第135話 プレイボール
夏の甲子園、最後の試合が始まる。
徹夜組も出たこの試合、球場は理論上限の五万人を収容した。立ち見が発生しているのだ。
地元大阪光陰が勝ち残ったというのもあるが、対戦相手が人気校である。
いや、正確にはスーパースターが二人いるからだとも言えるか。
甲子園で、佐藤直史と白石大介が共に戦うのは、これが最後だ。
もちろん年代別の選手に二人がまた選ばれる可能性はあるが、この同じ素っ気無いデザインのユニフォームを着て戦うのは、これが最後なのだ。
単に出場するなら、国体があるわけだが、あちらはそう盛り上がるものでもない。
高校野球の最高峰は、誰がなんと言おうと夏の甲子園である。異論は絶対に認めない。
またこのチームは過去に二度、甲子園で戦っている。
最初は初出場ながら勢いに乗っていった白富東を、大阪光陰が完封して勝利した。
だがその夏には、伝説となる記録を二つ残して、白富東が勝利した。
その後神宮大会でも両者は対決したが、神宮はあくまでも新チームの叩き台にすぎない。
大阪光陰は全国から珠玉の才能を集めたエリート校。
それに対する白富東は進学校で、この春までは真っ正直な受験以外に、入学手段はほとんどなかった。
その例外中の例外で、外国人傭兵が入っていたりする。
これまでの野球の常識の範囲の中で、最大限の力を使って作られた強豪校が大阪光陰。
そしてその常識を超えて鍛えられたのが白富東。なにせ史上初の女性監督、史上初の女子選手を実現したのだから。
超強豪校と、奇跡の集結。
エリート揃いではあるが、あくまでも常識の範囲内で集められ鍛えられたチームと、偶然と奇妙な必然から誕生したチーム。
保守と革新。正反対のようでいて、どちらにも共通しているものがある。
全国制覇に相応しいチーム、というのがその一点だ。
バックネット裏の特等席から、試合の前、球場の雰囲気を感じる金髪の女性。
「マリー、こんなところにいたの」
帽子をかぶっていたので、探すのには苦労した。
セイバーに声をかけたのは、長身の不健康そうな少女、イリヤ。
ただ彼女もこの夏の日光の下で、それなりに日焼けをしている。
「イリヤ。貴女は応援席に?」
「ええ、たぶんこれだけの試合を見るのは、最後になるから」
三年生の戦力が抜けても、白富東が甲子園に出るまでは難しくない。
だが決勝まで戦いぬけるかは、さすがに困難と言っていい。
イリヤの視線の先、セイバーの隣には早乙女がいつもの如くいるのだが、珍しいのはもう一人少年がいるということ。
そしてその少年はイリヤも知っている人間であった。
「坂本と一緒にいるの?」
「ええ、ビジネスの話に」
高校生相手にビジネスと言われるが、イリヤには違和感はない。
なにしろ彼女自身が、金儲けの手段の塊だ。
もっとも彼女には、プロデュースの才能はない。
音楽の才能を撒き散らして、周辺を混乱させる。
彼女の責任ではないが、それで人生を狂わされた者は多い。
「新曲、また注目されてるのね」
「ああ『白い軌跡』ね。今度歌唱用にアレンジして、二人にも歌ってもらうけど」
「どうしてあのタイトルに?」
セイバーの知る限り白い軌跡は、瑞希が仮につけた、野球部の実録記のタイトルだ。
白というのは白球の白であり、また白富東の白、そして可能性にあふれた高校生の白、野球部のユニフォームの白など、色々な意味にかけている。
「日本語版の歌詞を作るのに、瑞希の協力をもらったから」
だから白い軌跡の歌詞はイリヤが英語で考えた歌詞を、瑞希が日本語に変換している。
「なら私でもよかったでしょうに」
「マリーは散文的過ぎるのよ」
確かに。
セイバーは何かビジネスの匂いをさせている。
アメリカ時代に何度もイリヤが感じたものである。
単純に金を稼ぐだけなら、セイバーにはいくらでも手段がある。
だから彼女はもう、生きるために金を稼ぐのではなく、やりたいことをするためだけに金を動かしている。
「どちらが勝つと思う?」
「それはうちだと言いたいけれど……」
イリヤが自らの勝敗を言いたがるのは珍しい。
彼女にとっては敗北すらも、音楽の糧となる。
「身近でずっと見てきたから、情が移っちゃった」
感情こそが、彼女が生み出す音楽の元。
だからここでも、勝ってほしい。
セイバーはあらゆる統計から、この対戦を分析した。
結果としては、白富東が優勝する可能性の方が高い。
だがそれを言うなら、去年の夏も、優勝する可能性は高かったはずなのだ。
それがわずかな揺らぎで、結果が変わる。
