第57話 不穏な空気
白富東のキャプテンに必要な要素はなんだろうか。
作戦指示? キャプテンシー? 明晰な頭脳?
それよりもまずは、ヤンチャな部員たちの個性に耐える精神力である。
連日連夜のマスコミの取材攻勢に慣れているジンは、自分でも気付いていないが、全国のチームのキャプテンの中でも屈指の精神力を持つまでに成長している。
あるいは変異していると言うべきか。
堕落しているというのが最も適切かもしれない。
「タケ、今日はかなり良かったな」
さすがにあの騒ぎの後で球場に残るわけにいかず、白富東はバスで宿舎に戻っていた。
「お前はプレッシャーのかかる場面でもコントロールいいから助かるよ」
一般にはコントロールにムラがあると思われている武史だが、実際のところ本当の勝負どころでは、まずコントロールミスがない。
武史はこれを、フィールドゴールとフリースローの違いだと意識している。
「最後には兄貴に尻拭いさせちゃいましたけどね」
「いや、これでまた明日の新聞記事の一覧だって。兄弟継投のノーヒットノーラン! 敬遠を平然とするところはさすがにナオだけど」
実際のところ、ジンは野球の試合には流れというものが存在すると思っている。
勢いともまた違ったもので、直史などはこれをオカルトチックと断言している。
しかしジンに言わせれば、直史はどんな流れをも食い止める強靭な堤防であり、大介は流れを一発で変える核弾頭なのだ。
だから流れを認識することがない。
ただ今日の試合の影響が明後日以降にどう出るかは微妙だろう。
今年も休養日が一日あるのはありがたいと考えるのが普通なのだろうが、白富東のようにピッチャーが強すぎるチームは、連戦で戦う方が有利なのだ。
野手陣はそれなりに疲労する。しかしピッチャーの比ではない。
「SNSではむしろ叩かれてないのな」
スマホをいじりながら情報班隊長、副キャプテンでもある菱本が告げる。
「ナオのファンって口が達者なの多いんだよな」
おそらく甲子園の球児の中で、一番高校球児っぽく見えないのは、直史か坂本である。
特に直史はマスコミへの塩対応などが、逆にマスコミ以外のソーシャルメディアでは人気が高い。
だが、そんなものはどうでもいいのだ。
「問題は甲子園にまでわざわざ来るようなディープなファンだろ。ネットでいくら吠えてても、試合に影響はないし」
直史は脅威を正しく認識している。
確かに。
直史のファンはライトな野球ファンが多い。
朝早くから並び、執念でバックネット裏の席を確保するような、ディープな歴戦の甲子園ファンとは一線を画している。
あの大声援を送るのは、そういったコアな人々なのである。
つまりそんなコアなファンを獲得しているシーナも凄いのであるが、ドルオタやヅカファンは、その辺りの気合もしっかりしている。
それに今日は大介にホームランが出なかったのも、不満を溜める原因となっているだろう。
四打数の二安打で打点が一なので、ちゃんと働いたとは言えるのであるが、去年のセンバツは二試合で五ホームランを打ったのだ。
ここまで三試合で二ホームランというのは物足りないだろう。敗れたとは言え聖稜の井口が一試合で三本のホームランを打った影響もある。
去年のセンバツは打力が薄く、投手力Aの打力Cとまで評価されていた。
強引にでも大介がホームランを打たないと、勝てないチーム事情があった。
しかし夏以来、チームの戦力は倍増している。大介が無理にホームランを狙わなくても、優勝を狙える。
一冬を超えて一番伸びたのは、おそらく武史である。
元々のポテンシャルに、簡単な技術の取得で伸びる部分が多かったので、それはもうえらいことになっている。
冬の間はかなりバスケに浮気をしていたのにである。
志望すればドラフトにかけられる選手が五人、育成を含めるなら取りたいと思わせる選手が二人。有名大学でもスタメンになれそうなのが一人。
この戦力で敗北するとしたら、怪我による戦力の脱落ぐらいしか考えられない。
フラグじゃないぞ?
