第76話 三人目の佐藤
週末を利用して行われる県大会、白富東は二回戦からの登場となる。
試合は幾つかの球場に分担されて行われるが、今年は準々決勝以降は県営球場が使用される。
「臨海じゃねえのな。まあ近いからいいけど」
「どうせならマリスタが良かったなあ」
「さすがにリーグ戦も開幕してるし無理だろ」
「夏の決勝とかだけでもやらせてもらえるだけありがたいか」
この数年は臨海球場を決勝などの試合で使うことが多かったのだが、県営になっているのは単純な理由である。
収容人数の差だ。
高校野球でも春の大会などは、はっきり言ってマイナーなものである。
夏のシードには関係してくるが、甲子園にはつながっていないからだ。
だがプロ野球の某球団が、二軍の試合でも観客を呼べたように、高校野球でもファンが多いチームはある。
関東であれば東京の帝都一、早大付属、神奈川のヨコガク、東名大相模原などは、歴史も古いし毎年強いしで、プロ野球球団より熱心なファンがいたりする。
白富東は選手人気であるが、それにほとんど匹敵するか上回る。
某球団の社長が「うちのシーズン戦より観客が多いじゃないか!」と嘆いたとか嘆かなかったとか。
よって収容人数が倍近く違う、県営が選ばれたというわけだ。
なお今年は白富東が問答無用で関東大会に行けるので、県内からは他に二校が進める。
白富東が決勝戦にまで残れば、三位決定戦が行われる珍しい事態である。
ベンチメンバーは混乱を避けるためにバスで、それ以外はおおよそが現地集合となる。
到着したベンチメンバーが見たのは、球場の敷地内を埋め尽くす人の群れ。
「これ絶対、収容人数超えてるだろ」
呆れたように大介は言ったが、それは正解である。
県営球場の収容人数はおおよそ16000人で、芝生の外野席をかなり詰めても、これだけの人数は入らない。
この試合は地方局とネット一局によって放送・配信される。
高校生のチームが、それも県大会レベルであっても、地方局で視聴率20%に達するというのはおかしい。
センバツも白富東の試合は最低でも30%を超える視聴率だったというから、どのプロ野球球団よりも注目度が高いというのは間違いない。
春日山の上杉勝也の試合も高い視聴率を取っていたので、明らかに一般層にまで人気が広がっている。
だが明らかにファン層が、野球ファンとは違うところにまで拡大したのは、ワールドカップ以降だろう。
人間には不可能と言われていた、甲子園球場での場外ホームラン。
ワールドカップでは160km投手から立て続けにホームラン。
大介のホームランを見るために、人は金を払えるのだ。
「球速表示とかどうなってんだ?」
「高校野球では普通はつかないはずだし、どうせ今日はガンちゃんもタケも投げないから、あんまり意味ないだろ」
「計測自体はするはずだよな?」
「そりゃテレビ中継入ってるならな」
割と古い県営球場は何度か改修の手が入っており、ここ数年でもスコアボード表示や照明、フェンスなどの基本的な部分が整備されている。
「決勝ぐらいマリスタ使いたいよな」
「あ、俺どうせなら関東大会東京ドームでやってほしい」
「それはさすがに無茶だと思う」
「つか東京は開催地除外だぞ」
「今年は山梨だよな」
「どうせなら横浜で遊びたかった~」
「お前ら余裕持ちすぎ」
余裕がありすぎるというのは、いいことなのか悪いことなのか。
両方の意見があるとは思うが、とりあえず白富東は、手加減の仕方だけは知らないチームである。
トーナメント表の関係で、白富東はこの大会、全て三塁側に入るのは決まっている。
ベンチから見ればやはり、スタンドは完全に埋まっていた。
芝生の外野席も、壁際は立ち上がっている。
「やべえな」
大介が珍しく困っている。
「場外かバックスクリーンに運ばないと、怪我人が出るかもな」
どういう心配だ。いや、大介の打球であれば、考えないといけないことではあるのだが。
場外まで飛ばしたら、それはそれで誰かに当たるかもしれない。
いつもの如く先攻を取りたかったのだが、じゃんけんで敗れて後攻。
格上相手には先制しなければ勝ち目がないことを、棚橋はよく分かっているらしい。
だが棚橋のみならず、味方の応援まで、困惑することになる。
白富東のスターティングメンバー。
キャッチャーが孝司というのはともかく、ピッチャーである。
