第62話 東の端と西の端

 決勝戦当日の新聞は、スポーツ紙は全て一面で、甲子園での親子対決について書いていた。

 大庭の離婚後の軌跡も辿り、当事者の片方である大介でさえ、知らないことが書かれていたりもした。

 おおよそ公正な観点から書かれていると思う。

「正直、下手な記者が、大介のお母さんを悪者にしないかとか、ちょっと心配だったんだけどね」

「少なくとも見る限りではないみたいね」

 ジンとシーナはほっとしていた。

 大介のメンタルは鋼のようであるが、鋼は強靭だが酸などには弱いように、メンタルの強い人間も全てにおいて無敵というわけではない。

 祖父の容態で集中力を失ってしまったように、大介にだって当然ながら人間らしい弱点はあるのだ。

 シングルマザーを叩くのは半ばタブー視されているので、そのあたりはラッキーであった。


 ちょっと変わったところでは、本州の東の端と西の端の対決、などというものもあった。

 正確に言えば東の端は東北地方の県なのだが、あちらは北という意識らしい。

 関東対関西という図式でもないが、どちらも偏差値68という進学校であることに、注目している記事もあったりする。

「甲子園史上、最も頭のいい決勝戦か……」

「まあ甲子園に来るようなのは少なくとも、選手も監督も野球バカなのは確かよね」

 仲良く頷いているジンとシーナであるが、お前らも野球バカである。

 そしてその中で、先発の武史は野球バカではない。


 本日は先発以外にも、色々と打順をいじってある。

 倉田が久しぶりに控えで、守備を完全に鷺北組を使い、鬼塚もサードと守備力重視のものである。

 ジンは仕掛けるためだけの二番打者だ。打力に自信が出来たわけではなく、大介のための露払いといった気分だ。

 大介は三番で変わらず、四番に鬼塚が来ている。

 武史は投手専念で九番だが、試合の中盤以降はアレクと打席がつながるので、それなりに機能するだろう。

 倉田はおそらく、代打で使う。




 宿舎から甲子園球場まで、なんだか普通の沿道にも、バスに向けて手を振る人々がいる。

 そして到着すれば凄まじいまでの観衆が、バスの出入り口にまで殺到する。

 警備員が柵を持ってきて通路を作ってくれるが、それでも群集が凄まじい。

「すげえな」

 センバツは夏ほどの熱気はないと思っていたし、相手も地元の大阪光陰ではないのに、ここまでの熱量である。

 明倫館には大阪光陰ほどのスター選手はいないので、親子対決というドラマは、やはり強烈なものらしい。


 球場の中の通路を辿って、辿り付いた本日は一塁側。

 本日は明倫館にじゃんけんで先攻を取られた。


 明倫館のノックを見るが、改めて見ても、大庭のノックは素晴らしい。

 強さもバウンドも、野手がちゃんと上手く捕球出来る場所に打って行く。

 そしてそのスピードは速く、満遍なく打っていく。

 ノックの上手い監督は、やはり三里の国立監督を思い浮かべるが、大介の父のノックも遜色ない。むしろ上回っているかもしれない。

 華麗で速やかなノックというのは、それだけで観客を魅了する。

 最後のキャッチャーフライも、高い。

 大きな拍手に送られて、ナインと監督、そして補助のメンバーがベンチに戻る。




「行くぞ!」

 ジンも気合を入れて、応じる声も待たずにグラウンドに飛び出す。

 シーナももう、スタンドからの応援も歓声も気にしない。


 日本一。

 神宮大会や国体も日本一ではないかと言われるが、やはり違う。

 高校生の日本一を決める大会は、甲子園なのだ。

 理屈や制度がどうであれ、感情としてそれ以外は日本一ではない。


 ノックをしながら思い出す。

 シニアの最後の大会。岩崎が打たれて負けたあの大会も、全てはここにつながっていた。

