第113話 始まりの日

 八月七日、ついに夏の甲子園が始まった。

 出場するチームとその応援のみならず、地区大会で敗退したチームも、あるいはそれをじっと眺め、あるいはひたすら来年のために練習し、あるいは見ることすら辛くてただ時を過ごす。

 抽選の終わったその日に初戦の先発を申し渡された淳は、顔には出さなかったがそれなりに緊張していた。


 もし最初の予定のまま、宮城の名門に進学していれば。

 左の変則派である自分は、一年の夏からベンチに入っていたかもしれない。だがおそらく甲子園で勝利を掴むことはなかっただろう。

 対戦するのは強打と言われる聖稜であるが、おそらく淳のスタイルは相手も打ちあねぐだろう。

(けど……グラウンドから見たら、こんな感じなのか)

 夏の甲子園は開会式から、スタンドは満員である。

 収容人数は座席的には47000人であるが、立ち見で5万人までは入る。

 ちなみに去年はその立ち見が出ていた。準々決勝と準決勝、そして大阪光陰と神奈川湘南の試合のあった日である。


 国内で見れば最大の収容人数であり、世界的に見ても野球場としてはほぼ最大規模だ。

 ここで自分たちは、この夏の大会を戦うのだ。

「よっしゃ、じゃあだらだらと行進するなよ。特にナオ」

「いつもちゃんとしてるだろうに」

「最後だからって理由で色々やらかしそうなんだよな」

「進学に向けて不利になるようなことはしない」

 どこかほどよく肩の力が抜けた、キャプテンとエースの会話である。




 全国都道府県49校が出場する。

 これが記念大会であれば、三里も出場出来ていた。

(なんだ俺、少し感傷的になってるのかな)

 ジンは過去の大会と比べても、少し足が重くなっている自分を感じる。


 最後の夏だ。

 おそらく日本で野球をやる人間なら、誰だって意識したであろう、甲子園という舞台。

 その最後の夏に、明確に優勝を目指せるチームの、キャプテンとして出場する。

 中学のシニア時代には、こんなことになるとは思っていなかった。

(もし帝都一に行ってたら……)

 特待生とまではいかないが、普通に入部出来るぐらいの実力はあった。


 今年の帝都一は、三年生の層が少し薄い。

 その分一二年はかなりの素材が集まっていて、来年は大阪光陰の二年がいるからともかく、再来年は優勝を狙えるのではないか。

(俺が入ってたらどうなったんだろうな)

 ブルペンで本多や榊原の球を捕ることはあっただろう。

 現在のエースは二年の水野であるが、それとバッテリーを組んでいたのだろうか。

 総合力としてはともかく、純粋なキャッチャーとしてなら、正捕手の井伊に負けているとは思わない。


 このチームを選んで、本当に良かった。

 色々とクセのある上級生に、訳の分からないバッターやピッチャーが揃って、帝都一でも見られなかったであろう景色を見せてくれた。

 おそらく今、自分ほど幸福なキャプテンは、日本にいない。

(勝って終わろう)

