第129話 休養日に休んでるやつはいない

 準決勝の対戦相手が決まった。

 残った三校の中では、白富東にとっては、一番楽と思えるところである。

 花巻平自体は名門で、チーム力も他の二校にそれほど劣るわけではない。

 だが致命的なのは、大滝という傑出した剛速球投手を擁するがゆえに、白石大介から逃げることは許されないであろうということだ。簡単に言うと、相性が悪い。

 誰が許さないのか? 観客である。


 甲子園の試合も重ねて、秦野も分かってきた。

 基本的に甲子園の観客は我儘なのである。

 そして大介のことが大好きだ。

(最悪でも一打席は勝負してくるだろうけど、いくら白石でも100%打てるわけじゃないと言いたいけど……)

 遠い目をしてしまう秦野である。


 大介はこの大会、とんでもない記録を続けている。

 連続出塁記録と言うべきか、連続非凡退記録と言うべきか。

 初戦になった二回戦は、井口を敬遠されないためにも、相手のピッチャーも割りと勝負してきた。

 五打席三打数三安打二本塁打三打点四球二

 三回戦は基本的に明らかに敬遠してきたが、塁が埋まっている時は勝負してしまった。

 七打席二打数二安打一本塁打五打点四球五

 準々決勝は樋口が上手く単打までに抑えていたのだが、最後の最後で失敗した。

 四打席三打数三安打一本塁打一打点四球一


 つまりここまで、16打席八打数八安打四本塁打九打点四球が八となっている。

 笑うしかない。

 出塁率が10割で、打率も10割。そして打てば半分の確率でホームラン。

 ……笑えよ。

 盗塁は九回試みて、八回が成功。つまり単純に考えると16回の打席で、15回は二塁に到達する数値なのだ。

 前の塁が埋まっていて、盗塁出来なかったパターンもあるが。

 直史のパーフェクトは、いずれ誰かがまた行うかもしれない。

 だが決勝までいくチームのクリーンナップが10割を打つのは、おそらくこれが最初で最後だ。


 準決勝の大滝、決勝は水野か真田、どちらも凄い投手であるので、さすがに大介も凡退する可能性は高いが。

 特に真田は大介の苦手なタイプではある。

 しかしこの記録は、まさに誰も止められないものだ。

 野球というスポーツは、三割打てて四割出塁出来れば、まず一流と言っていいスポーツなのだ。

 それを全国大会で、二三回戦はともかく上杉とも三打席勝負して、全てヒット以上を打っている。


 どうしろと?

