第137話 膠着
三回の表はツーアウトから一番のアレクに戻ってきたが、これもスライダーをミート出来ずに内野ゴロ。
やはり左打者への真田のスライダーは、右打者への倍ぐらいの効果はあると言っていい。
そして三回の裏が始まる。
ここまで二度の三者凡退をやっているので、当然ながら大阪光陰は七番打者からの打席である。
その小早川を相手に、ツーストライクまで追い込んでから、サードゴロでしとめる。
そして八番の木村、打率もいいこの捕手を相手に、三振。
ラストバッターに入っている真田は、バッターとしても恐ろしい存在なのだが、これもピッチャーゴロにひっかけさせた。
まだ三回とも言えるが、打者一巡して、まだパーフェクトピッチである。
「お・ま・え・ら・は!」
さすがの木下監督もブチ切れである。
「もっと球数増やさんとあかんやろ!」
内野ゴロが打てるなら、せめてファールにしろということだ。
もっともぎりぎりヒットにも出来そうなので、そこがかえって難しいのだが。
直史のここまでの球数は35球である。
九回までこのペースで投げていれば、わずかに105球となる。
もっとも真田の球数も41球で、完投ペースではある。
重要なのは一つのイニングに、球数の多いイニングを作らないことだ。
ある説によると一イニングあたりの球数が20球を超えると、ピッチャーの疲労は次のイニングにも持ち越されるという。
また20球を超えると、精密なピッチングは出来ないとも言われている。
それはもっと高いレベルでは本当のことなのかもしれないが、少なくとも直史も真田も、連続でその程度を投げた程度ではピッチングは狂わない。
ここまで両投手、ほぼ完璧なピッチングである。
日曜日に行われているおかげもあるが、この決勝戦の視聴率は、なんと30%を超えていた。
ちなみにテレビを点けていた世帯のうち、甲子園の中継を視聴していた番組視聴占拠率は70%を超えていた。
つまりこの時、暇があってテレビを点けた人の七割が、この甲子園を見ていたのである。
その中にはもちろん、来年の後輩の姿を見ようというプロ野球選手もいる。
この決勝のピッチャー二人は、来年のプロ野球とは無縁の人間である。
だがプロとしてもいずれ自分と対決するかもしれないピッチャーには、注目せざるをえない。
「佐藤……どうやったら対角線上の隅と隅に変化球投げ分けられるんだ?」
「143kmか……。ストレートだけに限れば打てないこともないはずだが」
「真田のスライダー、なんであの変化量で140km出るんだ?」
「化物には違いないけど、この投げ方だと一シーズンはもたないだろう」
そんな選手目線とは逆に、中継席での解説はお気楽なものである。
『さあ、両投手ここまで、三回は無失点に抑えてきましたが』
『まあ佐藤君はね、去年も春と夏、両方をノーヒットピッチングをしてますから』
『ああ、そうでしたね。そしてこの春のセンバツも、兄弟リレーでノーヒットノーランを達成しています』
『おそらく二度とないでしょうね、これは。しかしこの試合も、三回まではパーフェクトピッチ』
『大阪光陰はこの佐藤から一点を取らなければいけません。そしてまた、白石から一本も打たれてはいけません』
『白石君はここまで、全試合一本以上のホームランを打っていますからね。凡退したのもこの試合の一打席目が、この大会でなんと二度目。10割が途切れた時は、観客席からも溜め息が漏れました』
両チームの応援団は、ちゃんと熱中症対策に帽子と飲み物を持っているが、それでも今日は暑い。
最高気温は37℃とニュースでは流れていたが、おそらくマウンドはそれよりも5℃ほどは上だろう。
スタンドも熱気が凄い。
完全に満員となった甲子園で、観客の歓声がこだまする。
両投手ここまで毎回の奪三振で、その度にKの旗が振られる。
テレビカメラは応援団を映すが、その回数は双子と明日美がやたらと多い。
四回の表、先頭の哲平は、真田のスライダーに翻弄され、ストレートを空振りして三振。
(くっそ。まだ来年もいるのに、この人打てるの、大介さんぐらいじゃねえのか)
静かに燃える男である哲平だが、現時点での真田との差は大きい。
アレクに真田を想定したスライダーは投げてもらっているのだが、球速も変化量も全く違う。
そして迎えるのは、本日二度目の大介である。
(ワンナウトか……)
大介にとって真田は、坂本と並んで、高校で対決した中では二番目に打ちにくいピッチャーだ。
打ちにくいどころか手も足も出なかったのが上杉勝也であり、最も打ちにくいピッチャーは直史である。
ここから塁に出たとして、続く鬼塚と倉田で返せるのか。
