第95話 夕方から雨が

 夕方にかけて雨が降ると予報された土曜日。

 白富東高校は練習試合を行う。

 午前中は曇り空ながら雨粒一つ振らなかったため、グラウンドを大きく使っての練習をする。


 改造されてリズムの違う160kmストレートを投げてくるピッチングマシンを、大介は打つ。

(やっぱマシンは駄目だな)

 単純に球速なら武史より速いのだが、体感では明らかに武史の方が速い。 

 分析でその秘密も明らかになっているのだが、マシーンではそれは再現出来ない。

「つーことで頼むわ」

「うげえ」

 滅多打ちされるのは承知の上で、大介のバッピを務める武史である。


 正直なところ、ジンが精密にリードして試合の中の打席であれば、武史が大介に勝てる可能性はかなり高い。

 だがストレートだけでは、武史の謎ストレートであっても、大介は軽く打つ。

 ホームラン扱いのネットには届かなくても、外野の頭を越すことはほとんどだ。

 まったく化物以外の何者でもない。


 なお変化球対策の時は、ツインズに投げさせることが多い。

 こちらはもうスルーを投げてきても、だいたいは打てる。分かっていればほぼ100%だ。

 だが紅白戦などでは封じられた。直史相手に。


 そんな直史でも本当に大介を打ち取ろうと思えば、後のピッチングへの影響が出るほどの負荷が残る。

 大介を封じるということは、それだけに難しいということだ。

 化物は化物を知る。




 昼食を食べて、午後の練習試合に備える。

 もっとも今回は三年生は不出場ということで、一二年のプレイのチェックに回る。

「つーか大学相手でも俺らが外れる意味ってのが分からないんだよな」

 大介はとにかく、まだ未対戦のピッチャーであれば、とにかく戦ってみたい人間だ。

 この好戦的なところが、散々サイヤ人と呼ばれる所以である。


 事情を知っているジンとしては、なんとも説明がつかない。

 三年生を全員外した本当の理由。

 それは、もしこの試合に負けた時のショックが、大きすぎるかもしれないから。


 練習試合を行うと知っていて、いつも通りに観客もいれば、他校のスコアラーもいる。

 こういう時に、観客の視線を締め出せない場所にグラウンドがあるのは、かなり問題がある。

(まず負けることはないと思うけど……)

 負ける条件は揃えてある。

 そしてこれを覆して勝つなら、それはそれでいい。

(センバツだってナオと大介が開き直ってくれただけで、負けてもおかしくなかったもんなあ)