ボードの表記は佐藤淳。
初戦で一年生バッテリーを使ってきた白富東であった。
白富東は相手を舐めているが、単純に余裕をかましているわけではない。
一年生をさっさと戦力化するために、球場の雰囲気に慣らせておきたかったのだ。
どうして淳であってトニーではないのかと言えば、簡単な話である。
トニーは高校野球どころか、日本の野球にさえまだ慣れてないからだ。
淳も孝司も、この大観衆には慣れていないだろう。シニアでは全国大会でさえ、これだけの観客の中でプレイすることはない。
だがどちらも全国経験者であり、それに練習試合を見る限りでは強心臓だ。
三年のダブルエースも、高校最速左腕も見られないと知った観客であるが、少なくとも目を引くものが、淳の投球にはあった、
左。そしてアンダースロー。
さすがに直史も、正月に言っていたアンダースローを、受験勉強をしながら身につけてくるとは思っていなかった。
入部した時の投球練習では、なんと非常識なやつかと呆れたものである。
……なおそれを二三年に話したところ、妙に白い目で見られたものである。
目は口ほどにものを言う。
サイドスローをアンダースローに変更したことぐらい、左でも試合で通用する球が投げられる直史や、完全両利きの双子に比べれば普通である。
この普通がもちろん普通でないことは言うまでもない。
練習試合では披露しているし、今どき誰かがカメラに撮れば、そこからいくらでもコピーは可能である。
単純に珍しいから打てないという時代は、終わりかけている。
だが単純に珍しいだけではないので、問題はない。
先発のマスクをかぶった孝司は、もちろんこれまでに淳と練習試合で組んでいる。
シニアの全日本大会では対戦こそしなかったものの、その投球は見ていた。
左のサイドスローで制球に優れた本格技巧派。
一度対戦して打ってみたいと思ったものだが、まさかその投げる球を受けることになるとは思わなかった。
受けてみて感じた。こいつは、猫のような投手だと。
柔らかく、しなやかで、どこか人をおちょくるところがある。
(CDM分類なら間違いなくCだよな)
そう考える孝司は自分のことをMだと思っているが、他人から見ればこいつも間違いなくCである。
そんな淳の左のアンダースロー。
体がタコのように柔軟で、全身の滑らかな動きの果て、指先からボールが投じられる。
ストレートの軌道が既に変化球であり、リリース位置があまりにも平均から外れているため、ボールを見てから反射的に動けない。
淳のストレートは、二種類ある。
そもそもアンダースローなので、手首の角度一つで、ストレートが自然な変化球になったりするのだ。
そして全力のストレートはスピンが違う角度でかかって、さらに三つ目のストレートとも言える軌道となる。
単なる左のアンダースローなら、佐藤家のツインズが投げられる。
淳がそれよりも打ちにくいのは、スピードがアンダースローなのに130km近く出ていることもあるが、彼の手の長さに要因がある。
右バッターの目から一番遠いところから投げられるはずのボールが、訳が分からないほど伸びてくる。
棚橋のバッターにとっては災難であったろう。
前二者の三振を見て、コンパクトなスイングを心がけた三番も内野ゴロ。
三者凡退で、淳の公式戦は始まった。
試合の前のノックで、華麗なバットの扱いを見せた秦野は、正直この試合の采配を取る必要を感じない。
もし指示を与えることなどがあるとしたら、試合が早々に決まって控えを出す時に、口を出すぐらいか。
あとは楽勝だと気を抜いて、点を取るべきプレイを怠った時か。
だが秦野はまだ一ヶ月にもならないが、このチームが容赦のないチームだと分かっている。
全国レベルのチームとの練習試合でも、平気で五回コールドの点差をつけて、ベンチ入り出来なかったメンバーを出場させてたりした。
それでいい。
弱いチームに手加減するような甘いやつは、絶対に勝ちきれない。
特にこのチームには、明確にプロを志望している者がいる。
少しでも甘さを残してプレイするようでは、上に行った時に絶対に壁に当たる。
秦野はNPBに行く選手を育てたことはないが、MLBへは手元から何人も送り出した。
だからプロとして通用する人間がどういうものかは、だいたい分かっている。
