第106話 王者の戦い

 王者の戦いというのは、どういうものだろうか。

 獅子は兎を狩るにも全力を尽くすなどと言うが、その全力というのはどういうものか。

 別に兎に限らず、ライオンの狩りというものは、獲物を追い詰め、弱らせ、そしてしとめるのだ。単に全力で追い回すものではない。


 白富東と浦安西の試合は、五回が終わった時点で2-1と白富東がリードをしている。

 春の大会などを見るに、白富東は全力で相手を叩き潰すチームであった。

 だがこの夏の大会では、着実に相手を追い詰め、すっきりとコールド勝ちをしてきた。

 シードを破っているとは言え完全ノーマークだった浦安西が、ここまで善戦するとは誰も予想していなかっただろう。


 それでも、ここまでだった。


 五回の終了時点で、浦安西の一年ピッチャー青砥光太郎の球数は140球を超えた。

 試合によっては140球は珍しくないし、体力があればそれぐらい投げられるピッチャーは多い。

 だがそれは、途中に攻撃という休憩を挟んだ九回までの話である。

 五回まで、ほとんど毎回ランナーを背負い、粘られて投げる140球は違う。

 六回の表には三点を追加された。

 そして七回も二点を追加され、ツーアウトながらランナー二三塁で、バッターはシーナ。


 当たり前のことであるが、ここで歩かせてしまったら、満塁で大介に回る。

 歩かせて押し出しになれば八点目が入り、七回コールド要件の七点差となる。

(頼む)

 コントロールも乱れ、変化球のキレもない。

 それでもマウンドを託せるのは一人だけ。


 初球、落ちないスプリット。

(泣け!)

 シーナのバットはボールを弾き、ファーストの頭を越えてフェアグラウンドに落ちた後、ファールグラウンドへ切れていく。

 長打。ランナーは二人帰り、シーナも二塁へ到達。

 これでこの裏の得点がなければ、コールドである。


 崩れかけたコータローが、顔を上げてバックの守備陣へ声をかける。

「……ツーアウトなあ!」

 そしてそれに、守備陣も唱和する

「ツーアウト!」

「ツーアウトだからな!」

 その後大介を敬遠し、鬼塚を運のいいショートライナーで打ち取り、最後の攻撃が始まる。




 二回から、岩崎はパーフェクトピッチングを続けている。

 めんどくさい一番も、注意すべき四番も、八割の力を意識して、確実に刈り取っている。

 七回も三番と四番を三振と内野フライで打ち取り、バッターボックスにはもうバットもまともに振れないコータローが入る。

「鋭く! 大振りしないで!」

「狙えよ!」

 声を出すものもいれば、祈るように手を組む者もいる。

(来年あたり面倒そうなチームになるかもしれないな)

