第97話 バッテリー
守備を終えてベンチに戻ってきた白富東のナインは、絶望に襲われていたりなどしない。
ただひたすら呆れていた。
「トニー、あんまり気にすんな。安易なリードをした俺の責任でもあるんだし」
孝司はそう慰めるが、実際のところは本音である。
相手は完全なる未知のチームの四番。
外角のボールになるスライダーで、様子を探ってみても良かったのだ。
まだ一回で、全く相手の情報がなくて、それであの球。
確かに打たれないだろうし、打たれてもトニーの球威ならファールになるだろうと思っていた。
だが遠心力を乗せたバットは、ジャストミートしてボールをホームランにしてしまったのだ。
ベンチにはまだ悲愴感などはない。
だが同時に、切迫したものもない。
一回表裏だけで、既にかなりの情報が見えてきた。
「タケ、何を打ったらいいのかな?」
「ストレートとスプリットの見分けがつかないのは確かだけど、あんまりコントロールもいいわけじゃないみたいだし、最初はストレート狙い打ちでいいんじゃないかな」
倉田はこくりと頷いて、バッターボックスに入っていく。
この試合は、確かに面白い。
「ストレートはけっこう伸びるぞ!」
鬼塚も倉田の背中に声をかけて、ベンチ内で分析に入る。
「ストライクが入らないピッチャーじゃないですけど、四隅に投げ分けるほどのコントロールはないですよね」
哲平の意見にアレクも頷く。
「だいたい真ん中付近だけ」
「カーブも真ん中に入れてきたからな」
そう。そうなのだ。
権藤明日美はストライクが入らなくて自滅するピッチャーではないが、今のところコントロールの良さは見えていない。
女子に限らず球威で勝負できないピッチャーは、テクニックを駆使する。
その中でも一番大事だと言えるのは、コントロールだ。
それほどたいした球でなくても、低めにさえ集めれば、高校野球レベルでは長打にはなりにくい。
強打のチームに対しては、甘くない内角を投げられるかがキーポイントになる。
そしてアウトローのストライクとボールの出し入れは、ピッチングの基本だ。
なるほどこうやって相手を分析し、自分たちで考えていくのは面白い。
確かにここまでの展開だけで、今日の試合を組んだ意味はあると言える。
「バッティングはどうだ?」
「タマと田村はともかく、一番は全然速球についていけてなかったし、五番は完全に変化球を見失ってました」
相手チームの一番の長身選手相手に、孝司は淳には変化球しか投げさせなかった。
豪快なスイングはしていたが、バットとボールの間は30cmは開いていたと思う。
相手の攻撃は、粗い。
ツーアウトランナーなしではあったが、一発を狙ってくる場面ではなかっただろう。
「二・三・四番だけは一応注意して、あとは変化球を適当に投げてれば問題ないだろうけど」
孝司の視線に淳も頷く。
「おい! ネクストバッター!」
審判の秦野に言われて、慌ててネクストバッターサークルに入る孝司であった。
先頭打者の倉田は、初球のへっぽこカーブを見逃す。
(こんなのをゾーンに投げさせるって、キャッチャーの子も勇気あるなあ)
ピッチャーの明日美は迷いなく投げ込んでいるので、バッテリーの信頼関係は厚いのだろう。
(ストレートとスプリットを見極めて打つ……)
そう前のめりになっていた倉田に投じられたのは、またもへっぽこカーブであった。
(え~!?)
裏を書かれたという気分はあるが、普通こんな球を二球続けはしない。
スイングしようとして、力んでいるのに気が付いた。
無理に当てようとはせずに空振りしておく。
これでまたも、二球で追い込まれたことになる。
(次はセオリーどおりなら、ストレートをばしっと投げさせるところだけど)
カーブも一応頭に置いておくが、今度は明らかにフォームの躍動感が違う。
ストレート。コンパクトに狙い打つ。
ファールチップして、恵美理のミットにボールが収まった。
またしても三球三振。
アウト四つのうち、三つが三球三振である。
倉田にはスプリットがなかった。
だから次の孝司にも、ストレートが思ったより伸びるというアドバイスしか出来ない。
(なんか変なピッチャーだな。球速は遅いけど、ストレートで三振を取る本格派?)
女子選手としては別格の速さなのかもしれないが、白富東の上位打線が苦戦するというのはおかしい。
とりあえずシーナの指示なのだろうが、初球は甘い球でしっかりとストライクを取ってくる。
ならば逆に、初球から狙っていく。
(よし、甘い!)
