第85話 可愛い女の子が嫌いな高校球児はいない

 関東大会二日目、白富東の初陣となる二回戦。

 神奈川の強豪、東名大相模原を相手に、先発に指名されたのは淳であった。

「いいんすかね……」

 試合前、偶然二人きりになった時に、ジンに問いかける。

「とりあえず打者一巡だろ? それぐらいなら抑えられると思われたんじゃね?」

 ジンとしても、この采配の真意はよく分からない。


 とりあえず打者一巡を淳に投げさせて、その後を武史というのが、秦野の考え出した継投である。

 継投策自体は全く問題ないし、最初から淳を限定して投げさせるというのも、采配としては分かる。

 だがその後を投げるのが武史というのが分からない。




 武史は県大会の決勝で投げて、確かに時間は経過しているので疲労は完全に抜けているが、リリーフとしての成績はあまり良くない。

 正確に言うと先発の成績が良すぎるのだが、岩崎の方がまだ安定しているのは確かである。

「だから、ここはナオ先輩だと思うんですけど」

 監督用に用意された部屋を訪れ、秦野にそう直談判しているのは、ジンではなく倉田であった。

 初戦のマスクを被るのは倉田であり、入学以来の付き合いではあるが、武史の性能が明らかに先発向きであることは、既に証明されたと思うのだ。


 そして疑義を呈しているのは倉田だけではなかった。

「あたしもここはナオ先輩の、三男から長男リレーだと思うんだけどな」

 娘の珠美も、一緒にいたりする。別に仲良しなわけでなく、普通に偶然らしいが。


 秦野としては、別に倉田の意見を否定するつもりはない。それにそもそも、それは事実であるからだ。

「まあ、お前の言ってることは間違ってないよ」

 ただ選手と監督では、見ている世界が違うのだ。

「じゃあどうして」

「倉田、逆にどうして、タケを最初からリリーフで使うと言ってあると思う?」

「それは……肩を作っておいて、県の時みたいな、圧倒的なピッチングに入ってもらうためかと」

「間違ってはないんだけどな」

 ぼりぼりと頭を掻く秦野であるが、娘の無言の視線が刺さる。


 倉田はまだ二年だ。今のうちなら、素直に教えてもいいだろう。

「まず第一に、タケのリリーフ適性を育てておきたい。最悪リリーフ失敗しても、そこからナオにつないで、打線は逆転するぐらいの力はあるだろ」

「リリーフ適性を育てる?」

「あのな、夏が終わればナオはいなくなるんだぞ? 次のエースは誰だ?」

「それはタケですけど」

「エースはチームがピンチの時には火消しもしないといけないよな? だから余裕がある今のうちに、実戦で経験を積ませるんだよ」

 その理屈は分からないでもない。

 珠美も頷いているが、ツッコミはある。

「じゃあ最悪、今日は負けてもいいってこと?」

「極端なこと言うね、お前は。だが間違ってない。負けてもいい公式戦なんて、この先どこにあるんだ?」


 言われてみればそうである。

 公式戦で試すとしたら、もう夏の大会しかない。

「そうか、夏は県レベルだと、コールドしちゃうから」

「そういうこった。ある程度レベルの高い相手で、負けても甲子園に関係ない公式戦はもうここしかない」


 秦野は勝負師としての感覚を持っている。

 どちらかというとキャッチャーとしてはともかく、人間としてはお人よしの倉田には、なかなか出来ない思考だ。

「来年のため、ですか」

「まあもちろん夏のためでもあるけどな。考えたくないが岩崎かナオのどちらかが怪我でもしたら、タケをリリーフで使う場合もあるだろう」

 倉田は割りと理性的なので、この説明で納得する。

 納得しないのは珠美のほうであった。

「だからって負けてもいいなんて納得いかない。パパ、いつだって勝たなきゃ意味がないって言ってたじゃん」

「じゃあお前、勝つってどういう意味だ?」

 当たり前すぎると思える質問を、秦野は娘にした。


 勝つ。この単純な言葉を、倉田はちゃんと理解している。

 セイバーも言っていた。勝つべき時に勝つのだと。

 MLBの思考が染み付いていた彼女は、ワールドシリーズの優勝こそが、勝つという意味だと考えていた。そのワールドシリーズに優勝するチームが、シーズンを全勝出来るか? そんなはずはない。

