第108話 千葉県立三里高等学校
夏の甲子園出場を決める、千葉県大会決勝は、公立校同士の対戦となった。
一方の白富東は、県下屈指の進学校でありながら、去年のセンバツに初出場、夏は準優勝、そして今年の春のセンバツはついに優勝と、現在の日本の高校では最も強いチームと言っても過言ではない。
もう一方の三里はそこそこの進学校であり、やはり今年の春にセンバツ出場を決め、一回戦を突破して甲子園初勝利を上げた。
春は主力が欠けて早めに敗退したものの、こうやって夏の県大会には決勝まで勝ち進んできている。
県下の実力校で、一位と二位の戦いと、言ってしまっても、それほど間違いではないのかもしれない。
だが、内実の戦力は桁違いである。
(う~ん……)
グラウンドに持ち込んだノートパソコンで彼我の実力を分析する、監督二年目の国立。
何をどう比べても、勝てる要素が見当たらない。
(まあ分かってたことだけど)
正直に言うと、大量点差で勝ち抜けた春の大会の方が、むしろ守備などに雑なところが出ていた。
だがこの夏の成績を見るに、点は取るべき時にしっかりと取り、守備の穴をフォローできるようになっている。
これが監督の指導の結果だとしたら、秦野監督はこれまで全く知られていなかったが、かなりの名将と言えるだろう。
一応打線を抑えるヒントは、ここまでの試合に出ている。
だがピッチャーを攻略する方法が見つからない。
(準決勝に投げてこなかったから、たぶん佐藤君を使うはず……)
どうやったらあれを打てる?
全盛期の国立が一番から九番までを打っていても、得点できるイメージが湧かない。
佐藤直史は、試合に勝つために存在するマシーンのようなものだ。
国立の勝手な想像だが、彼は野球を始めてからこれまで、バッターに対して恐怖を抱いたことがないのではないだろうか。
実城や西郷、また本多や織田、ワールドカップで対戦した強打者に対しても、普通に凡退させている。
ピッチャーとしては既に完成されていながら、少しずつ球速を高め、より緩急差を使えるようになっている。
(三振をやたらと取ってくるピッチャーじゃないけど、野手のエラーにも期待出来ない)
白富東は守備重視のメンバーを組めば、全く隙のない守備陣となる。
(かといってキャッチャーから攻略しようにも、大田君は全く隙がないし、倉田君と一年生も、平均よりずっと上のキャチャーだ)
点が取れない。
あちらが油断して他のピッチャーを先発させたなら、運もあるが一点ぐらいは取れる機会があるかもしれない。
だが問題は、攻撃だけではない。
三里は守備のチームである。
この大会ここまで一試合もコールド勝ちはなく、得点パターンは上位ではそれなりに打つが、下位ではスクイズや走塁を絡めたものしかない。
だがそれでも勝ちあがってこれたのは、守備で相手をぎりぎりに封じたからだ。
かといって完封も少なく、ロースコアでの勝負に強い。
しかしどれだけ守備が良くても、ホームランを打たれれば無意味である。
白富東のホームランバッターを、どれだけ封じることが出来るか。
白富東には狙ってそれなりにホームランが打てるバッターと、常にホームランを狙っているバッターがいる。
絶対的スラッガー大介はともかくとしても、アレク、鬼塚、倉田はかなりホームランを打っているし、一年生も孝司と哲平、それに当たれば飛ぶトニーがいる。
(ゴロを打たせるしかない)
そのためのピッチャーは星であり、他の下位打線は東橋と古田を上手く使って抑えるしかない。
古田はMAXを140kmに、東橋も130kmに乗せた。
だがこのレベルで確実に打ち取れる打者は、白富東のスタメンには少ない。
(星君のピッチングと、あとは守備か)
本来はピッチャーではなく好守の内野というのが、星の特徴だった。
しかしコントロールの良さとマウンド度胸、メンタルのブレなさが、ピッチャーとして使わせた。
アンダースローとオーバースローを投げ分ける軟投派と言えるだろうが、県下では有数の打ちにくいピッチャーになったと思う。
