第66話 紫紺の大優勝旗

 決まる気がする。武史はそう感じている。

 自分か、アレクか、それとも兄か。

 誰も筋書きなど書いていないはずなのに、物語が終極へ向かっているのを感じる。


 武史は疲れた体に鞭を打ち、軽く素振りをする。

 明倫館の外野守備位置はやや前。二塁ランナーのホームへの帰還を、なんとしても阻止しようとする意思を感じる。

 内野はやや深め。セーフティバントが決まりそうではある。ただサードは定位置だ。


 外野の頭を越えれば、間違いなくそこで勝利。

(欲張る必要はない。兄ちゃんかアレクが決めてくれる)

 もし大介にまで回ったら、二死満塁の場面。そこで決まりだ。

 歩かせれば押し出しサヨナラだし、勝負すれば確実にヒットは打ってくれる。

 大介はチャンスのプレッシャーで潰れる人間ではない。

 高杉には坂本のような、何がなんでもかわして抑えるという器用さはない。


 キャッチャーの村田はどうだろう。

 高く評価されているが、キャッチャーのリードを体現出来るだけの力が、高杉に残っているだろうか。


 初球。ストレート。

 ここで148kmが出た。自己最速タイ。九回の裏にこの球威というのは、さすがに尊敬する。

 二球目、スライダー。アウトローに外れた。


 思ったとおり、球威はともかく制球が落ちている。

 バッターボックスに入る前に、大介から一つだけアドバイスされた。

「一球に全力を絞って打て」

 言われたことはよく分かる。


 武史は体力もだが、それ以上に集中力が消耗している。

 正直に言えば、もう守備でサードを守るのも辛い。

 だが大介がショートから外れている以上、武史まで外れるわけにはいかない。

 ここが白富東の、ベンチの選手層が薄いと言える部分である。




 一球。

 力まずに、集中する。

 インハイにまたストレート。これもまたボールで、その気になれば死球でランナーに出られた。

 だが一点入れば決まりのこの場面では、一二塁にするのはゲッツーの機会を作ってしまうということでもある。


 おそらく次はぎりぎりストライクの内角か、普通に外角。

 制球が乱れているここで、内角を攻めてくるか。


 どちらでもいい。

 打てる球を打つ。

 自分で決める必要はない。

(だけど、打たれた分は取り返す!)


 四球目。アウトローへ。この球速はストレート。

 打てる。

 振り切ったバットから放たれた打球は、レフトへと飛んで行く。

 守備の頭を越える。あとは変な回転がかかって、ファールにならないか。

 ポールの右側、ぎりぎりのところのフェンスを直撃した。


 決まった。

 打球に追いついたレフトは、ホームに帰るセカンドランナーの背中を見た。

 勝った。優勝だ。

 緩慢に一塁へ走っていた武史がベースを踏む。


 ベンチから白富東のメンバーが走り出る。

 応急処置でテーピングで膝をガチガチに固めたジンも、球場から借りた松葉杖をついて、グラウンドに出てくる。

 勝った。

 これで、全国制覇だ。

(どんでん返しないよな? 本当にないよな?)

