第58話 偽りの投手戦

 センバツの直史の投球は、ストレートを主体としているように思われていた。

 もちろん四隅にびったりと決まるストレートで、まともには打てない。

 これにカーブとチェンジアップだけでも、相当に攻略難度の高いピッチャーとなる。


 しかし瑞雲相手には、普通に変化量の大きなカーブを使っていく。

 初回は三者凡退で、まず上々の立ち上がりである。

「またスタイル変えてるがか」

 坂本は呟く。佐藤は自分と似ている。

 競技スポーツにおいて必要なのは、選択肢の多さだ。

 素質に任せて一本調子で戦うチームなど、坂本は全く怖くない。

 上杉勝也ぐらいの、人間の肉体能力で戦うには不可能なぐらいの差があれば別だが、150kmぐらいまでなら単純なストレートはいくらでも対応出来る。


 佐藤直史は違う。

 基本的にその試合において、同じバッターに二度と同じ球を投げない投球が可能である。

 変化球の種類、速度、変化量、制球などは分かりやすいが、フォームの微妙なタイミング、リリースポイント、プレートの使う位置など、細かく変えてくる。

 それでもバッテリー間の、必殺と言ってもいいパターンが一つある。

 全く同じ厳しい球を二球続けると見せて、実は二球目はほんの少し違うというものだ。


 そんな坂本も、基本的にはそれが有効であることを知っている。

 一回の裏、先頭のアレクは外野フライ、二番の鬼塚はセカンドゴロ。

 大介に対しても痛烈な当たりながらショート真正面のゴロと、三者凡退で切った。


 ほんの少しの変化を変えて、バッターを打ち取るのは坂本のピッチングの根本とも言える。

 時折無造作に変な球を投げるのは、それがホームランにならないと確信した時だけだ。

 大介に打たせたのは、ほんのわずかに変化するツーシーム。

 打った者が恐ろしく注意深くない限りは、ストレートと思わせるものである。




 大介は恐ろしく注意深いわけではないが、直感には優れている。

「せこいほど小さく曲がるツーシーム投げてやがんな」

「今の? 141km出てたけど」

「やっぱ坂本は色々隠してるぞ。ストレートの最高速ももっと上だ」

 底が知れない。

 意外と浅いところにあるのかもしれないが、巧妙にそれを隠している。


 二回の表、直史は注意深く武市をピッチャーゴロで打ち取った。

 そして五番の坂本である。

 ほとんど棒立ちで、まるで打つ気を見せない。

(そう見せておいていきなり打ってくるかも)

(同感だ)


 初球、アウトコースからわざと内に入ってくるシンカー。

 坂本は見逃した。

 二球目、内角のスプリット。

 インローいっぱいを見逃した。

 三球目、アウトローいっぱいのストレート。

 見逃しの三振であった。


 ベンチに戻る坂本は、少し首を傾げる。

(やっぱり狙っても一本打てるかどうかちゅうが。どこで狙うがか考えんと)

 坂本は勝算のない勝負はしないが、必ず勝つと自信を持って戦うこともない。

 勝てるかどうか、やってみないと分からないとこまでは、事前に整えておく。

 あとはやってみて楽しむだけだ。




 二回の裏は、先頭の武史がヒットで出塁した。

 坂本にとっては、実は武史は攻略しにくい打者であった。

 アレクにも狙い球を絞らない傾向があり、大介はなんでも打てるので絞る必要がない。

 それに対して武史は、打ちやすい球と打ちにくい球の分別が、普通の打者とは異なる。

 強いて言えば一定以上の速球に弱いが、それは普通の打者にとっても当たり前のことである。


 武史はいまだに、野球のセオリーなどを無視してバッティングを行うことがある。

 なので坂本には読みにくいのだ。

 せいぜいが配球的に、人間の打ちにくいパターンをなぞるしかない。


 それに比べると五番の倉田は楽だ。

 典型的な強打者。そして基本に忠実。

 その狙い通りの球を、少しだけ外せば打ち取ることが出来る。

 併殺が成立して、ランナーが消える。


 今日の六番には沢口が入っている。

 守備力重視の鷺北出身組では、守備の機会も比較的少なかったために、バッティング技術の向上に努めた。

 鷺北シニア出身の中では、一つ下の倉田を除けば、ここ最近のバッティングの成績は一番いい。

 だがこれも、凡人の努力の結果による向上。

 坂本の、平均的な強打者を打ち取るピッチングの前には、平凡な内野フライで終わる。

(ただ、どいつもこいつも強く振ってきよる)

 上手く外しても、打球の勢いで内野の頭を越えたり、内野の間を抜けていく。

 実際はそうはなっていないが、それを意図したバッティングをしてきている。

(よう研究しちょる)

