第128話 シーソーゲーム

 四番に代走というのは、ここで決めるという監督の明確な意思の表れである。

 逆に明倫館ベンチとしては、ここをどうにか乗り越えれば、もう最強の打者とは当たらなくて済む。

 延長まで視野に入れるところであるが、明倫館の監督大庭は、村田の事前の計算に応えられない、自分に歯がゆさを感じていた。

 三点までには抑えられると言っていたのだ。四点を取る工夫が足らなかった。


 純粋にチーム力に差はあった。

 特にピッチャーだ。豊田と真田の左右に比べ、高杉一人で投げてもらう覚悟が必要だった。

 打線だって大阪光陰の方が、はるかに上のはずだ。

 だが八回までを見れば、大阪光陰はヒット六本で一点。

 明倫館はヒット三本で一点なのだ。


 偶然という要素は確かにある。

 結果だけを見れば、後藤に対しては敬遠するべきであったのだ。

 俊足のランナーを三塁に置いて、なんでも出来る五番が打席に入る。

 同点の九回表、クリーンヒットならもちろん、タッチアップにスクイズ、そして内野ゴロまで、様々な展開で一点は入る。

 もちろんピッチャーの暴投、キャッチャーの後逸まである。

 確実にアウトを取れるのは、三振か内野フライ。


 高杉は疲れてきている。

 しかしこの土壇場で、力を振り絞れるのが高杉だ。

 つまり、エースだ。


 高杉にはここで確実にストライクを取れるウイニングショットがない。

 三種類のスライダーにスプリット。スライダーは合わせることまではそれほど難しくなく、スプリットには落差がない。

 ストレートの球威でしとめるか。しかしそこまでの球威が残っているか。

 村田は知っている。

 高杉は必要であれば、最終回でも自己最速を出せる男だ。




 高打率の丹羽。初球に対していきなりバントの構え。

 しかしインハイへのストレートを見てバットを引く。ランナーの動きもない。

 ここで球速表示は、本日最速ならぬ、自己最速の150kmを叩き出した。

 甲子園の、九回に、この球速を。

 おおおお、と満員のスタンドが揺らぐ。数字にはそれだけの力がある。

 高杉が完全に集中し、しかも肉体を完全に掌握して動かしている。


 次の打者は今日の一打点を上げている宇喜多だが、それでもデータ的に見れば丹羽の方が厄介なバッターには違いない。

(本当なら三振は難しいバッター)

 外へのボール球、内へのボール球。

 そしてアウトローにストレート。ストライク。

 バッターの右手に注意していた村田は、ここまではスクイズを計算に入れていた。

 しかし高杉の球威が上がり、それは難しくなっている。


 計算以上のピッチングを、高杉がしている。

 こういうことをやってくるから、明倫館の選手たちは難しい。

 味方の村田でさえそう思うのだ。


 次で決める。

 インハイの最も速く見えるストレートで、三振を。

 それに対して丹羽はバットを寝かせた。

 ランナーは走っている。こちらの内野は無警戒。タイミング的に転がされれば絶対にホームには間に合わない。

 転がされた。サード方向。

「一つ!」

 高杉が捕って一塁へ。その間に大阪光陰待望の勝ち越し点が入った。




 出来ると見たら、平気でスリーバントスクイズをしてくる。

 頭の隅にはあったのだが、バスター紛いで内野の間を抜かれることを考えて、前進守備はしなかった。

 これまで丹羽はこういった場面では、外野フライを打ってくるパターンしかなかったのだ。

 だが必要とあれば、このひりついた場面でスリーバントスクイズが決められる。

 後続は抑えたものの、九回の表で勝ち越された。


 選手たちは戦意を失っていない。

 先取点を取って、追いつかれて、追い越された。

 真田からはまだ一本しかヒットは出ていないが、この最終回は二番からの好打順。

 大阪光陰は代走に代えて守備固めの選手を出す。

 真田も気を抜かず、内野ゴロでまずワンナウト。


 勝利まであと二人。

 打席に立つのは、明倫館でも格別に三振率の低い久坂。

 真田の必殺スライダーでもファールにカットし、際どい球もカットする。

 振らせようとした大きな縦のカーブを見送って、フォアボール。同点のランナーが出た。

 ここで四番の桂。

(最低でも進塁打。そして出来れば自分も生き残る)

