第96話 未知なる恐怖

 三振したアレクであるが、首を傾げざるをえない。

 同じく左打席に入る哲平にアドバイスする。

「見ていった方がいい」

 常に積極的なアレクとしては、珍しすぎるアドバイスである。

 ただ哲平も、アレクの三球三振には注意せざるをえない。


 ベンチに戻ってきたアレクは、やはり首を傾げる。

「二球目は変化球か?」

 鬼塚の問いに頷く。

「スプリット。ただ初球のストレートとスピードは変わらなかった」

「すると最後の球は速いストレート」

「うん、伸びてきた」

 倉田の答え合わせにも素直に答えるアレクである。


 三振してから考えれば、バッターに一番有利とも言われる初球に、甘い球を打たなかったのが悪かった。

 いつもならば見ていくつもりでも、甘いところに入れば容赦なく打っていったのに。

「意外と苦戦するかも」

 のんびりとした口調ではあるが、アレクは本質を突いている。




 主審を務める秦野は、聞いてはいたものの想像以上で、内心は複雑な思いであった。

 ベンチからでは分からないだろうが、審判としてキャッチャーの後ろに立てば、はっきりと分かる。

 そしてこのピッチャーの本質を、彼自身はすぐに見抜いた。


 アレクは呑気そうな顔をしているが、哲平がどう判断するか。

「よーっし! バッチこーっい!」

 サードを守る娘のことが少しは心配ではあるが、この試合の審判というのは面白そうである。

 ただ、一つだけ不可思議なことがある。

(初球にあの甘い球を、どうして投げられたんだ?)


 一二年のメンバーが、バッティングでも慎重になっているのは分かっていた。

 完全に今までに戦ったことがないような、未知のチーム。だからアレクが初球を振らなかったのは理解出来る。


 だが、どうしてキャッチャーはあの甘いストライクを要求出来た?

 シーナが向こうについているのだから、アレクが初球をホームランにすることが多いのは知っていたはずだ。

 まだ何か、このピッチャーには秘密がある。




 打席に入った哲平にも、初球は甘いストライクが入った。

(リードはこの子がしてるのかな)

 キャッチャーを見る。隠れてはいるが端正な顔立ちだ。ぶっちゃけ好みである。付き合いたい。

(いや、そこはまあ試合後に交流するとして)

 球種はとりあえず、スプリットがあることは確認してある。

 全国準優勝チームのピッチャーだ。いくら女子野球はレベルが低いと言っても、そこまで勝ち進めば、弱小の男子チームよりは強いと考えていいだろう。

 哲平が知る限りでは、シニアでやっていた女子というのも存在するが、それほどたいした者はいなかった。

 運動神経のいい女の子でも、あえて男子と一勝に、身体能力差が既に出ているシニアで、わざわざ野球を続けていくという選択肢はないのだと思う。

 シーナは本当に特別な例外なのだ。


 二球目。どう入れてくる?

 スプリットなら球筋を見たいし、ストレートならタイミングを計ったらいい。

(スプリット!?)

 ほとんどストレートと変わらない速度であるが、わずかに落ちた。


 なるほど。

 確かにストレートとの見極めが難しいが、それだけではない。

(わざとか?)

 球速が変わらないという以外に、もう一つ特徴のあるピッチャーだ。


 フォームが無茶苦茶だ。


 ピッチャーというのはおおよそ、自分のフォームを固めてある。

 ワインドアップとセットポジションなどという違いは確かにあるが、それも基本は動作が大きいか小さいかの違いで、フォームの基本となる部分は同じなのだ。

 これはおよそ、どのピッチャーでも同じである。

 ツインズでさえもオーバースローからサイドスローアンダースローと投げ分けるが、フォームはそれぞれ一つずつしか持ってない。

 バッピばかりをするからという理由もあるが、クイックでは投げないのだ。もっともこちらは投げようと思ったら投げられるらしいが。

(ナオ先輩もあの変なストレートを投げる時はフォーム変わるけど……)

 基本は一つのフォームから、球種も球速も投げ分ける。むしろ球種ごとにフォームなどが違ったりしたらすぐ打たれる。

 だが――。


 ツーストライクから追い詰められた三球目。

(高い!)

 浮いたストライクのストレートを打ちにいったら、完全に下を振り遅れた。

(なんで!?)

