第83話 春季関東地区高等学校野球大会に向けて

 春季関東大会は各都県の優勝チームと準優勝チームに、開催県のベスト4チームが加わり、18校で行われるのが普通である。

 だが今年は、センバツでベスト4以上に入った白富東がいるため、千葉からは三位のチームも出場できている。

 こっそり三位決定戦で勝っている勇名館は、白富東によってプライドをボキボキに折られたトーチバを相手に、割と楽な試合をしていた。


 さて、それはさておき、今年の開催県は山梨である。

 持ち回りの順番はおおよそ決まっているのだが、時々はずれることがある。ただ神奈川の次が山梨というのは鉄板で、球場使用に問題がない限りはここで行われる。

 千葉県の人間から言わせれば、神奈川以外で開催するのは、神奈川の人間が可哀相である。

 全国で大阪の次にチームは多く、甲子園出場レベルのチームも多い。

 その神奈川から今年は、ヨコガクと東名大相模原しか出ていない。

 実城と玉縄がいた時代は最強であった神奈川湘南は、じゃっかん新チーム作りに苦戦していると言っていいだろう。


 関東大会は県大会までと違って、平日にも行われる。

 よって実は、千葉県大会よりも応援は少なくなるであろう。

 あの地元なのに完全にアウェイという雰囲気がなければ、白富東もそうそうコールド勝ち連発は出来ないだろう。

 基本的にベンチメンバーは変更なしで、関東の強豪と戦うことになる。

 神奈川に埼玉、そして東京あたりは当然だが、今年の前評判が高いのはセンバツにも出た群馬の前橋実業あたりか。

 あとは地元ということで、甲府尚武だろうか。

 去年のスタメンはあまり残っていないが、エースの諏訪を中心に、機動力と火力も高い、バランスの良いチームになっているらしい。


 もっともその開催までに、練習試合がいくつも組まれている。

 県外のベスト8以上の私学が中心であるが、それでも中核メンバーを出さずに、ほぼほぼ圧勝出来る。


 ただ、千葉県大会の決勝で、ほんのわずかにではあるが、白富東の弱点とも言えるべきものは分かった。

 単純な話で、打力を期待されていた一年が、変化球への対応が不充分だったのである。


 変化球というのは、単純に肘に負荷がかかりやすい。

 もちろん一番負荷がかかるのは全力のストレートであるのだが、それと変化球を組み合わせると、余計に故障しやすくなる。

 小学生までは変化球は禁止であるし、シニアでもせいぜい一種類しか使わせない。

 使えるかどうかではなく、まともな指導者なら使わせないのだ。

 だからシニアから高校野球に移行したばかりの一年というのは、へぼいピッチャーの中途半端な変化球でも、それなりに打ち損じてしまう。

 逆に今まで強豪校相手に成績を残してきたのは、強豪校のピッチャーというのはたいがいが、自分のストレートに自信を持って投げてくるからだ。

 これもまた、練習試合と公式戦の差と言っていいだろう。




 そしてそれとは別に、武史のピッチングの検証も進んでいた。

 打席に立った大介には、はっきりと分かった。

(上杉さんに近付きつつある……)

 あの夏、たった一打席の勝負で、最後に投げられたストレート。

 あれは大介にとって、あの時点では打てないストレートであった。

 そして今も、やはり打てないであろう。

 なぜならあれ以上のストレートを、一度も体験していないからだ。


 久しぶりに千葉にいたというセイバーには、解析画像や数値データを送った。

 直接見ても彼女では、何がどうなってるのか、どうせ分からないであろうからだ。

 しかし数日後、彼女からの連絡はあった。

『申し訳ありませんが、依頼していた人間から情報が洩れて、MLBからのスカウトが行くかもしれません』

 メールでそれだけを送ってきて、音信不通になるセイバーである。ひどい。

 そもそもMLBのスカウトに注目されようと、大介がいる時点で今とあまり変わらない。


 しかし、MLBか。

 確かに武史の年齢でこの球速というのは、MLBからしても珍しいものではあるのだろう。

 だが、まだスカウトが動くほどではない。

 球速以外の何かが、ストレートの特徴になっているのだ。


 そしてこのストレートの投げられる条件もはっきりしてきた。

 試合においては50球以上を投げた辺りから、はっきりと変化するのだ。

 倉田は単純に球威が増すと言ったが、同じく受けたジンも、球威が増すとは確かに感じた。

(伸びる? 50球ぐらい投げて、肩が温まるからか?)