そう思って振ったボールは、少しだけ沈んだ。
強い打球ではあるがショートゴロ。エラーの可能性も考えて全力で走る。
ショートを守るのは、本職はテニス部の一堂。速いボールを捕球するのには慣れている。
しっかりとつかんでファーストへ送り、着実にアウト。
「打ち気を感じ取られたのかなあ」
釈然としない孝司であるが、ベンチも責めるつもりはない。
「ここまで初球は消極的すぎたから、狙っていくのは悪くないと思うけど」
倉田としても孝司の狙いが悪かったとは思わない。
七番はトニーに代わって入った曽田である。
じっくりと見ていったが、また簡単に追い込まれて、そこからファースト正面のゴロでスリーアウト。
押されてるという感じはしない。だがこちらも押しているという感じはしない。
のらりくらりと逃げるピッチングではないのだが、的を絞れない。
カーブは明らかにフォームから分かるのだが、ストレートとスプリットの判別が問題だ。
「とりあえず守備だな。まだ序盤だし、タケは打ってるんだから、打てない球じゃない」
倉田の号令で、守備につく白富東ナインである。
二回の裏の聖ミカエルの攻撃は、先ほど痛烈なショートゴロを処理した一堂。
(テニスのサーブと同じで、変化する球だから)
そう思ってはみたが、野球の細いバットでは当てるだけが精一杯。
五番の鷹野に次ぐ体格の持ち主だが、セカンドゴロでワンナウト。
その様子を見る白富東の白富東の三年は、聖ミカエルを応援するツインズの方に移動していた。
七番と八番があっけなく三振するのを見て、ほっと一息の一同である。
「結局打撃で注意するのは四番だけなのかな?」
「そうかもしれないけど、あれはストレートの芯を食ったんだろ? 変化球主体の淳なら、打たれても外野フライまでだろ」
「五番と六番も、上手く当たったら外野までは運べそうだけどな」
「つまり三番までで塁を埋めて、四、五、六で返すってことか」
「淳なら打たれないだろうけど、あとはペースを調整して完投出来るかどうかだな」
トニーがいきなりノックアウトされたので、継投をどうするかが問題になってくる。
相手のスイングを見るに、打たせて取って球数を少なくする工夫が必要だろう。
おそらく相手のバッターには、難しい球をカットする技術はない。
三回の表は八番の佐伯からで、やはり初球は見ていく。
だが二球目をセーフティで転がす。サードとピッチャーのどちらが捕るか微妙なところ。
明日美は素手でそれをつかみ、そのまま体をねじってファーストへ。
佐伯は足もかなり速いのだが、アウトであった。
「……今のフォールディング、かなりアクロバットだったな」
「暴投するかと思ったけど……」
「それに投球のフォーム、あれおかしくないか?」
おかしい。
ある程度はシーナから聞いているジンであるが、権藤明日美の性能がおかしい。
「打ちにくそうなピッチャーだよな」
大介までそう言い出す。
「タイプとしては……全然似てないけど、坂本に似た感じなのか?」
大介が問うのはジンであるが、そう言われてもここからではしっかりとは分からない。
瑞雲の坂本。
バッターの打ち気を逸らす、典型的な軟投型のピッチャーであった。
だが坂本と違って、明日美は緩急はへっぽこカーブしかないし、三振も取っている。
ラストバッターの淳の打った球はピッチャーライナー。
片足だけで立っている姿勢から捕球し、打球の勢いで一回転する明日美である。
上手い。
上手いのだが、単に上手いとだけ表現するのは難しい。
先頭に戻って一番のアレクだが、センターをわずかに後退させるフライでスリーアウトとなった。
確実にミートするのは難しいが、打てない球ではない。
「変化量が一定じゃないから、かえって打ちにくいね」
そうアレクはこぼす。三振の次は外野フライなので、少しずつ修正はきいている。
「あれっすね。荒れ球で打ちにくいピッチャーと印象が似てますね」
孝司の表現は納得出来るものであるが、明日美は基本的にゾーンにしか投げてこない。
アウトローやインローにびしりと決まって手が出ないというわけでもなく、とにかくど真ん中付近の打てそうなボールなのだ。
タイミングが取りにくいのは確かだが、絶対に打てないとまではいかない。
「伸びるストレートで三振を取る、本格派だね」
アレク、哲平、倉田と、三振はストレートで奪われている。
三回の裏、聖ミカエルの先頭は九番の恵美理。
変化球を投げれば、簡単に空振りが取れる。
(キャッチャーだからって変化球に慣れてるわけじゃないか。まあストレートとスプリットと、しょんべんカーブしかないんじゃな)
ツーストライクからの三球目、孝司のリードに首を振る淳。
(変化球投げとけば安牌だぞ?)