 鋭いゴロを一二塁間。ランナーは進むが、ファーストはカバーに入った真田に送球し、一塁はアウト。

 最低限ではあるが、これで満足のしようもない。単打でもヒットがほしかった。


 ツーアウトで、ランナーは二塁。

 こういう場面で最も頼れると言うか、全く緊張しない打者、村田が打席に入る。

 ツーアウトでランナーが久坂なのだから、タイムリーであればそれなりの当たりで一気にホームに帰ってこれる。

 だがそれを考えたのか、外野は前進守備。そして内野はやや後退。

 村田は走力を重視する明倫館の中では、例外的に足が遅い。

 確実に一塁で殺し、試合を終わらせる。

 万一外野の頭を越えられても、ランニングホームランはない。


 追い詰められた、と考えるべきか。

 ツーアウトだから当たれば自動的にランナーはスタートだが、単打の当たりで一気にホームに帰ってこられるか。

 それに内野ゴロだと、この守備配置と村田の足を考えると、内野安打にもなりにくい。

 意表を突いてセーフティ。高杉のバットに賭けるというのもありか。


 傍から見ていれば色々と考えることはあるが、村田はただ、狙ってヒットを打つことしか考えていない。

 当初の計算からすると、九回の裏で一点リードされているというのは、計算の上では負けている。

 ここでサヨナラホームランでも出れば話は別だが、村田はそこまでのことは求めてはいない。

 着実に、つなぐ。

 延長になれば勝算はさらに低くなるが、着実につなぐ。




 木村からのサインに首を振り、真田は外角のボール球から入った。

 チャンスの時になんだかんだ言って打ってしまうのが村田なのだ。

 二球目もサインに首を振り、カーブを投げてきた。

 落差のあるこのカーブも、村田は手を出さない。これはストライク。


 三球目は首を振らずにスライダー。ボールからストライクに入ってくる球だった。

 村田もバットを振らない。これで追い込んだ。

 四球目はアウトローへのストレート。際どいところを村田はカットする。

 五球目もストレートだが、外に大きく外した。

 このリードは、かなり真田よりのものだろう。

 村田に対して真田は、最大限の警戒をしている。


 これだけ外を意識させた上で、内で勝負する。

 真田の性格であればインハイに鋭くストレートか、インローにスライダーを変化させてくるか。

 六球目、インハイ。

 村田のバットがボールを弾く。打球は回転がかかりながらサードの頭の上を抜け、フェアとなった後ファールグラウンドに転がっていく。

 長打になる。


 久坂はホームインし、村田も二塁へ。

 同点。そしてサヨナラのチャンス。

(また難しいところを)

