第107話 最後の対決

 準決勝第二試合が、白富東と栄泉の戦いである。

 つまりそれは、決勝の相手が先に決まるということだ。

「三里が勝ったか」

 去年の夏は実現しなかった、公立校同士の決勝戦になるか。

 秋の決勝の相手でもあるし、油断は出来ないが未知の敵でもない。むしろ最もお互いのことを知っているとも言える。


 春は星がいなかった。

 怪我から復帰した星は相変わらずの投球で、点を取られながらもビッグイニングを作らせず、ここまで接戦を勝ち抜いてきた。

 継投策も相変わらずなので、明日の決勝と連戦であっても、スタミナ切れのどうしようもない敗北はないだろう。

 去年の秋は8-2で余裕をもって勝てたが、あちらも夏から一年生スタメンを起用している。


 戦力の増強は白富東の方が上だろう。

 しかしそれを上手く活用できるかは監督の手腕だ。

「それよりはまず、大原だな」

 栄泉ではなく、大原だ。




 ベンチから見るに、今日も大原の球は走っている。

 ここまで全試合コールドの白富東であるが、三年の夏に万全に仕上げてきた大原からは、あまり大量点は奪えないかもしれない。

 基本的には大介の前にランナーを溜め、大介で帰す。

 あちらが大介との勝負を避けるなら、後続で帰す。


 栄泉とは練習試合は行ったことがない。県内の甲子園を本気で競う強豪校なら、それは珍しくもない。

 三里のように、敗北するたびに強くなって来る方が異常なのであって、普通は手の内を隠すものなのだ。

 もっとも白富東はバッテリーのバリエーションが豊富なため、対戦校は一方的に戦力を分析されることもある。

 それでも全国レベルのピッチャーを経験出来るので、県内のそこそこの有力校からなら練習試合の申し込みはあるのだ。


 それに練習試合ではなくても、大原との対戦経験は多い。

 新しい球種があれば話は別だが、それもおそらくはないし、あったとしてもこの試合中には対応出来る。

「大原はスタミナも優れてる、だから待球策はあまり意味がないと思うかもしれないが、体力よりも精神力を削るのは意味がある」

 試合を前に、秦野は改めて確認する。

「調子は良さそうだが、お前らなら必ず打てる場面が出てくる。積極的に、だがしっかりと見て、一打巡目から行け」

「うっす!」

 先攻は白富東である。




 先頭のアレクが初球を叩いて塁に出て、二番の哲平が最低限の進塁打を打ち、ワンナウト二塁で大介。

 早くも先制のチャンスであるが、ここで大原は大介を歩かせる。

 なんとバッテリー納得の上で、申告敬遠である。

「また難しいことを……」

 ベンチの中で、秦野は呟く。

「観客も野次ってますけど、どうなんでしょうね?」

「ランナーなしならともかく、一塁を埋めるのは普通にアリだな。しかも申告敬遠ってことは、本当にいざという時には戦うつもりだ」

 戦う気配さえ見せず、回避する。

 甲子園なら大ブーイングだろうが、千葉のお客さんはまだおとなしい。

 問題はこれで、選手たちがどう感じるかだ。


 今は栄泉だけに野次が飛んでいて、四番の鬼塚には応援の声がかかっている。

 だがこれが打てないようだと、鬼塚に対しても野次が飛ぶ展開になる。観客は我儘なのだ。

「う~ん……」

 ワンナウト一二塁なので、送りバントという選択肢も、なくはないのだ。次は倉田で長打も期待出来る。

 ただ鬼塚にそれをさせるのは、もったいないだろう。


 大原と同レベルの投手であっても、鬼塚は打っている。

 だが確実に打てるというほどの信頼感はない。

 かといってツーアウトで倉田では、内野安打などは考えにくい。

(いや、ここはやっぱりこうだろ)

