第130話 天才の中では平凡
自分が特別ではないと気付いたのはいつであっただろう。
野球を始めてからかなり長い間、自分は世界でも特別な人間で、この才能は世界でもやはり特別なものだと思っていた。
それでも中学の半ばごろには悟ったものだ。
自分にはそれなりの才能があり、それなりの素材であることは間違いないが、上にはいくらでも上がいるのだと。
シニアで同じチームであった豊田。
全国大会で敗北した相手の上杉。
単純に相手の年齢が上だから、自分も成長すれば追いつけると思えたのは中学の終わりごろまで。
明らかに自分よりも上の、自分より年下の存在がいた。
幸いと言っていいのか、同じチームには凡人の中の大秀才がいた。
バッテリーを組んでいたジン。彼は自身の才能にはそれほど恵まれなかったが、他人の才能を見抜いて活用する術と、才能の範囲内でどれだけのことをするかという、また別種の才能に恵まれていた。
だからかなり無理めと思えた学校に進学した。幸いと言うべきか、天才とは言わないまでも素質のあるチームメイトが多く、それなりに上に行けるとまでは思った。
それに進学校に進んだのは、両親を安心させた。
(皮肉だな)
自分の才能の限界を認めたら、その限界を基準に、どれだけ努力と工夫で伸び代を増やせるかが分かってくる。
才能はなくても技術の指導で、まだまだ上が目指せることが分かった。
「一位二位は分からないが、三位までには」
NPB、プロの世界から、そうやって声がかかるぐらいにはなってきた。
そして今日、自分が対決する相手は、世代最強の才能と呼ばれている。
大滝志津馬。甲子園で160kmを投げた怪物。
だが彼は、世代最高の投手ではないし、世代最高の才能とも呼ばれない。
明らかに圧倒する者がいるからだ。
才能。特に天才とまで呼ばれるそれの本質を、岩崎は考えてみたことがある。
相棒であるジンは集中力と答えたが、当の天才本人に聞いてみた。二人に。
一人は簡単に直感だと言った。
言葉には出来ないだろうし、いくらトラッキングで調べても、あのパフォーマンスは理解出来なかった。
もう一人は、自分の描いたイメージを、いかに正確に再現出来るかだと言った。
そしてその描くイメージの上限が、肉体的素質に関連していると。
直史と大介。巨大な才能が同じチームにいてくれて、岩崎は本当に幸運だったと思う。
明らかにこの二人の才能の恩恵を、自分は受けている。
大介に打たれることによって、自分の現在に胡坐をかく気にはなれない。
そして直史の投球術によって、それを再現しようと近付けば、まだまだ上のレベルに自分は進める。
今日のこの試合、明らかに素材としては自分より上の大滝と投げ合う。
ここで決めよう。
プロになって通用するかどうか、いまでも不安だ。自分はひたすら野球をし続けるだけのバカではいられなくなった。
だが、だからこそここで大滝に勝てれば、自分の進むべき道へ、本当に最後の一歩を進められる。
大滝に勝って、プロになる。
先攻の花巻平の攻撃を、岩崎は三人で切った。
しかし二番打者にかなり粘られたのは、初回からきつかった。
元々分かっていたことだが、花巻平の攻撃のツボは、二番の翁である。
長打はライン際に飛んだ時以外には一度もないが、なにしろ打率が五割近く、出塁率も七割はある。
小柄で、セカンドとしても守備の要で、ランナーがいる時といない時とで、それに応じたバッティングが出来る。
難しい球はとにかくカットしてしまい、甘く入った球を着実にミートするか、四球で出塁する。
ただ圧倒的にパワーがないので、前に飛ばしても内野の頭を越えないことはある。
「初回だから球数使ったけど、次からは歩かせることも視野にいれないとね」
「ムカつくやつだけど、上手いな」
バッテリー間の会話を聞いて、秦野はとりあえず守備が機能していることを確認する。
花巻平は確かに大滝のチームではあるが、大滝頼みのチームではない。
長打力は確かに体の分厚い大滝が優れているが、そこまでの三番でちゃんと出塁する。
(肝心なのは大滝のバットを封じて、ピッチングにまで影響を与えられるかどうかだな)
高校野球の奥深さと言えようか。
プロに行くようなピッチャーであっても、高校時代は四番を打っていたりすることは多い。高校までは素質で打てるからだ。
ピッチャーとしては通用せず、バッターに転身して大成功を収める者もいる。
一番極端な例は、王貞治だろう。彼は甲子園優勝投手であるが、世界のホームラン王となった。
大滝も四番として見るなら、強豪校の四番という程度のレベルであり、ピッチングほどの圧倒的なものは持たない。
