十一章 三年目・夏 世界で一番 熱く光る夏

第90話 夏の前日

 六月に入った。

 中間テストが終わり、その結果が返ってきて、悲惨な成績だった者はえぐえぐと泣きながら補習を受ける。

 バカな生徒のために補習を行ってくれる教師は、本当はすごく優しいのであると、成績の悪い人間は知るべきである。

 具体的には大介とイリヤだ。

 白富東の補習の基準は、おおよそ平均点の六割と、一人も補習を受ける者がいなくてもおかしくない基準なのだ。

 イリヤなどは留学生枠で得点配分が違うので、余計におかしいのである。


 大介に関しては教師陣も、ちゃんと卒業しなければドラフトに影響するので、かなり必死である。

 新人キャンプに成績が悪くて参加出来ない新人など、これまではいなかったのではないだろうか。

 白富東は普通ならば、二年生の内に卒業に必要な授業は終わらせて、三年目はほとんど受験用の勉強に入ったりもする。

 それでいて遊ぶ時は遊ぶのだから、まさに文武両道と言っていい。


 そんな二人が野球部の部室で、応援団の有志一同から勉強を教えてもらっている。

 教える側からすると二人はそんなに頭は悪くないと思えるのだが、とにかく忘れていく速度も速い。

 おそらくそれぞれが、野球と音楽に脳のリソースを割り振りしすぎているのであろう。

 そもそも大介の場合、本当に頭が悪ければ白富東に入ってこれるわけがないのだ。

 ひょっとしたら他の誰かと、点数を間違って入力してしまった可能性は、今更ながら疑われているが。




 長かった春季大会期間も終わり、いよいよ夏が近づいてくる。

 直史達にとっては最後の夏だ。

 三年生を中心とするスタメンたちは具体的な課題をもって、それぞれのメニューをこなしている。

 秦野の指導にも熱が入ってきていた。基本的に彼はバッテリーと守備の連繋を大切に考えている。


 一方で一年生はトニー以外は主に基礎トレだ。

 シニアでそれなりに鍛えられてきた者も、やはり二イニング長いというだけで、戦略観が違ったりする。

(赤尾は一年の中では中心になるべきだな。だけどこいつに四番まで任せるのは、さすがに負担が大きいか)

 頭の中では既に二年先のことまで考えていたりする。


 一年の中には他にも、ベンチに入っていておかしくない選手が数人はいる。

 あとはみっちり鍛えれば三年の夏には間に合いそうな素質の持ち主も多い。

 これに来年からの体育科を考えれば、今の一年の最後の夏も、甲子園のいいところまでは進めるかもしれない。


 白富東は年々強くなっている。

 だがこの強さも、限界があるのは分かっている。


 公立校としては当たり前だが、県外からの入学は学区の隣接している茨城県からしか認められていない。

 全国から特待生を集められる強豪とは違う。

 チームとしてはかなりの強さをずっと維持できるだろうが、おそらく高卒でプロ入りするような選手は、今の一年までだろう。

 ちゃんと教えて、育てて、鍛えて、勝つ。

 年功序列なわけではないが、おそらく未来は三年生を中心にレギュラーを組む体制になるだろう。


 そして現時点でも、問題がないわけではない。

(ポジションがな……)

 本来なら嬉しいことなのだが、バッティングに優れた選手のポジション被りが目立つ。

 特にキャッチャーとセカンドだ。


 キャッチャーとしては、守備の要としてジンが一番優れている。

 だが倉田の長打力と、孝司の総合力がもったいなさすぎるのだ。

 倉田はそれなりにファーストをこなしているが、守備だけならもっと上手いのがいる。

 そして孝司は基本キャッチャー専任なのだ。一応内野と外野もしたことはあるらしいが、キャッチャー以外の守備は及第点程度だ。


 贅沢な問題ではあるが、問題であることは間違いない。

 あとはセカンドだが、総合的には哲平を使うのが一番いい。

 ただ、単なる技術ではなく全体の士気を考えるなら、シーナを入れておくのもいい。

 哲平はサードもかなりこなせる。武史を投手専任で使うなら、サードの守備練習も増やすべきだろう。

(こんな思いが出来るのは、今年だけだろうな)

 三年が抜けたらまず外野を鍛えなければいけないし、来年倉田や孝司レベルのキャッチャーが入ってくるのは考えにくい。

(専門職のキャッチャーに、他のポジションまで練習させてるのはなあ)

