第88話 最強の証明
敗退した早大付属と違い、白富東は午後に行われる準決勝第二試合を、スタンドから観戦する。
埼玉代表 浦和秀学高校 対 山梨代表 甲府尚武高校
甲府尚武はヨコガクを破って、波に乗っている。
ウラシューも去年の秋、埼玉大会を優勝しながらも三里に敗北してセンバツを逃してから、かなりチーム力の強化に努めてきた。
甲府尚武の中心選手は、ピッチャーの諏訪である。
去年のスタメンで残っているのは、高坂と小山田ぐらいであろう。
武田を中心としたチーム力で戦うチームから、エースの力で戦う個のチームになったと言える。
「なんで去年はこれ、試合に出てこなかったんだ?」
諏訪は雑誌などの記事を信じるなら、150kmがMAXのストレートを持っている。
同じ二年だった高坂が、去年は継投の中の一人として使われていたのだから、せめてベンチメンバーには入っていなくてはおかしい。
怪我でもしていたのだろうか。
「一年の夏にはベンチに入ってたから、そんなに長くかかる怪我だったなら話題になっててもおかしくないんだけど、どうもキャッチャーの武田と相性が悪かったみたいなんだよね」
ジンの得た情報によると、そういうことらしい。
部内で一人の選手が影響力を持ちすぎるというのは、健全なことではない。
「武田か……」
ワールドカップで同じチームで戦ったが、あまり大介の記憶には残っていない。
打てるキャッチャーというふれこみではあったが、単純に打つだけならもっと優れた選手がいたのだ。実城、西郷、織田、本多など。
「ナオはどうだった?」
試合において直史は樋口としか組んでいなかったのだが、武田相手にも投げたことはある。樋口が使えなくなったら、当然他の捕手に投げる必要があったからだ。
「自分より格下のピッチャーをリードして力を引き出すのは上手かったが、格上のピッチャーの良いところを活かすのは下手だった気がするな」
直史の評はかなり辛辣である。
ドラフト二位でプロ入りした武田であるが、一年目の今年は全くその評判を聞かない。
キャッチャーというのは育てるのに時間がかかるし、そもそも高卒であるのだからそれもさらに難しいのだろうが、全く情報は入ってこない。
他のチームならばともかく、武田は千葉に入ったのだ。一位で入った織田はこれまで、スタメンで三割を打っている。
だが直史の評価が正しいとするなら、怪物ばかりのプロの世界では、通用しないのかもしれない。
まあもう二度と関係しないであろう、過去のことはどうでもいい。
問題は相手の正しい分析と、それへの対処である。
総合的なチーム力は、おそらくウラシューの方が上である。
埼玉県はここ最近、関東の中では神奈川に次いで強豪の多い県と言ってもいい。東京は別格だが。
おお振りだってラストイニングだって球詠だって埼玉が舞台であり、東京や神奈川に比べると、まだ新興のチームが強くなる余地が残されていると思うのだろう。
他にも東京に隣接しているというのが、物語を作りやすい理由かもしれない。
実際は普通に私立が強いのだが。
それに対して山梨は、実は甲子園での優勝経験がない。
千葉も長らく遠ざかっていたが、センバツで白富東が久しぶりに優勝した。
ちなみに千葉県勢はこれまで、優勝したチームが全て公立という、ある意味信じられない記録を残していたりもする。
ただ関東大会でならば、山梨も優勝経験はあるのだ。
この準決勝第二試合でも、先制したのは甲府尚武の方であった。
三回ツーアウトから、四番も務める諏訪が外野の間を破る長打で、塁上のランナー二人を返した。
ある意味去年の甲府尚武よりさらに、ワンマン色の強いチームとなっていると言えるかもしれない。
ウラシューも三里を相手に1-0という最小失点差で敗北した秋の関東大会以来、かなり全体的な戦力は上げている。
埼玉県の私立三強と呼ばれる私立の中でも、全国制覇の経験があるチームであり、率いる監督である。
選手は三年で総入れ替えとなる高校野球では、監督を分析する方が分かりやすいという考えからすると、ウラシューの林監督はかなり分かりやすい部類に入る。
食事による三年間をかけた体作り。故障に対する徹底した予防。どちらかというと現代的で、アナクロな監督ではない。
秦野の評価では、とてもいい監督となる。
「ただ甲子園に出場して勝ち進んで優勝するって点では、頭のネジがもっと外れていないと難しいかもな」
そう言葉を続けたが。
大阪光陰の木下監督などは、選手の能力によって一年から積極的に使い、それで結果を残している。
それは大阪光陰が基本として、一年の段階からある程度期待出来る選手だけを集めてくるからだ。ある部分は個人主義が存在する。
ウラシューはそこまで徹底したものではなく、チーム力全体を引き上げていくという体制にある。