 あれは完全に、自分とシーナの采配ミスだったと反省するジンである。

 中心選手二人の、個人の力で押し切っただけだ。


 そう、個人の力。

 苦戦しても個人の力を貫き通して勝てるなら、それはそれでいい。




 昼食後の小休止から、部員たちはグラウンドに戻る。

 今日の出場のない三年が主に動き、一二年の出場メンバーは調整練習だ。

 そこへ、スカイブルーのバスがやってくる。

 洗礼された流麗なデザインのバスは、いかにも高そうだ。白富東の実用的な中古バスとは違う。


 来たか。

 駐車場にもなる屋内練習場の空き地に、バスが停まる。

 そしてまず先頭になって降りてきたのは初老の女性で――。

「違うじゃん」

 がくっときた選手たち。麗しき制服の少女たちが降りてきたが、知っている顔もあったりする。


 だが、秦野やジンは、やや緊張する。

「来た来た~」

「お~い」

 喜んで駆け寄るのはツインズであり、今日は休日だが珍しく、イリヤと一緒に見学している。


 10人あまりの少女のうち、一人だけは制服が違うが――。

「んん~!?」

 察しのいいと言うよりは、自分たちの実力にそれほど自信のない、一年などは思い至ったようだ。

 逆にスタメンで出られるような実力の人間は、まだその可能性に気付かない。

「よし! そんじゃ集合!」

 ジンが号令をかけて、本日の出場する一二年が集まってくる。

 そして女子生徒たちはグラウンドに入って頭を下げる。


「え? 何?」

「なんかの応援?」

「あ、あの美人、関東大会で見た」

「あ~、ラッパ吹いてた子! 初戦だよな!?」

「ツインズと一緒に踊ってた子もいるじゃん」


 ここにおいても気付かない者がいるが、少なくとも佐藤家の次男と三男は気付いた。

 あの、あの、あの双子が、楽しそうに言っていたのだ。

 春休み。女子高校野球日本代表候補の選抜合宿。

 すごい選手が――すごい人間がいたと。

「去年の選手権大会準優勝、権藤明日美の聖ミカエル学園」

 もっとも武史が憶えていたのは、関東大会で明日美とバッテリーを組む美少女にサインを頼まれたからであるが。


 シーナだって言っていたのだ。プリティーゴリラとビューティーゴリラ。

 ただ紅白戦で負けたので、あまり詳しくは説明しなかったが。


 男共は少女たちの外見ばかりに目が行き、試合の内容にまでは興味を抱かなかった。

 なぜなら、試合自体はどうでもいいからだ。

 シーナの属する側が負けたと言っても、野球はチームスポーツである。

 寄せ集めと言うなら去年のワールドカップだって、優勝はしたが色々と反省するところはあったと直史は言っていた。


 少女たちはグラウンドには入ってきたものの、フェアラインの外で立ち止まる。

「こんにちわ!」

「「「こんにちわ!!!」」」

 明日美に続いて挨拶するのは礼儀正しい。

 ただ「ごきげんよう」でないのは残念である。

「ようこそ。じゃあロッカーに案内するから」

「シーナさん、ありがとうございます」

「感謝は監督とジンに、試合の後でね」




 部室に向かって行く少女たちを見送って、ようやく白富東の面子は騒ぎ出す。

「おいマジかよ。いくら強いって言っても女子のチームじゃフィジカルが違いすぎるだろ」

「そりゃシーナみたいな例外はいるけど、ツインズみたいな例外はいるけど、いるけど……」

 少なくとも三人は、並の男子以上に動ける女子を知っている、白富東の一同である。

「でもさすがに危ないような……」

 あくまで紳士である倉田はそう言うし、何も言わない鬼塚も明らかに不服そうであるが、秦野にはこれを黙らせるロジックを用意してある。

「じゃあお前らの中で、あの子達がどういうプレイをするか知ってるやつはいるか?」

 しん、と静まり返る。


 誰も知らない。

 関東大会でサインをねだられ、鼻の下をでれでれと伸ばしていた武史も、わざわざその試合の様子などを調べようとはしなかった。

 ……実は数人、興味本位で調べた者はいたのだが、空気を読んで名乗り出たりはしなかった。

 この一億総配信時代、あれだけ顔面偏差値の高い少女たちの試合なら、誰かが撮影してネット上に流していてもおかしくはない。

 調べようと思えば調べられた。たとえばMLBや大学や社会人の試合などは、倉田や鬼塚、一年でも赤青コンビや淳などは、暇な時にネットから拾って見ていたりするのだ。


 だが、女子野球は調べていない。

 明らかに劣るプレイを見ても仕方がない。わざわざ今更シニアの試合を調べようとしないのと同じだ。

「確かに事前の情報はほとんどないですね」

 淳がそうこぼした。

 それでもそこには、やはり呆れたような響きがある。言いたいことは分からないでもない。高校レベルになると男女の身体能力差はあまりに大きすぎる。シーナだってフィジカル自体では、男子選手に劣るのは確かなのだ。