(大滝がバッティングにまで執着を見せるやつなら影響はあるだろうが、花巻平は基本的に大滝以外で点を取ることも多いからな)
岩崎にとってバッター大滝は、それほど恐るべき存在ではないだろう。
そして一回の裏、白富東の攻撃である。
アレクへの初球はスライダーであった。大滝のスライダーは変化量は多く、空振りを取れるタイプのものだ、
だが左打者のアレクにとっては懐に飛び込んでくる軌道であり、当てる程度ならば問題ない。
初見でヒットにはならず、ファールグラウンドに飛んだ。
二球目、軽く投げられたようなボールが、155kmを記録した。
これを迎えうったアレクだが、ボールは真後ろに飛んだ。
タイミングは合っている。
しかし三球目は空振り三振となった。
158kmと表示されるストレートであった。
二番打者の哲平は、肩をすくめて戻ってくるアレクを迎える。
「前とはもう別人。フツーじゃ打てないね。目を慣らして、三巡目以降かな」
まさに言われた通り、二球連続でストレートを空振り、三球目のチェンジアップで空振り三振。
160kmを簡単そうに打っていた、去年の大介のワールドカップを思い出す。
(160kmって、人間の160kmって、普通の人間じゃ打てないと思う)
機械でならば、哲平もそこそこ160kmは打てるのだ。
そして大介は機械で目を慣らすことはしても、機械の160kmは打たない。
マシンの導入当初は独占して打っていたらしいが、マシンの160kmよりも、直史の140kmの方がはるかに打つのは難しいと言っていた。
おそらくそれは本当なのだろう。だが機械の160kmをまだまだ打てない哲平には、別次元の話だ。
そんな大介が、打席に入る。
哲平と同じ左打者なので、あのスライダーは空振りまではしないだろう。
チェンジアップは緩急差をつけるためのものだろうが、それでも空振りを取れるぐらいの落差はある。
あれを、大介はどう対応するのか。
長い木製のバットを持って、ぐいんと背中を反らせる準備運動。
素振りは軽いが、スピードがある。
大介の秘密は、どうしてあの体格でホームランが、しかもあの距離が出せるかということだ。
体格、身長が小さくても、筋肉の量があれば、ホームランは打てる。
理論的には80kgの体重があれば、ホームランは打てるらしい。だが大介の体重は70kgもない。
そして世の中では80kgも体重のない者がホームランを打っているので、単純に筋肉の量だけでホームランは打てるものではないのだ。
低めに入ったストレートを二球、大介は見逃した。
ボールが二球先行して、次はストライクがほしいはず。
インハイの一番速く感じるコースへ、渾身のストレートが投じられる。
ここを厳しく攻められたら、いかなるバッターでも仰け反らざるをえない大滝のストレート。
すっと体を開いた大介は、わずかにバットをゆっくりと出して、それをミートした。
本日最速タイの、158kmのストレート。
バックスクリーン近くのライトスタンドに、とりあえず放り込む大介であった。
158kmだ。それも一番速く感じるインハイにだ。
花巻平の笹井監督は、圧倒されそうになる自分を恥じる。
戦っているのは選手たちだ。あの化物をどうにかしようとしている選手たちより、自分がみっともなく騒ぐわけにはいかない。
(160kmまでは、白石はワールドカップで打ってる)
まだ一点。ここからどうするかで、大滝の未来が決まる。
続く鬼塚へは、スライダーから入った。
続いて150kmオーバーのストレートでつまらせ、ショートフライ。
ここで無理に三振を取りに行かず、体力を温存する。
世代最速と言われ、体の成長のバランスさえ取れればと、ずっと言われてきた。
あの上杉をも超えるかと言われ、ようやくそのバランスが自分の中でもしっくりときていたあの練習試合。
156kmのストレートなど、全く意味がないと言わんばかりのスイング。ピンポン球のように飛んでいったボール。
また力を入れすぎて、壊れかけた。
監督の必死の静止がなければどうなっていたか。
単純にパワーだけで勝負するのではダメなのだ。
認めよう。あの小さな巨人は自分よりも上だと。
だがそれでもなお、力で勝つために。
今はまだ、力を蓄えておくべき。
勝てる試合ならば、点を取らせてもいい。
そう思った準々決勝、初めて160kmが出た。
本当に封じるべき時に封じるのがエース。ただ三振を積み上げるだけでは意味がない。
勝利をもたらすのがエースなのだ。
弟の上杉よりも速いというのは、当然ながら事前に分かっていた。
だが最後に自分に投げたのは、155kmしか出ていなかった。
(舐められた……いや、それで充分と思われたか)