ただ勝って成績を残すだけなら大阪光陰の方が合理的であるが、ウラシューは高校では活躍できなくても、大学で花開く選手が比較的多かったりもする。
「今回は甲府尚武に軍配が上がりそうですけどね」
ジンの言葉通り、中盤に甲府尚武はさらに追加点を入れた。
諏訪の今日の調子から考えるに、逆転は考えにくいだろう。
終盤、球威の衰えてきた諏訪を、ウラシュー打線は攻める。
だが守備の堅守もあって結局は4-2というスコアで決勝進出を決めた。
「甲府尚武が上がってくるのは、少し意外だったかなあ」
宿舎に戻ってミーティングを開始する白富東。
短い関東大会もいよいよ決勝を残すのみで、色々と新しいことは試しながらも、結局敗北を知らずにここまで来てしまった。
さて、では明日の試合のための作戦会議である。
「二番手ピッチャーの高坂に関しては、研究してあるのか?」
秦野が珍しく早い段階から言葉を挟んできた。
別におかしなことではないので、ジンは素直に答える。
「一応は。去年は試合で対戦してますからね。大介対策で先発してきたんでしょうけど、あっさりと攻略出来ました」
最終的には八回コールドで勝ったのは、去年も同じ関東大会である。
「高坂の方から詳しく分析するか」
「高坂先発ですか? 確かに連投してきたから、諏訪は疲れは溜まってるでしょうけど……」
どうやらジンは気付いていないらしい。珍しいことである。
「諏訪は決勝は投げてこないと思うぞ」
そう言った秦野はパソコンを操作して、モニターに映る映像を変えようとする。
「……分からん。珠美、頼む。一回と九回の諏訪のピッチングだ」
「あいあいさー」
そして映されたフォームを見て、ジンも簡単に気が付いた。
「故障ですか」
「まあ最後まで投げきっちゃったから、深刻なものじゃないとは思いたいが」
敵であっても選手の故障など、指導者にとっては見たくないものだ。
フォームの違いと言うよりは、肘の位置だけが違う。
「痛みを感じない投げ方を探っていたのか、終盤は変化球が目立つ。それに球速が明らかに落ちていたからな」
終盤に球速が落ちるのは当然ではあるが、140km台後半を投げていたのが、最終回には130kmに満たない。
まっすぐはボール球だけで、変化球を打たせていたのが明らかである。
「なんで高坂に変えなかったんでしょうね」
ジンとしてはそちらが不思議である。関東大会はずっと諏訪が完投しているが、県大会では高坂もそれなりのイニングを投げている。
「監督としての傾向を分析すると、皆本監督は中心選手を決めると、それと心中するタイプらしいからな」
「心中って……監督の自己満足じゃないですかね?」
皮肉たっぷりのジンの言葉に、秦野も溜め息をつくばかりである。
「大田、お前は野球指導者を目指してるんだよな?」
「そうですね。こんな監督にはなりたくありません」
「俺もだよ。ただ中には選手にもいるんだよなあ。甲子園にさえ行けたら、この先の人生がどうなっても構わないとかいうやつが」
それはジンの痛いところをついた。
そして秦野の苦い過去でもある。
「元々俺は神奈川の新興私立の監督やってたんだけど、故障してたエースを投げさせずに春大で一回戦負けして、クビになったんだよ。そのチームは夏にエースの力でベスト8まで進んだけど、そこでエースがパンクして結局甲子園には行けなかった」
秦野が過去のことを話すのは珍しい。
「結局甲子園にも行けず、一人の選手が潰れただけで終わったわけだ。ついでに監督が一人クビにもなったけどな」
「その……その選手のその後は?」
「負けた後すぐに学校も中退しちまって、俺もブラジルに行ったから分からん。少なくともネットで調べても名前が出てこないことは間違いないけどな」
なにもやめることまではなかっただろうに、と秦野は口の中で呟いた。
室内に静寂が満ちた。
故障によって選手生命を絶たれるというのは、ジンの父しかり大介の父しかり、また三里の国立しかり、これまでにも聞いてきた。
しかし秦野の話に圧倒的なリアリティを感じるのは、これまではなかった指導者としての側面からの話だったからであろうか。
「パパさあ、どうせ話すなら、クビになった話とかもちゃんとしたら?」
既に知っている珠美だけは、そうやって言葉を挟むことが出来る。
「いやそれは……」
「無理に投げさせてでも勝てって言われて、殴っちゃったんだよね、校長先生を」
ええ~。
今度はまた別種の動揺が室内に満ちる。秦野はこれまで、野球に関する知見はなかなかのものがあるとは示してきたが、暴力的な面などは感じさせたことがなかった。
しかし選手ではなく校長を殴るとは。
頭をがしがしと掻いた秦野は、溜め息の後に続けた。
「軽率だったよ。俺が監督のままだったら、故障する前になんとしてでも止めることが出来た。それにそのせいで俺は、神奈川どころか近隣の高校の全てから出禁をくらって、海外の仕事に就くことになったわけだし」