だが全国レベルの化物バッターには通用するかは別である。。
ベンチからある程度のリードもするが、基本的には星の直感頼みである。
明日で終わる。
三年生の高校野球は、おそらく明日で終わる。
一番勝利を信じなければいけないのが監督なのに、それが出来ない。
(どうしようか……)
迷っている間にも時間が経過し、調整の練習も終わる。
継投を重ねてきたので、ピッチャーの体力もそれほど減ってはいない。
万全の状態で戦えるということだけは、ありがたいことだ。最後の夏を後悔で終わってほしくはない。
ベンチ前に集合した部員たちを前に、国立は最後の訓示を行う。
「単純に見たら、戦力差は大きい」
そうとしか言いようがない。
「だけど何も出来ずに圧倒されるということはない」
これは、信じたいことだ。事実は言えない。
「相手のことはよく分かっているが、こちらのこともよく知られている。その上で勝つには、まず勝つ気がないといけない」
精神論に頼るのは、指揮官としては失格なのだ。
「最後まで、勝負の舞台に立っていられるか、それが肝心だ」
それでも選手たちは、自分を信じてくれている。
「甲子園へ行こう」
「はい!」
全員の返事が唱和した。
どのようなチームでも決定的な長所があり、またどうしても隠し切れない短所はあるのが普通である。
長所と短所の攻防が、野球の勝負を決める。
(だけどこのチームの短所なんて、短所らしいものはないぞ)
春からこのチームを率いている秦野であるが、間違いなく関東大会を圧勝した時より、チームは完成度が高くなっている。
味方だけに分かりやすい穴を探そうとすれば、たとえばトニーを外野で使った時のことか。
フィジカルは間違いなく圧倒的であるのだが、パワーに振り回されている感じはある。
打撃はだいぶコンパクトになったが、日本の高校野球トップレベルの緩急には、まだまだついていけないだろう。
(つっても来年再来年のことを考えれば、使わないわけにもなあ)
一二年からトニーの代わりを選ぶぐらいなら、今のベンチで回したほうがいい。
あとは、フィジカルでは劣るシーナや、致命的に打撃の悪い佐伯、守備の要なので外せないジンなどは、短所もそれなりにある。
だがそれは選手の起用という監督の腕でどうにでもなることだ。
そして先発は直史だ。
秦野の知る限りにおいては、これほど野球頭脳の高い、コンビネーションを駆使するピッチャーはいない。
普通ならピッチャーは運動能力が凄まじく高いのだが、直史の場合は頭脳の方が優れているのだ。
県大会でも決勝戦にはコールドがない。
何が起こるか分からない高校野球では、一番怖いのは怪我である。
(序盤で攻勢をかけて勝負を決めて、あとは守備を固めて勝つ)
ミーティングルームにおいて、秦野はスタメンを告げる。
1 (中) 中村 (二年)
2 (二) 青木 (一年)
3 (遊) 白石 (三年)
4 (右) 鬼塚 (二年)
5 (三) 佐藤武 (二年)
6 (一) 倉田 (二年)
7 (捕) 赤尾 (一年)
8 (左) 沢口 (三年)
9 (投) 佐藤直 (三年)
はっきり分かる通り、攻撃力の高い打順である。
それもトニーのような長打もあるが凡退も多い打力ではなく、地味に出塁率を上げてきた沢口をスタメンで起用している。
「だがなにしろあっちはピッチャーを頻繁に替えてくる。星の登板が多くなれば、むしろ大原よりも打ちにくいと考えろ」
大原は肩を傷めたらしいが、星は上半身に疲労が蓄積するタイプのピッチャーではない。
そして大原と違って、ビッグイニングは作らせないだろう。
県大会序盤の雑魚相手ならばともかく、この打席でも普通に打率が五割を超えているのは、大介とアレクだけだ。
「普通にやって、普通に勝つぞ」
強すぎるチームの監督というのも、それはそれで難しいと思う秦野であった。
ベンチメンバーと他数名以外は、合宿所には泊まらない。
もっと正確に言えば泊まれないのだ。なにしろ今年から野球部員は増えすぎた。