 監督の秦野も受けてみて、なんとなく分かった。


 秦野には、理屈も分かった。しかし説明はしない。

 変に意識されると、かえって投げられなくなるかもしれないと思ったからだ。


 とにかく確かなのは、試合においては50球を過ぎたあたりから、このストレートの特徴は出てくる。

 ブルペンで50球投げた後だと、試合でも30球目ぐらいからこのストレートに変化していく。

 クローザーには全く向いていない、完全に先発完投型の投手である。

 いきなり登板が可能な直史とは、全く異質のピッチャーだ。




 ただ、試しにバッターボックスに入った双子には、また違った感想があった。

「あの子だね」

「あの子だね」

 そう、新学期前に行われた、全日本女子高校野球の合宿。

 あそこにも、球速に差こそはあるが、こういうタイプのストレートを投げる選手がいた。


 日本は狭いようで広く、広いようで狭い。

 同じく対戦したシーナにも、はっきりと分かる。

 そしてシーナはそこで思考を止めず、武史の成長の余地を考えてぞっとする。


 もし、彼女が投げていたようなピッチングが、武史にも可能になるのなら。

 体格や筋肉の量を考えて、160kmも夢ではない。

「山梨かあ」

「最初は休日なんだよね」

 関東大会は土曜日に始まって、水曜日に終わる。

「西東京からなら、近いのかな?」

「どうなんだろうね」


 双子は相変わらず、野球には特別に興味はない。

 だがあの少女には興味がある。

「誘ってみよっか?」

「そうだね。会いたいよね」

 お互いしか存在しなかった世界が、どんどんと広がっていく。

 人生は思ったよりも面白いものなのかもしれないと、二人は思った。




 この時期、関東大会に出てしまった白富東の野球部員は、地味に忙しい。

 県大会終了後すぐに体育祭があり、関東大会終了直後に中間試験があるのだ。

 試験前期間が丁度関東大会で、他の部活動は停止になる。強豪私立などでは関係ないだろうが、白富東は進学公立校なのである。

 なので残念ながら、応援は来ない。OBや父母会が中心になるだろう。


 体育祭は球技大会もかねており、バスケットボールではトニーのいる一年クラスと、武史のいる二年クラスが決勝で当たり、予想を覆して武史のチームが勝っていたりした。

 2mオーバーのセンターがいようと、テクニックとクイックネスがなければ、それだけで勝てるというわけではないのを証明した。

 現役の部活の所属者が参加不能なルールでは、武史は明らかに強すぎる。

「やっぱり……バスケ上手いじゃん」

 その姿を見て、切なそうに呟くオカリナであった。


 アレクはサッカーで活躍した。

 そもそもアレクは、お国柄サッカーが嫌いではないのだ。子供の頃はそれこそ普通にボールを蹴っていた。

 だが本格的にやろうかと思ってすぐ、それはやめた。

 野球に比べても、サッカーはボディコンタクトが多すぎる。特に足を削られるのが嫌だったのだ。

 スパイクを使わず、運動靴で行われる球技大会のサッカーは、それなりに面白い


 球技以外にも、普通に運動会らしいものは行われる。

 借り物競走に出場した直史に与えられたお題は「好きな人」である。

 別に友人としてだろうが家族としてだろうが、解釈のしようはいくらでもあったろうが、直史は前列で応援していた瑞希の手を取ると、お姫様抱っこでゴールへ駆けて行った。

 他の人間が、無難であるが微妙に探しにくいお題を示されたのに対し、直史のお題は簡単であった。

 直史は友人や家族を好きな人とは別に区分けしていたので、瑞希がいなければ高峰を連れて行ったかもしれない。

 だがお姫様抱っこはやりすぎである。

 恋人に対する独占欲が強すぎる。


 楽しい体育祭であった。

 三年にとってはこれが高校最後の体育祭である。

(去年の手塚さんたちもこんな気持ちだったのかな?)

