第77話 虐殺
ベンチの奥でゆったりと試合を見守っていた秦野であったが、さすがに口を出そうと思ったのも仕方がない。
「おい、これいつ終わるんだ?」
「いや、俺に聞かれても……」
スコアラーのジンも嫌になるぐらい、白富東の攻撃が圧倒的だった。
打者一巡、ワンナウトも取れないうちに先発ピッチャーはノックアウト。
一回に16点を取ったところで、ようやくチェンジとなった。
この時点で相手のピッチャーは三人目である。
二回の表をあっさりと淳が三者凡退に打ち取り、またも攻撃。
10点が入って26点差となって、いくらなんでもこれはないだろうと秦野は思った。
これはトラウマになる。
おそらくこの試合で、棚橋の選手、特にピッチャーは野球をやめるだろう。
下手をすれば引き篭もってもおかしくはない。
それほどに、ひどい。
「ケースバッティングの練習とかさ。あえて進塁打に留める練習とか」
「さっきからやってますけど……」
「完全に相手が戦意喪失か……」
「はい……」
ひどすぎる。
向こうの監督も声を出したり、ポジションを替えたりとしているのだが、大介が一イニングに連続でホームランを打ったのが悪い。
まあその後に鬼塚や孝司も打ったので、大介の責任ばかりではないが。
「いくらなんでも、こんなに実力差はないはずなんですけど……」
一年の加入で打撃に厚みは出たが、それでも野球は打球が野手の正面に行ったりするものだ。
それが嫌で、大介は守備陣に絶対取られないホームランを狙うわけだが。
秦野には分からないでもない。
「この観客の応援も関係してるだろ。棚橋も100人ぐらいは来てるみたいだけど、他の一万人以上、全部うちの応援じゃないのか?」
応援力が100倍なのである。
「うちのって言うか、大介のかなあ」
正確にはアレクや鬼塚にもファンはいたりする。
「……東京は昔、三回15点差のコールドがあったんだけどなあ」
「今は最短でも五回ですよね?」
「没収試合とか試合放棄もないだろうし……いや、確か監督が申し出たら試合放棄出来るんだったかな?」
実は出来るのだが、そんなレアケースは想定していないために、さすがに秦野もあやふやである。
なお怪我などで選手が九人に満たなくなっても、そこで没収試合となって選手がいなくなったチームの敗北が決まる。八人でプレイ続行は出来ないのである。
全力をもって叩き潰すと言っても、既に叩き潰された相手を、これ以上さらに叩き続ける必要があるのだろうか。
「とりあえずメンバー替えるぞ」
「そうですね。あと負傷で交代のことも考えて、ガンちゃんとナオとタケは温存ということで」
「分かってるって」
そして代打を出してみたりもしたのだが、ようやく29点差がついたところで交代となった。
三回の表、淳は容赦なく三者凡退で抑える。
守備だけではなくバッティングも、棚橋の選手は戦意喪失しているのだ。
士気を失ったプレイヤーは、もはやただのカカシである。
(三里も散々にやられたけど、棚橋にホッシーはいないか)
ジンは哀れみを表に出さないために必死である。
いくらなんでもこれはない。
ベンチに帰ってきた淳に、ぽんと胸を叩くジンである。
「お疲れ。今日はここまでで」
「五回までじゃなかったんですか?」
「いや、どうにかしないとこの試合、終わらないだろ」
いずれは終わるのだろうが、白富東は手加減は絶対にしない。
内野ゴロでも必死で走るし、ホームラン狙いの大振りもしない。この期に及んで盗塁までしかけたりする。
不文律など知ったことではなく、打撃成績を上げるのに懸命である。
さすがに観客も哀れになってきたのか、棚橋が守備でアウトを取ると、拍手が出てきたりする。
完全に哀れまれている。
虐殺が続くのがいいのか、それともこの哀れみに屈辱を覚えるのがいいか。
「諦めるなとは言わん」
棚橋の監督も、そんなことは言えなかった。
「ただ自分のプレイを、しっかりと行え。ここからの守備で、夏のメンバーが決まるかもしれないからな」
わずかに戦意を取り戻した選手がいた。
応援団も、相手のファインプレイなどがあれば、それに対して拍手を送っている。
ブラバンはこちらの攻撃が長すぎて、曲を演奏するのがしんどくなってきた。
そしてイリヤはご機嫌である。
あまりにも一方的で救いようのない試合だが、これはこれで面白い。
普段は調和から外れてしまう大介のホームランの音が、この試合では暴力的に全てを支配している。
不協和音を使った短調の曲がイメージされる。
聞いた人間が人生に絶望するような、素晴らしい曲が作れそうだ。
隣で記録をしている瑞希も、複雑な顔をしている。
「こういうのって……何かおかしいような気がするんだけど……」
白富東は悪くないし、棚橋も悪くない。
