第82話 偶像
偶像化という現象がある。
その人本来の人格や個性ではなく、表面的な要素を抽出して、崇拝の対象にしてしまうというものだ。
政治家や軍人だけでなく、芸術家やスポーツ選手にもそれは存在する。
高校野球の、予選決勝でのノーヒットノーランというのは、偶像化に充分な要因を満たしていた。
ただでさえ武史は、色々とされやすい前提条件が整っていた。
センバツでのノーヒットノーラン直前での降板。サウスポーとしての歴代最高の球速。
そして佐藤直史の弟。
淳の存在によって、佐藤家の三連星などと呼ばれるようになったのは、直史などにとっては腹立たしいものであったろう。
偶像化を許すかどうかは、本人の資質による。
そして偶像化を拒否するにしても、本人がきっぱりはっきり断れるかどうかが重要である。
大介の場合はもちろんスターであるのだが、アイドルという意味での偶像化はない。
言っては可哀そうであるが、双子があれだけ熱烈に応援してしまった時点で、アイドル的な要素を失ってしまった。
大介はヒーローだ。
ヒーローは普段は身近な存在であっても、いざという時に力を発揮すればいい。
逆境に現れて、全てを一撃でひっくり返すワンパンマンだ。
からりと明るい性格で、基本的にマスコミ嫌いではあるのだが、それでも割と好意的に見られることが多い。
生まれも育ちも、叩かれる要素が少ないからである。
直史は己の偶像化を許さない。
マスコミからの質問に対しては、絶対に「はい」とは言わない路線を貫いている。
自分だけではなく、一つの家の跡継ぎとして。
弟や妹、両親、祖父母、そして親類縁者。身近な人を守る。
古臭いと言われようが、前時代的と言われようが、直史のスタンスに変わりはない。
そして友人たちを守るためにも、この姿勢は貫き通す。
結果、友達が少ないとはよく言われてしまうが、今更性格を変えるのは不可能であるし、友達が少なくても理解者は多いので生きていける。
武史は天然で己の偶像化を防ぐ。
そもそも彼の基準は、同じチームに兄と大介がいて、さらに打つほうではいくらでも上の人間がいて、投げる方でも自分よりはるかに数字のいい先輩がいる。
一年の春から化物のような選手の相手をしてきて、それらの上級生がプロになっても、プロの中ではトップには遠い現実を見ている。
だから自然と、ノーヒットノーランの価値を低く見ている。
兄の直史は甲子園の準決勝で、甲子園を三連覇し、史上初の四連覇も成すだろうと言われていた最強の大阪光陰をパーフェクトピッチングで封じた。
上総総合は弱いチームではないが、基本には全国レベルからしたら強いチームではない。
兄に比べれば自分は優れていないという、間違いではないがどこかずれた認識が、彼を慢心から遠ざけている。
いくら凄い凄いと言われようが、毎日大介にホームランを打たれていては、主観的にそれを信じられないのは当たり前だ。
マスコミの取材が終わり、ようやく学校に戻ってきた白富東であるが、ミーティングはこれからである。
県大会の優勝は確かに喜ばしいことではあるが、課題らしきものはちゃんと見えてきた。
「しかしまあこれで、明日の一面はトップだろうな」
「そうか? 夏の予選ならともかく春は扱い悪いからなあ」
「いや、それでもスポーツ紙は一面じゃないか?」
「まあスポーツ紙はそうかもしれないけど」
白富東のメンバー、特に二三年は、武史を祝いはしたが、大袈裟に騒いだりはしない。
こいつならこれぐらいは出来るだろうなとは思っていたし、これぐらいのことをやってきた者を身近で見ているからだ。
ただ倉田だけは別だった。
「あの、先輩たちから見て、最終回のタケのストレートってどうでした?」
その問いに、顔を見合わせるメンバーたち。
最終回まで全く球威が衰えなかったのはすごいが、MAXにまでは届いていなかった。
「やっぱりタイミングがおかしかったのか?」
そう問い返したのは大介である。ショートの位置からは、武史の球がまるで……変化しない変化球とでも言うべきものに見えたのだ。
本日の武史の奪三振は、22個。
だが五回の終了時点では10であった。
つまり残りの四回を、全打者三振で抑えたということである。
肩が温まってきてからが本調子とも言えるが、普通ならピッチャーの球威が一時的に落ちる七回あたりから、完全に球威が増してきていた。
「球速表示は152kmでも、受けてるこっちはそれより2~3kmは速くなってる感じがしたんです」
倉田は大袈裟なことは言わない。それだけに言葉の意味を考える必要がある。
今度の視線は武史に向けられた。