 あの頃は女だから、どうせ甲子園は無理だと思っていた。女子野球をするか、それともマネージャーをするかは、どちらかというと前者の方を考えていた。

 けれどジンが、岩崎を連れて同じ高校に進むと言った。


 今思えばあれは、ジンにとっては岩崎への、岩崎にとってはジンへの、贖罪だったのだと思う。

 岩崎はおそらく、あのままでは野球をやめていたか、本当にどうでもいいチームに入って、ただ安楽な野球をしていただろう。

 ジンは今と目標は変わらなかったと思うが、岩崎を巻き込んだことによって、明確に甲子園を意識した。


 だから自分も、二人を応援しようと思った。

 それがまさか、女子選手が解禁になるとは思わなかった。


 白富東以外で、女子が甲子園の土を踏めるチームはないだろう。

 思えば唯一の道は、ジンの進んでいった方向にあったのだ。


 偶然である。しかし、運命的でもあった。


 両軍のノックが終わり、試合が始まる。




 明倫館のオーダーに変更はない。

 エース高杉は先発だ。

 こちらの先発は武史であるが、別に相手を甘く見ているわけではない。

 他の強豪校に比べると、明倫館は右打者が多いにもかかわらず、左投手を苦手としている明確なデータがある。

 ならばそれを元に考えるのは当然だ。


 一番の伊藤。新二年だが打率と出塁率が良く、足も速い優秀な選手だ。

 だが左投手相手にはやはり弱い左打者だ。それに、あまり一番打者の意味を分かっているとも思えない。

 ジンのリードで、三振に切った。


 二番の久坂。打率もそれなりに高いが、三振が少なくて出塁率が高い。

 おそらく打順の意味を、一番深く考えている。武史のボールにもついてくる。

 フォーシームの後のチェンジアップで、サードゴロにしとめた。


 そして三番の村田。

 こいつの足は明倫館のスタメンの中では、一番遅い。

 機動力野球の傾向がある明倫館の打線では、本当なら五番か四番がいいと思うのだ。

 それでも三番に置いているのは、それなりの意図があるに違いない。

 ボール球を際どく投げたが、微動だにしない。

 そして見逃しの三振。スリーアウトとなった。




 白富東のスタンドが盛り上がる。

 去年の夏こそ惜しくも敗退したが、この春もまた決勝にまでやってきた。

 そして戦力は去年の夏よりもずっと高まっていると言っていいだろう。

 相手は初出場校であり、決勝のプレッシャーもあるに違いない。

 今度こそ優勝をと、県内外の白富東関係者に加え、全国の各選手のファンも応援に駆けつけている。


 そして奏でられるのは、イリヤの作曲した『夏の嵐』。

 春ではあるが、夏を思い出させるこの曲に、スタンドは大盛り上がりである。


 今回イリヤが狙っているのは、応援団賞である。

 春のセンバツにのみ存在する、応援団を審査するものであり、優秀賞が五校、最優秀賞が一校選ばれる。

 実は昨年の白富東も、優秀賞には選ばれていた。初出場の公立などは、全般的に選ばれやすいのだ。あと、21世紀枠の高校の中から、最低一校は優秀賞に選ばれるという不文律もある。


 白富東の応援は、そのブラバンの演奏、チアのダンス、そして合間の声援と歌声など、間違いなく一級品である。総合的にイリヤがそう鍛えてきたのだ。

 名目的には一回戦の応援を審査して、そこから選ぶとなっているが、優勝校の公立の、熱烈な応援が選ばれるのに無理はない。


 イリヤは、音楽は人を強く動かすことを知っている。

 去年の夏は、何かが足らなかったのかもしれない。

 しかしもう、二度と負けさせたくない。少なくとも自分の応援している舞台では。

 音楽で勝利を引き寄せるのだ。




 初球から打っていったアレクは、いきなりセンター前へのクリーンヒットだった。

 応援の歓声は一際大きく、アレクもガッツポーズで応える。

(う~ん……)

