第91話 合同合宿
千葉県は伝統的に公立の強い時代が21世紀に入っても続いていた珍しい県だったが、高野連の指導などによる特待生制度の変化などにより、私立で強いチームが覇権を握りだしたのがこの10年ほど、であった。
しかしここのところ県大会は、五期連続で白富東が優勝しており、他にも三里と上総総合がベスト4によく顔を出す。
上総総合は古豪であり、三里は……古くからあるが、強くなったのは国立の監督就任以来だ。
監督一年目にして甲子園にチームを導いたのであるから、その監督としての手腕は、結果だけを見れば県下で一番となるのかもしれない。
もっとも煮ても焼いても食えない、上総総合の鶴橋などといった存在もいる。
この三校の間で、合同練習と練習試合を行おうかという話が持ち上がった。
そもそもは国立が鶴橋と一緒に酒を飲んだ折に、どうせなら白富東も誘おうかという話になったのだ。
以前から白富東と三里は、チーム同士の仲がいい。キャプテンは連絡を取り合ったりもしている。
そして国立にしろ秦野にしろ、監督としての経験は鶴橋の足元にも及ばない。
白富東は全国制覇の実績があるが、それはあくまで秦野の就任以前の話であり、彼はせいぜい神奈川ベスト8までの実績しかない。
激戦区の神奈川では、ベスト8でもそれなりに凄いのであるが。
総合的に見て、まだまだ若いということを考えると、国立には将来的に名監督となる資質は備わっている。
そもそも今のチーム力でセンバツに出場し、一勝を挙げたのだからそれでも充分に優秀である。
自身の選手時代の実績で言えば、三者の中では群を抜いている。
だが監督としての実績は鶴橋が一番であるし、訳の分からない状況でも対応してきたという点では秦野が一番であろう。
MLBともつながりがあり、海外の選手を指導してきたというのは、さすがに秦野だけであるからだ。
セイバーはベースボールに本格的に触れたのはアメリカにおいてであり、そこから精神的な祖国の日本の高校野球を見た。
どちらにも対応出来ると信じて監督を依頼されたのが秦野なのであるから、おそらくこの三人の中では、一番柔軟性が高い。
悪しき根性主義の薄いシニアと、合理と効率を好む白富東の校風、それにセイバーの理論的なメンタルトレーニングなどが重なって、白富東というチームは完成した。
監督としては退いたが、適切なヘッドコーチである秦野を配置したという意味では、セイバーはいまだに白富東をマネージングしていると言っていい。
秦野としてはセイバーのプレイヤー視点が欠けた運営には、実は同意しきれない部分もあるのだが。
合同練習の場所は一番練習環境の広い上総総合にて行われた。
設備自体は白富東の方が新しいのだが、田んぼの中にぽつんとある上総総合は、海にも近いし空き地も多い。
上総総合は昔は上総工業高校という名前であり、ほぼ男子校状態であった。
統合により近所の商業高校と合併したのもあり、設備はともかく敷地は広い。
工業高校なので野球に使うマシンなども、自分たちで自作していたという歴史がある。
そもそも工業高校の部活にかけられる予算は普通科よりも多いので、それもあって設備を整えて強くなっていったのだ。
私立の台頭まで上総総合が強かった理由は、要するに金と設備であったという事実がある。
そんな上総総合で。期間は週末の二日間。寝る場所はないので、武道場に布団を持っていって雑魚寝である。
三校の合同練習が行われて確認出来たのは、実のところ上総総合が一番、上下関係には厳しいということである。
ただその一番上である三年にはしっかりと鶴橋の目が向けられており、二年には三年の目が向けられている。
純粋に才能の多寡が一番少ないチームであるゆえに、上の者には下の者を、しっかりと指導させるのだ。
その上下関係は理不尽なものではなく、純粋に学年が上の者ほど、技術も身に付いているようである。
おそらく鶴橋の中で育成と指導が確立しているので、自然と上下関係が構築されているのだろう。
国立の率いる三里は、二三年は活発に交流しているが、一年は全くそれに追いついていないようだ。
ごく少数の一年が引き上げられて指導を受けており、とにかく星が万事控え目で、背中で皆を引っ張るタイプなので、学年がどうこうよりは、キャプテンをどうにかしてやろうと皆が思うのだ。
そんな星は骨折からは治っているが、筋肉を戻すためのトレーニングを主に行っている。
どうにか夏には間に合いそうである。
白富東はやはり、ジンが中心となっている。
直史は気が付いた時にだけ指摘するタイプだし、大介は基本的には個人主義だ。
そもそも大介は天才すぎてMLB知識を持つコーチ陣でさえ、その能力の秘密を掴めていない。
