第80話 ピッチャーという生き物
ピッチャー経験者の多くと、キャッチャー経験者の大半は、ピッチャーというのが野球の中では特別で、しかも特殊な生き物だと理解している。
これはレベルが上がれば上がるほど実感出来る。
ピッチャーは、エゴイスティックな面がなければいけない。
ピッチャーは、マウンドに固執する者でないといけない。
ピッチャーは、敬遠を嫌う。
その意味では直史は、ピッチャーに似たピッチャーでない生き物となる。
直史は今まで、自分が投げては負けるという場面に遭遇したことがない。
遭遇したことがあっても、他の誰かに任せても分からないという場面だ。
仕方がないから投げるのであって、そういう意味では明らかにピッチャーという生き物ではない。
そういう見方をすれば直史は高校球児でもないし、野球選手でもない。
野球が好きだからやっている。ただそれだけの人間だ。
ピッチャーらしいピッチャーというのは、白富東の中で一番それらしいのを挙げるなら、岩崎や武史でもなく、淳である。
直史や岩崎のように、相手によって軽く敬遠を選択できるようなピッチャーは、実のところプロでは通用するか疑問視される。
敬遠を屈辱と感じるならばいいのだが、クレバーであろうと容易く逃げてしまうピッチャーは、そもそも敬遠レベルの打者しかいないプロの世界で、どうやって勝負していくのか。
打たれながら、成長する。
そういう意味では間違いなく、大原はピッチャーという生き物であった。
追い込まれてからファールで粘ったものの、結局は三振。
まだ痺れている手をほぐしながら、哲平はベンチに戻る。
(よくアレクさん、あんなのホームランにできたな)
入れ替わりで打席に入っていく大介の背中を見る。同じ左バッターだ。何か参考になるかもしれない。
「どうだ?」
孝司の問いに哲平は答えようとする。
「テツ、タカ、見とけよ」
直史が後輩にこういった言葉をかけるのは本当に珍しい。
「大介が本気になるかもしれない」
打席で相対すると、より大原のデカさを実感する。
大介はデカいやつは基本的に、問答無用で嫌いだ。
そのデカ物が一球目から、高めに投げ込んできた。
インハイのストライク。最初の一球はとりあえず相手の意思を確認するために、様子見するとは決めていた。
勝負しにきやがった。
大原はこれまで何度も公式戦で白富東と当たり、そしてその度に大介に打たれ続けてきた。
愚直なまでの真っ向勝負。はっきり言ってバカじゃないかと思わないでもない。
だが、敗北するたびに間違いなくパワーアップしてくる。
(嫌いじゃないけどな)
二球目、インローへの明らかなボール。わずかに腰を引く。
三球目、アウトロー。
(そこは違う)
バットを振りぬいた。
高く、そして長い打球。
バックスクリーン直撃のホームランで、二点目。
哲平は確かに見たが、何も参考には出来ないと思った。
NPBのみならず、MLBのスカウトまでも観戦するこの試合。
もちろん本命のお目当ては大介であるのだが、150kmのMAXストレートを持つノーヒッターにもある程度の注目は集まっていた。
しかしそれはすぐに消え去った。
白富東打線に容赦はなく、特に大介との勝負で三打席連続のホームランを打たれたからである。
困った事態になった、と観戦していた鉄也は考える。
大原はドラフトの隠し球のようなもので、白富東が存在する以上、甲子園に出てこないことは分かっていた。
40年前なら甲子園に出ているかどうかで、ドラフトでの指名順位は大きく違った。
しかしビデオカメラによる記録が当然のものとなり、さらにはネット全盛のこの時代では、そういうこともなくなってきている。
だがそれでも甲子園というブランドの価値は高い。その意味で大原は、お買い得なピッチャーであるはずだった。
カメラの位置などの関係から、甲子園は割りとピッチャーの急速が出やすい球場だと言われていた時もある。
そういった特殊な事例はなしで、純粋に計測して150kmが出たのなら、それはすごいことなのだ。
つまりドラフトでも下位指名で取れると思っていたのだが、150kmを記録したという情報や、ノーヒットノーランの達成で、かなりの注目が集まった。
その評価がまた下がるような、今日の試合は本来ならありがたい。
だが、下がりすぎだ。
この圧倒的な敗北でも、分かる人間には分かっている。
白石大介と三度も勝負するようなピッチャーは、必ずまだまだ成長する。
(あのおっさんなら五位……いや、四位指名まで上げてくるか?)
大原に注目しているあの関西球団のベテランスカウト部長なら、それぐらいの権限はある。
それに対してあくまでスカウトの一人でしかない鉄也が、どれだけ大原の価値を編成部にアピール出来るか。
(夏の大会でまた活躍してくれたら、なんとかいけるか?)