 同点を喜ぶべきかもしれないが、明倫館の大庭は悩む。

 ここで決めるつもりなら、村田には代走だ。しかし延長に突入した場合、村田以外のキャッチャーが高杉をリード出来るはずもない。

 その高杉にしても、そろそろ限界は近いだろう。

 この試合で自己最速などを出しているが、それは肉体を酷使しているということでもある。アドレナリンの力を借りて、限界を超えている。


 打席に向かう高杉の歩き方にはまだ余裕があるが、あの自己最速150kmをこの場面で出すなど、甲子園のマモノの仕事とも思える。

 高杉の負担を軽減させるためにも、村田に代走を出すのは無理である。

 長打力もある高杉を、敬遠してくるかもしれないという考えもあった。

 そして高杉は三振し、試合は延長戦に突入した。




 おそらくは負けた、と村田は判断する。

 彼の灰色の脳細胞は、この試合に勝つには4-3か3-2のスコアが必要だと思っていた。しかしそれは九イニングでの話だ。

 10回は大阪光陰も八番の木村からだが、この一年生もそれなりに打っている。

 真田はピッチャーでなければクリーンナップ相当であるし、先頭に戻ればまた凶悪な打線だ。

 一方の明倫館は、下位打線から。10回の裏に得点出来る可能性は低い。


 そもそも延長に入った時点で、計算からはもう外れているのだ。

 高杉がまさかの150kmを出したりしたが、それでも計算を覆すほどの勢いにはならないだろう。

 だが最後まで、最適解を求め続ける。


 木村と真田にも鋭い打球を打たれたが、守備の援護で塁には出さない。

 もし明倫館が勝てるとしたら、それは11回の攻防にまで持ち込んだ場合のみ。

 そう考えて、一番毛利へのサインを出す。このバッターも恐ろしい。地方大会では三本のホームランを打ち、甲子園でも打率は四割を超えている。


 球速だけはあるストレートが浮いた。

 毛利はそれを振り切った。

 打球は高く上がり、そして伸びる。

 ライトスタンドへのソロホームランで、大阪光陰が再び勝ち越した。




 まだ試合は終わっていない。

 続く明石がショートライナーに倒れて、明倫館の最後になるかもしれない攻撃に移る。

 10回の裏の明倫館は、下位打線に代打を出す。打撃に振り切った能力の打者は、明倫館にもいるのだ。

 しかし初対決で真田を打つのは難しい。

 ツーアウトを取られて、代打の切り札がフォアボールで出塁する。

 これに大庭も代走を出し、得点の期待値を高める。


 バターボックスには一番に戻って二年の伊藤。打率も出塁率もいいバッターだ。

 俊足のランナーを動かして、どうにか真田を揺さぶりたい。だがよりにもよって真田は左投手なのだ。

 一塁の動きは丸見えであり、足を使った援護はしにくい。

 丸見えのところを逆に利用するほど、真田は揺らぐメンタルを持ってない。


 村田は冷静に考える。

 伊藤はそれなりに打率のいいバッターだが、真田相手のヒットは難しいだろう。

 セーフティという手もあるかもしえないが、大阪光陰の守備にバントヒットは難しい。

 ここで後藤に代えて守備要員を、ファーストに配置していたのも活きてくる。

 大阪光陰の守備に穴はない。


 少しでも確率があるものは何か。

 だがそう考えている間にも、真田はボールを投げる。

 ストライク先行。あと二球。


 伊藤が真田を捉えられていないのは確かだ。今からでも代打を出すべきでは。

 だが三人連続で代打を出していて、もう伊藤以上のバッターはベンチに残っていない。

 大庭も冷静に考える。伊藤に必要なのは、もう振っていく勇気以外にはない。

 強振。ただそのサインだけを出す。


 真田の投げたスライダーを、伊藤は打つ。

 ボテボテのセカンドゴロ。チーム一の俊足の伊藤は駆ける。

 頭から一塁ベースへ突っ込むが、その前にボールはファーストのミットに納まっていた。

 試合終了。3-2で大阪光陰の勝利。

 スコアは僅差であるが、打ったヒットの数や奪三振では、大きく大阪光陰が上回っていた。


 疲れる試合だった。真田はつくづくそう思う。

 攻撃も守備も両面において、村田が厄介であった。

 だがこのきつい試合をしておいたことは、必ず後に活かされるだろう。

 そう、準決勝と決勝のために。

 ともあれ、本当に疲れる試合であった。




 勝てた試合だっただろうか。

 後から考えれば、色々といくらでも出てくるのが、他の選択肢である。

 大庭は三年の最後の試合が、ここで終わってしまったことが悔しい。

 下級生にはピッチャーも含めて色々と人材はいるが、キャッチャーに関しては村田以上の人材はいない。


 攻撃を考えるのは、自分の仕事であった。

 そして村田の言う通り、九回までに三点を取れていたら勝てたのだ。

 最初の一点は、まさに偶然の連打が続いた。

 だがもっと初回から豊田と大蔵のバッテリーを揺さぶるべきではなかったか。

 木下監督でもあそこよりも早く、先発のバッテリーを代えたとは考えにくい。

 全国制覇を狙い、使えるピッチャーが二人いるだけに、逆に一人のエースを全てに投げさせるわけにはいかない。


 延長戦に突入するまでに、三点目が取れれば。

 九回の時点で、高杉が150kmを叩き出したのは、アドレナリンなどで筋肉のリミッターが切れたのもあるが、もう制御が出来なかったとも言える。

 毛利の打ったホームランは、球速は149kmも出ていたのだ。

 合わせていったら、それでスタンドまで届いていってしまったという類のものだ。

 低めにコントロールされていれば、あんな結果にはならなかった。


 しかし、これで終わった。

 監督としては、三年と一緒に燃え尽きた気分になっていてはまずい。

 自分は職業的高校野球監督なのだ。部員たちの進路相談にある程度乗ることはあるかもしれないが、チームを作って勝つことが、自分の本来の仕事だ。


 また、一年が始まる。

 二度と同じ一年はなく、そして何度も繰り返される、ひりひりするような一年が、ここから始まるのだ。




 準々決勝が全て終わった。

 勝ち残ったのは、白富東(千葉)、帝都一(東東京)、花巻平(岩手)、大阪光陰(大阪)

 花巻平を除く三チームには全国制覇の経験がある。そして優勝まではいかなくても決勝に進出したことがあるのは、全てのチームである。

 何度も優勝している東西の横綱に、今年の春のセンバツ優勝の白富東、そして高校生最速右腕の大滝を擁する花巻平。

 どれも名門のように聞こえるが、白富東は三年前までは甲子園など全く無縁の、地方の進学校であった。

 それがこのような舞台に立つなど、誰が思っていただろう。


 そして準決勝の対戦相手も決まった。


 第一試合 白富東 対 花巻平

 第二試合 帝都一 対 大阪光陰


 調整日が一日あって準決勝。そしてもう一日調整日があって決勝。

 長いようで短いようで、やはり長かった甲子園も残り三試合。

 夏の終わりが近い。


×××


 本日Exエピソード15に、準決勝までの間のエピソードを入れています。

 

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