とてつもない動体視力、反射神経、集中力、筋肉の瞬発力などは備えているようだが、それをコントロールする脳の運動野がどう活動しているかは謎である。
体の動かし方や技術などは、本来はフィジカルに劣る女子選手であるシーナが一番参考になる。
今日はコーチ陣も多く人が集まるため、双子は珍しく不参加だ。
イリヤと共に東京に行き、一泊して同じように日曜の夕方に帰って来る。
だが瑞希はいる。週末の休日であるので、野球部の動向を記すには丁度いいからだ。
ただこちらに泊まるわけではなく、ちゃんと夕方には家に戻る。そしてまた明日はやってくるのだ。
「それじゃあ駅まで送ってきます」
ボディーガードは直史である。本当なら双子がいれば安心だったのだが。別にここら辺は治安が悪いというわけでもない。
そんな二人の後姿を、多くの選手たちが見送る。
「いいなあ……」
「ああいうのが青春っていうんだろうな……」
「つか、おたくらも別に女子がいないわけじゃないでしょ?」
上総総合はどちらかと言うと男子の割合が多いが、商業科には女子もかなりいる。
「俺ら、甲子園行ってないからなあ」
やはり甲子園に行けば野球部はモテるらしい。
三里もまた普通科の高校であるが、星と西には彼女がいないらしい。
古田は転校してきて早々に彼女が出来たらしい。やはり関西人は手が早い。(ド偏見
「うちらも野球ガチ勢は彼女持ち少ないぞ」
ジンはそう言う。
三年ではジン、大介、岩崎は彼女がいないことになっているし、二年も武史、アレク、鬼塚は決まった相手はいない。
アレクは普通に女の子たちと遊びに行ったりしているが、グループ交際っぽい雰囲気らしいし。
「まあナオは完全に野球より女優先してるし広言してるげどな」
「それで誰も打てないんだからなあ……」
野球に青春を賭けている者から見ると、直史は勉強も恋愛も、全てを持っているように見える。
実際は集中して時間配分をして、全てにリソースを適切に割り振っているだけである。
そんなことが出来る時点で天才なのかもしれないが、一つ一つの要素はあくまで常識の範囲内だ。
立場が違えば、知りえることが違えば、感じることも違う。
そういうことを気付かされるひとコマであった。
夜になって雑魚寝となれば、修学旅行や合宿のように当然ながら色々と話すことになる。
夜は人の精神を開放的にさせる。
話題は当然ながら、女だ。
この年頃の健康で体力の余った男子は、当然ながら性欲も強い。体力が余っていなくても性欲は余る物であるが。
頭の中の九割は女と飯と野球で占められている。
もちろん中にはジンや星のように、野球が九割の人間もいる。
「白富東は可愛い子多いよな」
当然そういった話になる。
「佐藤の妹なんて芸能人だもんな」
「やめとけ。あいつらは中身はゴリラだぞ」
武史としてはそう言うしかないし、それは事実でもある。
「マネも可愛いよな。あと椎名さん」
「あいつは男女関係なく好かれてるからな」
「一年も女子マネ多いよな。あの仕切ってる女の子も一年?」
「監督の娘なんだよ。あの子は野球もけっこう上手いよ」
「あと二年にギャルがいるだろ」
「あいつは見た目以外ほとんどギャル要素ないぞ」
まあ野球から離れた野球部員は、ほとんど食い物と女のことしか頭にない。
別に野球部員に限らず、この年頃の男子はそういうものである。
「そいやうちの妹が三里のブラバンにいるんだけど、野球部って仲いいのか?」
「ブラバンとは確かに仲いいけど、白石って名前の子は知らない」
「あ、名字は違うんだよ。うちのお袋が再婚してるし、俺も今は婆ちゃんちにいるから」
「そういや明倫館の監督が本当の親父なんだっけ」
大介のおおまかな個人情報は、ほとんど知られている。
本人が気にしないのでいいが、こういったことから調子を崩す人間も多いだろう。
メンタルもまた才能のうち、と言えるのかもしれない。
「お父さんって元プロなんだよな?」
「まあ、俺が物心つく頃には普通のぐ~たら親父だったけどな」
「野球を教えてもらったんは親父さんなんか?」
「キャッチボールとスイングだけはな。でも特に言われたのは、左右どちらでもスイング出来るようにしろってことぐらいかな」
大介はスイッチヒッターではない。右でも打てるというだけで、ほとんどは左で打っている。
だがそれでも、右での素振りも必ず行っている。
「そのへんが、あんなに飛ばせる理由なのか」
「どうなんだろうな。俺も感覚的にやってるだけだから、説明は出来ないし」
天才のあるあるである。
ひとしきりそういった話が終わると、自然と語り合うのは甲子園のことになる。
白富東と三里は甲子園を経験し、白富東は優勝まで手にした。
センバツは出場資格が少し運で左右されるが、白富東は去年の夏を経験している者が多い。
甲子園とはどういうところなのか?
