第114話 群雄たちの争い
大会二日目。
白富東の選手は本番の試合に合わせて、早寝早起きである。
宿舎となった旅館の庭を全員で歩き、朝食となる。
「そういや食事の管理はどうなってんだ?」
県大会終盤の合宿所に泊まっていた間は、佐藤家のツインズが栄養面を管理していた。
ツインズは今日の午前中には到着するが、メニューが旅館任せなのかどうか、大介は心配になったのである。
「ツインズからもらったノートを旅館の人に渡して、それでお願いしてますけど」
マネージャーの中で同伴しているのは、文歌と珠美の二人である。珠美は自腹と言うか、秦野が宿泊費などは出している。
ツインズが到着すれば、大介のみならず野球部全員の世話をしてくれるはずである。
「まあ、それなら大丈夫か」
あれだけ抵抗してきたにもかかわらず、大介はツインズのいる便利さに慣れてきてしまっている。
やはり男を捕まえるには、胃袋を掴むのが一番効果的ということなのだろうか。
大会前の練習中は、一日五食が白富東のノルマであった。
だが大会に入ってからは、通常の三食に、プラスして補給食を食べている。
夏場なので消耗は激しいが、練習に使っていただけのカロリーは、それでも消費しきれない。
ピッチャーなどは給水も含めて体重管理は厳密にしているが、野手はそれほどには疲れない。
白富東は練習時間が短いことで有名であるが、それでも日常の練習の方が、休み休み動く試合よりもきついのだ。
食事の後はバスに乗って、少し遠いし狭いが、グラウンドを使って全体の練習を行う。
甲子園は気になるが、とりあえず今日の試合に出るチームは、当たるとしても準々決勝以降なのだ。
もっともその中で秦野だけは、ラジオ片手にイヤホンで野球中継などを聞いているが。
本日の第一試合は、愛知代表の名徳と、群馬代表の桐野の戦いである。
この大会の優勝候補は、センバツの実績と春の大会、そして夏の地方大会から、白富東、帝都一、大阪光陰が三強ではないかと言われている。
それに半歩から一歩遅れているのが、早大付属、東名大相模原、名徳あたりの甲子園常連と言われている。
もっとも既に昨日勝っている、花巻平も大滝の状態次第では、かなり上まで勝てるのではないかとも言われている。
センバツで上位に入った明倫館と瑞雲が、あまり高い評価でないのは謎だ。
高校野球は突破力。何か一つ突出しているものがあれば、そこから勝利への道を切り開くことができるのだ。
だからやはり相変わらず豪打の桜島はダークホースだし、凄まじく久しぶりだが南北海道の蝦夷農産などもパワーはあると言われている。
ピッチャーの能力にキャッチャーの頭脳が加わるなら、当然春日山も要注意ではあるし、昨日の城東、それに沖縄の石垣工業などもジャイアントキリングを起こす余地はある。
愛知県の名徳は、甲子園の常連も常連であり、去年の夏には白富東とも対戦している。
愛知県は大阪と神奈川の次ぐらいの激戦区であり、そこを勝ち抜いてきた強豪が弱いはずはない。
対する群馬の桐野は新興私立であり、外国人留学生で150kmを投げるブライアンを有する前橋実業を破っての初出場である。
初出場ではあるがここ数年に野球に力を入れ、ベスト8の常連にはなっていた。白富東とは、去年練習試合で対戦がある。
もっとも当時のレギュラーはほとんどが抜けた新チームなので、知っていた桐野とは違うチームであるはずだ。
秦野の分析によると、典型的な守って勝つが、しかし勝負どころで動く、積極さと慎重さを兼ね備えたチームといったところだ。
単純な戦力の比較で言えば、監督の経験値なども含めて、名徳が順当に勝つはずである。
(だが負けるとしたら、序盤に勢いをつけられて、そのまま流れを取り戻せずに、ってとこかな。あるいは拮抗したまま終盤までいって最後にミスなどが出て)
休憩時間となり、選手たちが小さなベンチに戻ってくる。
試合の中継を聞きながらも、選手たちの動きからは目を離さなかった秦野。
どうやら体のキレはいいらしい。
「おい、名徳が負けたぞ」
「え」
事実だけを秦野は述べた。彼としても意外ではあるが、事前に考えていた通りの展開ではあった。