ただめぐり合わせが悪かったと言うべきか。
「素晴らしいじゃない。公式戦でこんな試合、滅多に見られないわ」
イリヤは心底喜んでいるが、さすがに周囲もドン引きである。
これが公式戦でなく練習試合であれば、とっくに試合放棄されていただろう。
音楽とは善なるもの、美しいもの、優しいもの、真なる調和ばかりから生まれるのではない。
むしろそれ以外のものから生まれる音楽に魅かれて、イリヤは道を踏み外した。
いや、彼女にとっては真の道を見つけたと言うべきか。
地獄へ続く一本道。
だが魅力的であれば、そこへと嬉々として踏み込んでしまうのがイリヤだ。
「大枠は出来たわね。あとはブラッシュアップするだけで」
「どういう名前の曲にするの?」
「そうね。イメージそのままなら、『虐殺』かな」
「それはさすがに……」
瑞希は消極的に反対したが、イリヤもそれはイマイチと思ったらしい。
考え込むイリヤ。彼女は日本語での作詞の才能は、実のところ乏しいのだ。
「文学的に言うなら無情とか悲愴とか」
「ドストエフスキーにベートーベンね。まあ悲愴は同じタイトルで他の曲も訳されているけど」
あっさり通じるあたりイリヤはやはり文芸にも通じているわけだが。
「レ・ミゼラブルはユーゴーよ?」
「細けえこたあいいんだよ」
若干静かに切れられた。理不尽だ。
しかし名前は大事だ。
「悲惨?」
「悲惨っていうとどこか、本当に悲惨な気がするんだけど。せめて無惨とか」
「ああ、それでいきましょ」
指を鳴らしてあっさりと決定したイリヤである。
後に、不安定な若者を殺す曲として知られるこの曲が、真の完成を迎えるのは10年以上も後のこと。
イリヤの晩年の傑作と言われる。
そして五回。
淳に代わってマウンドに立ったシーナは、ヒットを二本打たれながらも無失点。
スコアは55-0で白富東の勝利となった。
五回コールドではあるが、後攻なので四回の攻撃で55点を取ったということである。
ひどすぎる。
千葉において県営球場の虐殺、と後に呼ばれる試合である。
白富東は確かに強いのだが、あまりにも情け容赦がなさすぎた。
しかしだからといって手加減するわけにもいかないし、練習試合ではここまで極端なゲームになることはなかったのだ。
棚橋は地区予選を勝ち抜いて、県大会本戦でも一回戦を勝ったチームである。
守備練習を見ていても、バッティングのスイングを見ていても、極端なまでの差があるはずはない。
試合後のインタビューなども、さすがにマスコミは及び腰である。
敗北した棚橋の方には、監督の方にだけは地方紙が行ったが、一般マスコミはとても行けない。
勝った白富東の方にさえ、初戦の感想はどうかとか、無難なものしかなかった。
監督の秦野であれ、先発の淳であれ、はたまた全打席出塁の大介でさえ、何も言いようがない。
せいぜい淳が、高校初先発なので緊張したと言ったぐらいである。
本当は全く緊張などしていなかったが、さすがに空気を読んだ。
マスコミの後、ファンの歓声を背に受けて、一行はバスへ。
「一応今までの高校野球では、122-0ってのが記録らしいね」
バスに乗り込み、重苦しい空気の中でジンは、スマホをいじっていた。
「122-0って……」
「五回コールドでか?」
「いや、この時は大会規定が七回コールドだったらしい」
「ああ、じゃあうちの試合の方がまだマシか」
「それと他には、66-0になったところで試合放棄を監督が申し出たってのがある。これは21世紀になってからだけど、正規部員が二人しかいなくて、先発の投球数が250球を超えたんだってさ。ちなみに二回裏」
それに比べれば、棚橋はまだマシだったということか。
「三回コールドがあったら、せめて29-0になってたわけだね」
ジンは言うが、声には喜びの響きはない。
何かがおかしい。
真っ当な勝負だったはずなのに、弱い者いじめでもしてしまったような空気である。
「三回20点差コールドぐらい認めるべきじゃないか?」
「昔の東京は三回15点差コールドってのがあったらしいよ」
ひょっとしたらこの先の県大会の結果次第では、コールドの規定が変わってしまうかもしれないと思う一行である。
その中で秦野と、それとジンも、頭を抱えていた。
この後味の悪い試合から、どうやって選手の頭を切り替えさせるか。
二人の視線が合って、お互いの悩みを共有した。
学校に戻ったベンチメンバーは視聴覚室でミーティングである。
スコアラーが撮影してきた、今日の試合の映像もあるし、テレビ放映されたものもある。
「あ~、まずな。今日の試合、確かに圧倒的に勝ったけど、棚橋が観客の応援に萎縮していたってのもあるし、先発ピッチャーが降りた時点でもう戦意喪失してたからな。いや……」