「暑かった」
「すげー暑かったよな」
「とにかく暑かった」
必死で戦い抜いただけの三里と違い、白富東の意見はぶっちゃけすぎている。
耐え難い暑さ。
だがそれでも、もう一度行きたいのだ。
「つっても攻撃中はベンチで休める分、選手より応援の方がしんどいと思う」
「それな」
身も蓋もなかった。
翌日の練習試合では、やはり白富東が圧倒的な強さを見せた。
このチームは三年目のこの年、完璧に近付きつつある。
到達するかどうかは、結果だけが教えてくれる。
上総総合を後にした白富東は、また学校に戻ってくる。
月曜日は休養で、その後はまた練習漬けの日々だ。
週末にはまたも練習試合の予定であるが、それとは別の用事もあったりする。
手配されたマンションに戻った秦野は、久しぶりに妻と娘、一家が揃った食卓に着く。
「そういえば今は何やってんだ?」
秦野の妻詩織の仕事は、簡単に言ってしまえば経営コンサルタントである。
事業における課題を見つけてはそれを解決したり、自前で無理なら人材を引っ張ってきたりする。
詩織は肩書きを持ちながらも同時に現場にも立つ立場であり、一般企業を対象とした仕事が多いのであるが、やる仕事は多岐に渡っている。
「今は山手さんと一緒に、企業周りをしてるわね」
普段はピシっとしたスーツ姿の詩織だが、家族の前ではダボダボのトレーナーで、気を許しているのが分かる。
「あの金髪小悪魔か」
「またそんなこと。日本に帰ってこれたのも、彼女が認めてくれたからでしょ?」
「ブラジルはブラジルで、それなりに遣り甲斐はあったんだよ」
愚痴るような秦野の口調に、詩織の眦が吊り上がる。
「何よ。せっかくこうやって頻繁に会えるようになったのに、文句があるの?」
「いや、そういうわけじゃないが」
「まさかブラジルに女でも――」
「あ~、それはないよ。パパずっと男の子たちとグラウンドで走り回ってたし」
さすがにそこには口を挟む珠美であるが、詩織も本気で疑っていたようではないようだ。
彼女としてはまず夫と娘が日本に返ってきてくれただけでもありがたいのだが、どうせなら東京まで出てきてほしい。
彼女の仕事場は全国各所に出向することが多いが、やはりメインは東京であるし、東京からの交通アクセスが便利なのは間違いないのだ。
ここで実績を残して、どこかの強豪校の監督に。
実は彼女としては、既に次の目途もいくつかつけてある。
夫に加えて娘まで地球の反対側にいて、会えるのはせいぜい年に二度。
そんな別居をずっと続けてきたわけだが、家族に対する愛情は強いのだ。
とりあえず三年。
それを過ぎたら家族揃って暮らしたい。
バリキャリウーマンである詩織の願いは、割と庶民的なものである。
「三年後ならあたしも大学かあ」
珠美としても進路については考えなければいけない。
白富東に入学して、いきなり大学の志望まで考えさせられたのには驚いた。
そのあたりはしっかりと進学校である。
「珠美も……一緒がいいでしょ?」
「どうかな~。ブラジルに戻りたいわけでもないけど、ママがいるならパパを任せても大丈夫だろうし」
そんなことを言うと詩織の眦がしゅんと下がる。
「まあまあ、あたしももう高校生なんだし、寂しいならもう一人今から作っちゃえば?」
「この子は……」
年齢的には無理ではない。
だが詩織には今の仕事が、かなり大規模で長期的になる予想がついている。
誰でも知ってるような巨大企業や、地域密着の地方の企業など、関わっている人々も多い。
詳細は家族にも言えないが、これは歴史に残るプロジェクトだ。
「とりあえず結果は出さないといけないからなあ」
明日からもまた、野球漬けの日々。
もちろん秦野はそれが嫌なわけではない。
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