第70話 踊るツインズ

 バッターボックスには強打のキャッチャー赤尾孝司。キャッチャーは倉田。守備陣はおおよそ控えのメンバーでまとめている。

 そしてマウンド上には佐藤……どちらだろうか。

(どちらでもいいか)

 そしてジンは考えるのをやめた。


 最初の三球はストレート。

 つまり速球への対処なのだろうが、普通の130kmなら打てるはずだ。

 孝司は右打者だ。それに対する桜は、右手にグラブをはめていた。

(サウスポーの左か。まあ打てるだろ)

 本格的なフォームから投じられた、ど真ん中への伸びのあるストレート。

 スイングは合って、高い打球がセンターの頭を越えた。


 打球の行方を見送った椿は笑った。

 本来笑みとは獰猛なものであるらしい。

「なるほど~」

 そう言った椿の外したグラブが、歪なものであるのに孝司は気が付いた。

 妙に大きい。それに形も変だ。


 椿はグラブを左手にはめる。

「二球目くるぞ」

 倉田の言葉に、孝司は一瞬思考を止める。

「右でも投げられるんすか」

「そうだよ」


 それでも利き腕でない方で、しかもストレートを投げるとなると、コントロールはどうなるのか。

 プレートの位置を微調整する。

 ぐいと振りかぶった椿はそのまま体を捻り――。

(んんん!?)

 トルネードのサイドスローから、クロスファイアーのストレートを投げた。


 スパン!と倉田のミットに入ったボールを、孝司は見送った。

「入ってるぞ」

「いやちょっと待ってください!」

 思わずバッターボックスを外す孝司であるが、倉田はにべもない。

「待たない。後に何人控えてると思ってるんだ?」

 そう言われては仕方がない孝司であるが、これはいったいどういうことなのか。

 今のクロスファイアーは、130km近くは出ていた。

 つまりあの双子は右利きと左利きなのではなく、少なくともどちらかは両利きで、しかもストレートは左右の威力は変わらない。


 なんだそれは。


「デタラメすぎる……」

「まだまだこれから」

 孝司の呟きを倉田は拾った。


 三球目。最後のストレート。

 右手にグラブをはめているのだから、左で投げる。

(ストレート――)

 だが、椿の体が沈む。

 指先が地面に触れるかのような、そんな低い位置から放たれたストレート。

 振ったバットの下を、ボールは通過した。

「よし、次から変化球な」

「いや、今の沈みましたよね!?」

「アンダースローのストレートで間違いないぞ?」

 倉田の言う通り、椿は変化球を投げていない。

 だが右のサイドスローから左のアンダースローにしたことによって、根本的に頭の中にあるボールの軌道が変わっているのだ。

 それに三球目はストレートではあったが、球速は遅かった。

 沈むように見えて当然だ。


「行くよ~。カーブからね~」

 構え直す孝司に対して、椿は右から……アンダースローでカーブを投げてくる。

(この!)

 無茶苦茶な軌道のカーブを、孝司はまた空振りした。

(ゾーンの中かよ)