 武史が並んで、整列。

 審判の勝利宣言の後、礼をした白富東の選手たちは、武史の頭や背中をバシバシと叩きながら整列。


 最後の校歌が流れる。

 そしてスタンドに応援への挨拶。

 閉会式前に一度ベンチから離れて、マスコミの取材がある。

「まだ勝った実感がありません」

 それが武史の本音であった。


 八回まで投げて四点を取られて、最後には自分のバットでサヨナラ打。

 事実を見ればこの試合の主役は武史だったとも言える。

 監督であるシーナにもインタビューはあったが、彼女とジンは反省しきりである。

 勝ったのは結果論であって、倉田を外したのは絶対にミスであった。

 偶然の怪我とはいえ、怪我はどこでも起こりうるものなのだ。




 再びグラウンド内に戻り、閉会式が行われる。

 ジンは松葉杖をついているので、せっかくの優勝旗を受け取ることが出来ない。

 情報班の副キャプテン菱本が受け取るが、おそらくこれは彼の人生でのハイライトであろう。

 優勝杯の方は大介が受け取った。


 応援団賞の表彰もあった。

 これは狙ったとおりに、白富東が最優秀賞に選ばれた。

 イリヤの執念が実ったものである。


 大会旗が下ろされ、国歌が流れる。

 両チームの選手がグラウンド内を一周するが、ジンはさすがに免除してもらった。

 というか、さっさと病院に行った方がいいのだが。 


 球場を出ると、出迎えの応援団やファンが密集していた。

 ようやく優勝の実感が湧いてくる者もいたが、ジンはここから病院に直行である。

 優勝は確かに嬉しいのであるが、素直に喜ぶだけではすまない。

 靭帯をやってるということは、春の大会には絶対に間に合わない。

 倉田と、直史でキャッチャーを回さなければいけないわけだが、守備力が落ちるのは間違いないだろう。


「お~い、こっちこっち」

 ジンを呼ぶのは、なんと臨海の北監督であった。

 あの怪我のシーンを見て、わざわざ球場までやってきてくれたらしい。

「知り合いに大学病院の医者がおるからな。しっかり診てもらえや」

 好意がありがたい。


 再びのインタビューが繰り広げれるわけだが、それよりも大事なのはアレである。

「あれやるか?」

「そりゃやらないと」

「よっしゃあ」

 なぜか双子まで混じってきて、優勝監督であるシーナの胴上げが始まった。

「こらぁっ! ドサクサ紛れに尻触るな!」

 なんとも締まらないことである。


 それから大介や直史など、ベンチメンバーの胴上げがされる。

 ちょっとやりすぎである。また高野連から注意が来そうである。


 しかし、優勝した。

 神宮の時には感じなかった、日本一の実感が湧いてくる。

 これが甲子園で優勝するということか。

 取材攻勢も終わり、ようやく白富東は宿舎へ帰ることが出来たのであった。




 応援団が喜んでいるのは良かったが、問題は残っている。

 センバツが終わってすぐ、春の大会の予選が始まる。

 これにはさすがにジンが間に合うはずはない。

 メインは倉田だとして直史と、念のために大介もキャッチャーを少しやっておく必要があるかもしれない。

 一応ベンチ入りしなかったメンバーの中には、キャッチャー経験者もいるが、おそらくレベルが要求に達していない。


 キャッチャーというと頭がよくなければ難しいように思えるポジションであるが、実際は頭の良さというよりは、判断力の速さが問題である。

 ショートで内野の守備の要となっている大介は、意外とそういった方向での判断は速いのだ。

 それでもキャッチャーというのは負担の大きなポジションである。何より内野の要のショートを、他の選手がするのは難しい。

「治るのにどんだけかかるんだ?」

「靭帯って医者は言ってたよな? 下手な骨折よりもかかるんじゃないか?」

「まあ、無茶をさせないことだけは重要だよな」


 ベンチで見たら、明らかに赤く腫れていた。

 あの怪我が二三週間で治るとは思えない。

 春どころか、夏までに間に合うか。


 高峰もついていっているので、建設的な話が出来ない。

「一応センバツ優勝したから、春のブロックは免除されるんだよな」

「あ~、そっか」

「でもそれでも県大会本戦からだろ? 四月の下旬からだから三週間ちょい。さすがに無理じゃね?」


 判断出来るものではない。ただジンは、骨折が一日で治りかける大介のような化物でないのは確かだ。

 そして戻ってきたジンは、保冷剤を巻いた右足を、ガチガチにテーピングで固めていた。

 もちろん松葉杖をついていて、その様子は見るからに痛々しい。


「とりあえず腫れが引くまでは絶対安静で、三週間は負荷の強いトレーニングは禁止だって」

 そう言ったジンの表情は、それほど暗くはない。

「選手生命終わりとかじゃなくて良かったよ」

 確かに、それと比べれば。


 大介の父や、国立監督、そしてジンの父のように、怪我で選手生命を失った人間というのはいくらでもいる。

 春の大会は間に合わないだろうが、最後の夏には絶対に間に合う。そういう怪我だ。

「けどまあ、とりあえず今日は優勝祝いだな!」

 旅館の女将さんたちも大喜びで、その夜は盛大に食事を楽しんだ。




 来客が来て、大介は宿の庭に回った。

 下手に外に出れば、マスコミの餌食になることは間違いない。

 大会が終わってようやく、大介は父との時間を作ることが出来た。

「大田は大丈夫だったのか?」

「ナイソクソクフク靭帯の部分断裂だってさ。春はちょっと微妙かな」

「そうか。この先も野球をやっていくつもりなら、絶対に無理はさせるなよ」

「そりゃ、親父が怪我したからか?」

「俺に限らず、今と昔じゃ、怪我に対する意識が全然違うんだよな。甲子園に行けるなら、ぶっ壊れても構わないってのが、選手も指導陣も多すぎた」

 大庭の場合は事故なのでそれとは違うが、プロにまで進めば監督は、当然だが選手よりもチーム全体を選ぶ。

 プロは勝つ姿を見せるからプロなのだ。自分の体のケアは、自分でするしかない。

「お前、プロに行くんだろ? そしたら絶対に、自分のために働け。絶対に誰かのために犠牲になるな。チームのために無理して壊れても、同情はしてくれても治してくれる人間は一人もいないからな」