プロになるのも確かに大変だが、プロとして成功するのは次元の違う難しさだ。
それに秦野は今年だけでなく、来年も再来年も、チームのことを考えていかなければいけない。
まず大切なことは、トニーを日本の高校野球に慣らすことだ。
それでも今日のスタメンに入れなかったのは、段階を踏ませようと考えたからだ。
、実のところ秦野は、トニーをベンチ入りさせること自体が反対であった。
それは第一に、あまりにも特別すぎると考えたからだ。
アレクに関しては、NPBからMLBという過程の道を歩んでいて、おそらくそれで成功する。
MLBには合わないかもしれないが、NPBでは成功すると思う。
だがトニーはそもそもがNPBには合わないと思うのだ。
(あの女……)
今の三年が信頼を置いている、金髪碧眼の日本人。
考えや価値観が、日本とアメリカの両方で通用する彼女に、アレクなら大丈夫だと紹介したのは秦野だ。
だがトニーは確かに日本好きであるし、白富東のチームカラーにも合うだろうが、日本のプロ向けではない。
(せめて一度、スタンドからの応援を経験させるべきだった。今のままだとトニーは野球を楽しめるかもしれないが、野球に飢えることがない)
そしてその飢えがなければNPBでもMLBでも、プロでは通用しないと思うのだ。
(俺の役目はこのチームを勝たせることだけど、素質のあるやつが育たないのは腹が立つんだよな)
秦野も立派な野球バカである。
そんなことを考えている間に、白富東はアレクとシーナが連続でヒットで出塁していた。
相手のピッチャーも悪いピッチャーではないのだが、既に雰囲気に負けている。
そもそも分かっているだろうに、女と見てかシーナに投げた球が甘かった。
ノーアウト一三塁にて、三番白石大介。
(敬遠だな)
(敬遠だろ)
(敬遠でしょ)
アウトローに思い切り外してスリーボール。
だがふと息を抜いた大介に、インローへとへろっとしたストライク。
(あ~?)
そしてインローへ入ってくるスライダーでツーストライク。
せこい。
完全に四球を意識させた後、へろ球と変化球でストライクを取る。
集中力を失った相手への、奇襲にもにた攻撃。そして六球目はアウトロー。
ストライクゾーンぎりぎりから、ボールへと逃げていくシュート。これに大介は手を出す。
(そこは打っても――)
ファールにしかならないはずの打球はレフトに飛び、ポールを直撃した。
大介はそっとバットを置くと、ガッツポーズをするでもなくベースを回る。
呆然とその姿を見ている棚橋のメンバーであるが、彼らは大介がボール球でも平気でホームランを打っていた試合を見ていないのだろうか。
確かに打つボール球は高めが多い。おそらくは敬遠と見せかけた後のストライク、そしてボールに逃げていく球で打ち損じを狙ったのだろうが、甘すぎる。
(またつまらぬ球を打ってしまった)
お客さんは大喜びであるが、大介としては面白くもなんともない勝負であった。
ホームベースを踏んだものの、まだキャッチャーは呆然としている。
何か声をかけようかとも思ったが、今は何を言っても嫌味にしかならないだろう。
とりあえずよくあるパターンで、白富東は三点を先取した。
×××
補足:鷺北シニア時代のメンバーのシニアにおける守備位置について
1 岩崎 ガン。二番手。外野で出たこともあり。エースの豊田は大阪光陰へ。
2 大田 ジン。普通に扇の要。
3 戸田 トッタン。左利きで一応外野も守れなくはない。
4 椎名 シーナ。三番手ピッチャーでもあった。
5 不明 四番。県外の野球強豪へ特待生?
6 諸角 モロ。大介がいるので他の内野を守ることが多い。
7 沢口 サワ。実は最近打撃が向上してきているらしい。
8 中根 呼称不明。なんだかんだ言って俊足で外野のスタメンになっていることが多い。
9 不明 偏差値が足らず野球強豪へ。打撃は優れていた。
だが作者もこんなに長く書くとは思ってなかったので、記述の誤りはあるかもしれない。
※CDM分類 漫画「ラストイニング」における人間の性格分類。
Cは猫
Dは犬
Mは猿
猫は指示を受けてもマイペース。犬は言われたことを忠実にする。
猿は納得しなければ動かないタイプ。
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