 夏の甲子園、勝って終わることが出来る選手は、ベンチに入った18人だけ。

 その中でも勝って終われるキャプテンはただ一人なのだ。


 前年優勝の春日山から、優勝旗の返還がなされる。

 紫紺の大優勝旗は獲得した。次は真紅の大優勝旗だ。

 可能性は低いが決勝で春日山と対戦出来れば、キャプテンとして必ず、今度こそ勝ってみせる。

 決意を秘めて、ジンは蒼天の下、球場を見つめ続けた。




 開会式の後、一回戦が順次行われていく。

 宿舎に戻った白富東は、他の宿泊客の邪魔にならないように、部屋のテレビで観戦である。

 甲子園初戦は、滋賀県代表城東高校と、山形県代表酒田翔陽高校の対戦。

「城東は知ってたけど、酒田翔陽も公立校なのか」

「八年振り二回目ってことは、公立としてはそれなりに強いわけか?」

「一応城東は150km左腕の島がいるから、こっちの方が戦力的には上なんだよな?」


 城東はセンバツにも出ていたのである程度知られている。準々決勝まで進み、明倫館に負けた。

 島と石田の中学からのバッテリーが有名で、とにかく島が左腕ということもあって注目はされていた。

「酒田翔陽は10年前に着任した佐藤監督の下、三年目に初の甲子園出場……念のため聞いておくけど、この佐藤ってナオの親戚とかじゃないよな?」

「日本で一番多い名字だぞ。赤の他人だ」

 全くどこにでもある名字であると、こういった誤解が生まれるものである。


 とにかく酒田翔陽は佐藤監督の指導の下、毎年県のベスト8常連にはなる学校ではあったそうな。

 だが一度の甲子園出場以来は、そのベスト8が最高である。

「山形って東北だから日本一にもなったことないはずだよな?」

「学校数もそんなに多くないんじゃないか? そこでベスト8って言ってもな」

「私立ならそこそこ関東とかから選手集めてる学校もあるんだろうけど」

 ナチュラルに上から目線である。


 選手たちは甘く見ているが、まあ確かにそれほど強くはないはずだ。

 監督はそれなりの人間なのかもしれないが、それよりは甲子園経験もある城東の方が強いだろう。

「しかし公立同士の対決だと胸が熱くなるよな」

「同じ公立としてはどっちも応援したい」

「つっても俺ら、実質外国人傭兵二人に、裏技入学一人いるけどな」

「失礼な。何も法に反することはしていませんよ」

 しれっと淳は言うが、まあ彼がいなくても甲子園に出場できたことは間違いない。


 どちらのチームも優勝候補などではないが、やはり島のいる城東の方が前評判は高い。

「島も当然のようにドラフト候補なんだろうな」

 実際に初回から点を取った城東が、有利に試合を進めていく。

 そして試合の途中にあるのは、名物である学校紹介。


「城東ってほんとに城の東にあるから城東高校なのか」

「でも城ってそれなりにどこにでもあるよな?」

「城東の城は国宝だからな。姫路城、犬山城、松本城、松江城と並ぶ彦根城。まあ世界文化遺産の姫路城が別格だけど」

「おお、さすが戦国通」

「彦根城はあんま戦国関係ないけどな。彦根城に限らずどこの天守も、ほとんど戦国とは関係ない」

「彦根は井伊直政だっけ? 徳川四天王の」

「井伊って珍しい名前だけど、帝都一の井伊と関係あんのかな?」

「帝都一も全国から選手集めてるから、関係あるのかもな。あと井伊直弼がその井伊家の子孫だ」

「あの評判悪い大老か」

 実は今でも井伊さんは普通に地元の名士である。


 話は脱線したが、とにかく学校紹介は終わった。

 酒田翔陽はどうにか流れを変えようと足掻くのだが、結局は島を攻略出来ない。

 散発五安打無失点の3-0で城東が勝利した。


 う~むと隙のないピッチングに唸らされる一同である。

「島もだが、キャッチャーの石田もかなりいいな」

 秦野はそう言って、予選のスコアを調べ始める。


 滋賀県は近畿の二府四県の中で唯一、甲子園制覇を果たしていない県である。

 一番強いのは私立の淡海高校で甲子園でも準優勝したことがあるが、今の公立では城東が一番強いようだ。

 部活動の時間が短いところは白富東と似ている。

 元々戦略的に優れたプレイをするところに、島と石田のバッテリーが入り、戦力の整った去年の秋から躍進した。

 センバツもベスト8まで勝ち進んだが、その過程で宮城二強の東北中央に勝っている。

 二回戦では一回戦を逃れた運のいい静岡代表と戦うが、城東は一回戦を戦っているのに対し、静岡は二回戦が初戦となるので、あまり有利でもないかもしれない。

「静岡も久しぶりに出場のチームだし、次も勝つかもな。そしたら和歌山代表と春日部光栄の勝者との対決か」

 春日部光栄もセンバツに出場し、名徳を相手にして一回戦を勝った強豪だ。

 当たり前の話かもしれないが、甲子園も二回戦以降は、ほとんど強豪が残ることが多い。


 和歌山代表も甲子園常連の強打のチームであり、総合力の高い春日部光栄も油断出来る相手ではない。

「相性的に考えると、春日部光栄が勝った方が、城東としては有利になるのかな。まあ二回戦に勝てたらの話だが」