 おそらく日本でこれとまともに戦えるピッチャーは、プロの上杉ぐらいしかいないのではないか。

 ここにきて日本のプロ球団はもちろん、MLBまで激しく獲得のために動き始めている。




 まだ甲子園が終わっていないのに、周囲ではどの球団が獲得するかという話題は尽きない。

 当の大介は、わりとはっきりしている。

 MLBには行かない。NPBだ。

 これは一年の時から、セイバーとも相談してはっきり決めている。

 それにMLBに行っても、そこには上杉勝也はいないのだ。

 MLBには上杉並の球速を出すピッチャーは数人いるが、本当の本気の上杉ならば、大介をまだまだ上回ってくるだろう。

 MLBに行くかどうかは、そこで勝負をしてからだ。


 それに大介には、家族がいる。

 母は再婚し、祖母もいざとなれば母と同居するという話にはなっているが、高校を卒業していきなりアメリカに行くには、未練が残りすぎている。

 だからNPBであり、そしてどこに入団するのかだが、そこも大介はかなり希望は出している。

 簡単なもので、上杉と戦う回数の多いセ・リーグで、上杉と違う球団。

 在京球団であればなお良し、というものだ。

 大京レックスか東京タイタンズ。本人の希望としてはこうなっているが、まあ上杉と戦えるなら他の球団でも仕方がない。

 パ・リーグだと対戦の機会は大幅に減るが、その分日本一を争う場面で戦うことがあるだろう。


 神奈川グローリースターズにだけは、申し訳ないがお断りを入れている。

 スカウトも基本的には大介の意向を尊重したいが、ドラフトの指名を鶴の一声で決めるのはオーナーだ。

 神奈川のオーナーは野球にも詳しく、現場の声をちゃんと聞くが、それでも興行という面を考えずにはいられない。

 特に現在の神奈川は、打撃の方が怪我人が多く、上杉が完投をしても援護が出来ず、ついに負け星を付けさせてしまった。

 必要なのは打てる内野で、大介はその条件にぴたりと合うのだ。大介の希望さえ除けば、指名をするのが当然という状況だ。


 大介としては一番の希望はレックスである。

 高校に入ってすぐ、自分に目をつけてくれたのが、レックスのスカウトであるジンの父だからだ。

 在京球団でセ・リーグと、条件も完全に満たしている。

 しかし神奈川に指名されたらどうするか、それだけはまだ決断出来ていない。

 もし指名されても他の球団に行く方法は、進学か、ノンプロか、浪人か。

 野球の成績だけで入れてくれる大学はあるだろうし、色々と特典もついてくるだろうが、大介はこの選択肢はほぼ完全に無視している。

 あと四年も学生野球をする気はない。

 ノンプロ、社会人に進めば、仕事をしながら野球をする。

 しかし高卒選手が社会人に行けば、次にドラフトにかかるのは三年後という制限がある。


 浪人。実はこれが、神奈川に行かない確実な手段である。

 ドラフト指名し交渉権を得ながらも、契約にこぎつけなかった場合、次の年のドラフトでは指名できないというシステムになっている。

 とにかく神奈川以外ならという大介であるのだが、そのために一年もブラブラとするのは何か違う気がする。

 FAの資格を得てから他の球団に移籍するというのも、何年かかるのかという話である。

 そもそも神奈川が、大介以外を指名してくれれば、それで話は済むのだ。

 もし指名したとしても、抽選になる可能性はかなり高いし、そこから神奈川に当たる可能性は低い。


 この年には高校生だけでも、多球団競合になりそうな選手は多い。

 160kmを投げた大滝なども、本来ならそういうレベルだ。

 バッターや野手としては井口だろうが、大介に比べると明らかに劣る。

 だからピッチャーをほしい球団であれば、多くの選択肢があるのだ。


 上杉、島、大滝。155kmオーバーと150kmオーバーの左腕だけでもこの三人がいる。故障した金原は除いたとしてもだ。

 神奈川としては上杉を指名したら、兄弟で同じチームということで、話題にもなるだろう。

 ただそれでも、ショートとしてもほとんど完璧の大介を諦める理由になるだろうか。

 スカウトたちも含め、編成陣の苦悩は続く。




 今年の甲子園も、決勝と準決勝の間には、一日ずつ調整日がある。

 実質的にはピッチャーを休ませるための休養日であるが、白富東に限って言えば、今年は休養がない方が有利であった。

 花巻平は実質大滝一人で、県大会などは控えにも投げさせているが、甲子園ではほぼ九イニング投げている。


 その花巻平戦、先発は岩崎である。

 調整として準々決勝、直史に二イニングだけ投げさせられたのは、むしろ良かったと言える。

 決勝は大阪光陰か帝都一。戦力的には大阪光陰だろう。

 豊田と真田の二人がいるが、数字的に見れば圧倒的に真田の方が上と言うか、一年の木村と組んで復活している。


 真田は去年、大介をかなり苦しめた。

 結果的には外したはずのストレートを打たれて甲子園の歴史に名を残してしまったが、それ以前は得点を許していなかったのだ。

 秦野の見る限りでも、明倫館戦の継投で体力温存したことを考えても、真田を先発で完投させる確率がかなり高いと思う。

 ならばこちらも最高のエースで迎えうつしかないだろう。

 そのためにも準決勝は岩崎と、あとは投げるとしても他のピッチャーで対応したい。

 甲子園に来てからほとんど投げていない直史は、実際のところは連投も可能なのかもしれないが、無駄な危険は避けたい。




 調整日となったこの日、前日に100球ちょっと投げた武史も、ノースローではなくある程度投げている。

 それだけ投げたらノースローというのが世間一般の常識であろうし、セイバーなどもそう考えていたのだが、直史だけは考えが違ったのだ。

 直史は明らかに故障していない限りは投げる。完投した次の日もだ。

 さすがにワールドカップの終了の翌日などの、大きな大会の終わった後は一日ほど休むが、大会期間中でも試合のない日は必ず100球前後は投げる。

 なぜと言われても困るのだが、単純に投げないと肩が重くなるからだ。

 武史はそれの真似をしているわけだが、たぶんこれでいいのではないかと自分でも感じている。