「何か特別なことしたのか?」
直史に問われて、武史は首を振る。
「いや、むしろ後半は力抜いて投げてたんだけど」
武史も無駄な嘘はつかない。つまり本人の主観では、確かに全力では投げていなかったのだ。
球速のMAXを更新しなかったことからも、それもまた間違ってはいないのかもしれない。
「それでですね」
倉田の言葉には続きがあった。
「コンビネーションでナオ先輩のストレートが、球速よりずっと速く感じることがあるでしょ? あの感じに似てたんですよ」
また首を傾げるしかない一同である。
前日九回まで投げたということで、次の日の朝の武史の投球は、キャッチボールだけである。
それを受けるのはジンである。キャッチボール程度ならもちろん、もう問題ないぐらいに回復している。
軽く投げていて、確かにそれは本人はそのつもりなのだろうが、ジンにも分かった。
武史の投げる球は、基準から何かが外れた。
本人曰く、昨日の途中からの感触が、まだ残っているそうだ。
出来れば弾道計測器を使って正確に色々と分析したいが、今日はノースローと決めている。
そして武史の方も実感した。
それは投げている時ではなく、練習が終わって校内に入った時であった。
階段を昇る足が軽い。
おかしい。
おかしいが、昨日の投球は最後まで、コントロールも全く乱れなかった。
去年の桜島戦のように、体へのダメージもない。
自分で言うのもなんだが、レベルが一つ、確実に上がったと言うか。
昨日の一日の、それも後半から、明らかに一段階上の場所へ、自分は到達したのだと感じる。
(これが兄ちゃんや大介さんの見ている世界なのか?)
そうだとしたら、確かに簡単にパーフェクトも出来るだろうし、ホームランも量産出来るだろう。
「タケ、本当なら今日は完全にオフだけど」
ベンチ入りメンバーの中でも、試合に出場した者は、完全休養日だ。
「少しだけ投げてくれないか? 他にも何人か連れてくるし」
武史としても不満はなかった。
GW明けのこの日、武史はスーパースターというのがどういうものなのか、初めて実感した。
自分が一面となったスポーツ新聞を持ったクラスメイトが、席に複数集まってくるというものだ。
そういえば、と武史も思い出す。
兄の一年の夏も、突然周囲が騒がしくなったものだ。
スポーツ記者がわざわざ家までやって来て、決勝で惜敗するまでは連日どこからかのインタビューがあった。
気の早いクラスメイトは、知り合いに急かされて武史のサインをと色紙まで持たされていた。
直史のサインを武史は頼まれたことがあるが、直史は一切そういったものには応じない。
大介の場合は単に名前を書くだけなので、あまりサインっぽくならない。
そして武史は、畏敬する兄からきっぱりと言われていた。
絶対にサインはするなと。
理由としてはこういったものは、詐欺などに巻き込まれる可能性があるからだ。
弁護士を目指す男としては、当たり前?の注意なのかもしれない。
放課後までもつきまとわれそうなところを、ダッシュと便所篭りで脱出する。
トイレから出て辺りを窺っていたところに声をかけられた。
「何してんの?」
「!? ……なんだオカリナか」
中学時代からの級友であり、二年からは別のクラスになったが、同じ運動部ということで顔を合わせる機会は多い。
事情を聞いたオカリナは、どこか苦い笑みを浮かべた。
「確かに、あたしんちでも話題になってたわ」
女子バスケ部は練習試合のため応援には行けなかったのだが、当然のように試合には注目していた。
「やっぱりプロの勧誘とか来てたりするの? スカウトが挨拶しに来たりするんでしょ?」
「いや、プロ野球関係者と現役高校生は接触禁止なんだ。正確には立ち話で野球以外の話をするとかならいいんだけど」
「でもそれって密室の中なら意味なくない?」
「まあそうだけどな」
白富東の中で確実にプロ志望であるのは大介であり、連日のようにスカウトが姿を見せている。
そして次が岩崎であり、おそらくこの二人はプロに行くのだろうな、と武史も納得しながら見ている。
武史についても進路に関して、部長の高峰などには質問してくる者はいるらしいが、そこまで猛烈なアタックというものはない。
「でも誘われたら行くの?」
「どうなんだろな」
高校二年生というのは、夢見がちな意識からは抜け出しつつあるが、現実的に将来を考えるにはまだ早い。
直史のような例外もいるが。
軽く球の調子を見るだけだと言っても、その前に柔軟とアップはするのが白富東である。
機器を用いて計測した結果、およそ倉田の感じていたことの理由も分かった。