準々決勝第三試合は、大阪光陰が勝利した。
真田が先発したが、どうもぴりっと抑えることが出来ずに、そこそこヒットを打たれていた。
しかしその後をちゃんと切っているので、キャッチャーのリードが悪いわけでもないのではないかと思える。
球数が多かったので、点差が開いたところで豊田に交代して、そこからがむしろ帝都一の打線は封じられたようにも思える。
5-0と完封して、準決勝進出を決めた。
そして最後の準々決勝は、城東の左腕島と、明倫館の試合。
ここまで二試合を完投してきた島は、序盤に制球を乱した。
途中からは制球重視で上手く明倫館打線を抑えたのだが、それまでの三失点が痛かった。
打線の援護もなく、そのまま3-0で試合は終了。
かくしてベスト4が残った。
高知、千葉、大阪、山口である。
……地味かな?
「てか初出場が二校もここまで残るなんて珍しいよな?」
「どうかな……。両方とも去年の夏に予選のいいところまで行って甲子園を逃してるから、秋の割と早いところから新チームの体制が作れたとも言える」
「俺らもそうだったしな」
「両方とも神宮出てたからな。地力自体はここまで残ってるのもおかしくないってことか」
「決勝は大阪光陰が来るだろうな」
「俺ら三大会連続で大阪光陰と当たるぞ。神宮合わせたら四大会かよ」
「なんなんあいつら? 俺らのことそんな好きなの?」
「あっちは同じようなこと言ってるかもだけどな」
明倫館も悪くはないが、投手力と打力でかなり大阪光陰に差を空けられている。
夏までにどう成長してくるかはともかく、ここは鉄板で大阪光陰だろう。
ピッチャーも大阪光陰が二枚左右いるのに対して、明倫館は高杉がここまで完投している。
休養日で回復するにしても、さすがに一人で投げるのはきついだろう。
それにホームランで一発狙えるバッターも、大阪光陰の方が充実している。
とは言え、まずは瑞雲である。
「うち相手にはさすがに最初から坂本だろ」
「中岡なら打てるよな?」
「打てるつーか、打つよ。さっさと坂本引きずり出す」
大介は割りと投手に対するリスペクトを欠かさない人間なのだが、中岡を軽く見るのは坂本への意識が強いからだろう。
大会前の戦力分析では、投手力がC、守備A、走塁A、打力Bとなっている。
明らかに投手力は過小評価だ。
「坂本ってどうして打てないんだ?」
「打てないわけじゃないだろ。ヒットはけっこう打たれてるし、桜島相手には失点してるし」
「注目すべきはホームランを打たれてないってことだ」
菱本は色々な数字に注目している。
「さすがに考えすぎだとは思うが、桜島も春日山も、勝敗から逆算したようなスコアで勝ってるだろ」
確かに先制して、リードだけは奪われないような戦い方をしている。
「あと二回戦も準々決勝も、決勝点を打ったのは武市だ。こいつは注意だな」
チーム全体としても、ここまでの試合でホームランは打っていないが、長打はそこそこある。
さて。
「先発、誰が行く?」
ジンもさすがに決められない。
このあたり正式な監督がいないのが弱点である。
今日も一人だけに投げたが、直史も休養は充分である。
岩崎もだ。二回戦の完投の影響は全くない。
武史だっていけないことはない。まったくもってセンバツは、ピッチャーに優しい大会である。
「絶対値じゃなくて単に相性だけを言うなら、ガンちゃんは向いてないと思うんだよなあ」
遠慮のないジンの言葉に、岩崎も反論はしない。
ありとあらゆる変化球を駆使する直史、左のムービングを使う武史、左のスライダーばかり投げるアレク。
そんな中では岩崎のスタイルは一番平均に近く、能力の絶対値とは関係なく打ちやすい。
割と正統なスタイルで攻撃してくる瑞雲には、やはり直史が向いているだろうか。
しかしジンが即断しないのにも理由がある。
外から見ていたシーナには分からないだろうが、直史が限界を超えすぎる可能性があるのだ。
直史は「普通に勝てればそれでいい」などといつも言っているが、実は負けず嫌いである。
チームの勝利が第一で、実際に今日の早大付属相手には、近藤を回避して勝利した。
だがそれは、元から近藤を自分より下とはっきり位置づけているからだ。
不確定要素はあったとはいえ、自分が投げて敗北した一年のセンバツ。
その怨念を晴らすために投げた夏は、結局次の試合に投げられなくなるところまで投げてしまった。
最初の夏もそうだ。勇名館に敗北した理由を掘り下げると、まあジンが後逸してしまったのが一番悪いのだが、その黒田相手には春の大会でホームランを打たれている。