 もっとも世間一般の投手とは違うことも分かっているので、他の者には真似させようとしない。

 佐藤兄弟の場合、長男と次男の肩は、消耗品ではないらしい。


 春日山戦は投手戦であったが、武史が大量に三振を奪ったのに対し、上杉はそこそこ打たせて取っていた。

 なので守備もそこそこ体が固くなっていたので、この日の練習でほぐすのは必要だった。

 花巻平は大介と勝負するかが一つのポイントだが、とりあえずストレート対策はしておきたい。

 160kmを投げられるピッチャーはいないし、武史は調整で全力を出したくないし、明日の先発の岩崎に投げさせるわけにもいかない。

 右の本格派なのでトニーと、そして意外な人物がバッピをしてくれている。


「投げるぞ~」

 シーナの予備のユニフォームに身を包み、ツインズのスパイクを借りて、権藤明日美がマウンドに立っている。

 そして投じられる球は、140kmは出ていないのだが、明らかに男子の140kmよりは速く感じる。

 おそらく、と投球動作のメカニックにうるさい直史は分析する。

 男子選手に比して明らかに身長が低いことと、関節の柔らかいことが、普通のピッチャーよりも低い位置でボールをリリースしている。

 つまりより落ちにくい軌道だ。その軌道が145kmから150kmぐらいの男子ピッチャーの軌道と重なるのだろう。


 今日はスプリットは投げてもらわないが、なるほどこれが打てない秘密か、と納得する者もいる。

 ただし、一人だけどうにもならないバッターがいる。

 明日美が全力で投げても、ストレートだけでは大介は全く抑えられない。

「う~、恵美理ちゃんのリードがあれば!」

「あたしらのリードで我慢してね~」

 ツインズの片方が入ってキャッチングをしているのだが、スプリットなしでは大介を抑えることは不可能だ。

 スプリットなしでもかなりのバッターが打ち損ねるのは、さすが女子最強、女上杉と呼ばれるだけのことはある。


 なお明日美のフォームはやはり改善されておらず、ストレートもかなり軌道やスピンが違う。

 それなのになぜ大介はほぼ百発百中で打てるのかと言われれば、簡単なことである。

「んなもんどんな球でも当てるつもりで振って、当たった瞬間調整すればいいだろ」

 全く参考にならない。これだから天才は。




 そして一方のブルペンでも、予備のプロテクターを着けた恵美理が、武史の調整練習に付き合っていた。

 明日美のMAXを簡単に超える、145km前後のストレートが、ミットに突き刺さる。

 念のために見ているジンであるが、ミットは勢いで流れてしまっていても、ボールをキャッチすること自体は問題ない。

(さすがに筋力は足りてないけど、持ってる筋力を全部使う上手さはある、か。何気に足腰も強いし、運動神経はそんなにないって言ってたけど、運動神経なんて単純に言えるもんじゃないしなあ)

 例えば直史などは、自分のイメージした動きをトレースするという点では運動神経抜群と言えるが、その動きの上限はそれほど高くない。

 バッターとしては打率は相当高いのだが、ホームランは練習試合も含めて三本しか打ってない。


 練習試合の様子から見ても、恵美理は目がいいのは確かだ。

 そしてバットコントロールも上手い。だがパワーはあまりない。特にキャッチャーに必要な、上半身で投げるタイプの筋肉はない。

 選手権大会では決勝で新栄高校と当たり、黄金バッテリー相手にわずか一本のヒットに抑えられたのだが、その一本が恵美理であったのだ。

 明日美は確かにフィジカルモンスターだが、センスという点でならば、恵美理もかなりのものがあるのではと思わせる。

(それにキャッチャーとしての、バッターの打ち気を感じるのは……少なくとも才能は俺以上かもな)

 ストレートとスプリットしかない明日美が打たれないのには、それなりの理由があるのだ。


(すごい……)

 武史のストレートは、単純に受け止めるだけでも体全体がビリビリと震える。

 肩が温まってかたら150kmのストレートを投げてもらうが、もしこれがボールゾーンに外れていたら、自分は捕れないだろう。

(やだなにこのここわい)

 傍で見ているジンは戦慄していた。

 いきなり150kmを捕れる人間が、しかも女子がいる。

 たとえばあの樋口でさえ、上杉勝也のボールを捕るのには数日かかったという。


 一見するとお嬢様で、ユニフォーム姿でも気品を感じさせるその所作。

 音楽家の家系に生まれていた割りに足腰が強いのは、雄大な大自然を感じるためにあちこちでキャンプをする父に、子供の頃から連れまわされていたからだという。

 なので実は彼女は、サバイバル技術はおサルさんの明日美よりも高かったりする。

 まあ明日美は手掴みで川の魚を捕るような、サバイバルとはまた違った恐ろしさを持つ人間であるのだが。


 素晴らしい体験であるが、恵美理にはまだ一つ期待がある。

「あの、試合の中盤から投げてた、もう一つのストレートは投げないんですか?」

 ピッチングのメニューを監督しているのはジンのため、そちらに質問する恵美理。

「もう一つの?」

「中盤ぐらいからフォームが少し変わって、軌道が変わるんですよね、明日美さんみたいに」

「え、どうして気付いたの?」

「普通に見ていれば」

 ここでまた恵美理は「私また何か変なこと言っちゃいました?(きょとん)」という表情をした。


 イリヤが知っていた、ピアノの上手い少女。そしてトランペットも吹ける。

 そこでジンも勘違いしていたのだが、恵美理の才能は音感ではなく、目にあるのではないか。

 音を出すための指使いなども、視覚情報ではある。

 それに、見て学ぶという言葉があるとおり、目から入ってくる情報は、他の何よりも多い。

 神崎恵美理の目は特別製だ。


 全くもって、この世には天才が多すぎる。

 一つの道を極めようとすれば極めようとするほど、天才がその道のはるか先を行っている。

 それを理解しながらも、ジンは武史に、あの軌道の違うストレートを投げさせるのであった。

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