 直史の高校生活は野球が中心にあった。

 本来の白富東の、あまり強くない野球部であったらどうなのかと、考えないでもない。

 一応瑞希とは出会えただろう。だがこんな親密な関係を築けたかは分からない。


 競走を終えてからクラスに戻ってきた直史を、男子生徒がからかう。

 それに対して直史は言ってのけた。

「自分の嫁が好きで何が悪い?」

 本当にこいつは、恋人に対する独占欲が強すぎる。


 あと、どうでもいいことではあるが、双子は出場した全種目で無双した。


 


 体育祭後には実力テストなどがあり、それからはまた日常に戻っていく。

 野球部にとっての日常とは、グラウンドの周囲に見物客が集まることである。

 撮影禁止という貼り紙はしてあるが、人類総配信者の時代、練習風景が拡散されていくことは防ぎようがない。

 学校の敷地内にグラウンドがあり、とにかく人の目がありすぎる。


 本当に基本的なアップは全員で行うが、逆に言えば全員が揃ってするのはそれだけだ。

 個人によって必要なアップの時間は変わってくるし、あとはストレッチにやたらと時間をかける直史のような人間もいる。


 最近の直史は淳と一緒に、孝司と哲平を連れて屋内練習場に行くことが多い。

 淳のピッチングを見ると共に、変化球への対応をさせるのだ。


 淳の体質は、直史に近い。

 柔軟性の高い体から投じられる、伸びのある球。

 元の球速は130km程度ではあるが、これがアンダースローから投げられるのだから、打つのは相当に難しい。

 鞭のようにしなやかな体は、そのリリース際を見極めがたくさせている。


 左打者は左投手に弱いとはよく言われることであるが、淳の場合は球の出所が分かりにくいため、右打者にとっても打ちにくい。

 この基本的な投球技術を磨くのと同時に、淳は新たな変化球の習得にチャレンジしている。

 サイドスローからアンダースローに転向したことは、変化球の軌道を変えることになった。

 スライダーとシンカーにチェンジアップ。

 そして現在試しているのはカーブである。


 直史も時々使うが、アンダースローからのカーブは一度浮き上がり、そこから落ちてくる。

 落差があり、ストライク判定をもらえない場合もあるが、見送るには勇気がいるボールだ。

「使えるな」

 直史は淳の実力は、ある程度認めている。

 しかし練習試合でも分かったことだが、今のところはまだ体力が不足している。

 短いイニングなら通用するだろうが、完投するのは無理だ。


 シニアでは最大七イニングで試合は終わっていたが、高校野球は九回まである。

 わずか二イニングであるが、淳はまだ体力もそうであるが、それ以上にペース配分が分かっていない。

 アンダースローが足腰への負担が割と多いのも、シニア時代よりも疲れる理由であろう。

 他にも単純に、高校野球はレベルの差があって、抜いた球でカウントを稼ぐのが難しいというのもある。


 あと、素材的には間違いなく一番であるが、日本の野球にマッチするかどうかが微妙なのがトニーだ。

 本人は極めて親日と言うか、日本大好き、日本のサブカルチャー大好きであるのだが、それが野球にどう影響するかは別である。

 高校生活の最も大切な時間をかけた、この野球部。

 卒業後も強くあってほしいというのは、感傷だろうか。




 そして関東大会が開催される。

 富士山を南に見る、二つの球場に分かれて大会は開催される。

 白富東は一回戦はシード。19のチームで行われるので、四回勝てば優勝である。

 参加校のレベル的には、去年の関東大会の方が高く、神宮に比べればさらに低い。


「どんな感じよ」

「う~ん、東京代表が早大付属と、日農大ってのがちょっと意外」

「帝都一、準決勝で早大付属と戦ったからなあ」

「日農大は疲弊した早大付属に勝って漁夫の利ってとこか」

「早大付属は当たるとしたら準決勝か」

「決勝の相手は……ヨコガクかウラシュー? 意外と地元有利で甲府尚武とかあるかも」

「それよりはまず一回戦だろ。どっちが勝つと思う?」

「まあ順当に行って東名大相模原かな」


 ここ数年、東京で一番強かったのが帝都一であるが、早大付属が去年の秋からは巻き返してきていた。

 本多と榊原という、ドラフト一巡目指名の選手が二人もいたのは、神奈川湘南と同じである。

 絶対的な選手が卒業してしまうと、チームが弱くなるというのは当たり前のことだ。

 もっともそれでも、普通に甲子園を狙えるレベルではあるのだ。


 春季大会とは言われているが、五月中旬は既に充分に暑い。

 夏はもう、すぐそこまで近付いている。

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