しかしそうすれば、また他の球団も注目するだろう。
素質的には、ドラ一でもおかしくないと思う。
成績を加味して、正当な評価は三位といったところだろう。
レックスはまだ、ピッチャーが足りない。
今年のドラフトは、それでも大介を一位指名すると決めている。大介も在京のセ・リーグ球団が一番いいと言っているのだ。
だがそれが駄目なら大学か社会人という選択肢はない。神奈川だけは必死で断っているようだが、それでも指名されれば行くだろう。
もう大介の目に映るピッチャーで、目ぼしい者はいない。
最も近くにいて、おそらく一度も公式戦では対戦しないであろう、佐藤直史を除いて。
上杉との勝負に拘っていることも確かだが、上杉と同じチームで戦うというのも、それなりに魅力的なはずだ。
NPBの12球団は、神奈川を除いて大介の一位指名がほぼ確定している。
大介を手に入れればFAまでの間、もしくはポスティングをするまでは、クリーンナップを打てるショートに困らなくていい。
体が小さい? そう、たしかにおおよそ野球選手は、体格に優れた者の方が、あらゆる面で強い。
ただし白石大介を除く。
クジを引き当てる確率は低くても行くだろうというのが、全球団の編成部の方針だ。
ピッチャーを欲しい球団は多いだろうが、それは外れ一位で指名すればいいのだ。
今年のドラフトの高卒ピッチャーで、大介を封じられそうなのは、かろうじて春日山の上杉正也。
それでもかなり勝算は薄いだろう。去年の夏も打たれている。
今年のピッチャーはおそらく、大卒や社会人が多くなる。そもそも去年が高卒が多すぎたのだ。
上杉の成功を見て、その上杉と対戦した選手に群がった。
都市伝説のような本当の話を加味すれば、大介でさえ上杉には負けている。
(大滝を指名したら一本釣り出来そうなんだけどなあ)
世代最速ピッチャーであるが、大介に完敗しているし、二巡目よりは外れ一位で競合しそうだ。
とにかくスカウトは頭が痛い。
想像以上の相手打線から、それでも大原はこれまでのチームのピッチャーより、はるかにマシな投球内容である。
なにしろ一人で投げ続けて、四回終了時点で6-0なのだ。
これまでの二試合、白富東は二回までで10点差を付けて来た。
それと比べて、しかも大介と勝負して六点なのだから、立派なものだと言っていい。
基準がおかしいことは認める。
しかし五回、満塁の場面で八番の赤尾。
ここまでは抑えてきていたが、練習試合などの情報から判断して、油断できるバッターではない。
(全力でねじ伏せる!)
(とか思ってるんだろ)
大原の傲慢。
ピッチャーはある程度傲慢でないと使えない。打たれる球を投げる勇気と、それは表裏一体だからだ。
だがもちろん相手を見下ろして投げるというのは、時に油断にもつながる。
甘くベルトの高さに入ってきたストレートを、そのまま痛打する。
レフトスタンドに入るホームランで、コールド成立の10点差となった。
その後ろを切って、どうにか追加点を奪われないことには成功する。
下手をすればまた大介にまで回って、もうどうしようもなくなるところだった。
いや、違う。
どうしようもなくなるという点では、あの先頭打者ホームランで、勝負は決まっていたのかもしれない。
なぜならこの五回の裏の先頭打者は四番の大原。
つまりここまでの四回の攻撃で、一人もランナーが出ていないのだ。
白富東の先発、背番号10の佐藤直史。
史上初めて、夏の甲子園でパーフェクトを達成したピッチャー。
あくまでも参考記録だと言われるが、延長12回までパーフェクトピッチを続けて、最後のまでヒットを打たれず四球もなかったという点では、単なるパーフェクトよりよほど偉大な奇跡である。
重たい足取りで、大原はバッターボックスに入る。
(化物め……)
自分よりもずっと球速は遅い、真正面からの力の対決など絶対にしない投手。
機械とも呼ばれるが大原などからしてみれば、こんなに精密に投球を出来る機械があってたまるか、というところである。
どうしてこの化物二人が、何も意図せずにただの公立校に集まってしまったのか。
SS世代は一年の秋から、公式戦では千葉県内で無敗である。
練習試合でさえ、よほどスタメンをいじらない限りは負けていなかった。
今年のセンバツで三里高校が同じ千葉県から出場したが、それを除けばずっと白富東は県内の覇者であるのだ。
魔球と呼ばれるスルー。
この点差でありながら、いやこの丁度コールドの点差であるからこそ、直史は全く手を抜かない。
大原には一発のパワーがある。ここでさらに二イニングも投げるのは面倒すぎる。
落差の大きなカーブを打ち上げてショートフライ。
大介が無難にキャッチしてまずワンナウト。
ベンチに戻ってきた大原は、下を向いたままどっかりと席に座る。
もう結果は見えている。チームメイトを信用しないというわけでなく、そもそも誰かが佐藤直史から都合よくヒットを打てる光景が想像できない。
三振と、最後にはピッチャーゴロ。
参考記録ながらまたもパーフェクトピッチングを達成して、試合は五回コールドで終了した。
整列し挨拶が終わり、ベンチを片付ける。
あと一度、夏の大会で、白富東と戦う可能性がある。
栄泉が負けなければ、だ。
白富東が負ける奇跡は想像しづらい。
「大原」
監督の言葉に、顔を上げる。
「野球は……ツーアウトからだな」
おそらく言いたかったのは、また別のことなのだろう。
大原を励まそうとして、おそらくは言葉が出てこなかったのだ。
安易な慰めなど、大原は必要としていない。
あと一回。
白富東と戦っても、おそらくはチーム力の差で負けるだろう。
だが、せめて一回だけでも、
白石大介に、勝ちたい。
エゴイスティックに。ただ、己の勝敗だけを考えて。
大原はまた、敗北した今日から立ち上がる。
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