第133話 東西横綱
帝都一のエース水野は、真田のような高速スライダー、落差のあるカーブ、ギアの違うストレートといった、必殺技を持った投手ではない。
だがインハイの後にアウトローのストレートを、ぴったり140km台後半で投げられる精密な投球を得意とする。
スローカーブでストライクを取り、次に全く同じコースに40kmの速度差があるストレートを投げ込むので、まず打たれることがない。
初戦の仙台育成と準々決勝の城東戦ではかなりの球数を投げたが、地方大会では二番手三番手を使って、それほど疲労は溜まっていない。
もっとも城東の島との投げ合いは最少得点差のシビアなゲームだったので、精神的には疲労したかもしれない。
だがそれでも一日に休みがあれば回復している。
初回の大阪光陰の打線、いずれも府大会では四割を超える打率の、一番毛利、二番明石、三番大谷をいずれも凡退させた。
球数は九球で、三者三球三振と同じだけの球数である。
大阪光陰の先発豊田は、白富東の三年にとっては完全におなじみのピッチャーである。
シニア時代の全国大会ベスト8の立役者であり、球速はMAX152kmに決め球としてフォークを持ち、緩急差をつけるボールや、手元で細かく曲がるボールも持っている。
基本的にはパワーピッチャーで、初回はやはり帝都一を三者凡退で抑えた。
どちらの監督も歴戦の名将だけあって、ピッチャーの立ち上がりの調整も上手くいっている。
横綱らしく、一回から先制点を狙うような突飛な動きはしていない。
「帝都一は二番手が割りと落ちるから、大阪光陰は待球策すればいいんじゃないかな」
そんな声が出てくるが、水野は基本ゾーンで勝負しているのだ。
「大阪光陰が待球策はしないだろ」
秦野としてはそう言う。あのチームは王道で強い。だから同じく王道で強い帝都一とは、正面から戦う。
動くとしたら相手が変化してからだ。
「水野って、ちょっとナオに似てるよね」
ジンとしてはコントロールの良さがそう感じるのだが、直史はもっとひねった投球をする。
二回の表は、大阪光陰の四番後藤から。
後藤もさすがに大介には及ばないが、甲子園の歴史に残りそうなペースでホームランを打っている。
本大会もこの試合までに二本打っているが、それだけに後藤の後のバッターは重要になる。
水野は後藤に対しては内角のストレートと、アウトローのストレートでカウントを整えた後、カーブで三振に取った。
その後の丹羽をフォアボールで塁に出してしまったが、続く打者を内野ゴロゲッツーで、この回も三人で抑えた。
センバツにおいても対戦した両者であるが、あの時は水野の制球があまり良くなく、豊田を打てずに完封負けした。
だがあれから四ヶ月、男の子が成長して変貌するには充分な時間である。
だがそれは別に、水野だけではない。
豊田も後に真田がいると思えば、七回ぐらいまでを目標に全力投球が出来る。
完投能力を投手の一つの基準として評価する者からは嫌われるかもしれないが、大阪光陰はピッチャーを潰さないチームとして有名なのだ。
この二回の裏も、三者凡退に抑える。
「ほとんどの部分で、大阪光陰の方が少しずつ上かなあ」
ジンは事前の予想が、画面の中で再現されていると感じる。
「けれど帝都一はかなり重要な部分で、大阪光陰を上回っているだろ」
直史の指摘は正しい。
帝都一が大阪光陰を上回っている、重要な部分。
それはキャッチャーだ。
三年の井伊は石川という絶対的なキャッチャーがいた去年も、打力を期待される場面では代打で出てたし、打ち合いになりそうな試合ではスタメンで出ていた。
それに比べると大阪光陰は、エースの真田相手に一年生がキャッチャーをしているのだ。現在の豊田をリードする大蔵も、悪くはないキャッチャーではあるのだが、真田とはやはり相性が悪かったとしか言いようがない。
真田は自己コントロールに優れたピッチャーであるが、それでもガス抜きをしてやるのはキャッチャーと監督の役割だ。
一年の木村は真田を上手くリードしているが、ここでその差が出るかもしれない。
あくまでもジンの意見であるが、キャッチャーはピッチャーより年上の方がいいと思う。
プロまで行ってしまえばともかく、アマチュアレベルであるなら年上の包容力めいたもので、ピッチャーの我儘を上手く包み込む必要があるのだ。
オカンである。
実際に直史はともかく、岩崎は倉田や孝司では、なかなか制御出来ないはずだ。
制御出来なくても勝てる試合でしか、バッテリーは組ませていないが、プロのキャッチャーなら岩崎を上手くコントロール出来るだろう。
岩崎はジンが育てた、と言ってはさすがに言いすぎだろうが。
三回までは三人ずつでイニングが終わった。
水野が計算高いピッチングをしているのに対し、豊田はかなり力任せだ。
キャッチャーの大蔵のリードがそうだからという点もあるが、豊田の馬力頼りのピッチングも、別に悪いわけではないのだ。