 そして岩崎のストレートを平凡なセンターフライにして、この試合は幕を閉じた。


 整列した一年バッテリーは、挨拶の後も岩崎ににじり寄る。

「次は絶対に勝つんで!」

「……いや、練習試合なら応じてやってもいいかもしれないけど、俺は三年だぞ? お前らが相手するのはこっちだろ?」

 主に一年の方に親指を向けると、そちらにも噛み付いた。

「お前らにも絶対に勝つから!」

 やはり厄介そうなバッテリー。これにしつこい先頭打者も一年なので、やはり今後二年は注意が必要そうだ。


 秦野は当然のようにインタビューを受ける。

「初回、先頭打者がいきなり出てしまい、それがノーアウトで二塁まで進んだわけですが、何か指示はありましたか?」

「いえ、特に何も。ベンチから見ている限りでは、しっかりと自分たちで対処していましたので」

「その後のセーフティスクイズで一点を奪われることになりましたが、それでも動かなかったと?」

「あの後も選手同士で注意していましたからね。失敗と言えなくもないですが、それを次に活かすことが、幸いにも出来ますので」

「失敗しても次に活かすと。すると監督の立場からしては、文句はないと」

「文句というか……先頭打者の初球の入り方ぐらいですかね。あとは課題を自分で処理していましたし」


 そして負けたほうの監督にもインタビューはなされる。

「悔しいですうぅぅ!」

 良い大人がガチ泣きをしていた。

「せっかくやっと公式戦に出られたのに、もっと勝たせてあげたかったですうぅぅ!」

 これだから女は、などとは秦野は思わない。

 監督が本気で悔しがるチームは、必ず強くなる。

「白富東には全国制覇してもらって、せめて最強のチームに負けたって自分を誤魔化したいですうぅぅ!」

 しかし正直すぎる。




 白富東の思わぬ苦戦に、県内の勝ち残っていたチームはわずかな希望を見た。

 だがそれは次の日までのこと。

 準々決勝の白富東は、一年生のトニーを先発に立たせ、三安打完封。

 打撃の方は14点を取って、あっさりと五回コールドで勝ったのだ。


 早くに試合が終わったので、他球場で行われている、次の対戦相手を決める準々決勝のラジオ中継を聞く。

 もちろん研究部もスコアラーとカメラが行っているのだが、臨場感あふれるラジオ中継とネット中継も大切である。


 ここまで1-1の同点のスコアで、回は延長10回の表、トーチバの攻撃が始まる。

 どうやら大原が公式戦のスピードガンで150kmを出したらしく、その話題が何度も繰り返されている。

 セイバーの言っていた、短期決戦における大事な突破力、あるいは絶対値。

 平均的な戦力では上回るトーチバを相手に、互角に戦っている。


「どっちが勝つかな」

「まあどちらでもいいけど、かなりタイプは違う相手になるよな」

「全体的に強いトーチバと、大原の力の栄泉か」

「でも栄泉もけっこうベンチに一年入ってるんだよな」

「ここまで他のピッチャーも投げてるけど、やっぱり大原頼みか」

「シード取ったって言っても、ここまでコールド勝ちないからなあ」


 一応控え投手にも投げさせて、少しでも体力の消耗を少なくしようとはしている。

 今日は延長まで投げているが、準決勝との間には一日調整日があるので、疲労も回復してきているだろう。

 大原はいい投手だ。それだけに、打撃陣の良い練習になる。

 ひょっとしたら新しい変化球でもあるかとも思ったが、この試合内容でここまで投げていないらしいので、あったとしても実戦に耐えられるものではないのだろう。


「大原は全体的に、少し岩崎を悪くした感じのピッチャーだな」

 秦野の評価はそれである。

「ただ二点ほど、岩崎よりも優れている部分がある」

 ラジオの中継を聞きながらも、選手たちは秦野の言葉に聞き入る。

「一つは完投経験の多さ。もう一つはコントロールの粗さだ」

「ああ……普通なら悪いけど、大原ぐらいの球威があれば」

 ジンは納得する。

「ちゃんと読んで打とうとしても、思ったとおりのコースに投げてこられない場合があるからだ。そういった荒れ球が、逆に打ちにくくさせている」

「つってもホームラン打つだけなら簡単だろ」

 いや、それはお前だけだという視線が大介に向けられる。




 10回の表にトーチバの得点はなく、その裏に栄泉は、ツーアウトながらランナーを二塁に進めて、打席には四番の大原。

 エースピッチャーが四番も務めないといけないところが、層の薄さを露呈しているというか。

「大原もこの大会二ホームランか」

 資料を眺めながらジンが呟く。

 打率は三割でここも悪くはないのだが、それよりは長打が目立つ。

「大原以外に特筆すべき選手は……出塁率の高い一番と、足の速い三番? う~ん」

 出塁率の高い一番を先頭に置くのは分かるが、三番はクリーンナップにしては打点が少ない。

「ゲッツー対策だろうな。ランナーが一人でも残ってたら、大原が長打で返す」

「そういうものですか」

 戦力が揃っていないと、色々と工夫が必要らしい。


 大原以外の選手のレベルは、全てトーチバの方が高い。

 だがいいピッチャーが一人いれば、互角に戦える。それが野球だ。

 高校野球の華はピッチャーだ。

「一塁が空いてるから――」

 ジンがそう言おうとした瞬間。

『打ったー!』

 ラジオからは解説の音声が流れてきた。


 二塁ランナーが帰ってサヨナラ。

 これにて明後日の準決勝の相手は、栄泉と決定した。

「最後の球なんだった?」

 ネット映像組に確認する。

「ストレートがちょっと甘く入ったかな。インハイ」

「この場面でインハイにストレート初球投げさせるって……」

 ジンとしては、これはキャッチャーのリードが悪いとしか言えない。


 監督として秦野も思う。

 ここは大原は敬遠の場面だ。

「ピッチャーが拒否した? それとも一球内角の球を見せて、あわよくば外で勝負出来ると思った?」