 高校レベルではキャッチャーの専門性は、あるいはピッチャーよりも高い。打てなくても許されると言ってもいい。

 あの大介でさえ公式戦では、まともなキャッチャーの役割は果たせないのだ。


 自分の就任前ではあるが、センバツの決勝はかなり危なかった。

 白富東は本当に、ピッチャーだけはいくらでもいるのだ。


 高校野球は、育てながら勝たないといけない。

 わずか二年と数ヶ月。その間に育てて、同時に勝たなければいけないのだ。

 遣り甲斐は確かにあるが、大変なのも確かだ。

 高校野球の監督など、本当に好きでなければやっていけない。だが一度やればやめられない職業でもある。




 入梅間近の六月上旬、練習試合の予定が入る。

 今年は春に対戦のなかった帝都一へ練習試合の遠征である。

「しかしなんだな。県大会のシードさえ取ってしまえば、決勝ぐらいで負けた方が、自由に練習試合が組めるな」

 バスの中で秦野がそう言ってしまうぐらい、この時期の練習試合は大切である。


 超強豪校などは練習試合の予定は、一年先まで埋まっていることも珍しくない。

 白富東の場合も色々と申し込みはあるのだが、逆に遠征というのは難しいのだ。

 私立と違ってそれなりに追加で金がかかるし、まさか学校を休むわけにもいかないし。

 今は潤沢な寄付金があるからいいが、公立としてはやはり恵まれすぎているのだ。


 今回は土日で六回の試合を行う予定である。

 以前だったらさすがに過密ではないかというものだが、現在は部員も80名になろうかという大所帯だ。

 使えるピッチャーの数を考えても、全く不可能ではない。

 合同練習試合のため、帝都一以外にも来訪しているチームがある。

 宮城の仙台育成、神奈川の東名大相模原、大阪の理聖舎などである。


 白富東はピッチャーが何枚もいるのと、野手の交代陣が揃ってきたので、これらを相手にしても互角以上に勝負が出来る。

 六回の試合の結果は全勝。基本的にコールドはなしのはずであったが、四試合は特別にコールドで勝った。

 Aチームならともかく、Bチームでは帝都一ももはや敵ではない。


「思えば強くなったなあ……」

 遠い目をするジンである。


 久しぶりのスタメンでマスクを被ったが、膝はもう全く問題ない。

 試合勘が鈍っているかと恐れていたが、ベンチに入ってスコアラーをしていたのが良かったか、リードを読まれて痛打されることもなかった。

 ブルペンではともかく、試合で受けるとなるとやっぱり違う。

 練習中の岩崎のスプリットがすっぽ抜けたりもしたが、まずまずリードを保った試合展開で進むことが出来る。


 試合の合間に食事をしたり、短時間ミーティングをしたりもするのだが、色々と気づくことが多い。

「二番に青木を入れた試合は、一回の表の得点率が100%か……」

 一番はアレク、三番は大介、四番鬼塚と入れればそういう結果が出てくる。

 秦野が見ているものと、同じものをジンも見ている。

「テツはセカンドかサードでスタメン使用に決めた方がいいですね」

 ただ哲平の場合、セカンドという難しいポジションで働くには、まだじゃっかんの不安が残る。


 それからの試合も続けて、データが集まってくる。

 二日で六試合。しかもそろそろ夏も始まるというこの季節、体力不足の者はパフォーマンスが落ちてくる。

 最後の夏のスタメンに選ばれるかどうか、全てがテストのようなものである。

 六試合目ともなると、一年で多く出場している哲平は疲れが見えてきた。

 あと体力とは別物なのかもしれないが、トニーは暑さに閉口している。去年のアレクと似たような影響だ。

「日本ってこんなに暑かったっけ?」

 試合の合間に水分と栄養を補給するのだが、それを配る珠美も似たような感じらしい。

「10年前と比べても年々猛暑日は増えてるらしいですからね。監督も気をつけてください」

「俺がガキの頃なんて、猛暑日なんて言葉はなかったもんなあ」

 それでも夏の甲子園に比べれば、この程度は暑くはない。




「おっそろしいチームになったもんだなあ」

 試合後、監督やコーチ陣が集まって会話をすれば、帝都一の松平がそんなふうに言った。

「佐藤と白石もそうだが、弟の佐藤とかブラジル人とか、あと今年の一年も」

 うんうんと他のチームの監督達も頷いている。


 秦野もそれには同意せざるをえない。

 自分が作ったチームではない。だがこのチームを優勝させることは、ほとんど義務ですらあるだろう。

「一回戦から強いところとばっかり当たって、消耗してほしいもんだなあ」