 そして打席のジンは迷っていた。


 高杉は基本的には、大介相手でも勝負してくるピッチャーだ。

 徹底したマークにより、大介の打率は去年の夏よりは落ちている。

 だが出塁率は、さほど変わらなかった。準決勝で一気に下がったが、それでも余裕でトップを独走している。


 ここでアレクを送ったとして、大介と勝負してくれるだろうか。

 高杉の球種と村田の送球を考えると、アレクでも早い回で盗塁するのは難しいと思える。

 高杉は流れの中で勝負してくるピッチャーだ。初回の時点では大介とあえて勝負してくる可能性は低い。

 大介が敬遠されたとして、今日の四番は鬼塚だ。直球勝負の多い高杉は、鬼塚にとってはやりやすい相手だろう。

(相手の戦略も見ておきたいしな)

 粘った末、ツーストライクからのジンの送りバントで、アレクが無事に二塁へ進塁した。




 大介をどう打ち取るか。

 様々な研究の結果、歩かせるのが一番であると、結果は出ている。

 盗塁も上手いので、得点圏に進まれるのは仕方ないが、OPSを見れば平均で二塁打を打たれているのに近くなっている。

 既に二塁にランナーがいて、一塁が空いているとなれば、歩かせるのは当然である。


 次の鬼塚は神宮の時も、高杉をさほど苦手とはしていなかったので、期待値は高くなる。

 大介への初球は、ど真ん中へのストレートだった。

 144km。遅くはないが、絶対的に打てない速さではない。

 だが大介はバットを振れなかった。あまりにも意外すぎて。

(マジか)

 大介はキャッチャー村田の様子を窺うが、表情が変わったようには見えない。


 バッターの意識にない球を投げれば、打たれないか打ち取れるかのどちらかにはなる。

 確かに意表を突かれたことは確かであったが、このサインを出す村田も村田であるし、投げる高杉も高杉だ。


 二球目。高い。しかし落ちてくる。

(高い)

 そう思ったが、審判のコールはストライクであった。


 今のコースは、打とうと思えば打てた。高め大好きの大介である。

 しかし見逃してしまった。

 振らなかったのは正解だと思う。もし振っていたら、さすがに余計な力が入っていただろう。

(坂本ほど無茶苦茶じゃないけど、それでも大胆なリードだな)

 高杉はプライドの高そうなピッチャーであるのに、それに首を振らせないとは、普段からの信頼感がよほど高いはずだ。

 他のメンバーの多くがシニアからの持ち上がりの中、村田は去年の秋から正捕手となったはずなのに、どうやってそこまで。


 ピッチャーとキャッチャーの間で、バッターへの攻略の意識がはっきりと共有されている。

 瑞雲の坂本と武市は、方向こそ同じだが方法は全く違って、あちらはあちらで打ちにくいものであった。


 際どいコースの球はカットする。

 インローかアウトローのボール球だ。小さく鋭く変化して、打ちそこないを狙っている。

 大きく外れるものは見逃すが、際どいところはカットする。大介のストライクゾーンは、他の打者よりもおおよそボール半分は広いと意識した方がいい。

 ツースリーから、打ちごろと見えたアウトローのスライダーが、大きく外れていった。

 一打席目は四球での出塁である。




 作戦をミスしたかもしれない、とジンは考える。

 高杉と村田のバッテリーのピッチングは攻撃的で、しかしながら大胆なだけではない。

 大介相手に最初の二球でツーストライクを取ったことで、その後の四球出塁が普通に見えた。

 一死一二塁でチャンスではあるが、鬼塚に確実にヒットを打ってもらうのは難しいだろう。

 せめてゲッツーには、と思っていたところ、外角の高目をライトの深いところまで持って行った。


 ライトが追いつくが、そこからアレクはタッチアップが出来る。

 これでツーアウトながら一三塁。ヒット以外でも点は入りやすくなった。


 普段ならここで五番に倉田がいて、ヒットはかなり期待出来る。

 せめて武史であれば、高杉の種類の多いスライダーにも対応出来ただろう。

 だが今日の五番に入った戸田は、つなげるタイプのバッターだ。

 粘ることを期待されたが、高杉はストレートとスライダーを駆使して、三振に切って捨てた。

 初回の攻防は、両軍共に点は入らなかった。

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