第94話 下級生の経験値
白富東のメンバーを見ると、中心選手にはコンプレックスを抱えているか、抱えていた人間が多いことが分かる。
中学時代公式戦未勝利の投手。
二番手ピッチャーで最後の大会を打たれて終わった投手。
体格のせいでそもそも使われなかった強打者。
偉大すぎる兄のせいで全く自信が持てない弟。
監督ともチームメイトとも上手くいかなかった、ひねくれてるくせに誠実な不良。
「なんかあれだけど、ここらへんはむしろ拗らせてるから逆に、メンタルも強いんですよね」
「言うね、お前も」
ジンの言葉に苦笑する秦野である。
それ以外では、努力し能力もあるけど、絶対的な才能の上限が低いキャプテン、などとも言えるのだろうか。
能天気に能力を伸ばしていたアレクを別にすると、二年から上の主力は、色々と苦労をしている。
もちろん練習や試合で上手くいかないことはあり、そういったまっとうな苦労はしているのだろうが、成果が報われない苦労、力を発揮する場さえ得られない苦労は、また別のものであろう。
何も知らない人間に、直史と大介が中学時代は全く無名の選手だったと言っても、おそらく今では誰も信じない。
それに比べると、苦労が足りてない、あるいは不遇な条件に慣れてないのが、今の一年の主力だ。
淳はシニア時代全国四強まで勝ち進み、最後の敗北も自分の責任ではなかった。
孝司と哲平はお互いがチームメイトであり、レベルの低いピッチャーを主力として使いながらも、全国ベスト8まで進んだという自負がある。
そもそもシビアな大会などなかったトニーは別としても、今の一年は入ってからここまで、なんで負けてしまったんだという切実さが足りない。
三年生は別格だ。一年の夏、自分のパスボールで甲子園を逃したジン。
大阪光陰相手に、不運はありながらも三点も取られた直史と、一点も取れなかった大介。
そして甲子園史上初の、逆転サヨナラホームランで優勝を逃した岩崎。
この四人は本当に、悔しくて悔しくて悔しくてたまらない思いをしている。
もしも自分が去年の春から監督だったら、と秦野は考える。
おそらく春の関東大会の、準決勝か決勝で負けていた。
秦野は勝利至上というわけではないが、負けてもいい試合などは許さない。
しかし同時に、本当に勝たなくてはいけない試合のためには、どうでもいい試合なら負けても構わないとも思う。
だが、夏は優勝を狙う。
最後の果実を確実に得るためになら、そこまでの過程で挫折しても、立ち上がって強くなればいい。
(帝都一とか東名大相模原に、真正面から戦って普通に勝つなんて、信じられねえチームだからな)
切実な敗北感を、一年に抱かせたい。そうでなければ三年引退後のチーム編成に苦労するだろう。
秦野は既に、来年のことまで考えて動いている。
そして幸いなことに、キャプテンのジンもこれには理解を示した。将来は監督がしたいというだけのことはある。
「というわけで突然だが週末、練習試合を行うこととなった」
「つっても雨降ったらどうすんっすか?」
最近雨続きで、大空に向かってボールを打つ機会の少ない大介がこぼす。
「小雨は決行。土日の両方が空いてるから、どちらかで確実に行う」
二日も予定を埋めるとは、どういう相手だ?