 甲子園でもう優勝してしまったのだから、夏に無理をする必要はない。それが大庭の考えだ。


 それから彼はメモを渡した。

「お前らの方でもちゃんと分かってるかもしれないが、俺の知ってる東京の信用出来る医者だ。今回だけじゃなく、お前の将来のためにも、渡しておく」

 大庭の用事はそれだけであった。

 相手の選手であっても、とことん野球を愛する人間のことは守りたくなる。

 これが大庭という、大介の父の生き方であった。


「親父」

 だから大介の方から呼び止めた。

「今、幸せなのか?」

 記憶の中の無気力な父とは、明らかに違っている。

 明るいというわけではないが、沈んでいた表情ではない。

「幸せかどうかはともかく、やっと自分が生きていると実感できるように戻ってきたよ」

 野球に人生をかける、野球バカの言葉であった。




 千葉に戻ると地元のマスコミの取材もそうだが、色々と周囲が騒がしい。

 動けないジンはともかく、メンバーは引っ張りだこである。

 その中でシーナはなんだかよく分からない組織に呼ばれた。女子野球が関連しているらしい。


 そして春休み中であるが、既に許可を得て練習に参加しようというのが四人。

「宮城の青葉台シニアから来た佐藤淳一郎。ポジションはピッチャーです」

 これは分かっていた。しかし残りの二人が意外である。

「三井シニア出身、赤尾孝司です。ポジションはキャッチャーです」

「同じく三井シニア出身、青木哲平です。ポジションはセカンドですが、ショートやピッチャーもします」

 てっきり野球強豪校へ進むと思っていた、地元の有力選手である。


 それともう一人。

「鷺北シニアの佐伯政宗です。ポジションはショートとピッチャーやってました。お久しぶりです」

 ジンたちや倉田の後輩であり、シニア時代は赤鬼青鬼コンビと鎬を削った間柄である。

 倉田の知る限りでは、千葉のシニアではトップレベルの内野手だ。


「本当ならもっと早くから参加したかったんですけど、センバツがありましたから……」

 赤尾が言うに、関東の他の強豪の特待を蹴ってまで、二人で白富東に来たらしい。

 理由は、全国制覇がしたいから。

 そして佐伯は普通に、先輩のいる強いチームを選んでやってきたのだ。

「キャッチャーか……」

 とりあえずジンは、赤尾は春の大会の背番号を獲得するだろうなと予想する。

 ピッチャーの力がそれほど高くないと言われていた三井シニアで、全国まで行ったチームのキャッチャーなのである。

 インサイドワークも期待できるし、打撃は間違いなく全国レベルだ。




 そして監督もやってきた。

 久しぶりのセイバーと共にやってきたのは、40絡みの男性である。

「ほとんどの人たちとは初めてだな。南米ブラジルのベースボールスクールでコーチをしてた秦野博光だ。現役時代のポジションはキャッチャーだったが、他のポジションのことも聞いてくれて構わない」

 最初にアレクとハグをしていたが、ブラジルの習慣であって別にそっちの趣味があるわけではない。


 正直なところその隣の人間の方に注目が集まっていた。

 ニコニコと笑う彼は、沖縄で米軍基地にいた黒人男性と、沖縄の女性との間に生まれた日米ハーフの少年である。

 外国人の容姿ということで、もちろんそれはそれで珍しいのだが、正直これほどの巨体の選手は、誰も見たことがなかった。

「どーも、ニンジャスレイヤー=サン。アメリカから来たトニー・健太郎・マローンです。日本語おかしかったら言ってください」

 白富東で一番の長身は、アレクの190cmであるのだが、それよりも頭半分は大きい。

「え~と、トニーでいいのかな? トニーは身長どんだけあるの?」

「6フィート8インチです」

「……メートル法に直すと……」

「204cmってとこですね」

 素早く答えたのは武史である。なぜ彼がこの計算を素早く出来るのか。

 それは簡単で、NBAを観戦していると、頻繁にフィートインチ表記が出てくるからだ。


「でけえ……」

「つかMLBでもそうそういない身長じゃないの?」

「ランディ・ジョンソンが208cmあったけど、こっからまだ伸びる可能性あるよな」

 驚異的な長身であるが、それとは別の疑問を浮かべる者が一人。

「お前、その身長でどうしてNBA目指さないの?」

 武史が体格を見る限り、バネもありそうなのだが。

 なおNBAに行けば、204cmという身長は確かに高めではあるが、全く珍しくはない。


 その質問に、トニーは笑顔で答えた。

「だってバスケットボールはスラムダンクぐらいしかないでしょ? でも野球ならタッチとかH2とかいっぱいあるし。それにメジャーも好きなんだ」

 どういう理由だ。

「メジャーの続編は女の子いっぱい出てきてるけど、日本の高校野球も女子選手が出られるようになったんでしょ? これからは女の子と一緒にプレイすることもあるかもね。でもバスケじゃ絶対にそれは無理だし」

 どういう理由だ。

「ちなみにポジションは?」

 まだジンが休んでいるので、シーナもいない今は臨時キャプテンの菱本が問いかける。

「もちろんピッチャーです。ストレートは93マイル投げられます」

 くいくいと、右手で投げる真似をするトニーである。

 100マイルがおおよそ160kmという知識は普通にあるが、それを93マイルに換算するのは難しい部員たちである。

「キロ表記だとだいたい150kmってとこか。またとんでもないのが来たもんだな」

 ここは海外生活の長い秦野が計算した。


 150km。

「まあ、それなりに凄いか」

「一年だしな。確かに凄い」

 球速に関する感覚が麻痺している白富東の選手たちである。

 身長は確かに化物レベルであるが、スペックはそこまで化物ではない。

 いや、一年でこれというのは、化物ではあるのだが。


 最後の夏に向けて、前哨戦とも言える春の大会が始まる。

 新しいチームのメンバーは、また濃い面子が揃っていそうであった。




  九章 了

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