(だからこそストレートも試しておきたいんだよ)
(う~ん、先頭打者で試すのはなあ)
そう思った孝司だが、淳の意思を尊重する。
インハイ。淳のコントロールとメンタルなら、女子選手相手でも、しっかりと投げ込める。
その難しいストレートを、恵美理は痛打した。
もっともショート正面で、普通にアウトにはなったが。
アンダースローの淳のストレートは、ナチュラルに変化がかかっている。
だがそれを加味しても、恵美理はしっかりと体に近いボールを振ってきた。
(やっぱりストレートだけか。変化球は打てない)
続く一番は変化球で素直に三振。二番の珠美はゴロを打たせてスリーアウト。
とりあえず守備側の目算の立った孝司である。
四回の表、白富東の攻撃は、二番の哲平から。
(初球からしっかりと振っていく)
投じられた球は小さく沈むスプリットで、哲平はファールに逃げる。
(これとストレートのコンビネーションだけ。カーブはフォームから分かる)
二球目もスプリット。これもファールにした。
ストレートを狙いたい。
一打席目は空振り三振してしまったが、あの程度の球威であれば、本来はホームランを打つのにもってこいなのだ。
三球目。ダイナミックなフォームから投げられるそれは、速い。
(ストレート!)
振ったバットの上を、ボールは通過していった。
スプリットを二球続けた後だということもあったが、おそらくは本日の最速だ。
だがそれでも、あの程度のスピードなら打てないとおかしいのだが。
「どうしたんだよ」
孝司の声に、自分でも悔しく思う哲平である。
「いや、とりあえずスプリットとストレートがコンビネーションの主体で、カーブはフォームから読めるし、無視していいと思う」
それでも使ってくるなら、ちゃんとタメて打てばいい。
三番の武史はジャストミートしたがセンター正面のライナー。
そして四番の鬼塚は、スプリットで三振していた。
さすがにそろそろ、肝が冷えてくる。
ここまで出塁したのは、武史のヒットの一本だけ。
強い打球はそこそこ打てているが、それでも女子のグラブを弾くほどではない。
使える変化球を一種類と、見せつけるための遅い変化球が一つ。
ストレートで三振を取るタイプだが、スプリットもかなりの切れ味がある。
四回の裏、ワンナウトランナーなしで、二打席目の権藤明日美。
打つ気満々の彼女は、スライダーとシンカーのコンビネーションであっさりと三振した。
その後の打者も変化球を捉えられず、凡退を続けていく。
孝司としては球数の問題もあって、むしろゴロやフライを打たせたいのだが。
ピッチャーの投げ合いと言うべき展開なのだろうが、白富東側は不気味なものを感じている。
140kmの出ないストレートとスプリットのコンビネーションで、ここまでほぼ完封されているのだ。
強い打球が野手の正面に飛んだ不運もあるが、クリーンなヒットや外野を越える打球があってもいいだろうに。
主審をしている秦野には、年齢からくる知識があるだけに、この不気味さの正体が分かる。
ただそれでも、理解不能な部分がある。
(プロで言うなら星野か上原が近いんだろうが……)
遅くても伸びのあるストレートと、ストレートとさほど球速差のないフォーク。そしてスローカーブの星野伸之。
10年連続で二桁勝利を挙げて、それでいながら三振も多く、四球も多く与えた。
(ただ星野も上原も、フォームはしっかりとしてたはずなんだよなあ)
同じフォームから違う球種を投げられたから、多くの三振が取れたと言える。
ボール球が少ないという点では、上原浩治の方が近い。
だが明日美は全く逆だ。
全然違うフォームから、同じ球種を投げてくる。
(感覚で投げてストライクを取ってるんだろうけど、そんなのありえるのか?)