初回、先頭打者をフォアボールで出した名徳のエースは、続く打者にも四球で、三番に長打を打たれて二点を先制された。
そこからはツーアウトを着実に取ったのだが、またフォアボールでランナーが二人となり、七番打者に投げた不用意な一球を、スタンドにまで運ばれてしまった。
初回に五失点というところで、いったんエースは外野にチェンジ。
そこからは二番手が頑張って、ずっと桐野打線を封じ続けた。
名徳も終盤からは反撃に出て二点を返す。そして五回からマウンドに復帰したエースが、今度は桐野打線を封じた。
しかし初回の五点は、やはり大きすぎた。
名徳は九本の安打を打って二点を返したものの、中盤までに自分たちの野球が出来ず、桐野の粘りもあって、5-2で敗退したのである。
「五点か……」
岩崎は呟く。初回に、いきなり五点。
自分がエースだったら耐えられないだろう。その後はマウンドに戻ってきて、無得点に封じても。
やはり甲子園の初戦は怖い。
秦野としてもいい反面教師になった。
二点までは分かるのだ。そしてその後ツーアウトを取ったことで、エースを下ろせなかった。
名徳がもっと上まで勝ち進むためには、エースにここは抑えてほしかったのだろう。
ツーアウトからまたフォアボールを出してしまったのも、これでランナーを二人も背負った状態であるので、二番手投手に交代するのは勇気が必要だったろう。
名徳の芝監督は、エースと心中したと言っていい。
「うちだったら調子悪そうなら、すぐに交代だよな」
大介は簡単に言うが、白富東ほどピッチャーの強いチームはない。
それに直史が崩れたことがないだけに、もし直史が崩れたらという想定もしないわけにはいかない。
「まあ可能性は低いけど、ナオが崩れたら岩崎か、アレクか淳の左の変則投手で目先を逸らすかな」
秦野としては前もって、こういうことを言っておくのに意味があると思う。
甲子園は本日の第二試合が既に開始されている。
しかし選手たちはまた練習に戻る。
ここまで来れば、練習から力の積み上げというのは期待出来ない。
あくまでも調整と、夏の暑さ対策が重要なのだ。
昼の休憩。ここからバスで移動し、地元兵庫のベスト4にまで残ったチームと戦うことになる。
実力的には圧勝出来るはずだが、あくまでも調整が主目的なのだ。
県大会の決勝から甲子園初戦まで、半月以上の間隔が空いているのが問題なのだ。
そしてここでツインズとイリヤが合流した。
イリヤは甲子園に初お披露目する楽曲を渡したが、自分では演奏はしない。
ツインズはチアで踊る予定であるが、こちらに滞在している期間の主な仕事は、練習補助員である。
本日の第二試合は、長野の上田学院が、秋田県代表を撃破していた。
上田学院は前年の秋、北信越大会で準優勝していながら、優勝した聖稜と接戦を演じた春日山に席を取られ、センバツには出場できなかった。
確かに聖稜は決勝でかなりの点差をつけて上田学院に勝ったので、そういうこともあるのだろう。
その悔しさをバネに、夏の甲子園を決めて、そして一回戦も勝った。
名門を破った初出場の桐野と二回戦を戦う。
どちらが勝つかは、秦野も分析をしていないチーム同士なだけに分からない。
練習試合は14-1という圧倒的な点差で勝ったが、淳が連打を浴びて一失点というところは注意だ。
責任回数を投げた後には岩崎に交代し、そこからは失点はなかった。
打撃陣に不調の色が見えないのは、いい傾向であろう。
そして試合を終えた選手たちに秦野は告げる。
「明倫館が5-1で勝ったぞ」
センバツ準優勝。あと少し何かがずれていれば優勝していたかもしれない明倫館。
堅い守りで失点機会を最小に抑えて、攻撃ではチャンスを確実にものにしていた。
大介の父である監督の大庭と、キャッチャーの村田の指示が冴えていたのかな、と音声だけでは考える秦野である。
バスで宿舎に戻る頃には、夕方も近くなっている。
そして甲子園も本日の最終試合が終わった。
勝ったのは愛媛県代表の正岡高校。
新興の私立であり、その設立当初から野球部には力を入れていた。