 これにて高出塁率の一二番が、揃って三球三振である。




「どうなんだ?」

「なんつーか……ちょっと直接見ないと」

 すれ違い様に武史には、そう言うしかない。

(見る、か……)

 後輩ではあるが自分より野球暦の長い哲平の意見を、無視するような武史ではない。


 左打席に入る。

 武史はスイッチヒッターであるが、とにかく出塁を考える場合には左打席だ。

 特に四球を選びたくて、相手投手が右投手であれば、間違いなく左で勝負する。

「よろしく」

 キャッチャーの恵美理に声をかけると

「よろしくお願いします」

 と返って来た。


 前の二人には、初球は甘いストライクが入ってきた。

 自分にもそうかと思ったのだが、少し間がある。

(なんだ?)

 頷いて明日美は振りかぶったが、明らかにフォームに力感がない。

 そして投じられたのは、へろへろのカーブ?であった。

「トライッ!」

 秦野のコールに、思わず我に返る武史である。


 カーブなのだろう。真ん中に甘く入ってきて、あまりにも甘すぎるので逆に手が出なかったが。

 ここまではストレートとスプリットの速球系であったのに、カーブか。

(でもこんなカーブ、ここまでフォームが違えば打てるぞ)

 二球目を待つ。少し間がある。

(ん?)

 おかしいと思ったところで、ようやく明日美が頷く。それまでも別に首を振っていたわけではなかったのだが。

(サインがなかなか出なかったのか。球種はじゃあストレートとスプリットとカーブ……)

 外角甘めのストレート。

 武史がスムーズに出したバットに、ボールは当たる。

 ピッチャーの頭の上を越えて、センター前となるクリーンヒットであった。




 ツーアウトながらランナーがヒットで出て、四番の鬼塚。

「こらー! タケのくせになにやってんだー!」

「素直に三振しとけー!」

 あちらの応援席に座ったツインズが野次を飛ばすが、鬼塚は集中して打席に入る。


 アレクと哲平から聞いた情報によると、このピッチャーは「下手くそ」だ。

 あるいは素人と言うべきか。そんなはずはないのだが。

(俺にも甘い球から入ってくるか?)

 初球から打っていくかと考えるのだが、それより先に武史からサインが出た。


 スチール。確かにそれは試しておきたい。

 投球練習でもクイックは投げていなかったので、一球目は無理だろう。

 少し大きめのリードを取る武史。それに対して明日美は一度だけ視線をやって、すぐにセットポジションに入る。

 それほど上手くもない、クイックとも言えない感じのフォームで初球が投じられた。

 わずかに沈むスプリット。沈む球を投げてきたが、おそらくワンバンや後逸するほどの落差はないのだ。


 二球目。モーションに入ったと同時に武史はスタート。

 キャッチングした恵美理は送球の姿勢にまでは動くが、結局は断念。

(得点圏に進んだけど、ツーストライクになっちゃったか)

 だが鬼塚ならクリーンヒットを打てるだろう。ツーアウトなので単打でホームに帰れる可能性は高い。


 だが武史がそう思った三球目、ストレートを鬼塚は打ち上げてしまった。

 サードフライ。ランナー残塁である。




 白富東を相手に初回を0で封じたが、ベンチに戻ってくるナインは浮かれてはいない。

「初回に明日美がヒット打たれるなんて、ほんまに久しぶりちゃうか?」

 関西弁の彼女は俊足の一番バッターであるが、陸上部ではなく水泳部に在籍していたりする。

「ごめんなさい明日美さん、武史さんは『分からない人』だったから」

「仕方ないよね。そういう人もいるんだし」

 この会話を聞いていて、溜め息をつきたくなるシーナである。


 全日本の合宿で、シーナは恵美理とバッテリーを組んだ。

 その時は不可解なリードをすると思ったので、けっこう首を振ったものだ。

 その場合、恵美理は固執せずに、すぐに別のサインを出してきた。


 また明日美と組んだ時は、明日美の球が凄かったので、やはり気付かなかった。

 神崎恵美理。

 この少女もまた、異能とでも呼ぶべき才能を持っている。

 明日美が彼女を信じる限り、そうそう打たれないのは確かである。

(キャッチングとか牽制とか、色々と穴は多いんだけど……)