それは、確かにそうなのだろう。
だがその話はむしろ、選手たちにとっては秦野に好感を抱かせるものである。
生暖かい視線を感じて、秦野はごほんとわざとらしく咳払いする。
「言っておくぞ。プレイ中の事故とかで怪我するとかは仕方ない。打撲で足が痛いとか、その程度は構わない。だが俺は絶対に、選手生命に関わるような状態の選手は試合に出さない」
それは秦野にとっては、ようやくの所信表明演説だったのかもしれない。
「自分では大丈夫だと思っても、俺が駄目だと思ったら出さない。それで負けるなら仕方がない。野球は誰かの犠牲で甲子園に行くスポーツじゃないんだからな」
このあたりは、セイバーに似ている。
セイバーは甲子園の価値を理解出来ないといって、その後の人生にまで残る怪我を許容しなかった。
だが秦野は甲子園の価値を知った上でなお、そう言葉を続けられるのだ。
「さて、じゃあ高坂の分析をするか」
秦野はまだ、実質的な監督としての采配を、振るったことはほとんどない。
だが選手たちの信頼は、かなり得られたのではないだろうか。
春季関東大会の決勝戦、甲府尚武は幸いと言うべきか、高坂を先発のマウンドに送った。
対する白富東も経験を積ませるべく、淳を先発起用という大胆な作戦を採る。
五回まで投げて、淳は二失点とまずまず立派な成績を残した。
対する白富東は珍しくも序盤の攻撃では苦しむも、中盤からはコンスタントに得点していく。
結局は9-2というスコアで、二年連続の関東大会優勝を手にしたのであった。
試合後に甲府尚武の皆本監督に取材した記者によると、やはり前の試合で諏訪はどこかを痛めていたらしい。
打力も優れた諏訪を他のポジションでも使わなかったのだから、おそらく投げること自体に問題があったのだろう。
エースと心中という選択は、夏の大会を前にして考えれば、心中するにしてもタイミングはここではないと思ったのだろう。
白富東としても、淳が五回まで投げたことで、その存在感を他のチームに存分にアピール出来たと思う。
攻略しなければいけないピッチャーがまた増えたのだから、白富東以外にとっては悪夢以外の何者でもない。
関東大会は結局、自らの課題をもって試合をしても、全般的に完勝の試合ばかりであった。
だからと言って何も学ばなかったわけでもなく、選手間のコミュニケーションは緊密になってきたように思える。
一匹狼気質の淳なども、同じく一匹狼気質の孝司と、上手く噛み合っていると思う。
(ここから何か問題が起こるとしたらなんだろうな)
ジンは考えるが、監督の秦野の姿勢も分かった以上、本当に思いつくことがない。
ここから問題が発生して出場辞退などということは、最近ではあまりないことだ。
問題があった部員を出場停止にして、チーム自体は出場させるのが最近の一般的な動きである。
あるとすれば――野球部全体に関わるスキャンダル?
イリヤが何か騒動を起こすとしても、彼女が野球部に直接関わっているわけではない。
野球部のスポンサーとはなっているが、いったんは寄付という形を取ってから、野球部へは援助しているのだ。
学校へと戻るバスに乗って、ジンは考え続ける。
夏の県予選までは、ついに二ヶ月を切った。高校野球生活は、三ヶ月ほどしかない。
国体も合わせればもう少し延びるが、それでも四ヶ月に満たない。
夏が始まる。灼熱の夏が。
(ガンちゃんもシーナも……俺の都合に付き合わせたんだよな)
それは違うと本人たちは言うだろうし、それぞれの言い分もあるだろう。
だがこれは、ジンの主観の問題なのだ。
監督、選手、マネージャー、コーチ、応援団という、グラウンドの内外で、共に戦う人たち。
OB会や父母会といった、多くの支えてくれる人たち。
マスコミや教師たち。それぞれの思惑で動いているのかもしれないが、それでも白富東というチームの影響力は大きすぎる。
だがそれをジンは、プレッシャーと感じたことはない。
もちろん強い責任感は感じるのだが、それ以上に強い力が、彼を支えてくれている。
(ナオ……大介……)
この圧倒的に巨大な二人が、支えとなってプレッシャーに押しつぶされるのを防いでくれている。
全国制覇を狙うチームの中で、これだけ楽に戦わせてもらえるキャプテンは、自分だけではなかろうかと考えるほどに。
そんな二人との夏も、始まり、そして終わろうとしている。
高校生活最後の夏。
人生で一番長く、そして熱い夏が、もうそこまで迫ってきている。
十章 了
×××
次回は十章終了時点でのキャラクター紹介です。
その後、最終章「世界で一番熱く光る夏」となる予定です。
章タイトルはじゃっかん変更の可能性あり。
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