白富東の主戦力の大介と直史が、共に坂本を意識しているのだ。
かと言って堅実な武市と奔放な坂本を相手に、岩崎では相性が悪いし、武史やアレクでは経験値が不足している気がする。
「打線で気をつけるのは坂本。武市は足もないし単打に抑えればいい。坂本とは基本勝負しない」
「武市じゃなく坂本をか?」
武市に注意を向ける冷静さは残っているが、おそらくこれは直史でも、自分自身では気付きにくい。
「お前と大介、坂本を意識しすぎだろ。そんなんじゃ騙されるぞ」
負けるとは思わないが、騙されることはありうる。
大介は眉根を寄せたが、直史はぱちくりと珍しく虚を突かれたような表情をした。
「そうか、俺たちは騙しあいで負けてたのか」
「え? うん? そう、なのかな?」
自分で言ってみたものの、直史の反応が意外なジンである。
この直史の反応は、少しおかしい。
「詐欺師を相手には法律を知らなければいけない。法律を知らなければ戦うことは出来ない……」
何か物騒なことを言っているが、直史なりの思考法なのだろう。
「分かった。俺が先発する」
奇妙なほどに冷静に見える直史である。
「あとは攻撃だな」
そして眺めたのは、大介以外のメンバーの方であった。
翌日の登板を予定しながらも、直史は投げ込んでいる。
それも単なる投げ込みではなく、打者を相手にしたものだ。
そう、これはバッティングピッチャーである。
坂本のデータを見るに、ノーヒットノーランを達成するタイプではない。
万全に打たせて取るタイプでもない。桜島相手の失点は、別にわざと打たせたわけでもないはずだ。
坂本は相手の裏を書くピッチングをしてくるが、それはさすがに心のうちまでを読むというものではない。
おそらくではあるが、心理洞察力に加えて、確率でピッチングをしている。
感覚と計算を兼ね備えているからこそ、ホームランだけは避ける投球をして、どうにか接戦をものに出来るのだ。
そんな坂本のピッチングを再現出来るのは、左右の違いこそあれ直史だけである。
ジンのリードではない。
自分が勝手に、坂本っぽいと思った配球で投げてみる。
ど真ん中にストレートを投げても、意外とヒットにならないものである。
(失投じゃなければど真ん中のストレートも案外打たれないんだな)
坂本の配球の柔軟性は、それこそ彼のセンスであろう。
才能とか、素質ではなく、感性。
おそらくそれが坂本という選手の本質だ。
坂本のピッチングを調べていて、気付いたことがもう一つある。
春日山の樋口を敬遠したこともそうだが、桜島の四番大山も、ヒットを打っていない。
さすがに打撃の中核には、集中して勝負しているということだ。
だから大切なのは、大介以外が打つということ。
削るのは、坂本の集中力。それならば下位打線でも出来る。
そしてもう一つは、キャッチャー武市の判断力。
中岡が投げて失点しないところは、武市のリードを含めたインサイドワークが優れているからだろう。
攻撃的な打撃陣で、しっかりとボール球を選んでいく。
さすがの坂本も、下位打線では集中力が切れている。それも桜島との対戦が教えてくれたことだ。
延長戦まで完全に集中力を保つ、直史ほどのメンタルは持っていない。
バッターに対しては、直史が考えうるかぎりの、おちょくった投球をする。
「おま! そりゃねえだろ!」
「坂本はなんでもありだぞ」
大介と直史が、バッピの練習でここまでやり合うのは初めてかもしれない。
そして当日。
準決勝の第一試合、白富東は珍しくも後攻を取った。
「大介~!」
「打てよ~! 打てよ~! 打てよ~!」
ホームランへの期待がすごいが、大介は完全に試合に集中している。
「後攻を取ったか……」
瑞雲のベンチでは、監督も合わせて作戦会議である。
白富東は基本、先攻を取る。
先制点を奪うのが、互角以上の相手と戦うためには必要だと判断しているからだ。
しかしここであえて後攻を選んだのは、ピッチャーが佐藤直史なので、まずサヨナラはないだろうという信頼感。
そして延長になれば圧倒的に、精神的に優位に立てるからだ。
おおよそベンチの見通しは共有されている。
ロースコア、延長戦までも覚悟している。
もっともそれにしては、打線に倉田が入っていて、攻撃力も高くなっている。
守備重視なら、戸田を入れてくるところだ。
「両方取り、かな?」
監督の吉田はそう言うが、打順を見れば打てるメンバーが揃っている。
(嫌な感じぜよ……)
坂本の直感は当たる。
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