 秦野のサインに従って、送りバント。しっかりと決めてツーアウト二三塁。


 ベンチに戻ってきた鬼塚は不満の色を出していないが、むしろジンの方が采配に疑問がある。

「まだ一回ですし、強攻で良かったんじゃ?」

「難しいところなんだけどな」

 そう言っている間にも、倉田はヒット性の当たりを打ったが、センターのほぼ正面でアウト。

 ランナー二者残塁で、チェンジとなる。

「まあ後で教えてやるから、とりあえず守備な」

 そう言って守備陣を送り出す秦野であった。




 あの場面、ある程度のリスクも覚悟した上で、一番栄泉を動揺させる選択は、ダブルスチールだったと思う。

 あちらの頭にはなかっただろうし、ランナーがアレクと大介なので、成算は充分にあった。

 成功していれば一死二三塁で、内野ゴロでもランナーが帰ってこれるパターン。そしてゲッツーはまずなくなる。

 もし失敗してもいい。あちらがそれだけ、こちらが走塁でも攻めてくると気になれば、大原もだがキャッチャーの負担も大きくなる。

 情報を処理できないほど与えて、あちらの思考力を削ぐという手であって、それをしなかったのはただ余裕があったので確実性を取っただけだ。

「なるほど」

「ほれ、ネクスト行ってこい」

 一回の裏はあっさりと三者凡退にして、ベンチに戻ってきたジンに説明した秦野である。


 六番に入っている武史はショートゴロに倒れ、七番のトニーはストレートを弾き返すもファール。

 速球に強いからトニーを入れたと言うよりは、全国レベルのピッチャーを経験させておきたかったのだ。

 最後は変化球で空振り三振となったが、これが大原にとっては今日初めての三振である。

 奪三振率の高い大原としては、自分のボールがイマイチに感じるかもしれない。

 八番に入っているジンも、カットした後にピッチャーゴロに倒れた。

(空振りが取れないってことで、多少でも苛立ってくれればいいが)

 二回の裏、打ち気の大原を変化球で三振させ、その後もランナーを許さない岩崎。


 三回の表はその岩崎から。

 前に先発した試合ではホームランを打っているだけに、ここでも大原は休めない。

 秦野が岩崎に与えた指示は、振らなくてもいいからじっくりと観察をしていくこと。

(不思議な話だよな。このチームにいなければ、俺はこいつよりもずっと低いレベルのピッチャーだった)

 ボール先行の大原の様子をじっくりと観察する。

(チームを背中に背負ってるのは立派だけど、表情に余裕がなさすぎるだろ)

 結局、割と安全に処理できるはずの岩崎を、四球で出してしまう。


 岩崎の打力を恐れたのではない。岩崎がピッチャーだから投げづらかったのだ。

 これでノーアウト一塁のランナーがいて、高打率打者のアレクとなる。

(ピッチャーの岩崎がランナーに出ちゃったか)

 監督の秦野はまた迷う。それなりに打てて走れる岩崎であるが、得点は他の選手で取りたかった。特に走らせるのは避けたかった。

 栄泉の打線はそれほど恐ろしくはないが、それは岩崎が万全の状態であるとことが前提条件だ。

(ここは動くべき時じゃないな)

 自軍の戦力を考えれば、ピッチャーに無理をさせる場面ではない。


 アレクに二打席連続のヒットが出て、哲平はまた進塁打を打ち、ワンナウト二三塁となる。

(一三塁ならともかく、二三塁か)

 一塁が空いているので、当然のように大介はまた歩かされる。

 ブーイングは出るが、ここはもう仕方ないだろう。


 ワンナウト満塁で、四番の鬼塚。

 ここも案外選択肢が少ない。

 満塁なのでタッチプレイがいらず、むしろフォースアウトやゲッツーを取りやすい。

 鬼塚はバントも上手いが、フォースアウトが出来る状態で四番にスクイズという奇襲も、やはりやりにくいだろう。

 ヒットならもちろんいいし、鬼塚の長打力なら外野フライを期待したいが。

(ここも動かない。振っていけ)

 鬼塚は臭いところはカットして、失投を引き出そうとする。

 だが小さな変化球を打ってしまい、セカンドゴロからのゲッツー。

 一回に続いてまたしても、ランナーを出しながらも点が入らなかった。




 流れが悪いのもあるが、ツキもない。

 幸いなことに岩崎は気にしていないが、このままロースコアの投手戦になるのは、向こうの得意な展開であろう。


 ワンマンチームとは言っても、最低限大原を機能させるだけの、メンバーは揃っている。

(結果論ではあるが、適切に動けてたら二点は入ってるな)

 だがこれは向こうのベンチワークと言うよりは、本当に運が悪いだけだ。

(大原のスピードは150km越えを何度も出してるが、三振はほとんど取れていない)

 変化球との緩急差に錯覚せず、ちゃんとバットが振れているのだ。


 決定的に流れが向こうに行っているとは感じない。

 三回の裏も岩崎は三人で終えて、パーフェクトピッチングだ。

「粘らなくてもいい。好球必打で行け」

 この回先頭の倉田にはそう言う。

 あまり足の速くない倉田が先頭というのも、ツキのなさの結果なのか。


 大原にはさほど球数を投げさせていない。

 それでも全力投球は多く、ボール球を投げさせている。

(終盤までには捉えられるとは思うんだが……)

「コールドは無理かな?」

 ベンチの中で呟くと、選手たちの顔が険しくなる。

「つーか逃げない場面で打席が回ってきたらなあ」

 大介のぼやきも傲慢とは言えない。


 倉田はヒットで出たが、次の武史が内野ゴロで、ゲッツーこそ回避したもののランナーが一塁のまま走者だけ変わりワンナウト。

 そして七番のトニーがゴロを打ってしまって、結局はゲッツーである。




 流れは、明らかに悪い。

 だが岩崎のピッチングがそれを抑えこみ、向こうの流れにもしていない。

「赤尾と、あと椎名も、五回までこの流れなら終盤に代打で使うからな」

 とりあえずベンチの中の空気はかき回しておく。


 この回、ツーアウトから三番にクリーンヒットを打たれて、岩崎のパーフェクトは途切れる。

 流れが変わるかと思ったが、長打狙いの大原からボール球のストレートでストライクを稼ぎ、スライダーできっちりと三振に仕留めた。

 悪くない。

 初めてのランナーを出しはしたものの、その直後に相手の主砲でもあるピッチャーを三振でアウトにしたのは大きい。

(だがもう五回か)

 全くランナーが出ないわけでなく、点が取れそうで取れない。

 下手なエリート集団であれば、ここらで混乱しても良さそうなものだが、三年と二年はこれぐらいの緊張感のある試合は経験しているし、一年だって図太くなっている。

 何よりもまず、エリートであれば白富東には来ないし来れない。


 こういった試合では突破力。あるいは絶対的な力が必要になる。

 白富東では、大介がまず筆頭だ。

(大田からか~)

 小技の使えるキャッチャーとしてはトップレベルのキャプテンであるが、打撃にはあまり期待出来ない。

「ちょっと揺さぶってきます」

 己を知り、その上でやるべきことを、ジンは分かっている。


 12球投げさせた。だが最後はキャッチャーフライでアウト。

 バントの構えなども見せたのだが、大原もキャッチャーも集中している。

 岩崎も集中してはいるが、少しだけ緩みを持たせている。何かの拍子に切れないようにだ。

 意識としては95%といったところか。


 ラストバッターの岩崎は深いところまで飛ばしたがレフトフライで、アレクも三打席目にしてようやくライトフライの凡退となった。

 この五回の裏も、得点はない。岩崎はまた三振と凡打を丁度よく積み上げている。


 六回の表、膠着した空気の中、哲平がショートへの内野安打で出塁。

 一塁が埋まっている状況で、大介の打席が回ってきた。




 勝負するか、それとも敬遠か。

 ベンチからはサインは出ず、バッテリーは頷く。

 キャッチャーが座る。勝負だ。


 おおお、と球場が揺らぐ。

 小さなスラッガーが大きく構え、マウンド上の大原を見下す。

(白石……)