秦野は今日の試合は、自分自身でも消化しきれない。
こんなでたらめな試合があるのだ。
「まあ国際大会でも相手によったら、普通に10点差とかつくからな」
大介はそんなことを言っているが、そのうちお前の打点は何点だったのかと言われるかもしれない。
先制しただけでは飽き足らず、止めをさすまでが大介のバッティングスタイルである。
「単純に試合のデタラメさ具合で言ったら、去年の桜島の方がひどかった……」
こちらもホームランを打ちまくったが、あちらからもホームランを打ちまくられた武史が言う。
「一年の夏なんて、四番を三振に打ち取ったと思ったらキャッチャー後逸サヨナラで甲子園逃したしね……」
ジンの捨て身の自虐ネタは、武史のものよりもひどい。
まあ、あれである。
白富東にとっては、いくつかある伝説の中の一つと言ってしまえばいいのだ。
「じゃあ今日の試合は忘れるということで」
「おい待て待て」
ジンが綺麗な思い出にしようとしたのを秦野は止める。
「一応今日の試合の反省点もあるんだ。攻撃はもう、相手の守備が崩壊してからこっちも雑になってたからあれだけど、守備の方な」
完封で勝った試合であるが、秦野には問題を指摘するつもりがあるらしい。
「淳とシーナに関してはいいんだが、タカ、お前試合が決まってから、ストライクゾーンが広くなってるのに気付いたか?」
「あ」
孝司は困惑顔であったが、ジンは気づいたようである。
「ジンは気付いたか。教えてやれ」
「はい。あのさ、今日の試合もう完全に試合決まってて、審判の判定も適当と言うか、アウトを取りやすくなってたよな?」
「あ」
どうやら孝司も気付いたらしい。
はっきり言ってしまえば試合がもう決まったような点差になると、審判は勝ってる方も負けてる方もストライクゾーンを広く取り、試合を早く終わらせようとするのだ。
これは別に春だけでなく、多くの試合を消化しないといけない夏の方が、むしろ顕著かもしれない。
審判が勝手にストライクゾーンを変えるのかと言われるのかもしれないが、実際にそうでもしないと試合が終わらない。
「状況に応じてストライクゾーンは変わる。審判は人間だ。機械じゃない。これを利用してボールを打たせたり、見逃し三振を取るんだ。ギリギリストライクで三振を取るのは、ピッチャーとキャッチャーの共同作業だからな」
シーナが打たれたヒット二本は、内野を抜けていったものである。
ここまで屈辱的な点差をつけられて、しかもノーヒットで終わることを考えたら、一矢報いたと言うべきか、悪あがきと言うべきか。
「あとは今日のバッティング。あまりに上手く行き過ぎたから、素振りして調整しておけよ。キャプテン、他に何かあるか?」
「いえ。まあ一年生の皆も、あの大観衆の中、硬くならずにプレイできて良かったよ。夏の甲子園はさらにひどいからね」
確かに。夏の甲子園で球場の雰囲気がおかしかったのは、ホームラン合戦となった桜島戦と、準決勝で直史のパーフェクトが延々続いた準決勝だろう。
今日の試合とは違った意味で、あれは凄まじかった。
それに比較すれば、今日の試合はまだマシだ。
「今日の試合はワールドカップに雰囲気似てたよな」
「お前がガンガンホームラン打っておかしな雰囲気にしてたんだけどな」
大介と直史の間では、こんなやり取りもあった。
とにかく。
今日の試合は勝ててよかったねということで、頭は次に切り替えよう。
既に世間はGWに入っていて、三回戦は明後日である。
相手は東雲高校。二年前までは県下二強と呼ばれていたチームだ。
今でももちろん弱くはないのだが、私立強豪としては勇名館に抜かれ、県下の四強に入るかどうかというレベルになっている。
170ほどのチームがある千葉でその位置は、かなり凄いのであるが。
秋までの戦力分析は済んでいるし、一年生のベンチ入りメンバーもいない。
まず勝てるのは間違いないだろう。
あとは公式戦という舞台を、どう経験値にしていくかだ。
「まあ最低限の夏のシードは取れたんで、負けても問題ないぐらいの攻撃的な挑戦をしようかと」
ジンは言うが、それはもう挑戦とは言えない。
「一年を中心に、試合経験を積ませていこうと思うんですけど」
あまりにも舐めた姿勢であるが、それが許されてしまうぐらいの戦力がある。
それにこれは、秋以降を考えれば必要なことでもある。
ジンに視線を向けられて、秦野も頷いた。
「勝って当然というぐらいの気持ちで、相手を叩き潰していこう」
余裕や自信は慢心や傲慢につながるが、とりあえず徹底的に相手を封じ、攻め潰す手段を採用するのは間違いではない。
次の試合も、えらいことになりそうである。
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