 ただ淳の分かっていないところは、自分だってフィジカルタイプの選手ではないところだ。

 もちろん女子よりははるかに上の身体能力は持っているが。

 まあ聖ミカエルは、テクニックタイプのチームでないことも確かだが。


「一応注意しておく選手はいたぞ」

 そう言ったのはジンでも秦野でもない。三年の戸田だった。

「一人だけ違う制服だったあの子、田村光だろ」

「あ~!」

「いたいた! そういやそうだ!」

 他の鷺北シニア組も頷く。


 そう、本日の対戦相手は、正確には聖ミカエル学園ではなく、そこに新都大栄高校の女子野球部から、田村光が参加している。

 お隣さんの東京のシニアで対戦経験があったため、鷺北シニアの三年は憶えていたのだ。

 けっこう可愛かったし。

「でも人数も少なかったけど」

 これは武史の台詞である。彼はほんの少しだが、聖ミカエルの内情を知っている。

 去年の夏、女子の大会で準優勝をしたものの、三年生の卒業で、同じ学校の生徒だけではチームを組める人数が揃わず、その後の大会には出場できなかったのだとか。

 人数だけなら合同チームという手段もあると思うのだが。


 全くデータのない、意外性のあるチームであるのは確かだ。

 しかしいくら三年が抜けていると言っても、白富東は全国制覇を成し遂げたチームであり、三年抜きでも甲子園を狙えるレベルにはあるチームだ。

 MLBの最弱球団でも、日本のシニアにはさすがに負けないだろう。そのぐらいの戦力差があるはずだ。

「結局、監督にしろキャプテンにしろ、俺たちのことを舐めてんじゃねえの?」

 普段から練習量では部内屈指の鬼塚が言うが、それだけの自負があるということだ。

 幸い三年や秦野にも聞こえていなかったようだが、大なり小なり相手を侮る気持ちは全員にある。

「そもそも三年を外してあるのは、僕らだけでも勝てるって計算だろうしね」

 倉田は侮ると言うよりは、これもまた一つの状況だろうと考えている。


 全くデータのない相手との勝負。

 どれだけ臨機応変に対処し、自分たちの力を発揮できるかが問題になるだろう。




 練習試合を行う時のための、対戦チームに使ってもらう更衣室は部室に隣接している。

「でもほんとにあたしがサードでいいんですか?」

 そう言いながら一緒に着替えているのは珠美である。

 本日のサプライズその2であるが、正直元のままであれば、さすがに戦力差がありすぎるのだ。

 本職のショートでないのは彼女たちと、そして堂々と裏切ってデータ提供をするシーナの話し合いによる。

「まあ他の学校のあたしがファーストに入ったりするわけだし」

 あとサードからではファーストまで、ノーバウンドで投げられる選手が少なかったりもする。


 光がファーストに入っているのは、本職ということもあるが、ファーストへの送球が乱れた時、彼女ならばどうにか捕れるからだ。

「それにしても、けっこう鍛えてる子多いね」

 着替えを見ながらシーナは感心する。

 野球部と他の運動部を兼任している選手が多いので、何人かは並の男子選手ぐらいの力はありそうだ。

 もっとも170cmを越えているのが一人しかいないので、フィジカルでは全く勝ち目がない。


 某週刊少年誌のマンガであれば、ねっとりと着替えの描写もあるのだろうが、さっさと着替えてグラウンドに戻る。

 先頭に明日美と共に立つシーナを見て、白富東の男共は目をむく。

「シーナ先輩、そっちのチームなんすか?」

 鬼塚が警戒してくるが、そういった分かりやすい罠はない。

「あたしは選手じゃ出ないよ。こちら側の監督役」

「マジか」

 一応引率教師の教頭先生はいるのだが、彼女は野球に関しては、ルールもかなり怪しいぐらいの素人である。


 シーナが監督と言うのは、それなりに意味がある。

 まともな戦術をしかけてくることと、白富東のデータのほとんどを知られているということだ。


 これにもちゃんと理由がある。白富東が相手となれば、対戦チームはしっかりと情報を仕入れてきているはずだからだ。

 未知のチームが、こちらを最大限研究している。これは確かにありえることなのだ。

