスローに近くなってるからな」
球速は維持したまま、変化量は増やしたいということだろう。
変化球投手ではあるし、コントロールもいいのであるが、パワーピッチャーと言っていいのかもしれない。
二回の裏、大阪光陰の攻撃は四番の後藤から。
去年も対戦してはいるが、この大会もホームランを打っており、通算本塁打記録のペースは大介には劣るがたいしたものだ。
もっとも公式戦におけるホームランの数は、二年時の大介には全く及ばない。
一年の春から使われていたとか、故障で離脱していたこととかを除いても、それを言うなら大介は一年の夏は甲子園に出ていないわけだ。
この大会の後藤は、打率はやや低めの代わりに、長打が増えている。
だが詳しくスコアを分析していくと、ランナーがいる時といない時、また得点圏かどうかで、狙いを変えているのが分かる。
ランナーがいない先頭の時は、基本的に長打を狙う。
スイングの特徴からいって、低めに投げれば長打はない。
初球は高めから一気に低めに落ちる落差のあるカーブ。
これだけ落ちるとストライク判定にならない場合もあるが、ワンバンにならないのが良かったのか、宣告はストライク。
二球目は内角へのストレートと見せて、手元で変化するカットボール。
上手くカットして、内野ゴロは防ぐ。
そして三球目は、高目を空振りして三振。
続く丹羽は二球ほどカットで粘られたが、スルーを使って三振。
六番の宇喜多は追い詰められる前にとストレートを狙っていったが、センターのアレクがやや後退してキャッチでスリーアウト。
この回も両者無得点である。
「外野に飛ばされたのはまずかったな」
「宇喜多も他のチームなら充分にクリーンナップ打てるしね」
とりあえず探りながらでも、一巡目は問題なく抑えられそうだ。
三回の表、白富東の攻撃は八番のジンからであるが、配球を読むことに集中する。
他の打者についても見ていたのだが、やはり決め球にはスライダーかストレートが多い。
ストレートのスピード自体はこれまでに戦ってきたピッチャーにもそれなりにいる程度なのだが、真田の球は、スライダーの時には高速で変化量が多く、ストレートの時にはホップ成分が見て取れる。
(こら打てん)
ジンはあっさりと諦めた後、バントの姿勢でボールを見る。
ファーストとサードがチャージしてくるが、セーフティが成功するとは思っていない。
ボールは確かに当たったが、ほぼ真上に飛ぶ。
キャッチャーフライで木村が前に出てキャッチしアウト。
配球とリード。ジンは両方の面から真田を分析した。
一般的な配球ではあるが、リードは状況に応じて変えている。
大介の打席以外は、木村のリードにほぼ首を振らない。
(一年でここまで信用されてるってことか)
三年の大蔵も悪いピッチャーではないのだが、真田は配球の組み立てとリードを重視するタイプのピッチャーだ。
そのくせパワーピッチャー並のボールなのだから始末に終えない。
ワンナウトから打席にはラストバッターの直史。
直史もまた、アベレージヒッターである。
バッティングセンスはそれなりに良いのだが、長打力はあまりない。
相手のバッテリーの配球を読んで打つというのは、ジンと同じパターンである。
直史の応援曲は『白い軌跡』である。
そもそもイリヤは、この曲を作るために日本へやって来たと言ってもいい。
音楽に愛された少女の、試行錯誤の結果の一曲。
主旋律はトランペットであるが、イリヤの本当のイメージはヴァイオリンである。
それとピアノにギターの三つで、本来は演奏出来る。
だがブラバンで演奏するなら当然アレンジして、各楽器に割り当てなければいけない。
トランペットの太い音に、各種の楽器やマーチングスネアが使われる。
この曲は試合を描いたものであると同時に、夏を描いたものであり、そしてこの高校野球を描いたものである。
『夏の嵐』が攻撃的であるのに対して『白い軌跡』は物語を意識している。
そしてイリヤが最も意識しているのが、直史だ。
いささか意味は異なるが、エース対決。
(タケが打ってくれたからには、俺もどうにかしないといかないんだけど……)
単純に、真田のボールは凄い。
そして仕方のないことだが、直史はバッターとしての経験が少ない。
(アレクの最大変化のスライダーより、速くてよく曲がる)
そんなものを打てと?
スライダーを使われずに、見送りの三球三振。
投打の対決では、まず真田の一勝である。
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