なんと言っても名前が正岡なのだから、それはもう野球のための高校ですよと言っているようなものだ。
愛媛県は野球が盛んな県であり、甲子園での勝率も悪くない。
かつては公立が全盛で、今でも公立が強いのは同じであり、私立も強いところがないわけではないのだが、やはり公立が強いことが目立っている。
だが今年は私立が甲子園の出場を決め、一回戦も勝った。
宿舎に戻ってきたベンチメンバーは、研究部が編集してくれたハイライトを観戦する。
やはり気になったのは、大本命でこそなかったものの、優勝候補の一端に挙がっていた名徳の敗北と、センバツの決勝で戦った明倫館である。
「継投ミスなんだろうけど……」
秦野の赴任までは監督もしていたジンとシーナは、名徳の敗因はそれにつきると考えた。
だがエースを信じたいという監督の気持ちも分かってしまうのだ。
秦野としては、実績のある芝監督でも、判断ミスをしているというのが怖い。
「桐野は確かに監督が面白かったよな」
ジンが思い出すのは、あれも一つの監督の形なのかと驚いたが、自分では絶対に真似できないとも思った。
確かな技術と指導法を持ちながらも、練習全体は根性論。
だがひたすら野球がやりたい野球バカなら、あれでも上手くなるのだろう。
そして監督の強気の采配で、初回に五点を奪取した。
それがこの試合の全てではあるのだろう。
上田学院も得点こそは少ないものの、特徴のある攻撃的なチームだ。
ここはスタメンの走力が全チームの中で一番とも言われており、常に一つ前のベースを狙っていく意識が強い。
対戦した秋田代表も、走塁にバッテリーが意識を捕えられすぎて、バッターに集中出来ていない感じがする。
愛媛の正岡高校は、有名監督を招聘し、この三年で一気に力をつけてきた。
二年前に甲子園初出場を果たし、今年はさらにレベルが上がっていると聞く。
選手層は、それなりに厚いというか、監督が使いやすいように選手の特徴がはっきりしている。
もっとも二回戦の相手が明倫館なので、監督の采配だけではそうそう勝てないとも思う。
この日の注目は、やはり明倫館の試合であった。
センバツは終盤まではかなり押していたものの、一気にチャンスをものにされて追いつかれ、こちらのアクシデントもあり負けるかと思った。
一年生に追加メンバーもいるので、やはり侮ってはいけない。
取れる機会に着実に点を取り、強気なピッチャーと計算高いキャッチャーに堅守を組み合わせ、地方大会でも失点が少ない。
選手たちにはハイライトだけを見せたが、秦野はそれなりに分析もしなければいけない。
だが全てのチームを分析するのは無理だ。それに初戦の聖稜も侮っていい相手ではない。
絶対的なエースが存在し、チーム力全体も鍛えられた花巻平。
足を使ってかき回してくる上田学院。
センバツ準優勝、そして隙を見せない明倫館。
とりあえずダイジェストなしで、明倫館の試合だけは見た。
春にも戦っているということだが、相手の監督が大介の父ということもあり、どうしても注目度は上がってしまう。
強攻と犠打を組み合わせて、相手の意識をかき乱すのに成功している。
守備に関しては、キャッチャーの村田とショートの桂が上手く指示を出しているようだ。二遊間が固い。
もっともエースの高杉が制球の乱れる場面があるので、付け込む隙がないわけではない。
だがこのブロックには、早大付属がいる。
両方が勝ち進めば三回戦で激突し、どちらかは消える。
早大付属の方が総合力は高そうに思えるが、逆転出来ないほどの戦力差ではない。
(つっても名徳がいきなり消えたからな……)
高校野球は多少の戦力差など、勢いだけで覆せる。
全体的な試合の流れがあり、それを上手く利用できるかどうかが監督の采配の見せ所だ。
夕食の後は柔軟や、宿の庭を借りて素振りなどをする者もいる。
ピッチャー陣もタオル片手にシャドーピッチングだ。
その様子を見ながらイリヤは、五線譜ノートではなく普通にノートに様子を記している。
「作曲してるんじゃないのか」
武史が声をかけると、イリヤは振り返る。