知らされていない選手たちは、顔を見合わせる。
「この試合には幾つか特別な縛りをつけてある。まず第一に、三年生は使わない。もっとも勝負が決まってからは、ナオには投げてもらうかもしれんが」
三年生を使わないというなら、それほど強くない相手のはずである。
それに勝負が決まってからわざわざ直史が投げるというのは、向こうのチームへの配慮とでもなるのか。
「そして、相手チームの事前の情報は一切ない」
つまり誰もが知ってるような強豪や、県内のチームではないということか。
「タケはピッチャー禁止。それと俺も大田も指揮は執らないから、倉田を中心に二年以下で話し合って、メンバーも打順もポジションも作戦も決めろ」
これはかなり変わった体制である。
練習が終わり、ロッカールームで喋りながら、だらだらと着替える。
秦野の言った練習試合の相手には、もちろん興味がないはずはない。
「先輩らも聞いてないんすか?」
「聞いてないな。ジンはさすがに知ってるんだよな?」
「ノーコメント。俺が知ってるかどうかすら、二年以下で考えるのが今回のミッションだ」
「でもその言い方だと知ってるみたいですよね。今のうちが三年をあえて外してまで、練習試合をする理由か……」
倉田は生真面目な性格なので、そこからちゃんと分析をする。
「俺たちがある程度苦戦しそうで、三年を外すんだろ? それに相手も二日間予定を空けておけるんだから、クラブチームとかか?」
鬼塚はそう推理する。県外の新興私立などで強いところは、この時期に週末二日を空けておくのは難しいだろう。
「クラブチーム……って、試合して良かったんだっけ?」
「社会人とも試合しても良かったはずだけど……どうだったっけ?」
「いや、普通に考えて大学だろ」
直史があっさりと言った。
大学。
言われてみればあっさりと納得できなくもない。
六大学リーグ以外にも東都リーグなど、関東には多くの大学が存在する。
そのレベルも上から下まで様々であるが、大学野球のガチ勢は、普通に甲子園に行ってる高校か、甲子園に行ってなくても大学で通用する選手ばかりのはずだ。
たとえば白富東の、二代前のキャプテン北村は、早稲谷大学で去年の秋から試合に出ている。高校時代は四番を打ち、プロに行った吉村から打点を上げていた。
もちろん高校生の中でも、プロで即戦力になるレベルの選手はいる。上杉勝也は大学相手でも無双出来ただろうし、大介もそうであろう。
だが選手の平均値を比べれば、大阪光陰以上である大学も多いだろう。
この二三年で活躍して大学に進んだ選手。あるいは無名から大学で花開いた選手。その選手の現在のデータはさすがに白富東にはない。必要ないからだ。
「じゃあ俺がピッチャー禁止ってのは?」
武史の言葉に、周囲は何言ってんだこいつ、という視線を送る。
「お前のレベルは既に大学でもトップクラスだから、下手に投げさせたら完封するからだろ」
「え、そうなの?」
それはそうである。
だがこれで想定する相手ははっきりした。
「大学でもどこの大学か……あ、帝都か? またジンの親父さん関連で」
「意外と東名大とかは? トーチバの上だからこっちに来るかもしんないし」
「一軍か二軍かって話もあるけど、わざわざこっちに来るなら……あれ? 試合はうちで行うんだっけ?」
「それはうちでやるってさ」
さすがにそれは言っておくジンである。
「大学のグラウンドとか行ってみたかったけどな」
「東京じゃなくても関東ならけっこう強い大学あるよな」
秦野の監督としての手腕は、おおよそ野球部の選手も分かってきている。
それがわざわざ選ぶのだから、こちらも工夫しなければいけない相手ということだろう。
武史のピッチャーは禁止されたが、逆に言うとそれは、アレクや淳、トニーならば打てるということとほぼ同義だ。
「自分たちで考える……か」
倉田が呟いて、実際に一二年は考え込む。
「ちょっと用事がある人間以外は、残って作戦会議しようか」
「よし!」
倉田の提案に、鬼塚が勢いよく頷く。
来年の主戦力はアレクと武史だが、チームを動かしていくのはこの二人になるだろう。
相手を大学と想定する。
大学野球でも上位のところは、レギュラーは全員が甲子園常連校のスタメンレベルである。
そこからの得点と失点を考えれば、こちらも隙のない布陣で戦わなければいけない。
「アレクは一番で、エーちゃん四番でいいかな?」
「モトが四番の方が良くないか?」
「う~ん……ポジションも問題か」
ほぼポジションはピッチャーかサードの武史は、やはりサードで使うしかないだろう。打力がもったいない。
「ピッチャーはアレクと淳かな?」
「一応俺とトニーも考えておいた方がいいかもな。アレクを外野から外すとかなり厳しい」
打力の充実を考えると、孝司と哲平もスタメンで使いたい。
「なんにしろ相手のデータがないのがしんどいですね」
孝司もキャッチャー目線からそう考える。
「全くデータのない相手との対戦か。甲子園の一回戦とか、予選の二回戦を想定してるのかな」
倉田も事前に与えられた「データのない相手」というところから考える。
1 (中) 中村 (二年)
2 (二) 青木 (一年)
3 (三) 佐藤武(二年)
4 (右) 鬼塚 (二年)
5 (一) 倉田 (二年)
6 (捕) 赤尾 (一年)
7 (左) トニー(一年)
8 (遊) 佐伯 (一年)
9 (投) 佐藤淳(一年)
「う~ん、こんなものかな?」
倉田はあえて自分が捕手から外れた。打撃に専念するためだ。同時に捕手に専念してもらうため、赤尾も打順を落とした。
しかし佐伯以外は強豪相手の練習試合でも、普通に三割以上を軽く打っているバッターばかりである。
中途半端なスラッガーだけでもなく、むしろ倉田とトニー以外はプルヒッターがいない。
問題と言えそうなのは、代打で打てそうなのが大仏ぐらいなのと、九回までは淳の体力がもつか分からないところぐらいか。
だがこのメンバーでも、正直県大会までは勝てそうである。
「あとは誰が監督をするのかが問題だろ」
「それもあるか」
鬼塚に言われて改めて考えるが、確かに一二年の中には、作戦指揮官がいない。
三年にはジンとシーナがいて、あるいは直史なども色々と考えられるのだが、二年以下にはいない。
直観力に優れた大介もいないので、自分と鬼塚が考えて動くことになるのか。
「一応高嶺先生は前は監督も兼任だったみたいだけど」
武史はそれを知っていたが、監督不在の中、ジンとシーナで作戦を考えていたのを見ていたので、あまり当てにも出来ないだろう。
ああそうか。
「この練習試合は相手の強さよりも、むしろ俺たちが各自で判断出来るかを見るテストなのかも」
「ありえるな、それは」
倉田と鬼塚がやはり、この中では中心となる。
素材と言うか能力だけを考えたら、今の一二年も充分な力を持っている。
ただ一つだけ微妙と言うか、まだ鍛えられてない部分。
判断力。
もちろん一つのプレイにおいて、優先順位などをちゃんと考えるとか、そういった単純なものではない。
高校野球は伝令の回数も制限されているし、試合の進行も急かされる関係上、状況に応じた作戦を短い時間で考えなければいけない。
(上が強すぎたから、自分たちの判断力が薄いのか?)