どちらかが打ってくれるにせよ、二塁までには進んでおきたい。
しかしこのバッテリーから盗塁するのは、かなり大変である。
(だけどまず塁に出て、少しでも揺さぶらないと)
左投手の真田には、一塁ランナーがさぞ目障りだろう。
ここはまず単打。
四球目の、緩急をつけてくるカーブをサードの頭の上に打ち返し、塁に出る。
本当ならホームラン一発でケリをつけたいのだが、真田のボールはそこまで甘くない。
ワンナウトでランナーが出た。
先ほどはツーアウトからで、しかも下位打線だったのでどうにもならなかったが、ここでどうにか動きたい秦野である。
(けどワンナウトか……)
右打者を大介の後に置いたのは、大介の前でランナーが溜まっていれば、敬遠されることを恐れたからだ。
だが真田はそもそも左打者に対して圧倒的に優位ではあっても、右打者を苦手とするわけではない。
単純に左打者が、真田をほとんど打てないだけだ。
鬼塚なら小技も使える。去年は二番を多く打っていたというのが、ここにきて生きている。
(つっても真田はなあ……)
大阪光陰が継投を戦略的に選んでいるだけで、一人で投げたら普通にノーヒットノーランを達成出来るピッチャーなのだ。
それでもここで動くとしたら、大介の足を絡めるか。
サウスポーの真田相手に、盗塁を決めるのはかなり難しいだろうが。
サインを出す。大介のリードが大きくなる。
バッテリーは盗塁警戒。
(これで鬼塚に、沈むカーブは使いづらいだろ)
真田のカーブは分類するとすればドロップカーブで、縦にワンバウンドするほど落ちる。
緩急の緩には、これを多く使う。
盗塁を警戒して速球系で攻めてくるなら、鬼塚ならどうにか打ってくれないか。
秦野の指示は正しいし、大阪光陰バッテリーもその意図は分かっている。
分かってはいても盗塁を警戒しなければいけないのが、大介の足である。
50mを5.6秒というのはさすがにふかしすぎであるが、この大会でも四球でランナーに出た後は、かなりの確率で盗塁を決めてくる。
つまりここで白富東が選択すべきは、リスクも高いヒットエンドラン。
初球をアウトローに外し、捕球したボールをファーストに送球する。
大介は手から戻り、完全にセーフ。
ユニフォームの埃をはたきながら、またボールを持った真田を注視する。
真田には目立つようなクセはない。
だがそれでも、気配とでも言えるようなものを感じ取る。
(なんとなく、分からないでもない)
大介からサインが出る。次で行くと。
秦野はサインを出す。ヒットエンドランから、ランエンドヒットへの変更。
どちらにしろ鬼塚は、基本的に打っていくのだ。
二球目、大介はスタートした。
ボールはストレート。インハイに入っている。
鬼塚はホップするようなこの球を、意図的にどうにか叩きつける。
マウンドで跳ねたボールは、高く弾んだセカンドゴロ。
これをセカンドの明石が取って、一塁へ投げる。ここはアウト。
しかしこの隙に、大介は三塁にまで進塁していた。
ツーアウトながらランナー三塁。一つのミスで一点が入る。
五番の倉田はこの甲子園でも、打率三割をキープしている。
(つってもここからは祈るしかないか)
倉田は懸命に粘ったが、結局はスライダーで空振り三振を取られるのであった。
四回の裏は当然ながら、一番の毛利からの好打順。
もっともそういうことは、一本でもヒットが出てから言うべきことだ。
初球からスルーで入り、変化量の大きなカーブを振らせ、とどめはストレート。
三球三振である。毛利もここまでの試合でホームランを打っている、打率と長打を備えた好打者なのだが。
二番の明石に対しては、これまで一度も投げていなかったシンカーから入った。ゆっくりと深く沈む球にバットは合わない。
ストライクからボールに逃げていく球を空振りさせて、ストレートを一球見せた後、チェンジアップでピッチャーゴロ。
この回も二人に七球しか投げず、三番の大谷との勝負となる。
大谷は甲子園では絶好調で、急速にスカウトの評価を高めている打者だ。
去年の大阪光陰は、ピッチャーを除けば二年生でスタメンだったのは大谷だけである。
福島と加藤がマウンドから降りた後を考えても、丹羽を加えるだけであった。
丹羽は本来守備のエキスパートだが、そのくせ打てるという器用な選手だ。
だがこの大谷に対しても、直史のピッチングは変わらない。
外のストレートに目を向けさせて、続くツーシームの小さな変化をファールにさせる。
そしてチェンジアップもどうにかファールにさせた後、ストレートの下を振って三振だ。
まだ、四回である。
しかしまだ四回ではあるが、ここまでパーフェクトである。