「瑞希に頼まれて、出来るだけ色々と記録してるのよ。私にとっても役に立つし」
甲子園出場というのは、やはりお祭り騒ぎだ。
主役となる選手たちも、羽目を外さない程度には遊んでいる。もっとも主力などは、とても宿の外には出られないのだが。
この時期、甲子園の周辺は異世界空間となる。
「しかしお前はマイペースだな」
秦野が呆れるのはこの舞台であっても、勉強道具を持ってきている直史である。
野球で大学に行けるのは決まっているし、別に引退してからでも普通に受験して難関大学に合格出来るだけの学力を、直史は持っている。
というか、学校推薦でも行けなくはないのだ。
「大学入学は目的じゃなくてスタートですからね」
「そんなに弁護士ってのは難しいもんなのか」
「単純に必要な勉強の時間というなら、医師試験以上かもしれないですね」
「まあ弁護士っていうとエリートって職業だからな」
「最近はそうでもないですよ。政府が問題点をはっきりさせずに法科大学院を作ったあたりからですかね。折角の難関資格を合格しても、弁護士自体はやや余っている傾向にありますから」
「それでも目指すのか」
「まあ、性に合ってると思いますんで」
直史の性格は、確かにそういうものには向いているのかもしれない。
中学時代は市庁の公務員を目指していたというのだから、堅実にもほどがある。
もっとも詳しく聞けば、土地を離れられない田舎の長男というものであるらしいが。
「お前はもう、プロには行かないんだよな?」
「行きません。就職先の配属が勝手に決められるような職業には就きたくありませんので」
「そういや弁護士的な立場から見たら、ドラフト会議ってのはどういう捉え方なんだ? 職業選択の自由ってのに抵触しないのか?」
「微妙な問題ですけど、少なくとも高卒と大卒には抵触しないという理屈はつきますね」
「へえ、ちょっと詳しく聞いていいか?」
秦野に対して、直史はちゃんと向き直った。
「高卒と大卒は、プロ志望届を出しますよね? つまりプロに行きたいと、履歴書などを送って審査してもらうようなものです」
「そういやあるな、志望届」
「あれは、NPBに就職するというのを表明しているわけで、配属先がどの球団になるかは、普通の会社と同じく分からないわけですよ」
「実際には球団ごとに違うけどな。するとトレードとかは?」
「部署移動です。それでもFAの制度が出来たあたり、昔に比べればマシになりましたけどね」
「昔は逆指名とかあったけどな」
「すごい時代だったらしいですね。大卒の逆指名獲るために、億とかの裏金が動いたそうですし」
秦野もそういった話は色々と聞いていた。
「ん? すると社会人はどうなってるんだ?」
現在のドラフトについて、高卒はともかく社会人は把握していない秦野である。
「NPBからのヘッドハンティングみたいなもんですね。ここでもドラフトはありますが」
「……ひょっとしてお前、大卒時にもプロ志望届出さずにそのまま弁護士になったら、他の球団は完全ノーマークで、志望の球団に入れるんじゃないか?」
「……まあ可能ですね。ただ俺は本当に、ある程度本気でやる野球は大学の二年までですよ。三年からは本格的に勉強をして、少しでも早く社会人として働きたいですから」
「野球は完全にやめるのか?」
「仕事の忙しさ次第ですが、地方のクラブチームでやるぐらいですかね」
「甲子園優勝投手がそんなところにいたら無双だろ」
どうしても思うのだ。もったいないと。
本人の希望とは全く別に宿った才能が、野球以外のことをするのを。
野球が、佐藤直史を必要とする時が来るかもしれない。
(だけどクラブチームでたらたらやってるだけなら、さすがのこいつも鈍るだろうしなあ)
野球界の未来を変えるかもしれない男が、弁護士を目指して勉強をしている。
自分も何かをしなければいけないのでは、と考える秦野であった。
×××
本日第一部の末に、エクストラストーリーを投下しています。
三年目の夏、甲子園に出発する直前のお話です。
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