そう考えたのは、シニア時代は特に守備を自分たちで考えていた孝司だ。
監督の指示よりも、自分たちの判断で、全国を勝ち進んだ。
素質は充分の二年生であるが、意外な弱点になりそうな部分があるらしい。
着替えて帰ろうとした部員たちであるが、グラウンドにはまだ人の姿があった。
グラウンド整備をした後なのにと考えたが、ファールゾーンでツインズを相手に珠美がキャッチボールをしていたのだ。
そして何球か、ワンバウンドさせた球も捕らせる。
スニーカーを履いているとは言え制服のスカートで、見事なものである。
そして監督もそれに付き合っていたりする。
「上手いな」
佐藤家の双子はともかく、珠美もボールの扱いは慣れている。
ブラジルでは男に混じってプレイしていたというが、さすがにシーナほどの俊敏さはないと思う
「そいやうち、一応女子野球部は同好会登録してあるんだよな?」
鬼塚の言葉に一年は驚く。
「なんでですか? シーナ先輩は背番号もらえるぐらいだし、それこそあの双子だって、男に混ざっても」
孝司も知っている事実であるが、その背景までは知らない。
だが淳は知っている。
「春休みにうちの姉さんとシーナさん、女子野球の選抜合宿に呼ばれたの知ってるだろ?」
「まあ聞いてはいる」
入学前のことで、野球部のセンバツ後のことだが、それは知っている孝司である。
自分たちが練習に参加した時に、三人がいなかったのはそれが理由だ。
「シーナさんは野球部の方で登録されてたからいいんだけど、姉さんたちは野球部員じゃなかった。だから合宿に参加するために、同好会作ってそこに籍を置く必要があったんだって」
「別にそれなら、あの二人も野球部でよくないか?」
「そしたら二人外れるかもしれないし、問題が起こったら野球部に迷惑がかかるかもしれないだろ」
「……そういうことか」
佐藤家のツインズは芸能人でもある。
野球部の練習に付き合ってくれることは多いが、なんらかの事件や騒動に巻き込まれても、野球部員ではないという建前を通すために、同好会として登録していたのだ。
「タマもけっこう上手いよな」
哲平も言うように、確かに珠美もそれなりに上手そうだ。しかし、シーナほど男子と競い合えるとは思えない。
だが同好会が出来ているということは、部員さえ集めれば部に昇格は可能だ。
女子野球のレベルなら、おそらく珠美も普通に活躍出来る。
二年と一年の女子マネにも、野球経験者はいるのだ。
「まああの二人が今更、女子の高校野球で日本一を目指す意味はないけどね」
淳の言う通り、あの二人は別に、野球が好きなわけではない。
身体能力とセンスだけで、たいがいの男子選手より上なのは腹が立つが、同じ舞台に立とうとしないなら、ありがたい練習相手と思うしかないだろう。
一二年が部室から出てきたのを見て、少女たちも遊びを終える。
秦野もグラブを持って、グラウンドへの鍵を閉めた。
「学校によってはグラウンドに女子が入るのを禁じてるとこまであるんだってな」
孝司が口にしたのは、自分を勧誘に来た神奈川の強豪のことである。
白富東は良い意味で、そういったあたりが緩い。
「お、また雨降りそうだな」
鬼塚の言葉に、一行は天を見上げる。
どんな相手になるかは知らないが、週末の試合のためにも、いい天気でいてほしいものだ。
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