 もっとも実際の試合になれば、これほど未知すぎるチームとの対戦はないだろうが。




 珠美が向こうのスタメンに入り、シーナが采配を握るというのは、それなりに一二年にはショックであった。

 完全に未知の敵を相手に、どういった作戦で望めばいいのか。

「先発、トニーの方がいいかもしれませんね」

 孝司がそう言ったのは、別に淳の力を低く見ているからではない。

 単純にトニーであれば、球の力だけで圧倒できると見たからだ。


 淳としてのその意見は妥当だとは思うが、そんな相手に合わせることをしていいのだろうか。

「情報の不足はあるけど、それでもあえて正面から倒すことが重要じゃないのか?」

「そりゃそうだけど、相手の情報があればあるほど、お前のピッチングは有効だし」

 確かにそれはそうなのだが、コントロールと変化球で翻弄するのが、淳のピッチングスタイルだ。

「でもトニーに投げさせて万一当たったりしたら」

 佐伯の言葉に、またうなる一同である。

「とりあえず向こうの練習を見てから最終判断をしよう」

 倉田の言葉で、少女たちの試合前練習を眺める白富東。


 そんな中で誰かが言った。誰が言ってもおかしくないことを。

「しっかし可愛い子ばっかだな」

 聖ミカエルは顔面の偏差値がないと入れない学校なのだろうか。




 シーナのノックは訓練ではなく、体をほぐすためのものだ。

 バウンドも素直で、野手を軽く左右に揺さぶる。

「そんな極端に下手なわけじゃないか」

 少なくともおっさんたちの草野球よりは、守備に関してはまともだろう。


 だが内野にしろ外野にしろ、確実に見える欠点がある。

 送球が弱い。

 男子選手であればピュっとした送球が、ふんわりとしている。

 それと外野は、一歩目が遅い。

 おそらく外野のフライの練習が、あまり出来ていないのだろう。

 彼女たちが普段、どういう練習をしているのかさえ、想像がつかない。


 ブルペンマウンドで投球練習をする明日美を見れば、それなりにいい球を投げている。

 MAXがツインズより速いというのは確からしいが、試合の全てを通してそんな速球が投げられるわけもないだろう。

 練習を見ているだけでも、いくらでも攻略法はありそうである。


 先攻は白富東である。

 結局「当てたらまずい」とは考えたが、そもそもトニーは内角を攻めるのが苦手なので、やはり先発は淳と交代した。

 そして相手のオーダーを見るが、知っている選手が少ないため、分かる範囲で考えるしかない。

「田村が三番で、タマが二番か」

「四番はピッチャーと。これ以外にデータは?」

 ない。

「あの背の高い子が五番か」

「先頭打者にタマも田村も持ってこないって、一番はそんなに期待出来るのか?」

 そもそも白富東は、珠美のバッティングも見たことがない。

「何回か打ってるの見ましたよ。130kmぐらいは軽く打ってたんで、けっこう凄いと思いました」

 それでも130km程度か。


 色々と考えることは多いが、試合の中で判断していくしかない。

 先頭打者のアレクは普段と違い、相手ピッチャーの球種を引き出してもらわなければいけない。

 その初球は、低めではあるがコースも甘く、球威だけで押せるほどでもないストレート。

 普段なら確実に先頭打者ホームランを決めているところだが、さすがに今日は慎重に、球種を探らなければいけない。

 女子選手が男子相手を封じるとしたら、変化球を上手く使う以外にない。


 二球目はベルトの高さから落ちたストライク。

 ストレートと球速の変わらないスプリットだ。

(厄介と言うか……)

 アレクは悪食の巧打者であるが、それでもタイミングが取り辛い。


 追い込まれて、三球目。

 出来ればカットしていきたいところである。

 明日美は大きく振りかぶって、そこから大きくなったフォームで投げ込んでくる。

(なんだこれ!?)

 真ん中高めのストレートを振って、空振り三振となった。

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