帝都一も打線にはスラッガーを複数揃えているので、一発の危険性はある。
だがそこで三振を取れば、味方の士気は高まる。
四回、大阪光陰の攻撃。
先頭打者の毛利が際どいところを選んで四球で出塁した。
ここで強攻を取るか、それとも送るかで、お互いの監督の狙うところが分かる。
二番の明石に送らせて、得点圏へランナーが進む。
三番の大谷は甲子園では絶好調で、スカウトからの評価をどんどんと上げている。
続く四番の後藤もこの大会でホームランを打っているので、まさか敬遠も出来ない。
大谷をどう抑えるか、逆に大阪光陰にとっては大谷をどう使うかが、この場の肝だ。
最低でも進塁打を打ってほしいところであろうし、帝都一としても進塁打までで食い止めてほしい。
四番の後藤には足がないので、内野安打で一点ということもない。純粋にバッターとの勝負が出来る。
そして大谷は最低限の役割をきっちりと果たした。一二塁間へ送りバントを決める。
ツーアウトにして三塁まで送るのは、後藤への信頼かと思ったが、違った。
セカンドがファーストへ送球したのを見て、三塁コーチャーが腕を回す。
俊足の毛利は勢いを減じずに、ホームへと向かう。
これに対して帝都一もファーストは一塁でのアウトではなくホームへの送球を優先。
ベースから離れて捕球し、そこからホームへと送球際どいタイミングだがタッチアウト。
これでツーアウト一塁へと状況が変わった。
まずは大阪光陰が、攻撃面で動いた。
そして帝都一がそれを、選手の判断で防いだ。
どちらもよく鍛えられている。
四番の後藤はここから大きなセンターフライを上げたが、これでスリーアウト。
最初の読み合いでは、帝都一の勝利である。
四回の裏は帝都一もランナーを出したが、結局は残塁であった。
だがランナーを出してからはピッチャーを揺さぶろうという動きはあった。
動かずに相手の様子を見る段階から、動いて相手も動かす段階に入ったということだろう。
お互いに横綱相撲をするほど、戦力に余裕がないとは分かっていたのだ。
ピッチャーの捕れるセーフティなども使ってみるが、水野はフィールディングもいいプレイヤーだ。
豊田は力のあるピッチングで、バントなどは失敗させる。
やはりと言うべきか、わずかに大阪光陰の方が押している。
だが帝都一は隙なく、大阪光陰をいなしているとも言える。
戦力はわずかに大阪光陰が上だが、この程度の戦力差など、松平監督はいくらでも覆してきた。
ただ問題は相手の木下監督も、実力を発揮させずに相手を封じ込めるのには長けている。
年齢差は20歳ほどあるが、監督の能力としてはほぼ互角だろう。
あとは、運だ。
ただ運といっても、それを着実にものに出来るかどうかは実力だ。
ヒットで、あるいは四球を選んで、どうにかランナーを出すという中盤。
水野はランナーを出しても冷静に三塁を踏ませず、豊田は力技で後続を絶つ。
そして六回の裏、フォアボールからランナーを溜めた帝都一が、ゲッツー崩れの間に一点を先制した。
ツーアウトランナー一塁から、豊田は踏ん張ってこの回も一点に抑えた。
おそらく次の回からピッチャー交代だろう。真田が投球練習を開始している。
残り三回で大阪光陰が水野を攻略出来るか。
また帝都一も真田から追加点が取れるか。
そう思った七回の表、先頭の丹羽がツーベースでランナー二塁。
続く宇喜多がランナーを進めた。
そして打順は七番の小早川。大阪光陰のスタメンの中では、打力は最も低い。
だが犠打の成功率は高い。ワンナウトランナー三塁ならば、スクイズで一点を取ることも出来る。
ここはまずスクイズ、と帝都一の松平も考える。
だが確実にそれだけをやってくるとは限らない。
(代打を使わないってことは、まだこの先に勝負どころがあるって踏んでんのか)
松平は考える。代打を出しても守備のポジションは埋められるほど、大阪光陰の選手層は厚いはずなのだが。
つまりは、それだけの信頼感がある。
並行カウントからの三球目、小早川はバットを寝かせる。
スクイズ、と思ったファーストとサードはチャージするが、三塁ランナーのスタートは遅い。
ストライクゾーンを確認してからのバント。小早川は強く上げた。
ファーストの頭を越えたところに落ちた。スタートを遅らせたランナーがホームに帰ってくる。
小早川は一塁でアウトになったが、これで試合は振り出しに戻った。
大阪光陰はここで逆転ではなく、とりあえず同点を狙った。
この先のチャンスをモノにするつもり、またそういったチャンスが作れるとも信じている。
ピッチャーの体力を考えると、延長になれば帝都一は明らかに不利だ。
そして大阪光陰は、ここでバッテリーを入れ替えた。
ピッチャーはエースの真田に、キャッチャーは一年の木村というこのコンビ。
防御率1を切る、甲子園でも屈指のバッテリーである。
難しい展開になってきた。