 ポストシーズンのワールドシリーズ制覇こそが、高校野球で言うならば、甲子園優勝だ。

 最後まで勝ち続けても、関東大会は全国制覇につながらない。


「そんなの全部勝つに決まってるでしょっ!」

 この辺りの直情さ加減は、母親似だなと思う秦野である。

 彼女もこの大会の決勝は見に来るはずだが、どうも何かが企まれているらしい。

 おそらく、あの金髪の小悪魔の企みだ。

「倉田、お前は分かるよな?」

「あ、はい」

「じゃあ珠美にちょっと説明しておいて」

 そして次期キャプテンに全てを振る監督であった。




 白富東はここ最近、圧倒的なホームアドバンテージをもらって試合をすることがほとんどであった。

 千葉県のチームが甲子園を制覇するということは珍しいし、しかも公立で中学時代は全く無名の選手が活躍するという、ドラマにも満ちたチームであるからだ。

 実は何度かドキュメント形式のドラマ化の話などが持ち上がっているのだが、それは高野連が阻止してくれている。

 ありがとう、高野連! 素晴らしいぞ、高野連!

 やいのやいの理不尽な難癖をつけていた過去もあったが、ここ数年の高野連の働きは文句がない!

 まさに高校球児を守る、高校球児と高校野球ファンのための組織である!


 と、セイバーが絶賛していたので、また何か企んではいるのであろう。

 高野連がどうであろうと、関東大会は白富東の応援は、さすがに少ない。本日が日曜日であってもだ。

 まず現役の生徒はほとんどが、大会後の試験に向けて部活動休止期間に入っている。

 これはつまり部活動の一種であるという、応援団も活動できないわけだ。当然ながらブラバンも含む。

 試験の成績を全く気にしない双子と、マネージャーとして登録してある数名を除いては、ベンチ入りしなかったメンバーさえも応援には来れていないのだ。


 まあこれぐらいの逆境であっても勝てれば本物だと秦野は考えるのだが、彼とは全く関係のないところで、そこそこ応援の人手は揃っている。

 白富東の応援にはたいがいやってくる、謎の応援おじさん。

 ブラバン本体は無理であるが、そのOBがやっている演奏会の中で、わざわざここまでやって来る者たち。

 それと今日は、トランペットを吹ける人間が二人ほど増えている。

 ちなみに佐藤家の万能の天才である双子は、ピアノとギターとベースとドラムとヴァイオリンは適当な演奏が出来る程度には練習したが、トランペットなどの金管木管楽器はまだ未習熟である。

 特にトランペットなどの、唇の特殊な訓練が必要な楽器は、リズム感などとはまた別で、ある程度は唇の形などが問題になったりもする。

 イリヤの依頼で練習はしているが、さすがに片方はトランペット、もう一方がサックスで分けて練習している。珍しいことである。




 本日も先攻である白富東はノックを終えてベンチに戻ってきてるわけであるが、応援スタンドを見れば嫌でも、双子の傍のやたらと顔面偏差値の高い二人の少女に気付いてしまう。

 こいつら大丈夫か、と秦野は何気にかなり心配であるのだが、男の子は基本的にツラのいい女の子には敵わないのである。

「おいおいおい! なんか無茶苦茶可愛い子がいたぞ」

「めっちゃ可愛い子とめっちゃ美人の子と!」

「なんかツインズと一緒にいたけどなんなんだあれ」

 浮ついている。一年はさすがに関東大会の初戦なので緊張しているが、二三年は余裕がある。ありすぎるとも言えるが。


 美女も美少女もいい加減に見慣れているだろうに、と思ったジンはわざわざベンチから出て確認して、すぐに戻ってきた。

「ほんと、めっちゃ美人だな!」

「あんたら……」

 シーナがうんざりとした表情をする。普段は少年たちの性欲を可愛らしいといなすオカン度量のあるシーナであるが、今日はいつにも増して反応がすごい。

 まあ、分からないでもない。三日だけだが一緒に過ごしたので。

「左の子が権藤明日美よ。雑誌とかでもそこそこ取材されてたはずなんだけど」

 ぴたり、と空気が停滞した。一瞬だけ。

「え? あの子が? シーナ、ゴリラとか言ってなかったっけ?」

 岩崎でさえそう言うぐらい、明日美はぶっちゃけ、可愛かった。

「権藤明日美はプリティーゴリラ、相方の神崎恵美理はビューティーゴリラって言ってたでしょ?」

「女子の同性に向ける可愛いは信用ならないからな」

 超絶メンクイの直史がそう言って、場の空気を白けさせた。おそらくこいつは全く今日はやる気がない。

 応援に来れないのは、瑞希も一緒なのである。


「なあなあ、明日美ちゃんって彼氏いるのか?

