第86話 成長
野球というスポーツの中でも、特にピッチャーというポジションで直史がバカらしいと思うのは、ストレート真っ向勝負が好まれることである。
そんな速い球を投げられるだけがピッチャーの資質だとしたら、直史はこのスポーツを楽しむことはなかっただろう。
ベンチの中から試合を観察する直史。
三回の裏、ワンナウトを取ったところで、淳は降板である。
スコアは4-1であり、かなりの余裕がある。
出会いがしらにホームランを打たれたのは痛かったが、あとはノーヒットに抑えていた淳だ。もう少し交代は伸ばしてもよかったかもしれない。二巡目の打者がどう対応してくるかにも一つの課題であったはずだ。
だがこれで、相手は打線一巡。
二回と1/3を投げたというところで、被安打一の四死球一であるのだから、立派なものだ。
ベンチに戻ってきた淳は無表情を貫いているが、内心がどうなっているかは直史にははっきりと分かる。
「四番と五番を打ち取ったことで、少しだけ油断したか?」
一応六番も、打率はそれほどではないがホームランを打てるバッターだとは知っていたはずだ。
「……失敗した」
何を、誰が、とは言わない。
直史の目からすると、倉田のリードが甘かったと思うが、リードに首を振らなかったのは淳である。
動揺を押し殺し、平然とした態度を見せようとするのは、ピッチャーの資質としては良いことだ。
投球練習が終わり、また上位の一番から、武史が勝負する。
直史が思うにピッチャーとは大別して、力のピッチャーと技術のピッチャーに分けられると思う。
もちろんこの両者のピッチャーの間にも、力の要素と技術の要素のどちらもが、ある程度は混じっている。
自分はもちろん技術のピッチャーだし、淳もそうだろう。
対して力のピッチャーは、間違いなく武史だ。岩崎もそちら寄りだろう。
肝心要の場面で、力で勝負に行くか。
直史はストレートで勝負する場合があるが、それは撒き餌の後のストレートなので、技術に分類されるストレートだ。
ちなみに直史からすると、真田なども力のピッチャーだ。力が球速ではなく、変化球のキレという方面で発揮されているだけで。
「淳、キャッチボールの相手をしてくれないか」
そして直史はリリーフの準備を始めた。
(し、信用されてない……)
兄が義弟とキャッチボールを始めたのを見て、武史はひそかに落ち込んだ。
だが良い意味で鈍いところのある彼は、それでパフォーマンスを落とすことはない。
武史のボールを受ける倉田も、やはり球威がまだ不充分だと感じる。
もちろんコンスタントに150kmを投げるのだが、あの時の感動的なストレートには及ばない。
エンジンが本格的に暖まるまでは、緩急と手元で動く球を上手く使っていかなければいけない。
相模原も激戦区神奈川の代表だからして、単なる速球であるのなら、150kmでも打てる。
だが武史の場合は、MLB主流のムービングを使い、ほど良く荒れている。
倉田が言った武史の終盤のピッチングは、実は球威以上にも不思議なことがある。
コントロールが良化していくのだ。
普通はスピードとコントロールは、どちらかを高めればどちらかは低くなる。
しかし武史の場合はへとへとになるまでは、中盤を越えたあたりからコントロールは良くなるのだ。
他の人間には絶対に言えないが、倉田は武史のピッチャーとしての素質は、岩崎よりもだいぶ上だと思っている。
ほとんどの人間が忘れているかもしれないが、武史が野球を本格的に始めたのは、高校に入ってからなのだ。
セイバーの初期指導が極めて優れていたこともあるが、それからわずか一年と少しで、ノーヒットノーランを達成するようなピッチャーになっているのだ。
才能だけなら俺より上と、甲子園でパーフェクトを達成したピッチャーが言うのだ。
倉田としてもこの打たれないストレートを投げる素質は、間違いなくトップレベルだと思う。
まだ慣らし運転中で、一番と二番を凡退で切る。
滑り出しとしては最高であろう。
白富東の二番バッターは、なかなか適格者がいなかった。
ジンが打ったり、手塚が打ったり、鬼塚が打ったり、シーナが打ったりした。
しかしどうやら、新戦力の青木哲平が、この打線の中では一番適しているらしい。
その最大の理由は、走力だ。
ジンやシーナはもちろん鬼塚でさえ、アレクと大介に比べると走力はだいぶ落ちる。
手塚が二番を打った時は、両者の足が速かったため、併殺がほとんどなかった。
せっかく足の速い選手が塁にいても、その前が鈍足とは言わないまでも平均的では、上手く活用するのは難しい。
そこで哲平であるが、彼は俊足と言うのも間違いないのだが、それよりもさらにベースランニングが上手いのだ。
超攻撃的な破壊力を持つ俊足三連星。
こいつらが塁にいると、その後の打者に打点が付きやすくなる。
アレクと大介をつなぐ二番打者の重要性が、やっと判明してきた。
二巡目は上手く機能しなかったが、三巡目にはまた追加点を取る。
ピッチャーが武史になった時点で、相模原は大介と勝負するという選択肢は外す。
だが、本日は四番の鬼塚。
沈む球を上手く掬って、左中間を抜けるツーベースとなる。
鬼塚の数字も、四番にしたことで一番安定してきている。
元々武史が四番を打つことが多かったのは、鬼塚の二番としての器用さが期待されていたからでもあるが、大介の後に確実に一点が取れる打者がほしかったからだ。
犠打を基本的に選択しなくなってからの鬼塚は、打率も高いが打点がどんどん増えている。
長打率は武史より高いだけに、四番にはこちらこそ相応しい。
「上位打線はほぼ決まってきたかな」
秦野の考えでは、アレク、哲平、大介、鬼塚、倉田という並びが最も破壊力が高い。
哲平は武史をピッチャーに専念させたい時は、サードを守らせるのもいい。そしてピッチャーの中では直史、武史、淳の三人はアベレージヒッターなので、長打も打てるアレクの前の九番に置いておくのもいい。
今日は違うが打力をさらに重視するなら、倉田をファーストに入れて赤尾をキャッチャーとして使えば、さらに攻撃力は上がる。
だが問題もある。
白富東ではこれまでなかった、強豪であれば当然ありうる問題。
ポジション争いだ。
たとえばキャッチャーは、キャッチャーとしての技術と守備への指示などを考えれば、圧倒的にジンが一番である。
だが打力を目当てに赤尾と倉田を使うなら、倉田はファーストをそれなりにこなせるようになったが、赤尾はまだ他の守備位置は考えにくい。
強いて言うならサードであるが、サードはこれまた打線に誰を入れるかによって、競争の激しいポジションになっている。
だが一番はセカンドだろう。
本職はショートだが、確実にセカンドもこなせる諸角。
最終学年でようやく公式戦の参加資格を得たシーナ。
二年生の中では一番セカンド経験の高い曽田。
そして打線で使うなら本職の哲平。
この中で一番、セカンドとしての能力が高いのは哲平である。
本職であるし、動きの機敏さや連繋も頭に入っている。
ただショートとのコンビで使うならシーナの方が上となる。
(もう少し見ないと分からないけど、哲平はスタメンで使いたいな)
秋からは間違いなくセカンドのスタメンだ。
(そうすると曽田は……サードで使うべきかな?)
適性を考えるなら、武史はピッチャーに専念させたいが、打力を考えるとどこかのポジションには入れたい。
高いレベルでの贅沢な悩みだ。
五回コールドこそ逃したものの、六回に11点目が入り、六回コールド成立。
武史は被安打一の完封であった。
特に終盤は県大会の決勝のように、七者連続三振。
ただ気になったのは、向こうの打者がセーフティでストレートを転がそうとしたことだ。
ファールになって失敗はしたが、色々と仕掛けてくる。
ただそれを力づくでねじ伏せるのが、武史の終盤のピッチングだ。
この試合の注目すべき点は、淳の担当を終えた時に、秦野があっさりと変えたところだろう。
そして考えていた武史のリリーフが成功した。
三年の力をあまり使わず、一二年で勝ったことが大きい。
そして応援席でも、楽器をしまって帰路に就く者たちがいる。
「エミリーのおかげでトランペット良かったよ~」
双子は普通に褒め称えている。
「恵美理ちゃん、最後までずっと吹けたもんね」
途中で唇が痛くなって、予備のポンポンを持って双子と一緒に踊っていたのは明日美である。
スカートではなくキュロットパンツなので、もちろんパンチラなどはない。
「私はてっきにイリヤさんも来ると思ってたのに……」
憮然とした表情を作っている恵美理であるが、試合の展開には興奮していた。
特に中盤からの、武史の圧倒的なピッチング。
あれは、明日美に似ている。
もっともストレートの力だけで勝負していて、終盤につかまるというのが明日美のパターンなのだ。全力投球を続けるので、本来スタミナは豊富なのだが、それでもガス欠を起こす。
抜いて投げるために変化球を色々と試したのだが、モノになったのはスプリットだけであった。
「その……お兄さんのサインとかもらえるのかしら」
恵美理の言葉に、難しい顔をする双子である。
「どうかな~」
「お兄ちゃんサインしないもんね~」
「え、そうなの?」
明日美としても意外である。マニアックな女子野球にさえ、ファンというものはいるのだ。
ただ彼女が勘違いしているのは、明日美が美少女だからこそファンがいるのである。
それとキャッチャーマスクで顔が隠れる恵美理には、そこまで強烈なファンはいない。
やはり野球でモテるのはピッチャーなのだ。
恵美理は露骨にがっかりとした表情をする。
「そう……せっかくピッチングを見たから、記念にしたかったんだけど」
「え? ひょっとしてタケのサインなの?」
「タケごときのサインなら、いくらでもあげるよ」
本人のいないところで話が進む。
「ごときって……。お兄さんなんでしょ?」
双子の武史の扱いはひどい。
だが二人にとって武史は、兄と言うよりはむしろ弟なのだ。
一応は年上であるが、子供の頃から子分であった。喧嘩でも負けたことはないし、今やってもおそらくは負けない。
もっともその後直史に怒られるので、今ではそんなこともしないが。
「じゃあ行こうよ。バスに乗って帰るから、それまでにさ」
ツインズに両手を引かれた恵美理を、後ろから明日美が押していく。
なんだか周囲の空気が変わってきている。
武史は鈍感と言われることがあるが、一部の面に対して鈍感なだけで、本来は鋭い感覚の持ち主だ。
自分の扱われ方の変化。
これまで白富東は、直史と大介のチームであった。
もちろん他の主力メンバーにも注目は集まっており、ただ二人が突出しているだけだったのだが、最近はそれに自分が巻き込まれつつあると感じる。
今日も淳の後を投げたわけだが、球場の各所からの視線は、応援が少ないだけに余計に強く感じた。
注目されているのだ。単にファンだとかではなくて、もっと粘っこい視線で。
ただこの大会に関しては、マスコミなどの報道陣は多くても、熱烈なファンというものは少なく、バスへの帰路も遮られることはない。
「いた~」
「勝利おめでと~」
テスト前でも余裕で応援に来ている双子は、すげえ美少女を二人連れて来ていた。
一般的な高校生男子は美少女がいれば、自然と目を吸い寄せられる。それは別に直史であっても、それ以外の彼女持ちであっても変わりはない。