 秦野は呟くが、チーム同士の相性というのは確かにあるだろう。




 本日二戦目は、五つ目のブロックになるチーム同士の試合である。

 岩手の花巻平は高校最速右腕の大滝志津馬を擁し、今年の夏ようやく甲子園出場を果たした。

 一年の頃から怪物とは言われてきた大滝だが、小さな故障を繰り返して、結局はこれが初めての出場である。最初で最後の甲子園だ。

 もっともチーム自体は名門であり出場は多く、監督の采配にも隙がない。

 鳥取代表を相手に二安打完封であっさりと勝利した。


 そして初日の最終戦は、福岡代表と奈良代表の戦い。

 福岡城山を県大会の決勝で退けた岩屋高校が、接戦で一回戦を制した。


 さて、本日の試合の観戦の感想である。

「大滝がえぐいけど、打てるよな?」

 直史に簡単に言われた大介は、当然のように言った。

「勝負してくれたらな」

 本日は156kmを出していたが、予選での最速は158kmであったという。


 一応白富東には、球速だけなら170kmが出るマシーンが置いてある。

 これを普通に打てるのは大介だけで、アレクもさすがに難しく、ストレートだけに的を絞るなら鬼塚の方がよく打てる。

 生きた球を打つという点でも、白富東には左右に150kmを投げるピッチャーがいるので、速球対策は万全だ。

 どのみち大滝の花巻平と戦うとしても、準々決勝以降だ。


 本日はのんびりと観戦をしていたが、明日からはレンタルしたグラウンドや、神戸のそこそこ強いチームとの合同練習を入れてある。

 大阪のグラウンドでは、府大会の決勝で大阪光陰に敗北した、理聖舎との練習も行う予定だ。

 三年生が引退直後なので、戦力的には相手にならないはずだが、それでも練習相手としては充分であろう。

 怪我だけは心配である。


 秦野は考える。

 今の三年生が入学してから、大きな怪我をしたのはジンの靭帯部分断裂ぐらいである。

 直史の血マメは一週間ほどで治るものであったし、大介の骨折は本人曰く二日で治っていたらしい。

 マジかと訊いたが直史もマジだと答えたので間違いない。

 打撲や擦り傷などの細かい怪我は多いが、それはむしろ運動の範囲内である。

(怪我がこれだけ少ないのは、ナオのおかげだな)

 直史のアップと柔軟重視は、前監督のセイバーから見ても過剰と思えるほどであったが、結局は予防が一番だったということなのだろう。

 選手の中で一番、故障などで離脱したら、優勝が難しいと思える選手。

(ナオだな)

 大介ではなく、ジンでもない。


 大介が離脱したら、確かに攻撃面での精神的支柱がなくなって、計算以上に得点力は落ちるだろうが、究極のところは直史が完封してくれる。

 現在の二年生を中心に、一点や二点は取ってくれるだろう。

 ショートがいないという問題も、諸角がある程度は解消してくれる。


 ジンが離脱したら、守備の指示などは甘くなるだろう。

 だが倉田にしろ孝司にしろ、どちらのキャッチャーとバッテリーを組んでも、直史ならば完封してくれる。

 ベンチからの指示さえ出してくれれば、それだけで充分に守備の問題はなくなる。


 あとはアレク、武史、そして精神的にはシーナなども重要であるが、結局甲子園というのは、エースが全てを支配するのだ。

 上杉勝也は甲子園で優勝できなかったが、直史は優勝させた。敗北するとしたらやはり、この絶対的なエースを欠いた時だ。

 直史が欠けたら、敗北する確率は一番高くなる。

 二番手としては、秦野は岩崎ではなく武史を使うだろう。

 教育者ではなく監督である秦野は、明確に選手に順番をつけている。

 確かに安定感では岩崎の方が上なのだろうが、いざという試合の時の馬力は、武史の方が上だと考えるのだ。


 監督はいざという時には、冷酷な判断をしなければいけない。

 選手の能力に順位をつけるなどというのは、冷酷とさえ言えない、当たり前のことだ。

 考えたくはないが、誰かが怪我で離脱するということも、考えておかなければいけないのが監督なのだ。

(優勝を狙う。狙えるし、狙わないといけない)

 幸いと言うべきか、このチームには全国制覇の経験があり、それでいながら下手に王者の緊張感などは背負っていない。

 必ず勝てるなどということはないが、少なくとも必ず負ける要因は一つも持っていない。

 あるとすればそれは、監督の采配ミスぐらいだろう。

(全く、ありがたくも面倒なチームを率いることになったもんだ)

 秦野はこれから、選手の誰よりも浅い眠りに就くだろう。


×××


 カクコンにエースの第一部で応募してみました。(他ジャンルもあったり)

 よろしければ応援のほど、よろしくお願いします。

 今読んだら、まだキャラとかが固まってない部分があったりするんですよね。


 本日一部の方に外伝を投下します。

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