MLBの手投げの投手には、そういう荒っぽいのがいないわけではない。
しかしそういうのは、四球を連発したりもする。
真ん中に集めるというのは打ちやすいはずなのだが、実際には打てていない。
おそらくバッターにはかなりのフラストレーションが溜まっているだろう。
およそ試合も半分が終わり、ここからどう打ち崩していくか。
どうやら向こうは変化球に対応出来る選手がすくないため、追加点はそうそう奪われるとは思えない。
(俺が采配取ってれば、いくらでもやりようはあるが……)
変なプライドに拘っているうちは、攻略出来ないだろう。
そして女相手にどんな手段でも取るほどの覚悟が、この衆人環視の練習試合の中で抱けるか。
その意味ではセーフティを狙っていった佐伯は、変な縛りに囚われていない。
(お前たちは王者じゃないんだぞ)
高校球児たちは、たとえ前年優勝していようが、どれだけの戦力を集めていようが、挑戦者だ。
それを忘れて動かない。もちろん試合によっては下手に動かず、どっしりと構える場合も必要である。
だがこの試合は違うだろう。
「雨か……」
ぽつりぽつりと降ってきた。
雨は足元をゆるめて指を滑らせる。変化球を主体とする淳には、あまりいい要因ではない。
この雨も含めて、今日の試合はいい経験となる。
油断という名の最大の敵を、この試合で確認出来るようになればそれでいい。
五回の表、そして裏と、両チームランナーは出ず。
初回の明日美のホームランを除けば、完全に投手戦である。
だが淳の変化球が打てない聖ミカエルは全く慌てていないのに対し、白富東の方はさすがにあせってきた。
「なんでストレートが打てないんだ?」
三振してバッティンググローブをベンチの椅子に叩きつける孝司に対して、その前にやはり三振している倉田が問いかける。
「スプリットですよ。あれの残像が消えないから、どうしてもボールの下を振ってしまう。それにストレートの球速はともかく、球威はかなりのものでしょ」
冷静に分析する淳。
自分も打てていないが、相手に打たせていないので、彼は冷静である。
なんだかんだ言って、相手の打撃は封じている。これ以上の失点は防げそうだ。
あとはピッチャーを打ち崩すのだが、ようやく情報が集まってきたと言えるだろう。
相手がこちらの情報を豊富に持っていて、こちらが全くない状況と言うのは、ここまで苦戦するものなのか。
「これぐらいのピッチャーなら、全国を探せばどこかにはいそうですよね……」
孝司はそう言うが、鬼塚が反発する。
「あんな投球指導も受けてなさそうなピッチャーが、まともなチームにいるか?」
「確かにフォームはバラバラですけど、それでストライクが取れてるなら、わざと修正してないんでは?」
それは、考えにくい。
考えにくいが、ここまで一点も取れていないのは事実だ。
六回の表の佐伯は、またセーフティを狙っていったが、今度はサードの珠美が処理してアウト。
ランナーが出ればかなり揺さぶれそうなのだが、それが出ない。
ラストバッターの淳が打席に入る。さっきからずっと考えていたのだが、カーブは序盤以降は、ストライクには投げてきていない。
(カーブは見せ球だ。変なストレートじゃなく、スプリットを狙おう)
そう考えていた淳の初球に、カーブが投じられた。
(入ってる――?)
スイングは止まった。カーブはへろへろと沈んで、ワンバンで捕球された。
結局最後はピッチャーゴロに倒れた淳であるが、ツーアウトながら三打巡目のアレクである。
大介がいない打順であれば、間違いなく打率と出塁率は一番高く、ホームランも狙えるバッターだ。
(初球に投げられる球がない……)
座りながら、恵美理は内心困っていた。
相手が初球から手を出してくる気配は分かる。
だが全力のストレートもスプリットも、当然ながらカーブも、ストライクゾーンは打たれる気がする。
今日はまだ試していないあれは、出来ればストライクが一つは取れてる状況で使いたい。
(初球は外に外して)
頷いた明日美の投じた外角のストレートを、アレクは打った。
体勢を崩しながらでも、レフト前へのヒットである。
明日美の持つ、明確な弱点の一つ。
ストライクゾーン真ん中寄り以外は、はっきりと外に外したボール球も、完全な棒球になる。
それが分かっていたのかどうかはともかく、完全に打たれてしまった。
やはり男子選手は手足が長い。
ツーアウトからランナーが出て、とりあえず哲平は一球は待つ。
当然のように初球からストライクを取ってきたが、その間にアレクが盗塁。
恵美理は投げもせず、これでツーアウト二塁。
二塁までならいい。その代わりにこちらもストライクを一つもらった。
やはり足が速い。女子とは比べ物にならない。
恵美理は立ち上がるアレクを見るが、さすがに男子の身体能力は違う。
だがここで、アレクはさらに見せ付ける。
恵美理が明日美に対して、ボールを返球する。その瞬間三塁へスタート。
ディレイドスチール。
「明日美さん!」
恵美理の声に驚いた顔をする明日美だが、それはむしろ注意を恵美理の方へ向けさせるだけとなった。
「三塁!」
気付いてグラブの中のボールを握り、ベースに付いた珠美に投げる。
少し送球が逸れていたこともあって、完全にセーフであった。
×××
(*´ω`*) なんかセンバツの決勝よりも熱い試合になってしまっている気がする。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます