第78話 一年生の経験値

 春季県大会、白富東の二試合目となる三回戦、相手は私立東雲高校である。

 母体は宗教系の私立学校であったのだが、現在はそのような痕跡はほとんど見当たらない。

 四年前には甲子園に出場していて、県下有数の強豪という認識は、今でも正しい。

 ただここのところ、予選で不本意な負け方をしていることがある。

 負けた相手のその後を見れば、ある程度敗北にも納得はいくのだが。


 そして今日、練習の手を止めて、白富東の試合をテレビで見た選手たちは、お通夜よりひどい空気の中にあった。

 お通夜は意外と、故人のことをわいわいと話して、懐かしい空気になるのだ。(By直史 親戚のお通夜に散々出席した長男


(どないしたらええねん……)

 東雲を先年から率いている四谷監督は、関西の出身である。

 大学は東京で、そこの野球部でプレイしていた。ドラフトで指名されるほどではないが、強豪の大学野球の指導を知っているので、学校職員兼監督として、東雲を指導している。

 先代の監督は年齢もあったが、二年前の夏、県大会で早々に負けてしまったことを理由に辞任した。もっとも対戦相手が甲子園に行った勇名館だったため、監督の采配は悪くなかっただろうと言われている。

「とりあえず、棚橋がボロカスに負けた理由から挙げていこか」

 お手上げで逃げ出したい気持ちはあるが、実際にそうすることも出来ないのが、大人の辛いところである。


 だが、まず最初に言っておこう。

「次の試合は勝てんわ。それは認めるしかない」

 ぎょっとして選手たちの視線が上がる。

 四谷は典型的に想像されるタイプの関西人で、気質としてはイケイケだ。

 確かな指導技術を持っていて、根が明るい。怒鳴り声にも愛嬌がある。

 そして勝利を当然のように目指す。それが勝利を諦めるような言動をするのだ。

「見てたやろ? ピッチャーはともかく、あんな打線まともに止められるわけがない」

 四谷の言葉に、諦念の響きはない。

 敗北を認めても、それが全てを諦める理由にはならない。

「お前ら忘れてるかもしれんけど、もうベスト16には入ってるんやで? 夏のシードは取れてるんや」

 それが四谷の理論。

「勝負は夏や」


 もちろん嘘である。

 高校に入学したばかりの一年バッテリーを棚橋相手に使えるほど、あちらには余裕がある。

 40人以上も新入部員がいるなど、超名門の強豪でもそうそうないことだ。

 もっとも現代の主流は、素質に優れた選手を絞って指導し、その素質を十全に引き出す方であろう。


 今後三年は、白富東は県下で無敵のチームになるのでは、そう四谷は思っている。

 勇名館の名門化、公立三里の躍進など、千葉県の高校野球の勢力図は変動が激しい。その発端が白富東であった。

 白富東は来年から体育科でも生徒を集めるというのだから、さすがに全国制覇レベルではないにしろ、強豪の地位は保ち続けるだろう。

「まず一番こんな無茶苦茶な試合になった原因やけどな、やっぱり一番は応援や」

 地元では毎年甲子園を観戦し、自身でも出場経験のある四谷は、観客の反応が選手に与える影響を知っている。

「こんなビジター丸出しのところでやってりゃ、そら負けるで。棚橋はなんやかんや言うても公立やからな」

 ここで東雲には、一つ棚橋にはない経験がある。

「春の関西遠征合宿、大阪の学校の応援は凄かったやろ? 練習試合にブラバン出してくるんやで? お前らはそれを経験しとる」

 そう、観客席からの圧力は、棚橋に比べれば耐性がある。


 精神力で負けていたら、勝てる試合も勝てない。それは四谷の信念だ。

 ただ白富東相手には、精神力で優っても勝ちようがない。それも本音だ。

 とにかく大切なのは、夏の大会にまで引きずるようなダメージを負わないことだ。

「棚橋は途中で戦意喪失しとるからな。お前らが100点差つけられて負けても構へんけど、やる気失ったらそこで試合放棄するからな。そこは覚悟しとけよ」

 試合放棄。そんなものはさすがに経験したことがないが、おそらくとてつもない屈辱だとは思う。

 選手たちの目の中に、まともな光が戻ってきた。




 四月も末となり、GWを利用して県大会の後半が行われるわけであるが、中一日のこの日、普通に学校では授業がある。

 昨日デビューした淳は、三回ながら登板イニングパーフェクトピッチであり、野球部であればモテるという風潮になりつつある白富東では、当然ながら人気者になる。


 そもそも淳は、それなりにツラがいい。

 一年の中では孝司などもツラが良く、一部の腐った女子ファンは、このバッテリーで早くも妄想を始めている。

 そんな淳は普段の休み時間などは、ルービックキューブをひたすらカチャカチャするという習慣があり、周囲からは実は変人扱いされていた。

 だが人間の評価というのは、一日で一変するものである。直史も辿った道だ。

 またお節介な新聞部が今年の新入部員の紹介などをしていたため、ある程度情報自体は伝わっていたのも悪かった。

「淳」

 人ごみの中で迷惑そうな顔をしている淳に、孝司が話しかける。

 コミュ障気味の彼も、人の集団に群れられるのは苦手だ。

「ん?」

「タマが呼んでる」

「ん」


 教室の入り口から呼んでいた珠美の存在は、ここから離脱するには丁度良かった。

 見れば他に哲平とトニーもいる。

 トニーがでかくて邪魔なので、五人は少しそこから離れた。

「五人で紅一点だと戦隊物みたいだね」

 珠美がアホなことを抜かしたが、律儀にトニーは反応する。

「アメリカでは人種の配分とかまで考えないといけなくて、日本みたいには簡単には作れないんだよね」

「へ~、そうなん? ブラジルでもまあ、日本のアニメとかは普通に見れたけど」

 オタクかどうかはともかく、珠美は普通に偏見はなさそうだ。


 野球部にいると、自然とオタクになる。

 別に前キャプテンの手塚の影響だけでなく、白富東は予算の限られた中で、野球マンガの理論なども練習や実戦に取り入れていたからだ。

 卒業時に電子版を買った手塚が蔵書を幾つか残していったので、その量は500冊近くにもなる。

「で、何の用だ?」

 淳はいつも通りの冷たい声音であるが、どこかほっとしてはいた。

 まだ遠くからこちらを伺っている様子はあるが、教室にいた時よりはずっとマシである。

「あの中から出たかったでしょ?」

「それだけか?」

「あとは明日の先発の件で、トニーに何かアドバイスしてあげてよ」


 ああ、と淳は頷いた。

 明日の東雲との対戦は、先発のピッチャーはトニーである。

 トニーは割りとプレッシャーを楽しめるタイプのピッチャーだったのだが、顔には不安そうな表情を浮かべている。

「と言ってもな……。タカがキャッチャーやってくれるわけだから、任せておけば最小失点で抑えられるだろ。一点や二点取られても、打撃で返してくれるだろうし」

 哲平はその言葉で、孝司が無表情ながらも上機嫌になったのを察した。

 佐藤淳一郎。前から気付いていたことではあるが、こいつは無愛想なくせに天然でジゴロの才能を持っている。

「タカに全部任せておいたら大丈夫かな?」

「そんなわけないだろ。主張しないピッチャーなんてピッチャーの意味がない」

 そう言う淳は昨日の試合、二度ほど首を振った以外はリードの通りに投げていた。


 キャッチャーのリードというのは、ピッチャーをただ導くだけのものではない。

 ピッチャーとの会話であり、ピッチャーの調子を見るものだ。

 ただ従えようとするならば、それはキャッチャーの傲慢である。本当に優れていれば、ピッチャーは頷くのだ。

 淳は分かっているし、孝司も分かっている。

 それを横目で見詰める哲平も分かっている。

(この二人、両方とも愛想ないけど、相性は抜群だな)