夏休みに入ってからは食事や睡眠まで管理されているわけであるが、あと一歩で甲子園というこの日、眠れない者もいる。
眠れずに布団を抜け出した孝司は、自販機の前のベンチに座る淳の姿を発見した。
「眠れないのか?」
「まあな、でもそっちはスタメンだろ」
「そうなんだけどな」
いくら戦力で上回っていると言っても、何故か不安は残るのだ。
孝司はリードなどは強気であり、バッティングでもプレッシャーなどには無縁に思われる。
だが実際は色々なことを考えた末に、迷いを振り切るタイプなのだ。
どちらかというと哲平の方が割り切りは早いほうだろう。
だからといって、哲平の方がメンタルが優れているというわけでもない。
「甲子園ってのは、夢なんてことは言わないけど、マジで野球やってる人間にとっては、一つの目標だよな」
淳が話し出したので、孝司は聞き手に回る。
「でも俺の目標はプロ野球で飯を食って行くことで、そのために必要なことを学ぶために、ここへ来たんだ」
「ナオ先輩か?」
淳は頷く。
「あの人は……特別だよな。大介先輩も特別だけど、方向性が全然違うって言うか」
「ナオ兄とは子供の頃から知り合いだったけど、確かに頭はいいなと感じてたけど、あそこまでぶっ飛んだ人間だとは思ってなかったんだよね」
「……一見するとっていうか、だいたいは今でもぶっ飛んだ人間って気はしないけどな。普通の人のフリが上手い」
「フリかよ」
言いたいことは分かる。直史はストレッチ大好きの健康オタのような生態をしている。
それでいて試合内容は完璧なのだから、やはり普通の人のフリとしか言いようがない。
淳は笑うが、直史を基準にすれば、自分がプロで通用するところまで成長できるかどうか、判断出来ると思っていた。
実際は無理である。ドラフトで多球団競合一位間違いなしと言われるぐらいの大介を、紅白戦ではしとめているのに、プロに行く予定はない。
家族であるので淳は知っているが、直史は恋人との関係のために、将来から野球選手という選択肢を排除した。
大学への進学はほぼ決定しているのだが、その条件の調整のために、まだ内定の段階なのである。
「つーか女っていったらお前だって、ぶっ飛んだことしてたよな」
「あ~、聞こえない聞こえない」
耳を塞ぐ淳であるが、孝司はあと二年、この技巧派ピッチャーとバッテリーを組むのだ。
トニーもスペックは優れているが、おそらくピッチャーとして強いのは、淳の方である。
「なんか俺は眠くなってきたな。お前はどうする?」
「どうせ明日は出番もないだろうし、もう少し星を眺めてから戻るよ」
「……お前ってリアリストなのに、時々ロマンチストな行動するよな」
苦笑する孝司であった。
七月も下旬に入り、本格的な酷暑が日本列島を覆うこの日、千葉県では甲子園の切符を賭けた最後の一戦が行われる。
都道府県によっては既に決まったところもあり、データ分析班はその情報入力に忙しい。
だがもちろん決勝の応援には行く。
10時から試合は開始となっているので、選手たちが起きるのはその四時間は前の六時である。
校内を散歩して目を醒まし、食事をしてから軽く体を動かす。
ピッチャーは軽く投げて、調子を確認する。
「どうだ?」
「いつも通りだな」
今日はベンチスタートのジンに答えて、直史は早々に切り上げる。
試合開始時間から逆算し、学校を出発する。
「考えてみたら、千葉県でする試合はこれが最後か」
直史は勝利前提でそう話すが、いやいやと他の三年生は首を振る。
「今年は三年が12人いるから、一二年相手に追い出し試合するって決めただろ」
「そう言えばあったな」
「あと国体に出場するなら、それまでにまた練習試合には出るし」
「進学組は出ないけどな」
「野球推薦以外で進学するのってナオぐらいか?」
「あたしもだけど」
「あ、シーナもそうか」
バスの中の雰囲気は、どことなく弛緩したものになる。
まだ甲子園も決まっていないのに、その後の話までしていては、鬼が笑うというものだ。