今日は試しにジンが受けた。さすがにキャッチングぐらいならもう問題はない。
倉田のキャッチャーとしての感覚には間違いなく、明らかに数週間前よりも、武史のピッチングには特徴が出ていた。
映像を見つつ、部室の機材で分析する。
「スピンの回転数が高くなってるのか」
秦野はすぐにそれに気付いた。速球派の岩崎もスピンの回転は多いのだが、それよりもさらに武史は回転数が多い。
そして、初速と終速の差が小さい。こちらはほんのわずかである。
ボールのスピン、回転数というのは、正確には高ければ高いほどいいわけではない。
逆に低くてもいいのだ。問題は平均から外れていること。
もっとも速球を投げようとするとそれなりのスピンがかかってしまうのが普通のため、その延長で考えるとスピン量は高い方がいい。
「まあ一見するとストレートなんだろうが、普通は打てないだろうな」
秦野が言うには、武史のストレートは、変化球に見えるらしい。
そもそも、ベースに対してまっすぐ入ってくるストレートというのは、微妙にシュート回転している。
これがボールの縫い目にどう指をかけているかで、ツーシームになったりフォーシームになったりするわけだ。
適当に鷲づかみで握って投げれば、基本的にはチェンジアップになる。
だが武史の投げるボールは、そういった変化をしているわけではない。
このストレートの秘密は、おそらく分かっても打てない。
マシーンでは再現出来ないからだ。
「あと、それとな」
秦野は昨日の試合の結果から、関東大会までにしなければいけないことも考えていた。
だがそんな彼の邪魔をしたのが、各球団のスカウトである。
「プロのスカウトって、俺に?」
「ほぼ全球団だな。来てないところはまあ、動きが鈍いだけかもしれないが」
選手との接触は禁止されているが、監督やコーチ陣との接触は禁止されているわけではない。
「なんか俺の時より早くね?」
顔を出していた大介が問いかけるが、そもそも大介の場合はセンバツの大阪光陰戦ではホームランが出ずに負けたため、フロックの可能性があったからだ。
それに、なんだかんだ言って体格の問題がある。
武史はもう身長も180cmを超えていて、体もかなり出来上がりつつある。
何より大介を見るついでに武史も見ることが出来ただけに、注目も強くなるというものだ。
それにSS世代と違って武史は、一年の夏から甲子園を経験している。
「まあプロに行くのか大学に行くのか、プロに行くとしたらどの球団を志望するのか。お前ならそこそこ頭いいから、野球推薦なくてもいい大学に行けるだろ」
「大学かあ……」
確かに二年になって早々に、進路希望の紙などはもらっていたが。
理系を選んだのはなんとなくである。
「早めに志望を決めておいてくれると、俺はスカウトに情報を流して袖の下をもらえる」
「ちょ! 言っていいんすか、それ!」
倉田は素直に反応するが、他にこの場にいるジンも大介もシーナ、全く動揺は見せない。
大介は今更の話であるし、ジンとシーナは鉄也からそういった話はよく聞いていたのだ。
「今はもうかなりまともになった方だぞ? 俺の若い頃なんて、特に大卒選手には裏金がものすごく動いていたからな」
秦野が語るのは、野球の裏面である。
監督やコーチだけでなく、選手の親まで巻き込んだ、凄まじい獲得合戦が行われていたのだ。
「プロかあ……」
「迷ってるなら一度、セイバーさんに連絡取ってみるか?」
今でも時々試合の観戦には来て、ジンとは多く連絡を取っている。
「今、あの人何やってるんですか?」
武史にとっては五ヶ月に満たない付き合いであったが、ジンたち三年にとっては間違いなく恩人である。
彼女は敗北の責任を、絶対に選手のせいにはしなかった。
「なんだかNPBの関係者と仕事してるらしいけど、秘密なんだってさ。日本だけじゃなくアメリカにもよく戻ってるらしいけど。今なら東京にいるぞ」
ジンのスマホには、彼女のSNSとのつながりがある。
なんだかとてつもなく大きな仕事をしているらしいが、さすがに詳細までは明かされなかった。
「あの女か……」
どうやら秦野とは、少し相性が悪いらしい。
「悪人ってわけじゃないけど、企むことのスケールがでかすぎるからな。注意して接触しろよ?」
それでも能力自体は認めているのか。
春季関東大会まで、二週間もない。
しかしこの短期間でも、高校生は伸びるものだ。
(一年を中心に、練習試合は組んでいきたいよなあ)
そのあたりの実務は、高峰を頼る秦野であった。
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