 明日美と組んだ時、その欠点を全て上回る効果を発揮する。


「さて、じゃあ打ってくるけど、どないすんの、監督」

 先頭の水沢に問われて、頭を切り替えるシーナである。

「トニーが先発だけど、基本的に外角しか投げてこないから。特に左打者相手には、真っ直ぐしか投げないし」

「そうなん? ならなんとかなりそうやん」

 そう言ってバッターボックスに向かった水沢は、すぐに三振して戻ってきた。

「あんなん打てへんわ。また投手戦やな」

「まあ150km近く出せるからねえ」

 そう言うシーナはヒット性の当たりは打てるのだが、やはり女子野球基準では不可能である。


 二番は珠美である。

 おそらく白富東の女子マネージャーの中では、誰よりも野球については高い見識を持っている。

「オラこいーっ!」

 そして勝気な性格もあってか、実は心優しいトニーなどは、彼女のことを怖がっている。

(右打者で良かった)

 万一にも女子にデッドボールなど投げられないトニーは、変化球はスライダーとカットボールを持っている。

 左打者には下手をすれば当ててしまうが、右打者に対しては逃げていく球なので、割と使いやすい。

 そして逃げていく球を投げて、フォアボールで歩かせてしまった。

 孝司の視線が冷たい。


 三番の田村光は、シニア時代には男子に混じってもそこそこ強いチームでレギュラー争いが出来る選手であった。

 だがそれは彼女がサウスポーのサイドスローという条件もあったからで、さすがに高校野球では男子のレベルには達しないだろうと思われる。

 早くも送りバントの構え。

(いーよ。さっさとやらせて。ツーアウト二塁でも何も出来ないし)

 真ん中に投げ込んだストレートは150km近く出ていたのだが、光はしっかりとバントに成功。珠美は二塁に到達する。




 一応はスコアリングポジションで、四番の明日美を迎えたわけだが。

「よーし! ホームラン打つぞー!」

 これである。


 確かにピッチャーとしてキャプテンとして、卓越した選手なのかもしれない。

 シーナがフィジカルモンスターだと言うのだから、女子離れした身体能力は持っているのかもしれない。

 素振りを見ても全身を使ったフルスイングで、確かにホームランも打てるのかもしれない。


 だが男の球を打てるはずはない。

(本当ならこういうのは、インハイに一球投げておけば、外角でしとめられるんだけど)

(ダメ。当てるかもしれない)

(分かった分かった)

 ピッチングのセオリーの一つに、インハイとアウトローの組み合わせがある。

 目から一番近い場所と、一番遠い場所の投げ分けだ。

 これとは別にアウトローの出し入れというのもあるが、そこまで考えずに球威でも圧倒できる。


 一応シーナが何かサインを出していないかも見るが、変な動きはない。

 ランナーが珠美なだけに何かしかけてくるかもしれないが、単独スチールでも孝司の肩なら余裕でアウトに出来る。

(ワイルドピッチを考えると、アウトローへ)

(分かった)

 念のためにセットポジションから投げるストレート。珠美には動きはない。


 孝司は忘れていた。

 バッターボックスに入った少女の確認を。


 そして聖ミカエルのベンチでは、恵美理が気付いていた。

 明日美の集中力が最も高まった時に出る、唇を突き出すクセ。


 分かりやすいコースに入ってきたストレートに対する、瞬間的に膨れ上がるエネルギー。

 アウトローのストレートに対しては、バットの遠心力が一番強く働く。

 あとは上手く角度さえつけてやれば。

「キャー!」

「やったー!」

 ライトフェンスの上のネットは、ホームランである。

 声を上げて喜ぶツインズに遅れて、ベンチの中も騒がしくなる。

「やった!」

 万歳のポーズのまま、明日美はベースを回る。

 対して白富東は見物をしていた三年も含めて、愕然である。


 ホームベースを踏む明日美の姿を、スコアラーのみならず一般の観客たちも撮影する。

 満面の笑顔のホームイン。

 ハイタッチする少女の姿は、幾つかのSNSでバズった。肖像権はどこへいった?




 トニーは完全に呆然自失である。

 引き続きピッチャーが出来る状態ではない。

 後半は淳とポジションを代えてグラウンドの中には残る予定だったのだが、これはもう使い物にならない。


 外野から淳をピッチャーに持ってきて、哲平がライトに入り、曽田がセカンドに入る。

(出会いがしらだろ)

 淳はそれほど慌てていない。

 投球練習をさっさと終えて、一番体格のよい五番打者を、念のために変化球も入れて三振。

 やはり淳の変化球にはついていけていない。


 だが、スコアボードに残る2の数字。

 一回の表裏が終わって、白富東は2-0でリードされているのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る