 ジンとしてはここでピッチャーの我儘を通すキャッチャーも、甘い判断を良しとしたベンチも、無能すぎるとしか思えない。

「大原を打ち取ることで、次の回の攻撃に弾みをつけたかったとか?」

 岩崎はそんなことを言うが、たとえ投手が岩崎でも、そして直史でも、自分がキャッチャーが大原は敬遠だと思うジンである。


「15回まで戦う覚悟がなかったんだろうな。トーチバは三枚目までは使えるピッチャーがいたから、上手くランナーと大原の打撃を分離出来れば、勝てた試合だった」

 秦野の見方が冷徹であったろう。勝負か敬遠か徹底していれば、コースも甘くはならなかっただろうに。

「まあ負けた方はどうでもいいか。一日休みがあるから大原も回復してるし、要するにどうこいつを打つかが試合の肝だな」

 結局のところはそこだ。


 ジンが考えるに、栄泉に勝つには二つの戦略が存在する。

 上位打線で確実に点を取り、守備では相手を完全に封じ込める、バランス型。

 打線の全面を強打者にして、全力で大原を叩き潰す攻撃型。

 直史に投げさせてロースコア勝負という超安全策というのもあるが、これはさすがに消極的すぎるだろう。


 さて、どういうスタメンを組むか。

 ジンが考えている間に、秦野は計算を終えていた。

「先発は岩崎と大田のバッテリーで行こう」

 お、と虚を突かれた感じのオーダーである。

 岩崎と大原は、右の本格派という点では、ある程度似ている。

 栄泉のバッターも大原の速球をそこそこ打っているだろうから、速球派ではなく直史か、あるいは淳を先発に持って来るかと考えていたのだが。


 秦野はそんなジンの考えを見透かしたように、ニヤリと笑った。

「ただ球が速いだけのピッチャーに、本物の甲子園バッテリーの力を見せ付けてやれ」

 なるほど、純粋に力勝負か。

 今度は相手の土俵に上がった上で、あえて勝つ。

 栄泉の打線を考えると、岩崎からはかなり偶然が重ならないと、二点は取れない。かなり考えても一点が限度だろう。

 一点も許さないために、ジンがリードする。




 守備側の意識は分かった。

 あとは攻撃、つまり大原をどう攻略するかだが。

「大介と勝負してきますかね?」

 ジンの憂慮することはそれだ。徹底して大介を歩かせてくるなら、得点力は確かに落ちる。

「してくるだろ。単に逃げてるだけじゃ、主導権を奪えない。まあワンナウトでランナー二塁とかなら、塁を埋めてくる可能性はあるけどな」

 単に逃げるだけでは、栄泉は何も勝機をつかめない。


 今日の大原にしても、一点は取られているのだ。

 トーチバよりもさらに危険な打者が多い白富東を、完封出来ると考える方がおかしい。

 ならばどこかで、強引に主導権を奪う必要がある。そのための一つには、大介を凡退させるというものがある。

 それに栄泉は大原のチームだ。

 大原が大介から逃げていれば、それだけで相手の勢いは削がれる。

 こちらも逆に、大原を敬遠してやってもいい。


 そして秦野が発表したのは、ジンの予想の片方の、攻撃型であった。

「よし、試合の映像も届いたし、本格的に分析すっか」

 かくして大原対策が講じられる。




 私立栄泉高校の野球部は夏の大会が始まって以来、学校の敷地内に合宿を張っている。

 四番ピッチャーの主力選手大原は、先ほどまで行われていたミーティングの内容を反芻する。


 今日が一日休みであったので、体は完全に回復している。

 元々体力には自信があるのだ。明日は15回だって投げきってみせる。


 15回。

 それは相手に一点も取られないことと、こちらも一点も取れないことを指す。

 白富東のピッチャーは層が厚すぎる。普通なら甲子園強豪校レベルのピッチャーが三枚もいるし、兼任や一年まで含めたら、大原がどれだけ一人で投げても、こちらも点が取れる気がしない。

 それに相手の打線も強力すぎる。特に白石大介は、プロに行く器だ。

(だが俺もプロに行く!)

 夏の始まる前に、プロ球団の関係者が監督に接触してきたという話があった。

 どこの球団かは知らないが、野球をさせてくれるならどこでもいい。

 明日の試合の結果は関係なく、大原はプロで戦うことを決心した。


 思えば、大原の負けの半分以上が、白富東によるものだ。

 生まれてからこれまで、小さな山で大将気取りであった自分が、圧倒的に粉砕された一年の夏。

 それから何度も戦う機会はあったが、全て完全に叩きのめされてきた。

 相手の打ち損じなどで、アウトに出来たことはある。だが野球というスポーツは、投手が七割は勝てるものなのだ。

「大原」

 外に出ていた大原に、声をかけて監督が歩み寄る。

「体を冷やすなよ」

「熱帯夜だから大丈夫ですよ」

 大原はここまで、全試合に登板している。下級生ピッチャーに序盤を任せることもあったが、大原のピッチングなしで勝てたと言える試合はない。

「明日もいい天気になりそうですね」


 最後の夏に、県大会の準決勝まできた。

 そして対戦相手は、一年生からの因縁のある、日本最強のチーム。

 全てを出し尽くす。その気迫が感じられる。


 だが指導者としては、選手の将来も気になる。

 既に大原には複数球団からの接触がある。白富東相手にどういうピッチングをするかによっては、甲子園に行けなくても上位指名さえありえる。

 大原の鍛えられたスタミナに不安はないが、肩や肘などはそうはいかない。

 パワーピッチャーというのは、それだけ壊れやすいものでもあるのだ。


 純粋に勝利を求めるなら、白石大介は敬遠だ。

 だが他のバッターも、気の緩んだ球でしとめられるほと、柔な打線ではない。


 何も言えないまま、準決勝の朝がやってくる。

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