 武市ほどではないが、と坂本は守備につくジンの姿を眺めた。




 投手戦ではなく、守備の良さが出る試合になった、と見えている。

 直史は相変わらずランナーを出さない機械的なピッチング。

 坂本はランナーこそたまに出すが、塁の先に進ませず、ホームに返すことを許さない。


 瑞雲の守備陣は多くがリトル時代からの付き合いであり、守備の連繋に関してもツーカーで意思の疎通が取れる。

 坂本の無茶な意図は、普通の野球のスタンダードから外れたものがある。

 それをあっさりと信じられるのは、お互いの信頼関係があるからだ。


 瑞雲の守備はいい。それは確かだ。

 しかしその守備をしっかりと計算して投げているのは坂本だ。だからこれはそうは思いにくいが、投手戦なのである。


 二打席目の大介は、その日最速の145kmの坂本のストレートを空振りして三振した。

「やっぱストレートの上限、まだあったな」

「でもこれで切り札の一つは公開した感じだろ」

 点が入らなくても、直史は気落ちすることなくマウンドに登る。




 両者無得点のまま、回が進む。

 そして三打席目の大介の打席が巡ってくる。

 ワンナウトランナー二塁で、そのランナーはアレク。

 普通にヒットを打てば、かなりの確率で一点が入る場面。


(さて、どうやってくる?)

 坂本の何が恐ろしいかと言えば、それはここまでの中で、三振を三つしか取っていないところだ。

 そしてその三つは、大介の一つを除いてはボール球を振らせたものだ。

 自軍の守備力を考慮して、その範囲内でアウトを取る。

 だが本当に危険な場面では、大介を三振に取ったように、ちゃんと勝負してくる。


 手元で変化するボールも、今日最速も、もう一度は通じない。

 まだ何か引き出しがあるのか?

 大介は少し楽しくなってきた。

 坂本は、直史に似ている。


 初球、インハイの球は、今日一番の145kmだった。

 あまりにも真っ向勝負すぎて、振ることが出来なかった。

 裏を書いてくることを予想しすぎて、まともな組み立てを忘れていた。

(なら次は、緩急をつけてくる!)

 そう思った大介は、インハイに外れるストレートを打ち損じてしまった。

 ライトスタンドへファール。

(考えすぎだ)

 わずかに力みがあった。普段の自分なら、間違いなくフェアグラウンドの外野の頭を越えている。


 これでツーナッシング。

 あと一球。三球勝負来るか?


 じっくりとそれを見ていたジンは、坂本ではなく武市の方の違和感を覚えた。

「あれ?」

「どしたの?」

「シーナ、武市が何か変じゃないか?」

「え?」

 シーナだけでなく、ベンチ全員の視線が武市に向かう。

 最初に差異に気付いたのは直史であった。

「ミットか?」


 そして大介への三球目。

 坂本の妙にゆったりとしたフォームから投げられたそれは――。

(チェンジア――)

 否。

 ゆったりと投じられたそれは、妙にぶれて見えて――。

(ナ――)


 大介のスイングは、ボールの上っ面を叩いた。

 高いバウンドのピッチャーゴロ。坂本はゆっくりと落ちてきたそれを捕球し、一塁へ。

 ゴロの間にアレクは進塁していたが、大介は一塁に間に合わずアウト。

 これで、ツーアウト。




 ベンチに戻ってきた大介は、苦々しい顔をしていた。

「まだナックルなんて隠してやがった」

「ナックル……」

 ジンもさすがに呆れる。

「悪い。ミットの大きさが変わってる時点で気付けた」

「ん? どういうこと?」

 大介の頭の中には、ナックルを攻略する方法は入っているが、全般的なデータは入っていない。


 ナックルは変化球であるが、他の変化球にはない特徴が一つある。

 どういう変化をするか、投げる本人でさえ分からないということだ。

 日本ではほとんど使う者はいないが、高徳の小室もナックルを球種の一つとして使っていた。

 ただ追い詰められたら使うというもので、ナックルを軸に投球を組み立てはしなかった。

「変化がピッチャーにもキャッチャーにも分からないから、大きなミットを使って捕球するのが特徴なんだよ」

「ああ、でも投げてくるの分かってたからって打てるもんじゃないだろ」


 小室の攻略の時にも考えたが、ナックルは基本捨てる。

 コントロールもいまいち悪く、変化しない時は本当に変化しないので、それほど脅威ではないのだ。

 だが坂本は、この選択肢を持っていた。

 こんな酔狂な変化球を、わざわざここまで隠していた。


 次の武史も、同じくナックルで平凡な外野フライ。

「アウトになっててなんだけど、ナックルって打てなくもないな」

 それが武史の感想である。

「まあこけおどしに近いと言うか……」

 ジンとしてもある程度その意見に賛成である。


 坂本のナックルはバットに当たる程度の変化しかしない。

 しかし本物のナックルボーラーのナックルは、バットに当てるのはもちろん、キャッチャーが捕るのすら難しい。

 ナックル専門のキャッチャーとミットがいるくらいである。

「俺も試したことあるけど、諦めたからな」

「ナオでも投げられないのかよ」

 大介としては直史に投げられない球があるという方が驚きであるのだが、直史にとって身につけても意味がない球を会得する努力は無駄である。

「コントロール出来ない変化球は、俺には必要ないからな」

 別に強がりでもなく直史はそう言う。

 もしどうしても使うとしたら、それこそ大介に投げる球がなくなった時ぐらいだ。

 つまり、坂本にとっては今か。

 あと一度の大介の打席で、果たして勝負してくるだろうか。




 三打席目の武市は、振らせるつもりのボール球に手を出さず、一塁に進んだ。

 パーフェクトが途切れたが、それよりも問題は、坂本の前にランナーを出してしまったことだ。


 八回の表、無死ランナー一塁。

 ここで坂本である。


 神宮大会の結果を考えるなら、坂本は狙い球を絞って、それを打ってくる。

 考えにくいことであるが、もしホームランを打たれたら二点先制となる。

 ここまで坂本相手には、散発の単打しかないので、もう一度大介の打席が回ってくると考えても、二点差はかなりきつい。

(いっそ敬遠するか)

 直史は打者との勝負に勝つよりも、試合の勝利を優先する。

 それに坂本との勝敗を言うなら、ここまでの二打席は抑えている。坂本が明らかに打つ気を見せていなくても、だ。


 敬遠したら、無死一二塁。

 おそらく送りバントで一死二三塁という状況を作り出そうとするだろう。

 その状況なら内野ゴロでも外野フライでも一点、そしてスクイズという手段も使える。

 センバツではやってきていないが、瑞雲はスクイズもしてくるチームだ。

 坂本の後は下位打線。打撃力の高い代打はいるし、既に試合は終盤。ここらで一点を奪うことの意義は限りなく高い。


 ジンから「歩かせる可能性有り」のサインが出る。直史も頷く。

 初球インローボールになるスプリット。坂本は反応せずにボール。

 やはり狙い球は決まっているのか、それともこれも演技か。

 二球目は斜めに大きく変化するカーブ。坂本にとっては懐に飛び込んでくる球。左打者の坂本にとってはやはりインローの球を、かすかにバットを動かしたが見逃す。これはストライク。


 カーブを狙っているのか、それとも似たようなコースに二球で反応したのか。

 坂本はポーカーフェイスであるが、一度打席を外した。




 守備位置を確認し、そして自軍のベンチを確認する。代打の準備は完了している。

(打てんな)

 冷静に判断する。

 坂本は別に超能力者でないし、直史ほどの制球力もない。

 だが神宮大会のホームランは利いている。坂本には長打力があると。

 ここまでの二打席、打つ気を見せなかったのではなく、そもそも打てないと判断したからだ。

 狙ってはいたが、ほとんどマグレであった神宮のホームランに、佐藤直史は縛られている。


 いや、それは当然のことだ。

 ホームランを打たれないピッチャーが、ヒットを打たれても点を取られないピッチャーが、ホームランで点を取られたのだ。

 その打者に対して最大限の警戒をするというのは当然である。


 ここで一点を取る。

 ここで一点を取れなければ、それはもう負けたのと同じだ。打巡的にも次の機会は難しい。

 相手の意識の裏を突くピッチングで抑えてはいるが、そろそろそのパターンも尽きてくる。

 坂本は直史と同じく、コンビネーションで勝負するピッチャーではあるが、それぞれの球種の精度はずっと低い。

 だましだまし投げていても、先に捕まる可能性は高かった。


 バッターボックスに入った坂本は、間違いなく気合を入れていた。

 殺気と言ってもいい。これに対して、バッテリーは三球目を外に外す。

 ワンストライクツーボール。

 次はストライクかボールかは分からないが、おそらくインコース。

 坂本はサインを出した。


 四球目。インローへの今日最速のストレート。

 坂本はバットを寝かせた。

(バント!?)

 警戒していない。意識の外にあった。


 一塁線に上手く転がる。坂本の足はそれなりに速い。

 倉田はダッシュするが、どちらかと言うと深く守っていたので、間に合わない。

 直史は一塁のカバーに入るが、グラブの中に倉田の送球が入るより早く、坂本は一塁ベースを駆け抜けた。

 無死一二塁。

 あるいは坂本に四球を与えることさえ考えてはいたが、まさかバントで自分も生きてくるとは。


 そもそも坂本は、もう一つ別のことを気にしていたのだ。

 直史は先ほど武市を歩かせたとは言え、まだノーヒットノーランではあった。

 既に二度のノーヒットノーランを甲子園で果たしている直史であるが、三度目ともなればさらに大きく扱われるだろう。

 観客もそれを期待している。瑞雲もどうにかそれは避けたいと考えてしまう。

 得点するのにヒットはいらない。だがノーヒットを避けようとすれば、瑞雲の攻撃も縛られてしまう。

 それを避けるためのバントヒットであった。


 瑞雲にとって、おそらく最初で最後のチャンスである。

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