野球というものは実に運、あるいは運命とさえ言える、揺らぎが大きいスポーツだ。
運が良かった悪かったで結果は変わるが、終わった後から見てみれば、選択によって結果は変わったであろうと思える。
去年の決勝は、最後の一球だけが、結果的には勝敗を分けた。
しかしその最後の一球をもたらしたのは、三年の意地であった。
さて今年はどういう結果が出てくるのか。
長くとも三時間の後には、それが判明しているだろう。
白富東の応援団は、もちろん生徒主体の応援団だけでなく、そのOBや学校関係者、そして生徒の父母まで及ぶ。
「お母さんと、お婆ちゃんも来た」
佐藤一族だけで20人以上となるのだが、決勝だけは気合を入れて来たのである。
ぶっちゃけ来年も武史はいるのだが、さすがに決勝まで勝ち残れる可能性は低くなるので。
さて、佐藤家の人間関係である。
既にほぼ嫁状態となっている瑞希は、実は直史の母とは関係が良い。
なんでと言われても疑問であるのだが、とにかくなぜか相性がいいのである。
だがこれがまたなぜか、祖母との関係は微妙である。
悪いわけではないのだが、どこか緊張感があるのだ。
これはおそらく直史を母的に育てたのが、母ではなく祖母である面が多かったからだろう。
直史が乳飲み子の頃、母は既に武史を妊娠していた。
そして武史出産後もまたすぐ、双子を妊娠していた。
よって祖母が多くの育児を担当し、それがその後もずっと続いているからであろう。
正直に言うと武史は、父に可愛がられた記憶が一番多い。それでも兄妹の中では、一番母親に世話をしてもらった気はする。
おそらく祖母は長男の直史を、特別に扱っていた。
そして末の双子は、ほぼ武史と同じ扱いであった。
だからこの三人には上下関係が通常とは逆に生じ、二人がかりでこられては全く敵わないのである。
双子の知能や運動神経が、常人をはるかに超えていると分かる以前からである。
明日美は双子と一緒に、今日もチアガールである。
降水確率0%の炎天下、ずっと踊っているというのもかなり辛いものがあると思うのだが、明日美に言わせると楽器を吹いている方がしんどいと思えるらしい。
演奏は攻撃の時なので、ちゃんと休めるのだが。
「今日もよろしくお願いします」
「はい、熱中症対策ちゃんとしてね」
部外者ながらブラバン演奏のリーダー的なトランペットのおじさんに挨拶をする。
いつもにこにこ笑っているこの人は、白富東の純粋なファンなのだという。
いくら熱心なファンでも、平日に応援しに来るのは尋常ではないと思うが。
今年の決勝は特別だと、多くの観客が感じている。
そして中でもNPBやMLBのスカウト陣は、熱心な目でこの試合の行方を見守っている。
超高校級と言われる選手、白石大介が、その目的の一番ではある。
だが他にも大阪光陰、白富東共に、面白い素材の選手はたくさんいる。
その中でも最も異色の選手は、佐藤直史である。
甲子園での事実上のパーフェクト、そしてノーヒットノーラン。
ワールドカップではクローザーとしてパーフェクトピッチ。
全くプロの世界に注意を向けようとしない、紛れもない異端児。
アマチュアでは無双したのに、プロでは全く通用しないタイプの才能というものはある。
その理由の一つには、高校野球ならクリーンナップか上位を上手く打ち取り、数字は下位打線相手に残す投手がいるからだ。
またバッターの方も対戦する相手のピッチャーは限られており、化物と言われるほどの選手は甲子園でもそうはいない。
だがプロに行けばそこにいるのは、ピッチャーもバッターも化物ばかりだ。
大卒や社会人ならまだしも、高卒ではそこでポキンと鼻を折られて、実力差以上にショックを受けて立ち直れない場合がある。
それと左ピッチャーを全く打てない打者などは、間違いなく通用しない。
ワンポイントの左起用や、先発ローテーションにおいて、左ピッチャーは必ずいるからだ。
プロで生き残るのは化物と、そして異形だ。
佐藤直史の場合は、おそらく後者である。
それも並大抵の異形ではなく、その本質からして異形なのだ。
サイドクォーターで投げるが、サイドスローでもアンダースローでも投げられる。
相手のレベルによっては、左でも投げられるのだ。
緩急とコントロールで、いくらでもアウトが取れる。
欲しいとは思っても、今では選手が希望しなければ、指名も出来なくなった時代である。
かつてはノンプロの企業に決まっていた選手を強行指名し、その企業相手に代償を払うなどという時代もあった。