 三年の夏まで、面白い夢が見れそうだ。




 県営球場の三回戦は、またも大観衆に埋め尽くされていた。

 今日こそ期待のダブルエースか、サウスポーの150kmが見られるかと期待していた観客は、またも裏切られる。

 だが、期待もある。

 電光板の表示機能の関係で、トニーと表示された九番打者のピッチャー。

 前の試合はバッターとして出て、豪快に三振をしていた。


 日本においてトニーほどの巨体の野球選手を見た者は、ほとんどいなかっただろう。

 トニー・健太郎・マローン。

 練習試合の映像は出回っていて、剛速球で全国レベルの強豪でも、そう簡単には打てないことは周知されている。

 だが淳と違って、付け込む隙は多い。

 とりあえず佐藤兄弟でも岩崎でもなくて良かった、と安堵する東雲のベンチ。

 しかし打線を見れば、やはり白石という表記はある。


 東雲の作戦は守備においては、早めの継投にある。

 棚橋が先発が一イニングももたずに降板したが、それも覚悟の上で継投をどんどんと行っていく。

 四谷は気持ちを切らすなとは言ったが、大量点の前にピッチャーの気持ちが切れるのは仕方がない。

 エースに固執するよりは次々にピッチャーを入れ替えて、相手を困惑させるしかない。


 なんとか一イニングぐらいは無失点で抑えれば、そのためにも勢いが必要で先攻を。

 先攻を取れたところまでは良かったが、その一回の表の攻撃。

 バッターボックスに入って見上げるトニーは、とにかく巨大であった。

 当たり前のことだが、この身長の角度からの球を打った経験など、東雲のバッターにはない。

 経験がなくてもポンポンとホームランにしてしまう、大介のような人間は例外なのだ。


 球場の各場所にいる、マスコミやあるいはプロ球団、全国に偵察を出す学校のスコアラーなどが、スピードガンで球速を測る。

 140km台後半がぽんぽんと出て、彼らは乾いた笑いを浮かべざるをえなくなる。

「この子、NPB狙ってるんやろか……」

「速いだけじゃまだ分からないでしょう」

「それに一年から150km投げてたのだったら、上杉とか大滝とか」

「佐藤弟も甲子園で152kmまで出してましたな」

「佐藤弟と言うと、どちらか分からなくなってしまいましたけどね」

「あ~、佐藤長男とか次男とか言っていくか?」

「しかしあそこも無茶苦茶な手段を取ったもんだね。高野連は問題にしなかったのか?」

「全く問題にしようがないでしょう。本人の法的な手続きも、入学の手順も、違法性は全くないですからね」

「下手に騒ぎ立てると、シニアと高校の癒着とか、薮蛇になりかねないしな」


 淳が白富東に入学した経緯については、一部のマスコミで問題にしようという論調があった。

 だが当然ながらそれは他のマスコミや高野連、それ以外の野球関係者からも支持されなかった。

 なにしろ淳が白富東に入ったのは完全に正当な手段であり、もしこれを問題とするなら私立強豪の特待生制度の実態にまで、話が及ぶ可能性があったからだ。

 プロ、大学、高校と、野球選手の進路に関する金銭問題は、とかく昔から問題が多い。


 それはともかく今日の試合である。

 ボール先行したトニーであったが、内外はともかく低めに球を集めて、相手打線にヒットを赦さず、一回の表は三者凡退。

 ふ~と息をつくトニーであるが、やはりストライクゾーンへの微調整がまだついていない。

 アウトローを要求するとボール球になってしまうのが、一番の問題か。

 それと内角にも投げにくいところだと、時間をかけていかないと修正も出来ないだろう。

「良かったぞ」

 ぽんとトニーの肩を叩くが、上にありすぎる。この体格はやはりすごい。

 ストレートの角度に、明らかに相手打線はとまどっていた。

 しかし慣れれば、見極められそうでもある。


 先取点を取ってやらないとな。

 そう考える孝司であるが、こればかりはなかなか都合よくはいかない。




 白石大介は基本的に敬遠。

 それが東雲の四谷監督の考えである。


 春以降の大介の打撃成績は、ホームラン率が四割近い。

 長打率ではなく、ホームラン率である。

 四球が多いので単純な比較は出来ないが、普通の打者がヒットを打つのと同じぐらいの感覚で、ホームランを打ってしまう。

 さすがにこれとは勝負できない。


 甲子園と違い県営は球場の外野観客席がせまい。

 木製バットでもジャストミートしたら、場外まで飛んで行く可能性は高い。

(白石を敬遠して、なんとか一回を無失点で切り抜けるんや。そしたら少しだけ、勝機が生まれる)

 本当なら、先制点を取りたかった。

 相手の先発一年は、化物のような球を投げるが、制球には苦しんでいる。

 だがおおよそ低めのアバウトな投球に変えてからは、その球威だけで抑えられた。


 なんとかロースコアゲームに持ち込み、目が慣れる後半で勝負を。

(白石だけはどうにもならん。先制点さえ取れれば、向こうもびっくりするやろけど)

 そう考えながら試合を見守る四谷の視線の先で、白富東の先頭打者アレクが、先頭打者ホームランなどを放っていた。

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