「フォーク行くよ~」

 左のトルネードから投げられたフォークを、盛大に空振りした。


 これはない。

 実戦では一球ごとに投げる手を変えることは出来ない。

「いくらなんでも実戦ではありえないバッピを打って意味あるんですか」

 構えながらも孝司は倉田に問いかける。

「でもこれ、三里の継投策への対処法だからな。打席の途中でも一度は投手を代えられるだろ?」

 確かに。


 右のアンダースローから投ぜられるフォーク。

 左のオーバースローからのスライダー。

 右のアンダースローからのシンカー。

「そんなスイングじゃ里中君は打てないぞ~」

 ベンチから桜が野次ってくるが、孝司はボールに集中するだけである。


 九球目。

「スルー」

 右手から投げられたその球は、沈みながら伸びた。

 孝司はあえて手を出さなかった。


 スルーだ。

 下手なキャッチャーでは捕れない魔球だ。この数日、何度も受けて来た。


「最後はストレートね~」

 サウスポーから投げられたのは、確かにストレート。

 その下を孝司は空振りした。




 結局ストライク10球のうち、最初の一球以外は見送りか空振りであった。

 三打席勝負とかではなく、ゾーンにしか投げてこないのに、一球長打を打っただけ。

 明らかに負けであるが、理不尽すぎる。

 バットを返した孝司は、そのままフェンスの近くまでふらふらと歩いて座り込んだ。

 本当に、理不尽すぎる。


「ほら二人目! 終わらないだろ!」

 バットを持って出るはずだった二人目だが、目の前の惨劇を見てしり込みしていた。

「次、譲ってもらっていいかな」

 そう言ってバットを持って出てきたのは淳であった。




 左打席に入る淳は、少なからず怒っていた。

「いくらなんでも容赦なさすぎでしょうが。左のアンダーって俺に対するあてつけですか」

 マウンド上の椿に対して、淳はそれなりに遠慮がない。怖いもの知らずとも言える。

「お姉ちゃんと呼んだら手加減してあげるよ~」

「そういうのいいんでさっさと投げてください」


 顔はいいが可愛くない義理の弟に、椿は笑顔を向ける。

 まずは左からだ。

 体が沈むアンダースロー。内角の球を、淳は上手く打ち返した。

 ライト前へのクリーンヒットである。

「可愛くないな~」

 二球目は右からのオーバースロー。これも打ったが、レフトへの浅めのフライとなった。

 三球目は左から、トルネードでオーバースロー。これは内野フライになった。


 変化球になると、空振りとゴロが半分ぐらいずつか。

 それを見ながらも、哲平は孝司の隣に立つ。

「タカ、見とけよ。ある程度攻略法が見えてきた」

 涙ぐんでいるのを俯いて隠していた孝司は、ぐいと目元を拭う。

 この相棒は、口にしたことは守る。

「あと二三人見たら、俺が打つから」

 結局淳もヒット性の当たりは一つだけで、あとは凡退となった。


 続いて打席に立つ者がいなかったので、仕方なく進み出たのはまた春から参加組の佐伯である。

 淳を除けば、佐伯は新入生の中で、双子の実力を最も知っている人間である。

 だがここで進み出るあたり、控え目に見えても芯は強い。


 しかし現実は無情。

 佐藤椿、佐藤桜へのピッチャー交代である。


「ええ~」

「二人ともスペック同じだから気にするな」

 倉田の言葉に完全な信用は置けない佐伯である。


 だが佐伯は、初球を内野ゴロにしとめられたが、続く二球のストレートは内野の守備の間を抜いていった。

 特に三球目は理想的なセンター返しだった。桜が本気ならキャッチしていたかもしれないが。

 佐伯も変化球は凡退したが、ヒット性の当たりが二つである。

「なんだかんだ言って、ストレートはストレートか。けど変化球の後のストレートはやっぱり打てない」

 呟く哲平に対して、孝司もようやく頭を働かせる。

「伸びて見えるからな。ストレートで気をつけるのは、アンダーとサイドで軌道が変化するやつだけだ。左右の違いはあまり関係ない」

 頭を働かせた相棒に、ようやく哲平もほっとする。

「けど、打てないよな」


 ゲームのように挑戦していく新入生たちは、今のところ全員が経験者である。

 スイングやフォームを見ても、基礎が出来ている者たちだ。それがあっさりと凡退していく。

 だが、一球も打てない者も逆に一人もいない。

「最初のストレート三球は、アンダースローだけが問題だな」

 孝司の分析が完了する。


 右であっても左であっても、打っている者がいる。

 問題は安打スローにチェンジした時、沈む軌道に見えて空振りすることだ。

 トルネードはタイミングが分かりにくく、球威は増すがコントロールはアバウトだ。ほぼ真ん中に来る。


 各種変化球も、宣言されてから投げられるのだ。あとは変化量、球速、コースの問題だ。

 ……右のカーブと左のカーブが違うのは問題であるが。

 スルー以外は打てない球ではない。

「よし、じゃあ行ってくら」

「頼む」




 13人目として、哲平は左打席に入った。

 考えてみればこれは、ピッチャーとバッターの勝負というわけではないのだ。そもそもボール球を投げられないという時点で、リードには大きな制約が課されている。

 言うなれば右と左のピッチャーが、上中下から投げてくる。つまり六人のピッチャーが交代で投げてくるようなものだ。


 ただ、ストレートはストレートだ。


 そして変化球も、事前に申告がある。


(冷静に考えれば、コンパクトに振り抜けばいいはずだ)