大学からの逆指名があった時代などは、最も裏金の横行した時代だと言われている。
だがそもそも野球を仕事とすることに価値を感じていない選手は、さすがに獲得するのは無理がある。
直史は本質的には、かなりプロ向きの性格をしている。
だがプロになる気は全くないと、各種インタビューで明言している。
理由としては、そもそもプロ野球と言うのは現役選手でいられる期間が短いこと。その間にたっぷりと貯金をしておかなければ、現役引退後には無職になる可能性が高い。
それにスポーツなだけあって、体の一部を故障しただけで、その後の活躍が期待出来なくなる。
あとは配属先の問題だろう。
基本的に選手側は、希望の球団に進むことは出来ない。
会社に例えるならNPBという会社に入り、どの球団に獲得されるかは、その部署に配属されるかと同じような感覚だ。
直史としては千葉か、遠くても東京までにしか行く気はなかった。これはプロ野球に限った話ではない。
だから高校入学当初は、将来の職場は県庁か市役所の公務員を目指していたのである。
もったいない、と思うのは才能に恵まれなかった者たち。
ただ何に価値を置くかは、その人間の自由である。
両チームのスターティングメンバーが発表される。
先攻は白富東である。
1 (中) 中村 (二年)
2 (二) 青木 (一年)
3 (遊) 白石 (三年)
4 (右) 鬼塚 (二年)
5 (一) 倉田 (二年)
6 (三) 佐藤武(二年)
7 (左) 沢口 (三年)
8 (捕) 大田 (三年)
9 (投) 佐藤直(三年)
ベストメンバーと言っていいだろう。
大阪光陰も真田を先発させる。
1 (中) 毛利 (二年)
2 (二) 明石 (二年)
3 (左) 大谷 (三年)
4 (一) 後藤 (二年)
5 (遊) 丹羽 (三年)
6 (三) 宇喜多(三年)
7 (右) 小早川(三年)
8 (捕) 木村 (一年)
9 (投) 真田 (二年)
別に合わせたわけでもないだろうに、スタメンの一年生二年生三年生の数が同じである。
これを見た両軍の監督は、まずそれほど予測が外れていないと安堵した。
秦野は大阪光陰が序盤、真田ではなく豊田を使う可能性も考えていた。
準々決勝も準決勝もそうだったので、序盤はそういった選択もあるかと考えていたのだが、全てを真田に託したようだ。
両チーム、エースナンバー1のピッチャーが先発だ。
大阪光陰の木下も、まずこういったものかと判断する。
彼が考えたのは、白富東が守備的なオーダーを組むこと。たとえば哲平の代わりにシーナを入れたり、倉田の代わりに戸田を入れることだった。
他にはサードを諸角にしたりとか。
だがそれだと全体的に見て、攻撃力がかなり落ちる。
シーナが外れたことは、一部の選手にとっては不満だった。
しかし当の本人が、そんな様子は一切見せない。
ならば自分たちが口出しをすることでもないし、グラウンドで戦うだけが選手の役目ではない。
応援の声が一番よく届くのは、ベンチからなのだ。
試合前の練習が行われる。
秦野が見事にノックをする中、スムーズにボールを渡していくのはシーナだ。
たとえ試合に出られなくても、コーチャーなどでやるべきことはある。
ブラバンの演奏が行われ『白い軌跡』が演奏される。
主旋律はトランペットがあくまでも強く太く、それを飾るかのような他の楽器が装飾している。
これから始まるのは、白球を追いかける一つのゲーム。
最初はただの野原で行われたという、100年以上も前から続くゲーム。
数多の選手たちが踊るようにプレイする。
楽しむのは選手たちだけではない。観客、審判、それにグラウンド整備の担当者。
あるいはスタンドでの販売を行う人間。
球場内には色々な販売店があり、この高校野球の聖地において、夏の最後の試合が始まる。
最初に守る大阪光陰も、選手の動きは悪くない。
ひたすら甲子園に出て、そして甲子園で最後まで勝つことだけを目標としてきた、野球バカの集団。
それに対するのは、野球はあくまで楽しみの一つで、高校までの遊びとも思っていた進学校の選手たち。
まさに光と影、完全に異なる存在でありながら、勝利の可能性はどちらにも残されている。
灼熱の太陽の下、雲ひとつない青空の下、今日もまた楽しい野球の時間がやってきた。
午後12時30分、プレイボール。
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