双子によって前に押し出された少女は、応援おじさんの隣でトランペットを吹いてくれていた子だ。
やたらと美人だなとは思っていたが、ここまで双子が連れてくるとは、この子が権藤明日美なのか。
もう一人可愛い女の子がいるが、だいたいにおいて女の同性に対する「可愛い」は当てにならない。
ただ双子は同じ女でありながらも、その美的感覚は男にかなり近い。
日焼けした肌は、首筋を見るに本当はもっとずっと白いのだろう。
すらりと背は高く、鼻筋や目元などは、彫りが深くて日本人らしくない。
イリヤに似てるな、と武史は感じた。
「あの、サインいいでしょうか」
「え、俺? いいけど……」
武史に殺意の波動を送る他の一同だが、その視線はもう一人の少女にも注がれる。
目元がくりっとした、こちらも相当の美少女であるのだが、単に可愛いというわけではない。
言葉にはしにくいが、何か、根源的なところが魅かれる。
「佐藤直史選手、握手してもらっていいでしょうか」
直史はサインをしない。それを双子から聞いているのであろう。
「……左手で良ければ」
嫁に操を立てている直史としては、珍しい対応であった。
明日美は直史の左手を、両手で包み込んだ。
「応援してます!」
「ああ、ありがとう」
その握った手で、直史には分かる。
彼女もまた、ピッチャーだ。
右手にはピッチャー特有のタコが出来ていた。おそらく変化球はスプリット。
「それじゃ! あたしたちはさすがに平日は休めないから帰るね~」
双子は少女たちを連れて、バスの方へ向かう。試合のために用意された臨時便だ。
「また会いましょうね~」
ぶんぶんと手を振る明日美は、恵美理と共にそれについていく。
送迎バスに乗った白富東のメンバーであるが、話題になるのはついさっきまでの試合ではない。
「なんか身近で見るとさらに可愛かったな!」
女よりも野球を取るはずの高校球児でも、美少女には弱いのだ。
「……あれがうちの双子より速い球を投げる、日本で唯一の女の子か」
直史がどこか当惑したように呟く。
権藤明日美は確かに優れた選手であるのだが、ただそれだけとは言えない何かがある。
可愛さに参ってしまったとかではなく、何か不思議なものを感じたのだ。
サインをねだられた武史の方は、鼻の下が伸びていた。
「いや~、可愛かった!」
「まあ恵美理の方は、常識の範囲内だからね」
シーナはそう言うが、実のところ神崎恵美理の方も、色々と特殊な事情を持ってたりする。
車内の空気は弛緩していた。
しかし秦野はそれを嘆くでもない。今日の試合自体は、何も問題がないものであったのだ。
東名大相模原相手にコールド勝利。そんなことができるチームが、他に日本にどれだけいるか。
帰ったらミーティングは行うが、その時まで空気が浮ついていたら、その時は注意をしよう。
明日は準々決勝の前橋実業戦。
サウスポーで150kmを投げるブライアンは、注意しておくべき選手である。
だがまともにやれば、勝てない相手ではないだろう。
(明日はナオで、準決勝はまたタケ。決勝はナオと岩崎で勝てるかな)
他球場でも試合は行われ、決勝の相手まで予想しやすくなるはずだ。
明日美はまた会いましょうと言っていた。
ファンからの言葉と言えばそれまでなのだろうが、直史は明日美の名前の方は、それなりに双子の口から聞いていた。
イリヤがそうでないとしたら、おそらく彼女は双子にとって、初めて出来た友達だ。
少し気になりはしたが、とりあえずは目の前の試合である。さすがに平日には応援にも来れない。
世界大会のときに、双子とイリヤが学校を休んでカナダに行ったことは、実はそれなりに問題になっていたのだ。
あれは選抜メンバーだったので学校への責任は問われなかったが、公立の学生が授業を堂々と休んで応援に行くのは、公欠にならない限りはかなり問題なのである。
いつかまた会う日はくるかもしれないとは思ったが、直史は特に重要視しなかった。
しかし再会の時は、意外なほど早く訪れる。
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