去年の四回は、どういった雰囲気だっただろう。
この空気。相手には全く何もさせないという、この冷えた空気。
出来るキャッチャーと組んだ時の、佐藤直史の冷徹なピッチング。
そのくせ打たせるのではなく、三振も真田より多く取っている。
(次の攻撃で、まずはパーフェクトは切る)
木下は考える。こういった完全に上手くいきすぎている試合というのは、一本のヒットや一度の四球で、途端に集中力が落ちるものだ。
直史にはそこまでの動揺はないだろうが、この球場を覆う雰囲気はどうにかしたい。
五回の表は、白富東は本日一本のヒットを打っている武史から。
しかし真田も意地を見せる。
同学年なのだ。そして真田がまだ未踏の領域である、150km台を普通に投げるピッチャー。
ピッチャーとしてのソツのなさはもちろん真田が上なのだが、爆発した時のピッチングはすごい。
三振を簡単に、この甲子園の舞台で奪取していく。
ようするに真田にとっては、負けたくないバッターであるのだ。
ここは球数をたっぷり使って、最後はストレートで押して三振。
続く沢口とジンは逆に、変化球を使って早いカウントで内野ゴロにしとめた。
五回の裏、大阪光陰は四番の後藤から。
打率と出塁率は大谷に譲っているが、長打力の反映されるOPSでは上回っている。
一発のある危険なスラッガーに対して、初球からスルーを使う。
球速からストレートと勘違いされやすいスルーをどこで使うかが、直史の現在のピッチングの肝だ。
県大会レベルであればいくらでも他の変化球で三振が取れるのだが、後藤はそうはいかない。
いや今年の大阪光陰は、アベレージという点なら去年よりも確実に上だ。
二球目のスローカーブを、後藤は完全に見送った。
これは外れて並行カウントになる。
三球目は、ストレートをインハイに、バットには当たったが三塁スタンドに大きく曲がって飛び込む。
これで追い込んだ。緩急差で打球をファールにさせるのは、かなりのコンビネーション技術だ。
ゆったりとしたセットポジションから投げられたボールはスルー。
(これを!)
配球の一つとして考えていた後藤は、バットの振り始めを開始。
しかしボールが来ない。
(ぬうっ!)
粘りながらもようやくバットには当てたボールだが、ボテボテのピッチャーゴロでアウト。
後藤相手にスルーチェンジを使ってしまった。
まだ最低でもあと一度は対戦するはずなのに。
だがジンも、後藤の一発には最大限の警戒をしているのだろう。
去年の準決勝、大阪光陰戦。
結果的にはそれなりの点差がついたが、究極を言うなら大介の一発で、試合は決まったのだ。
スラッガーのホームランが、試合の趨勢をひっくり返す。
野球とはそんな、理不尽さを強制するスポーツでもある。
五番の丹羽にも、それなりの長打力はある。
だがホームランをコンスタントに打つほどではない。
ここは堅実にヒットを狙ってくるかという場面。
だが三球目のインハイを、サードに上手く転がした。
丹羽の足はそれほど俊足というほどではないが、間違っても鈍足とは言われない。
完全に意表を突かれて、サードのチャージが遅かった。
しかしマウンドから駆け寄った直史がそれを右手で取り、そのまま一塁へ送球。
間一髪ではあるがアウトとなった。
せこいと言えばせこい手であるし、観客からも野次が飛ぶ。
まあMLBとかでは、こういう場面でセーフティなどを狙うと、確かにマナー違反らしいが、これは高校野球である。
グラウンドの中で、ルールに則る限りは、何をしてもいい……というわけではない。
野球は実はルールの不備をつくような事態があり、その場合は審判の判断に任される。
かつては両手投げ投手の場合、一つの打席で何度でも投げる手を変えていいのかなどという問題もあった。
そういうものではないが、細かいところを攻めていくのも、野球の裏をかくテクニックである。
ただ大阪光陰も、本当に勝ちたがっているのは確かだ。
潔く、正面から堂々と無策に敗北するよりは、足掻いて足掻いて懸命に足掻いて、全力で勝つ方を選ぶ。
観客からの声援がどうかよりも、最後まで勝ち進んで、ただ一つの栄冠を獲得することを目指す。
他のチームがどうとか、高校野球のあるべき姿など、どうでもいい。
だが大阪光陰はそういうチームなのだ。
この回も三者凡退で、直史のパーフェクトピッチングは五回まで継続。
さすがにそろそろ、観客の期待も大きく、両チームの不安とプレッシャーも大きくなってくる。
×××
本日エキストラエピソードが投下されています。雑談です。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます