第60話 決着

 奇跡を起こすのが人間なら。奇跡を阻むのも人間である。

 九回の表にドラマはなく、直史は14個目の三振を奪い、スリーアウト。

 九回の裏も必要とせず、3-0で白富東の勝利であった。


 応援団への挨拶も終わってベンチに戻ってきて、ほっと一息である。

「今日の試合はやばかったな」

「別に油断もしてなかったんだけどな」

「ノーアウトでランナー三回出して、三度目でやっと得点だもんな」


 いつものことと言ってしまえばそれまでであるが、また大介がおかしなことをして試合は決着した。

「坂本のやつ、さすがに苦笑いだったな」

「まあ夏があるからな。なんだかんだ言ってあいつ、全力ストレート投げたの一球だけだろ」

 大介と直史の会話である。

 悔しそうな顔をしていたのは武市であって、坂本には余裕が見えた。確かにあそこで騙されては、悔いが残るであろう。ただあの場合は、コーチャーよりはむしろバッターが注意出来たはずだ。武市は悪くないだろう。

 坂本に関しては何があっても、そういう態度の人間なのかもしれない。


 客観的に見れば坂本は、大介のホームラン以外は白富東を封じたのだ。

 その大介にしても、三打席は凡退した。

 敬遠も、敬遠に等しい四球もなく大介と勝負したのは、そして抑えたのは坂本だけだ。

 ワンバンのボール球をスタンドに放り込む非常識さがなかったら、試合がどうなるか分からなかったと判断する者は多いだろう。

 もっとも満員の観客は最後に珍しいものを見れただけに、大喜びである。


 大介はこれで大会三本目のホームラン。

 去年のセンバツで三試合で五本のホームランを打っているのと、井口が一試合で三本を打ってしまっているので目立たないが、出塁率は今日の封じられたものを含めてもまだ六割を超えている。

 ちなみに公式戦だけでも70本以上のホームランを打ち、国際試合や練習試合まで入れると、最後の一年を前に100本を既に超えている。

(やっぱり大介が打つと勝てるよな)

 負けている試合もあるのだが、大介のホームランで勢いがつくのは確かだ。


 セイバーが計算した大介のスペックでは、プロ入り初年度から三冠王を取れるという結果が出ていた。

 だが実際は一軍に登録されるのも時間がかかるだろうし、高校野球と違って延々と試合を続けるプロでは、調子が落ちることもあるだろう。

 それでも打撃のタイトルが取れるとすれば、ホームラン王ではなく首位打者ではないかと直史は思っている。




 試合展開が早かったので、ものすごく長いインタビューを終えて宿舎に戻っても、まだ二試合目は始まっていなかった。

 食事をしながら観戦である。

「単純な戦力比だと、3-1とか5-1ぐらいで大阪光陰が勝つと思うんだけど」

 大会前の大阪光陰の分析は投手力S、守備力A、走塁A、打力Aとなっている。

 だがここまでの三試合で、後藤だけでなく大谷や毛利なども合わせてチームで七本のホームランを打っている。

 対戦チームのピッチャーのレベルを考えると、打力はS評価でもおかしくない。


 対する明倫館は、投手A、守備A、走塁A、打力Bという評価であった。

 ここまでの試合でもホームランは出ておらず、ある程度相手にも恵まれたという評価だ。

「けど前橋実業に城東と、右と左の速球派を打ってるから、単純に球が速いピッチャーからなら打てる」

「真田のスライダーは打てないと思うけどな」

 大介は己の苦戦したピッチャーである真田を贔屓しているが、あの変化の大きく速いスライダーは、明倫館にとってはそれほどの脅威ではないだろう。

 明倫館のバッターは、右打者が多い。スタメンでは一番と四番以外が右だ。


 そしてその予想は正しいようである。

 大阪光陰の先発は豊田であった。

「リキのやつ、準決勝で先発か」

「まあ前の完投した試合も内容よかったしな」

「真田はうち相手に温存か」

 準々決勝の帝都一、決勝の白富東と比べると、まだ明倫館は戦いやすいと思われているのか。


 確かに明倫館は、この大会でもエースの高杉がほぼほぼ一人で投げていて、暑さはなくても消耗はしているであろう。

 練習試合では一度引き分けているそうだが、その引き分けの結果を含めても、豊田で勝てると木下監督は見込んだのか。

 白富東の選手たちも、去年の神宮の真田の不調が記憶にあるだけに、どちらがやりやすいかは微妙である。

 単に神宮の対戦成績だけを言うなら、明倫館の方が強くなってしまう。

 

 秋の段階では、明倫館が強かったかもしれない。

 しかし真田の調子は、明らかにあの神宮に比べると良くなっている。

 それに大阪光陰は秋の段階では、新チームになってから日が浅かった。

「なあ大介、お前の親父さんのバッティング理論ってどんなもんなんだ?」

 聞きにくいことではあるが、直史は聞いてみる。

 別に大介も、答えにくいものではない。

「どうって言ってもな……」

 古い記憶を引っ張り出す大介である。




 大介が学んだのは、キャッチボールの基本と、子供向けのスイング。

 キャッチボールがしっかり出来ない選手は、どれだけ他を磨いても、基本がしっかりしていないので絶対に上手くならない。

「あとはスイングは、当てるためのスイングと、飛ばすためのスイングを教えてもらったな」

「二種類?」

「ああ、今俺が使ってるようなのじゃなくて、ミートするスイングと飛ばすスイングを区別して身につけて、それを近づけていくって感じ」

「おま、それちゃんとしたバッティング理論じゃん! なんで今まで言わなかったんだよ!」

 ジンは怒るが、感覚派の大介としても、自分で消化したものしか言いようがないのだ。

「つってもミート用のスイングなんてこうだぞ?」

 ボールペンをバット代わりに持った大介は、それを薙刀の脇構えのように構えた。


 極端なまでの、レベルスイング特化の構え。

 普通の構えはバットを振る距離を作り、遠心力で飛ばす。

 この脇構えからでは、バットとボールの最短距離は短いだろうが、圧倒的に遠心力が足りない。

 ストレートを弾き返すにはいいだろうが、それ以外では飛ばすのは難しいだろう。

「……まあ、後でいいや。とりあえず試合だな」

 先攻は明倫館で、準決勝第二試合が始まる。




 一回の表から試合が動いた。

 元々豊田はそれほど立ち上がりが良くないのであるが、狙い済ましたようにストレートを、伊藤がセンター前に運んだ。

 二番の久坂は、送りバント。

 豊田はフォークで空振りを狙うが、久坂はその変化に対応し、地面に膝をついてサードへと転がした。

 シニア時代にはバントすら出来ないと言われていたフォークであるが、久坂は上手く対応した。

 絶妙のバントにサードは二塁を確認してから、ようやく走りだした久坂を視界に入れ、注意深くファーストに送球する。


 余裕で二塁に達した伊藤は、ベースを蹴って三塁へ向かった。


 テレビではボールの行方をカメラは追っていたので、観客の声援が視覚情報よりも先に聞こえた。

 ファーストの判断ミスは明らかで、アウトを取ってから三塁へ送球したのだが、それが逸れた。

 カバーに入っていたショートの動きもあまり良くなかったが、それよりはファーストのミスが大きい。

 送りバント一つで、一塁ランナー三塁へ到達。


 確かにナイスプレイではあるが、大阪光陰の油断が大きかったと言える。

「サードからの送球も、ファーストの送球も間違ってたよな」

「ファーストへの送球が、久坂が膝付いた姿勢だったから、ちんたらしたものになったんだよな」

「サード行かせたらまずいんだから、ファーストはカットしてサードに投げたら間に合ったんじゃね?」

「ショートのカバーも遅かった」

「てか送球が悪かった時点でどのみちセーフだろ」

「でもうちが、いきなりアレやられてたら?」

 最後のジンの言葉にう~んとなる白富東である。


 久坂がわざとらしく、一塁に投げれば余裕でアウトという姿勢だったのも、誘いであったのかと思える。

「大介、あれって親父さんの指揮かな?」

「わかんねーけど、違うんじゃないかな」

 分からないのは本当である。選手の運用や采配にはそれなりの考えがあったと思えるが、この大胆な走塁は初めて見たものだ。

 神宮大会やここまでの対戦を見てきても、奇襲と思える作戦である。

「大阪光陰を相手に、ガチンコで勝ちに行ってるよね」

 シーナは感心したようにうんうんと頷いていた。




 元々練習試合では、大阪光陰と一度引き分けているのだ。

 それでも事前の分析では、大阪光陰有利であるとは言われていた。

 ジンはもう一度スコアを見て、双方の戦力を確認する。


 投手力・豊田と高杉は、ほぼ互角。

 守備力・ほぼ互角だが、連係プレイなどは明倫館が上ではないか?

 走塁・足の速さの平均は大阪光陰が上。

 打撃力・圧倒的に大阪光陰が上。特に長打力が比較にならない。


 練習試合でも豊田が先発したらしいので、秋の時点から新チームの体制が整った春は、大阪光陰の方がチーム力は上がっていると思われた。

 真田の不調を割り引いても、ここまでのスコアを考えると、大阪光陰の方が上だと思える。

 ただ明倫館はここまで、豊田以上ではないかと思われる投手二人を攻略して準決勝まで来ている。

「おいおい、まさか大阪光陰負けるんじゃないだろうな」

「まだ一回の表の攻撃で判断するのは早すぎる」

 確かに去年の神宮で当たった結果だけを見れば、明倫館の方が強いことになってしまうが、それでも白富東としては大阪光陰の方が格上だと感じていた。


 一死三塁で、バッターは三番の村田。

 長打力はそれほどではないが、地方大会などで決勝打を打つことが多く、樋口のようなクラッチヒッターだと思われている。

「ここではヒットで充分だよな」

「外野フライでもいいだろ」

 そんな呟きの中、豊田のフォークを掬い上げて外野フライ。

 伊藤がタッチアップで帰って一点を先制したのであった。




 一回のプレイに代表されるように、大阪光陰の守備は、単なる打球に対する反応はともかく、判断力の点で疑問符が付かざるをえない。

 ただ打撃力は確かに高い。

 初回は先頭打者の毛利が、いきなりセンターに抜けるヒット。

 その後二番の大蔵は送りバント成功。

 三番の大谷はサードへボテボテのゴロで進塁打とはなる。


 そして後藤である。

 一年の秋から名門大阪光陰の四番を打つこいつは、センバツでもここまでに三本のホームランを打っている。

 初戦で敗退した聖稜の井口も三本、大介も準決勝までで三本であるので、なにげにホームラン王争いをしている。

 もっとも白富東が桜島と当たっていたら、大介のホームランはあと二本は増えていただろう。


 この後藤へのピッチングが見事であった。

 三球とも内角の、しかもストレートだけで、空振り三振を取ったのである。

 後藤は大柄で手足は長いが、内角の苦手なバッターではない。それに対して内角のストレートのみで三振。

 明らかに意識の外にあったのだろう。

「でも三球目はボール球だったけどな」

 つっこむ大介に、他のメンバーはうんうんと頷いている。


 高杉はMAXが148kmだそうだが、ここでは146kmまでしか出ていない。

「準々決勝までもでも、146kmが最高だから、春には仕上がってないのかな」

 ジンはそう分析するが、他の試合を見る限りでは、三種類のスライダーを上手く使っていたようである。

 高杉だけでここまでを勝っているので、MAXのストレートをそうそう使うわけにはいかなかったのだろう。


 しかし後藤相手に、内角のストレート三球で勝負。

「首振ってなかったよな?」

「村田も高杉も死ぬほど強気だよな」

 強気で、しかも勝算があっての投球だと思える。

 大介としては、自分ならどう打つかを考える。




 回が進む。

 スコアは2-1と変化し、まだ明倫館がリードである。

 追いつかれてすぐに、高杉のタイムリーで勝ち越し点を奪った。

「あのおっさん、打順ミスってねえか?」

 そう大介が呟いたのは、二番の大蔵でヒットが止まるのが続いたのと、七番の真田が打って出ても、後続を絶たれているからである。

「秋は明石が二番だったよな?」

「攻撃型の一二番から、二番を器用型にチェンジしたわけか」

「大蔵もそんなに打率悪くないけどな」

「丹羽がベンチにすらいないってのは故障か」

「真田も野手で使うなら五番か六番で良かったんじゃないの? てか、リキのやつもヒット打ってるのに、上手く分断されてるよな」


 高杉のピッチングが粘り強いと言えばいいのか。

 あるいは単純に、巡り会わせが悪いと言えばいいのか。

「打率の割に長打率が低いと思ってたけど、得点圏打率は高いのか?」

 ジンはスコアを見ながら、セイバーの残していったソフトで解析している。

 そして愕然とした。

 ランナーが二塁か三塁にいる場合の、全体の得点圏打率が五分近くも違う。

 一割近く違う村田はそもそも打率が高いので分かりやすかったが、他の打者でも意外なところで打っているのだ。


 打者のスペックが違うので、さすがに甲子園ではまた別だ。

 しかし全体的に、チャンスに強いのだ。明倫館は。

(なんだこの変な打力。そもそも勝負強さがどのバッターにもあるなんてありえるのか? 他に気付いている人間はいないのか?)

 勝負強さを、技術で身につけられるのか?

 それともこれが、大介の父の打撃技術なのか?

(んなわきゃーない。得点圏にランナーを置いた時の、相手バッテリーのパターンを調べてあるんだ)

 そう考える方が無理がない。


 ジンの見る限り、大蔵というキャッチャーはマイナス思考でリードしている。

 ピッチャーという人種は基本はイケイケ思考なので、それは基本的には間違いではない。

 だが時には弱気になったピッチャーを叱咤激励して、危険なコースに投げさせる度胸も必要だ。

 後藤へのストレート。ボール球のあれが、まさにそうだ。

 大蔵はそういったリードは出来ない。やったことがない。

 配球は良く考えて、確率的に計算もしているのだろうが、意表を突いたボールというものがない。

 明倫館にとっては、勝負どころの球が予想しやすいのだ。

(誰が大蔵のリードを分析している?)

 監督? いや、これはおそらく、同じキャッチャーの村田ではないのか。


「なあ、木下監督って、キャッチャーのリードにまで口出してくる監督だったか?」

 尋ねるのはワールドカップでその指揮に触れた直史である。

「樋口には特に何も言ってなかったけど……武田相手にはそこそこ言ってたな。まあ加藤と福島は自分のチームの投手だったし」

 ジンは考え込む。


 大蔵はキャッチングの技術と肩の強さ、それとバッティングは及第点だ。

 守備への指示もまずまずおかしくはないし、配球自体の考えは悪くない。

 大阪光陰の二枚看板ならば、彼のリードでも通用しただろう。

 だがそれ以上のキャッチャーIQを持つチームを相手にすると、力は明らかに落ちる。

 そう、神宮の決勝、白富東と当たった時のように。


 真田に交代するべきだ。

 リキのフォークも決め球ではあるが、あれは割りとボールゾーンへ落ちていく。

 真田の高速スライダーなら、読まれても打たれない。


 そう思っている間に、大阪光陰は八回の裏に一点を返して追いつく。

 しかし明倫館も九回の表、二死二塁から、四番の桂のタイムリーでまたも勝ち越しする。

 左打者に圧倒的に強い真田であれば、桂が打てた可能性は低い。

 最後はランナーを残しながらも、四番の後藤がレフトのファールグラウンドへのフライでスリーアウト。

 明倫館が勝利した。

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