鬼塚はベンチに戻りグラブを受け取る。
「フルパワーのストレートは振らないほうがいいかな。球数放らせるしかない」
ジンがそう言って秦野の方を見る。監督もそれに頷く。
頷いてみたが内心ではそれどころではない。
(160km近くっていきなり打てる人間、本当にいるんだな)
秦野は色々と作戦を考えはするが、それを実行するのは選手たちである。
直史はなんでも出来るし、武史には圧倒的なスピードがある。ジンは作戦を正しく理解する。
だが大介のバッティングだけは意味が分からない。
ワールドカップで160kmを打っていたが、秦野はアメリカなどの高校生レベルの160kmは、あまり信じていない。
計測が甘いとかそういうことではなく、単に速いだけと言うべきか。
もちろんそんなものを投げられるだけで充分すごいのだが、ハイスクールレベルの投球は、その精密さが日本の方がはるかに上だと考えているからだ。
(ただアレクも白石も言う通り、今のレベルの球速だと、他のやつは手が出ないか)
大介が異常なだけで、他のメンバーが不甲斐ないわけではない。
岩崎は変に大滝に対抗意識など持たず、淡々とピッチングを行っている。
四番のその大滝から始まったが、スライダーを打たせてアウト。
五番の金剛も要注意打者なのだが、あっさりとゴロを打たせている。
この回は打者全員を内野ゴロの五球でしとめてしまった。
(い~いピッチャーなんだよな。大田とバッテリーで、普通に全国制覇出来るレベルなんだが)
おそらくは上杉勝也の影響なのか、この数年の高校野球のレベルは、秦野から見ても異常なほどレベルが高くなっている。
そのレベルが中でも一番高いのが、今の三年世代ではないだろうか。
秦野の20代の監督の頃であれば、岩崎にアレク、淳と三人がいれば、普通に全国制覇を狙っただろう。
(つーか女子は女子で化物がいるしな)
権藤明日美のピッチングは、神崎恵美理と組ませれば、男子の中に入れても甲子園出場を果たしてもおかしくはない。
さすがに西東京では強いチームが多すぎて、勝ち残れないだろうが。
あの金髪の小娘が、この日本の野球の状況に目を付けたのは、さすがと言うべきなのだろうか。
上杉勝也が参加したワールドカップの、日本の活躍を見てのことか。
(そう考えると上杉の影響力は大きすぎるな)
大介がMLBのスカウトに全く興味を示さないのは、身近にもっと巨大な存在がいるからだ。
少なくとも上杉とある程度の勝負をしない限りは、日本を離れることはないだろう。
三回が終わって、岩崎はパーフェクトピッチ。
大滝も大介に食らった一発以外は、冷静に三振と凡打を築き上げている。
球数は大滝の方が多いが、多すぎるというほどでもない。
そして四回、先頭打者をピッチャーフライにしとめて、二番の翁。
花巻平の得点の半分に、この選手が関わっている。
塁に出ることも、ランナーを進めることも、バントでホームに帰すことも、自分が帰ることも出来るプレイヤー。
圧倒的に小柄でパワー不足なのだが、こういう選手がチームにいると、プロでも面白いのかもしれない。
ストレートとスライダーを使ってツーストライクまでは追い込んだのだが、そこから空振りはしないし、ボール球は振らない。
結局チェンジアップを狙い打たれて、ライト前のヒットとなった。
(出したくないランナーが出るのが、野球なんだよな)
七球投げさせられたが、それはもう仕方がないだろう。
ここから後をどう切るかが、本当のレベルアップにつながる。
三番は送りバントで、ツーアウトランナー二塁。バッターは四番の大滝。
(三番がガンちゃんのボールを簡単にバントしてくるのが、花巻平の侮れない点なんだよな)
初球、セットからのクイック。内に決まったストレートを大滝は振らない。まずはストライク。
大滝は手足が長いのもあり、外角でも割りと簡単に長打を打つ。
内角が弱いというわけではないが、長打にはなりにくい。普通は逆である。
二球目、やはり内角。大滝の手元でほんのわずかに変化した。
ショートの守備範囲で、大介がキャッチして一塁へ。無難にスリーアウト。
カットボールだ。空振りが取れる変化はないが、内角で芯を外せば、まず打ち取れる微妙に役立つ球。
150kmが投げられるピッチャーが変化球に拘りを持ったとき、その投球の幅は大きく広がる。
ここまでヒット一本で無失点の岩崎。
そしてホームラン一本で失点一の大滝。
大介の二打席目が回ってくる。
×××
200万PV突破記念
次話「意地っ張り」
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