 初球、サイドスローからのストレート。いきなりえげつないクロスファイアーだが、哲平はレフト前に運ぶ。

 二球目は右のトルネードだが、これもセンター前に弾き返した。

 予想はついていたが、三球目は左のアンダースロー。

 掬い上げた打球は、ライトのフェンスを直撃した。


 おお~、と新入生たちから歓声が上がる。

「せ~の」

「「「ないばっち~!」」」

 女子マネからも声援がかけられ、哲平は少し照れた。

「どうやら私を本気にさせたようだな……」

 そんな中ボスのような言葉を吐いてからの桜はひどかった。


 胸元を抉ってくる右のスライダーの後に、外に逃げていく左のスライダー。

 あとはスルーとストレート、そして変化量の大きいスライダーを左右で投げ分けて、空振りと内野ゴロに切って捨てた。

 大人気ない。バッティングのテストだろうに、本気で打ち取ろうとしてくる。




「けどまあ、青木もベンチでいいかな」

 あくまでこれはバッティング技術の測定であるので、ジンはそう評価する。

「シニアと比べると変化球の種類が多いからな」

 岩崎もそれに同意する。


 元々キャッチャーである孝司はもちろん、青木もベンチメンバーの候補ではあった。

 先ほどのノックを見ても、明らかにその技術は高い。

 打撃に関しても、変化球にちゃんと反応できている時点で合格である。

「普通じゃ打てないと思ってフォームを小さくしても、ちゃんと外野の頭を越えるんだからな」

 春休みから参加していたので、五人の力は分かっている。

 専門職の孝司は別としても、色んなポジションをそれなりに守れて、打てて走れる哲平は、一番バランスは良いのだ。


 だが、あと一人。

 30数人をテストし終えたところで、ようやく打席に入るトニー。

「お願いします」

 構えるトニーであるが、双子の方が音を上げた。

「そろそろ代わって~」

 考えてみれば20球ずつ交代しているとは言え、両者共に150球以上を投げているのだ。

 しかも打者を想定して、ゾーンだけで勝負する前提で。

 それはいくらなんでも疲れて当然だろう。

 双子は体力お化けではあるが、さすがに変化球をここまで使えば、握力も落ちてくるというものだ。


 では、誰が投げるというのか?




 普通に部活に顔を出してから、野球部にやってきた瑞希は、その様子を見ていた。

 彼女もまた練習補助員であるため、グラウンド内には入れる。

 そして普段のように柔軟運動をしながら、バッティングを見ていた直史の隣に立ったわけである。

「はいこれ、今日の主な流れ」

「ありがとう」

 エースに記録簿を付けてもらっている瑞希の存在は、ある意味とんでもない。

 だがエースが喜んでやっているので、誰もそれを咎めようとはしない。

 新入生のバッティングを見ることは、ピッチャーにとっての観察力を養う上で、悪いことでもない。


「二人とも、よく投げたのね」

「容赦がないというか、弱い者いじめが好きというか、基本的にはサドだからなあ」

 直史の実妹への評価も容赦はない。そして瑞希も訂正はしない。

 基本的に佐藤家の双子は、他人をいたぶるのに躊躇はしない。公立の野球部にわざわざ高い競争率を乗り越えて入ってきた物好きも、とりあえずバッティングにおいては自信を失っただろう。

 正直なところ、これでそのまま退部してくれても、人が多すぎるのでそれはそれでいい。

 白富東の練習メニューは、無理はさせないが自主的にやらなければあまり意味がない。

 さすがにここで折れてしまうぐらいの人間は、いなくてもいいと考える直史である。


 ようするに佐藤家の双子はSであり純粋。

 二人はサドピュアなのである。


「それで誰があとは投げるの?」

「まああと10人もいないし……」

 直史は特注のグラブを手に取る。

「行ってきます」

「行ってらっしゃい」

 職場に向かう旦那を送る嫁のようなコントであった。

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