「いないみたいよ。女子高だし」

「じゃあ恵美理ちゃんの方は?」

「同じく。女子高だし」

 球場全体が応援してくれていた県大会の時とは、また別の方向で士気が高まっている。

「シーナ、連絡先とか交換してないのか!?」

「してるけど、教えるわけないでしょ」

 物欲しそうな顔をしている男共に、シーナも蔑むような視線を送る。

 だって仕方ないじゃない。男の子だもの。


 あまりのヒートアップに、動いてはいけない人まで動いてしまう。

「そんな可愛かったっけ?」

 秦野までもう一度ベンチを出てから、スタンドを確認した。

 愛娘も一緒になって、きゃいきゃいと応援の準備をしている。

「マジで可愛いな。うちのと交換して欲しい」

「タマだってちゃんと可愛いでしょうが」

 呆れたように淳が言う。まあ、間違ってはいない。

「嫁にはやらんぞ」

「別にいりません」

 人の美醜と好悪は全く別の淳は呆れる。

「うちの娘の何が不満なんだ!」

「強いて言えばめんどくさい父親がついてくることですね」


 コントのような会話であるが、緊張していた一年もリラックスしてきた。シーナは呆れるばかりであるが。

「あんたらほとんど彼女いるでしょうに……」

「「「それはそれ! これはこれ!」」」

 そんな所で揃うのはどうなんだ?

 だがとりあえず、問題なく試合には挑めそうである。




 余韻のある金属音と共に、高く上がった打球がスタンドに飛び込む。

 何度目かは分からないが、アレクの初回先頭打者ホームランであった。

「あいつ、一大会に一回ぐらいはこれやってね?」

 誰かの指摘に、頷く一同である。


 初回の先頭打者に対しては、バッテリーも色々と考えて初球を投げる。

 あとは監督の方針にもよるが、ストレートでストライクを取りに来たり、初球は必ず外したり。

 今回はやや浮いた低めのストレートを、上手くライトスタンドへ運んだ。


 二番は今日はセカンドのスタメンに入っている哲平である。

 変化量の大きな変化球はカットし、ボール球をしっかりと見る。

 四球で出塁して、大介の打順である。

「監督、勝負してきますかね?」

「ランナーを進めることになってでも、いつもなら勝負じゃなく歩かせてくるかもな。でも今日の先発は、高校野球のマウンド経験の少ない淳だ。ある程度点は取れると踏んでもおかしくはない」

 ジンと秦野の会話である。

 つまり失点覚悟で大介とも戦うというわけだ。


 東名大相模原ほどのチームであれば、確実にデータ収集班がいる。

 もちろん県予選からのデータが多いだろうが、一年に至ってはシニアや中学軟式からのデータさえ、スコアぐらいは手に入れてくる。

 それでもさすがに、関東圏外からのデータは少ない。

 大阪だったら全国へ選手を送り出しているので、ある程度の情報はある。

 しかし東北へのマークはあまり厳しくない。


 淳が先発というのは、確かに異例であろう。

 しかしそれなりの勝算はあって、秦野は抜擢している。

(そんなうちの監督に対して、向こうはどうだろうね?)

 ジンの視線の先で、大介の内角へ入ってくるスライダー。

 一塁線を破る強烈な長打は、ホームランでなかっただけマシなのかもしれない。




 一回の裏、マウンドに立つ淳は、かなり楽な気分であった。

 スコアボードの一回の表には4の数字。

(四点差か。楽な試合になるといいな)

 投球練習が終わり、いよいよ先頭打者を迎える。

 相模原はスタメンは全員がスポーツ推薦か特待生で入ってきているような選手だ。それも関東全域はもちろん、その更に遠くからも。

 シニア時代の全国大会のクリーンナップ級が全ての打者と思えば、油断の余地があるわけもない。


 倉田の要求したのは、左打者のアウトローへ逃げていくスライダー。

(一番打者なら普通は最初は見ていくはずだけど)

 そう思いながらボールに外れていく球を、バッターは強く振りぬいた。


 バットには当たらず、まずワンストライク。しかしスイングは力強かった。

(強打か。でもスイング自体はコンパクトかな)

 単なる大振りではなく、小さく鋭く。

 当たれば鋭く外野の前に運ぶような、そんなスイング。


 ひりひりする。

 投げなければ、勝たなければ、チームが負けるという空気。

(面白い)

 全国レベルの高校野球。練習試合で投げたのとは、全く違う緊張感。

 淳の資質がまた、大きく開花しようとしていた。

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