真田も水野も、時折ランナーは出すのだが、それに続く芽を上手く摘み取っている。
ただやはり優位なのは大阪光陰だろうか。
どちらのチームもピッチャーには完全にピッチングに専念してもらう打順にしているが、そのピッチャーの九人目の打者としての性能が違う。
水野も特別に悪くはないのだが、本来なら上位を打てるほどの真田とは違う。
もし延長になればどこかの裏、水野のところで代打を出す必要があるかもしれない。
後攻で良かったとは思えるのだが、そこで点が取れなければ、次の回が難しい。
途中から投げている真田は、体力的にも有利だ。
(九回の裏なり十回の裏なり、どこかで勝負をかけないといけねえが)
松平の想定していたように、試合は延長戦に突入した。
大阪光陰は明倫館戦に続いて、二試合連続の延長戦である。
10回の表は、ラストバッターの真田からの打巡。
当然ながらここで代打を出すという選択はない。
水野もここまでの投球数は140球を超えているが、まだ控えに代わるほどには衰えていない。
真田への初球は、アウトローへのストレートがやや浮いた。
これを見逃さずレフト前に弾き返し、ノーアウトのランナーが出た。
ここで一点でサヨナラに出来るなら、送っていくことも考える。だが大阪光陰は先攻なのが、この場合はネックになる。
打席に立つ毛利は高打率高出塁率の打者であり、最低でも進塁打は打ってくれそうだ。
大阪光陰の木下監督としても悩ましい。
ここで二点取れれば、真田のピッチング内容からして、おそらく勝てる。
だが一点であれば、まだ分からない。それに真田はピッチャーだ。出来れば走らせたくはない。
10回の裏は帝都一も上位につながるので、一点は覚悟しておいた方がいい。
バントの体勢を見せる毛利に、水野の投じた初球。
それをバスターで弾き返し、これもレフト前に運んだ。
ノーアウト一二塁。この試合、ここまでになかったピンチであり、チャンスである。
二番バッターの明石は完璧な送りバントを決め、ワンナウトランナー二三塁。
打席には甲子園で好調、今日も一本のヒットを打っている三番大谷。
もし塁を埋めるとしても、次は四番の後藤である。
大谷はバントも出来るので、ここでスクイズという手段も考えられる。
内野ゴロでも、おそらくは一点。
ここで必要なのは、三振か内野フライ。それ以外はまず一点に結びつく。
初球は外に外すが、スクイズの気配はなし。
ならば二球目、高く外れるインハイ。
(ゴロを打つ!)
叩きつけるようなスイングの打球は、ピッチャーマウンドに弾んでショートへのゴロとなる。
ランナーはそれぞれスタートしていて、ホームは間に合わない。
「一つ!」
ファーストはアウトになったが、ついに大阪光陰がリードした。
まだ一点差。ここから同点に追いつき、そして逆転する目はある。
だが松平は、おそらく無理だな、と長年の経験で悟る。
真田は七回からのリリーフで、ヒット一本と四球一つという、ほぼ完全な投球内容だ。
同点からの勝ち越しサヨナラならともかく、一度リードを許した時点で、勝つのは難しいと分かっていた。
あと一人、アウトを取ってベンチに帰って来い。
そう思いながら見守るしかない松平だが、この失点はわずかだが集中の綻びを生んだ。
続く後藤がセンター前にクリーンヒットを打って、二点目。
3-1となって、ようやく水野はスリーアウトを取った。
10回の裏、帝都一の攻撃。
松平は先頭打者でありラストバッターでもある水野に代打を出す。
代打の切り札だ。思い出代打などではない。
真田だって同じ高校生なのだ。二点のリードをもらって、逆に緊張感が途切れてしまう可能性もある。
その代打の切り札が、まさにレフト前にクリーンヒットを打った。
ここから上位打線である。まだ試合の行方は、わずかだが揺らいでいる。
大阪光陰、木下監督は動かない。
キャッチャーの木村もマウンドには寄らず、そのまま次の打者を迎える。
帝都一はランナーに代走を出して、全力で点を取りに来る。
これに対して真田も、この回で決めるつもりで投げる。
配球はオーソドックスなもので、スライダーとストレートの合間にカーブを挟む。
このカーブがタイミングを外して、まずはワンナウト。
そして次の打者にはスライダーを二球続けた後、ストレートでピッチャーフライ。
最後の打者は、どう料理するか。
ここにきて真田は、ギアを全力に上げる。
ボール球から入る打ち気を探るピッチングで、最後にはスライダーで三振。
ゲームセット。
東西横綱対戦は、西の大阪光陰の勝利で幕を閉じた。
決勝戦は、千葉県代表白富東と、大阪府代表大阪光陰。
去年のセンバツ、夏に続いて、甲子園では三度目の対戦。
あるいはこれが、最後の対戦になるのかもしれない。
×××
本日ほぼ同時間枠の外伝を投下しています。
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