 大原の高校野球は、この小さな大打者によって、ことごとく上への道を阻まれてきた。

 全力を尽くして、打ち取る。


 初球はアウトローへ、念のためにボール二つ分外した。

 変な力みはない。ここまで二打席歩かせたバッターを相手に、集中する。

 二球目はインハイを要求された。

 アウトローの次にインハイ。基本的な配球だ。

 一番危険なコースではあるが、球を置きにいったりはしない。


 指にかかるバックスピン。全力のストレート。

 インハイの一番速く見えるコースを大介は叩いた。

 ライト方向。深めに守っていたライトの上空をあっさりと通過し、外野スタンドの最上段へ。

 球場中が歓声で爆発する、先制のツーランホームランであった。




 結論だけを言うならば、この打席の勝負が、この試合の全てであった。

 崩れた大原はここから三連打と犠牲フライで、さらに三点を失った。

 六回の裏、大量の援護を貰った岩崎は、この試合始めてのフォアボールでのランナーを出してしまったが、その後は封じて無失点。


 七回の表、先頭のアレクから始まる白富東打線は、またも追加点を得る。

 大介に今度はツーベースを打たれた大原は、ここで右肩を押さえながら降板した。

 その後のピッチャーが運良くスリーアウト目を取るまでに、結局五点を取られた。

 10-0の七回コールドで、白富東は決勝戦への出場を決めた。







 ――後の話である。


 この試合で肩を痛めた大原であったが、その症状はさほど深刻なものではなく、選手生命に影響が出るようなものでもなかった。

 だが結局は大介を抑えることが出来ず、その後の打者にも連打を食らったことなどから、プロのスカウトの関心はすっかり失われてしまった。

 金満球団の中には、育成枠で取ってもいいかと思ったところはそこそこあった。


 その中で育成枠ではなく、ドラフトで順位指名しようとしていたのは二球団。

 大京レックスと、大阪ライガースである。

 レックスの場合は大田鉄也が編成会議で強く推したものの、成績的にも印象的にも、最後の夏の試合が悪く、他の有力選手の指名が終わった後、七位以降ぐらいで指名できればという考えであった。

 これに対してライガースは、たまたまこの試合を見ていた、スカウト部長が強力に推した。

 この数年のライガーズのドラフトで成功した選手は、スカウト部長の眼力に適った者がほとんどであり、編成やGMにまで影響力があった。


「小さい故障ちゅうのは、つまりちゃんと体を鍛えるのと、メンテナンスするのが分かってないねん」

 栄泉は私立で部活動にも力を入れているが、甲子園常連の監督を招聘したり、専門のピッチングコーチを置いてはいない。

 同じ県のほぼ同じタイプの岩崎は、MLBにも通用するトラッキングによるフォーム修正などを受けて、大原と似たような性能を出している。

 つまり岩崎は既に完成形が見えていて、大原は成長の余地がいくらでもあるのだ。


 あの日、白富東の岩崎はMAX150kmの球を何度か投げたが、大原の球速はそれを上回る152kmがMAXであった。

 体格やフォームの無駄をなくせば、さらに成長の余地はある。

 大学でちゃんとした技術指導を本格的に学べば、四年後にはドラ一の逸材になっているかもしれない。

 そういった理屈で、上位指名は無理ながら、四順目指名で獲得に成功するのである。


 大原は二年間を丸々二軍で過ごし、三年目にようやく初の一軍登板。

 そして四年目から飛躍を果たす。

 彼を獲得出来なかったレックスの鉄也は言った。

「まあ無能なスカウトや馬鹿な大学の監督に潰されるよりは、世の中で活躍してくれた方がよっぽどいいか」

 なおこの年にドラフトでライガースに入団した新人の中で、10年後にもライガースに残っていたのは大原一人であった。

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