 露骨なことを松平は言うが、他の者も苦笑するばかりである。


 白富東はおそらく最強のチームなのだろう。

 だが最強のチームであろうと、優勝できるとは限らないのがトーナメント戦の恐ろしいところなのだ。

 実際に去年の夏も、白富東は優勝していてもおかしくはなかった。

 大阪光陰に勝ち、春日山相手にも優位に試合を進めていた。

 しかし最後の最後で、執念によってひっくり返された。


 あれだけでなく、優勝まで出来たかは分からないが、一年の夏の県大会の決勝だってそうだ。

 明らかな審判の誤審と、サヨナラとなったパスボール。

 どちらかがなければ甲子園に行けていた。

 もっともあの時点で甲子園に行ってしまっていたら、志望者がさらに増えて、武史などは次の年に入学できたかは分からない。

 何がどう未来を変えるのかは分からないが、今は今。何をしても変わらない。変えられるのは未来だけである。


 白富東を倒すためにはどうすればいいか。

 それは強力な打線と投手を持つチームが、連戦で当たることが条件の一つとなるかもしれない。それもトーナメントの後半で。

 あとは怪我人の続出などだろうが、それは例え相手であっても、望むべきことではない。

 プロならば故障も自己責任なのだろうが、高校野球は全ての球児が、その全力を出し切れることが望ましい。理想論であっても。




 ここにいる指導者たちは、甲子園で対決すれば敵となるのだが、選手たちを育ててチームを強くしたいという、指導者としての姿勢は同じである。

 ……まあとある学校は、入学予定の選手を逃してしまって、そこそこ思うところがないでもないのだが。

 そして立場をある程度離れれば、各地のチームや選手の話題となる。

 どのチームも全国的な強豪だ。それぞれ監督たちにも言いたいことはあるのだ。

 高校野球の未来や、OB会への愚痴、父母会との対立などが、あったりなかったりと様々である。


「真田が復調してきたのがなあ……」

 理聖舎の監督が言う。

「一年のキャッチャーと、まさかあんなに合うなんてなあ」

 公式戦ではないが、他校との練習試合でパーフェクトピッチングを成し遂げたらしい。

 これであそこは豊田と二人、超高校級のピッチャーが揃ったこととなる。

 甲子園レベルのピッチャーであれば、他にもまだいる。相変わらず層が厚すぎる。


「大滝がまた球速を上げてきたからねえ……」

 東北大会では優勝しなかったものの、花巻平の大滝が158kmを記録したというのは、新聞や野球雑誌には書いてあった。

 上杉以来の二人目の甲子園160kmが期待されている。

 色々と理由はあるが、甲子園では球速が出やすいとも言われている。特に三年の夏は、体の仕上がりも最高であるのだし。


「地区が別だから良かったけど、早大付属は随分と仕上げてると聞くぜえ」

 帝都一は夏の大会は、もう五年連続で東東京の代表となっている。

 選手層の厚さから言うと、今年ももちろん狙っている。甲子園だけでなく、全国制覇を。

 西東京は群雄割拠だが、早大付属が強そうではある。


「うちはまず、県を勝ち抜くのが大変ですね」

 神奈川は大阪と並んで、もう一チームぐらい出場してもいいのではと言われる激戦区だ。

 実城と玉縄の揃っていた神奈川湘南ほどの飛びぬけた存在はいないが、ヨコガクはやはり強いし、他にもマークすべきチームはたくさんある。


 九州は相変わらず桜島実業が暴力的な得点力を誇っているし、それ以外にも大分や宮崎が強くなっているとも聞く。

 それに比べると四国中国は、瑞雲と明倫館が確実な強さを手に入れている。

 東海では愛知県もまた恐ろしいレベルの県予選を繰り返すだろうし、北海道の意外性も侮れない。

 結局マークするべきチームはたくさんいるのだが、やはり関西がその中心となるだろう。

 東北勢も念願の初優勝を狙わないチームなどない。


 だがそんな強豪が最も警戒し注目しているのは、やはり白富東なのだ。

 日本一のピッチャーと、日本一のバッター。それが同じチームにいることを、誰もが認めている。

 公立校なので、今後もずっと甲子園に出てくる強豪とはならないだろうが、少なくとも今の二年が卒業するまでは、全国制覇が狙えるレベルのチームであることは間違いないだろう。

 今回はその強さを体験したわけだが、エースが投げなくてもやたらと強いことは分かった。


 甲子園で。

 選手たちだけでなく、監督たちもひそかに胸で思いながら、練習試合は終わった。

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