「まあ人生でこれだけマジで野球やるのは、この夏が最後だろうしな」
直史の声には気楽な響きがある。
エースは大学でも野球をやるとは決めているが、おそらくもう仕事感覚でやるだけなのだろう。
成績を残す代わりに、特別待遇を受ける。それだけの実績を残している。
直史が本当に野球を楽しめるのは、大学を卒業して仕事にも慣れて、余裕が出来てからになるだろう。ただ、もう二度と余裕は出来ないかもしれない。
甲子園には当然出場するし、最後まで勝ち進むつもりではある。
だがよほど特別なことがない限り、マリスタで試合をするのは、三年生は今日が最後だ。
今日も大勢の応援が、駐車場からスタンドまで、満員となっている。
千葉県で佐藤直史と白石大介が揃って試合をするのは、今日が最後になるはずだ。
大介はプロを意識しているし、おそらくは事故でもない限りは通用する。
だが直史にはその意思はない。
あまりにも贅沢な、日本一の投手と日本一の打者が、一つのチームで揃っている。
「じゃんけん負けた。向こうは後攻め選んできたわ」
実のところ秦野も、ここは後攻を取ってきてほしかったのだが。
実力の劣る側は主導権を得るため、先攻を取ることが多いのが、一般論とも言われる。
もっとも打撃に自信があるチームなども、初回で一気に相手を崩すため、先攻を取るという話もある。
「どういう意図ですかね?」
「ナオから都合よく先制点は取れないだろ。だから初回で白石をどうにか封じて勢いをつけたいとかだろ」
秦野の見方も、間違ってはいないだろう。
初回に直史から点を取るよりは、初回の大介を抑えるほうが、まだありえる話なのだ。
後攻を取られたので先に守備練習をするが、選手の動きに悪いところはない。
少し寝るのが遅かったらしい孝司も、動きが鈍っていたりはしない。
「けど監督、優しいっすね」
「俺が?」
「甲子園行きを賭けた試合に一年のキャッチャーを抜擢なんて、普通は出来ないでしょ」
「そうか? 来年以降のことを考えていたら、こういう選択もありだと思うけどな」
だが秦野としても、三里のチーム力を計算した上で、このオーダーを組んだのだ。
多少孝司がリードの判断をミスっても、直史ならば修正出来る。
万全を期すならジンがキャッチャーをするべきだったが、秦野としては孝司に経験を積ませ、後半の守備固めでジンに交代したい。
全体的に戦力としては優位だが、それだけに隙のない戦い方で勝ちたい。
三里の守備練習も、やはり動きはいい。
それを見て、メンバー表と比較していく。
「ライトとサードが一年っていうのは、ちょっと引っかかるな」
「有名な選手じゃないんだよな。一応同じ中学出身のやつはいたけど」
本気で野球をやるのなら、いくら今公立の復権が激しいと言っても、勇名館かトーチバに行くのが今の千葉の実情だろう。
白富東の体育科を、どうしてあと一年早く、と嘆いた者も多いはずだ。
馬鹿は入れない学校。だが同時に変人も集まりやすい学校。それが白富東だ。
来年からはそのカラーがちょっと変わりそうではあるが、鬼塚のような人間がいる時点で、野球部としては信じられないぐらいの例外なのだ。
だがジンなどは野球界全体を見ても、坊主頭をやっている限り、また野球が真の人気を取り戻すことはないだろうと思っている。
そういうところからも、高校野球は変わっていかないといけない。
(星とか西みたいなやつを見つけて、鍛えるのも楽しそうだけどな)
ジンはこの夏を終えても、一生野球に携わるという信念を持っている。
できれば高校野球の監督を。あるいはコーチなどをやってからでもいいが、やはり監督をしたい。
白富東にタレントが集まったことで、ジンの未来はかなり変わった。
けれども最終的な目的はブレない。
「さあ、楽しい野球の始まりだぞ!」
夏の千葉県、最後の試合が始まる。
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